宿敵編12話 せっかちで重い愛
「何が悲しくて、女子会を中断してまで地下室で飲まなきゃなんないンだか。」
地下霊廟の密談部屋に連れて来られたマリカ君は、不機嫌そのものだった。
「マリカ様、大事なお話があるみたいだから我慢してください。教授、テンガロンハウスのタコスはとても美味しいのよ?」
ホタル君は持ち帰りタコスをテーブルの上に広げ、テキーラの栓を抜いた。
「ンで、大事な話ってのはなンだい?」
指先に灯した炎で煙草に火を点けたマリカ君に、シガレットチョコを咥えたカナタが話を切り出す。
「火隠段蔵さんを暗殺した男がわかったかもしれません。例によって、推論の段階ですが…」
指先の炎より遥かに危険な輝きを放つ怒りの炎が、マリカ君の
「誰だ!!誰が親父を殺した!!」 「カナタ、段蔵様を暗殺したのは誰なの!!」
火隠のクノイチ二人はいきり立ったが、カナタは落ち着き払っている。乾いた目をした剣狼は、誰が相手でも動じないのだ。
「東雲中将だ。彼なら可能で、動機もあった。」
「そんなバカな事があるか!カナタの勘違いだ!」 「そうよ!中将に限ってそんな…」
「異論はオレの話を聞いてからにしてくれ。順を追って話す。まず……」
カナタから推論を聞かされたマリカ君は電光石火の速さで席を立ったが、その腕は砂鉄の鎖でカナタの腕と繋がれていた。
「……なぜ止める?」
私も上忍二人も最強の忍者を止める事は出来ない。それが出来るのは同じ高みに到達したカナタだけだ。
「台無しにされたら困るからさ。軽挙妄動が許される状況じゃないんだ。」
「いつ、アタイが軽挙妄動に走ったってンだい?」
「今、ここで、この瞬間にだ。どこに行って、何をするつもりだった?」
この迫力と台詞の重み。日頃は小市民そのものだが、修羅場となれば稀代の英雄をも凌ぐ怪物に変わる。これ程の二面性を持つ男は二人といまい。
「………」
殺気立つ完全適合者を視線で宥める完全適合者。見守る私達は、汗の浮かんだ手を握り締める事しか出来ない。
「落ち着け。激昂しても怒りに流されない。それが"
怪物の信頼にエースは応えるだろうか? 頼む、カナタの愛する緋眼でいてくれ。
「……わかった。おまえがそう言うのなら、おまえの望むアタイでいよう。」
嘆息したマリカ君が席に座ったので、カナタは砂鉄の鎖を解除した。
「推論を踏まえた上で、今後の方針を話そう。オレと忍者三人は、中将と秘密裏に会見する。」
「なンだい。結局、中将に会いに行くンじゃないか。」
不平を鳴らすマリカ君に、カナタは強い口調で応じた。
「ああ、会いに行くさ。落ち着いて、密やかに、覚悟を決めて、な。司令に話すか否かは、中将と会見してから決める。」
「いいだろう。だけど事と次第によっちゃあ……」
「なあなあで済ませる気はない。だが私憤を晴らしてお仕舞いなんて話でもないのはわかるだろう。マリカ、オレは司令も中将も救いたいんだ。もちろん…」
「アタイも、だろ?……わかってる。悩みに悩んで逡巡しようが、天掛カナタは必ず正しい道を選択する。アタイはその事を誰よりも知っているから、自分の信じる道を征け。背中は押してやっからさ。」
「……ありがとう。タコスが冷めるから頂こうぜ。」
やっと穏やかな表情に戻った二人に、夫妻と私は心底安堵する。
「ふぅ……緊張し過ぎて胃がキリキリしたわ。」 「はぁ……僕もだ。」
私は胃が痛いどころじゃない。本当に口の中が酸っぱいのだ。
「フィッシュ&チップスにはワインビネガーをたっぷりかけるのだが、今夜は止めておくよ。逆流した胃液で口の中が酸っぱいからね。」
あわよくば私も完全適合者に、なんて思っていたが、絶対に無理だな。並の人間とは隔絶された領域に踏み込むには、ある種の異常者でなくてはならないらしい。
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テンガロンハウスご自慢のテイクアウトメニューをツマミながら、5人で痛飲する。
「完全適合者とは常識の枷が外れた者達が到達する領域、それがよくわかったわ。」
お酒に強い新妻の言葉に夫が頷く。
「だね。僕とホタルには無理っぽい。僕達はいい意味でも悪い意味でも、常識の範疇内の人間だ。」
「それは私もだ。この世界に来てからは、型破りな人間になったつもりでいた。だが型を破るどころか、粉々に粉砕するぐらいでなければ、兵士の頂点には立てないものらしい。」
「教授はいいとしてだ。シュリにホタル、おまえらまで里長のアタイを非常識だと誹るのかい?」
テキーラをラッパ飲みしてるマリカ君は非常識ではないにしても、決してお行儀はよろしくない。
「僕がマリカ様を誹る訳がないでしょう!」 「そうです!私もシュリもマリカ様を尊敬してます!」
「オレは?」
「カナタには言いたい事が山ほどあるぞ!」 「そうよ!こっそりシグレさんの水着写真をコピーしてたでしょう!」
「需要があったから供給しただけだ。美しいものは誰でも好き……ぼえっ!」
音速の肘打ちが鳩尾に決まったな。並の兵士なら悶絶し、昏倒しているだろう。
「他には誰の写真をコピった。……キリキリ吐け。」
まったく、コピーするのは
「トッドさんの依頼で、"恥じらい姐さん"を。あ、恥じらい姐さんってのは、同志アクセルが所有しているSSランクのお宝です。」
「姐さんって事はアビーの写真かい!? それをトッドの奴がか?」
ガーデンきっての豪快姐さんのお色気写真を、ガーデン1の軽薄銃士が欲しがった、か。
「まさかトッドさんはいつも口喧嘩してるアビー姐さんへの切り札として……」
シュリ君は懸念を口にしたが、ホタル君が疑義を挟んだ。
「それはどうかしら? よくよく考えれば、トッドさんはいつも
チョリソーを咀嚼し終えたマリカ君がせせら笑った。
「まさかだろう。軽薄チャラ男の本命が実は豪快女だったとか、安物のコントじゃないンだからさ。」
ガーデンの話題にはついていけないのが寂しいぞ。まあ若者の宴にオッサンが混じればハブにもされるか。
「とはいえトッドさんって、綺麗系や可愛い系とは長続きしたコトがないんだよな。」
優柔不断を極めたカナタに色恋沙汰を論評されるとは、"流星"トッドもさぞ不本意だろうな。
「正確に言えば、"誰とも長続きした事がない"だよ。"男女交際はもっと真面目に行うべきです"って何度言ったかわからないね。」
さすがガーデン1の良識派だな。他隊の部隊長が相手でも小言を言うのか。
「私やシュリが何度諫めても馬耳東風、まるで"真剣な交際は御法度"なんてルールを自分に架してるみたいだわ。」
「……みたいじゃなくて、事実そうなのかもしれん。」
マリカ君は苦み走った顔になって煙草に火を点けた。
「マリカさん、何か知ってるんですか?」
おっと、カナタお得意の"お節介癖"が出たな。
「こんニャロ、ま~た"さん付け"に戻しやがった。さっきの迫力はどこへ…」
「いいから!トッドさんは"あからさまなエセ貴族"を気取ってますけど、それは"本当に貴族だった過去"を隠す為だとオレは睨んでいます。」
"流星"トッドは、ランサム子爵家の嫡男なんて吹聴しているが、同盟貴族名鑑を見ればそんな貴族は存在しないとすぐわかる。事実を隠す為に、事実に似た安い嘘を塗りたくるのは嘘つきの常套手段だ。貴族を気取るキザ男が、実は本物の貴族だったとは、かえって思わない。うっかり貴族特有の癖が出てしまっても、"また貴族を気取ってやがる"としか思われないだろう。上手い手だな。
「トッドさんの本当の過去を知っているのは司令とクランド大佐、そして調査にあたったマリカさんの三人だけだ。教えてください。トッドさんに何があったんです?」
カナタはダミアン君を除く全部隊長から可愛がられているが、ガーデン三馬鹿と揶揄されるトリオとは特に仲が良い。あの三人は剣狼が未熟な新兵だった頃からの、いい兄貴分なのだ。弟分として放っておけないのだろう。
「イスカにゃ口止めされてるが、この面子なら問題あるまい。実際に調査にあたったのはラセンとゲンさんだから、5人がトッドの過去を知っている事になンねえ。」
灰皿に煙草を押し付けたマリカ君は、また新しい煙草に火を点けた。
「……トッド・ランサムの本名は※ジスラン・ルーセル、妾腹だが子爵家の三男だった。トッドの父親、ルーセル子爵はケツの穴と器の小さい男でね。認知と庇護を条件に、トッドに取引を持ちかけた。難病の母を抱えていたトッドは取引に応じ、ルーセル子爵が逆恨みしてる貴族への意趣返しを手伝ったのさ。」
「血を分けた子を認知しないなんて酷すぎる!しかも我が子の弱味に付け込んで取引を持ちかけるだなんて、それでも父親なのか!」
案の定、シュリ君が憤慨したな。まあ父親失格の私とて、聞いて気分のいい話ではない。
「天罰があたったんだろうねえ。侵略してきた機構軍を迎撃した長男次男は敗死、領地を失った子爵は逃亡中に憤死した。トッドがいれば話は違ってただろうが、生憎もう出奔してたからねえ。」
「認知されて貴族の一員になっていたのに、出奔したんですか? それにトッドさんのお母様は…」
ホタル君の疑問にマリカ君は淡々と答える。
「トッドはハナから爵位なんぞに興味はなかった。余命短い母親に富貴な生活をさせてやりたいだけだったのさ。その母親が亡くなれば、貴族暮らしは窮屈なだけだったろうよ。ま、出奔の原因になったのは窮屈さではなく、ロールマリーなンだが……」
ロールマリー……00番隊副長のマリー・ロール・デメル中尉だな。彼女は元貴族、精神に失調をきたした父親が家族を道連れに無理心中を図ったせいで爵位を失ったと聞いているが……話が見えてきたぞ。
「意趣返しの相手はマリー君の父親だった、そうなのだね?」
「そうだ。トッドはちょいとばかり、やり過ぎたのさ。周囲が思っている程、デメル大佐は強い男じゃなかった。大佐はマリー以外の家族、愛犬や使用人まで巻き込んで自殺。当然ながら、お家は取り潰しになった。名を変え顔を変え、暗黒街の何でも屋になっていたトッドは、デメル家復興を目指すマリーがアスラ部隊にいる事を知って招聘に応じた。野郎が本気の恋愛が出来ないのは、マリーに負い目があるからだろう。」
「じゃあマリーさんはトッドさんがジスラン・ルーセルである事は知らないんですね?」
重たい話を聞いたシュリ君は酒杯を飲み干し、嘆息しながら天井を見上げた。
「たりめえだろ。知ってたらトッドに拳銃の扱いなんざ習わねえさ。シュリカナにホタル、この件には首を突っ込むなよ? これは
「……ああ。彼女は優れた狙撃手で、愛用のライフルのグリップは家伝の銘品だと話してくれた。つまり、デメル大佐も狙撃銃を得意としていた可能性が高い。そして、あらゆる銃器の達人である流星トッドは、狙撃銃だけは不得手だと言っている。おかしいとは思っていたが……」
なるほど。射撃センスの塊が、狙撃銃だけ不得手というのは変な話だと思ったが……
「合点がいった。トッド君は"二度とスナイパーライフルを使わない"と誓ったのだ。得意武器だったのに、贖罪の為に。おそらく、ライフルを使用する射撃大会で意趣返しをしたからだろう……」
「教授の言う通りだ。トッドはクレー射撃の大会で、デメル大佐に大恥をかかせたのさ。みんな、これはアタイからの頼みだ。何もせずに、トッドの気の済むようにさせてやってくれ。アイツがどんな答えを出すかはわからンし、答えを出せないかもしれない。だがトッドもマリーも仲間だ。今の関係を壊したくない。」
「でもマリカ様、マリーさんは"いつかジスランに復讐しよう"と思っているのでは?」
ホタル君の酌を受けたマリカ君は、返杯しながら答えた。
「マリーはデメル大佐よりも強い。父親が自殺する原因を作った男に恨みはあるかもしれンが、復讐する気はないンだ。イスカは念の為にジスランの事故死を偽装し、"マリー、どうやらおまえの家族を破滅に追い込んだ男に天罰が下ったらしい"と偽のレポートを渡したンだが、読み終わった彼女の返答はこうだった。」
"事故死なんて望んでいませんでした。私の家族が辿った末路を聞かせた時の彼は、心から後悔していたように思います。その彼にしたところで、難病を患った母親にちゃんとした治療を受けさせ、親孝行をしたいが為にああせざるを得なかっただけです。私が憎いのは逆恨みをした挙げ句に、才能ある少年を復讐の道具に使ったルーセル子爵です。彼に関しては、長男次男が無惨な戦死を遂げた上に、逃亡中に無様にも喀血、憤死して「ざまあみなさい!」ですわ"
マリー君は心の整理が出来ているらしい。トッド君の正体を明かして波風を立てるのはよろしくなさそうだな。
「戦争が終わって、デメル家が再興したら流星トッドは黙って姿を消すだろう。たぶん、それが最良の結末だ。地球には"知らぬが仏"って諺がある。」
カナタはそう言ったが、納得はしていないようだ。
事実を知っているからこそ、心の整理も出来る。アスラ元帥暗殺事件の真相を知った司令がどんな答えを出すかは、私にも読めない。
「いや、マリーさんだって真実を知る権利があるはずだ。それをのっけから偽装死させるなんて司令は相変わらず…」
「ほらまたそうやって二人で悩みまくる!おまえらはラセン流の"自分の背負える荷物だけを背負う"を見習いな!辛気臭い話はここまでにして、景気のいい話をしよう。シュリ、ホタル、アタイの子の後見人をやってくれるな?」
なにっ!? わ、私はもうお爺ちゃんなのか!
「マリカさん、避妊アプリを起動させたって言ってたでしょう!シュリもホタルも落ち着けって!」
叫ぶカナタの両脇を無言で固める上忍夫妻。いい話題なのかもしれんが、修羅場ではあるな。……出来れば私のいないところでやって欲しかったぞ。
「ああ、ちょっと言い方がマズかったねえ。子が出来たら、と言うべきだった。たぶん男の子だろうから、
天掛ヒビトか、いい名だな。しかしもう子供の名前まで考えているのか。せっかちで愛の重い女から、カナタは絶対に
「天掛ヒビトですか。いい名前ですね。」 「あら、火隠ヒビトよ。カナタ、マリカ様とのお子は里に来て頂きますからね!」
「先の話はともかくさ、誤解が解けたんだから腕を放してくんねえ?」
いや、マリカ君と婚前交渉に及んだ事実が発覚したのだ。お小言タイムが始まるぞ?
私としても、"たぶん男の子"だという根拠を聞いておきたいな。なにせ孫の話なのだし。
※ジスラン・ルーセル
ジスラン・ルーセルとデメル家崩壊の物語は、外伝"射撃の天才"と"俺は後悔していない"に収録してあります。トッドの右腕で副長のアロイス・ヴァンサンがアスラに入隊した経緯も記してありますので、サブキャラに興味がある方は御一読ください。
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