宿敵編5話 いい男といい女



「おまえ達は外で待っていなさい。いえ、長話になるかもしれませんから、高い薔薇園を見学させてもらうとよいでしょう。」


サロンの入り前で夫人はボディガードを観光に行かせようとしたが、当然、ムキムキマッチョ達が首を縦に振るはずもない。リーダーらしいグラサンマッチョが一歩前に出て、左右に首を振る。


「奥様のお側を離れる訳には参りません。閣下からは"命に代えてもアレクシスを守れ"と厳命されております。」


マッチョガーディアンズは災害閣下の命令抜きでも命を賭けそうだがな。


「薔薇園は精鋭という名の高い城壁によって守られています。よしんば鉄壁をすり抜ける手練れがいようとも、私とお話しているのはアレックスが"怪物チュドーヴィシチェ"と評した龍弟侯。何の問題もありません。」


「し、しかし…」


「ただ遊んで来いと言っている訳ではありません。ルシアンマフィアの貴方達が、ガーデンマフィアから学ぶ事がきっとあります。夫のような"生まれついての規格外"なら話は別ですが、並の人間は機会があれば見聞を広め、学ぶ必要があるのです。」


夫人はハンドバッグから帯封の付いた紙幣束を取り出して、グラサンに握らせた。引き取られたばかりの少年から信頼されるだけあって、人心掌握術に長けていらっしゃる。


「ハッ!それでは我々は基地内の見学に出掛けます。侯爵、奥様をよろしくお願いします!」


グラサンマッチョは生身の体でロボットみたいな正確無比の敬礼をしてのけた。体育会系の鑑だな。


「引き受けた。赤毛に連絡を入れておくから、ガイドしてもらうといい。」


ビーチャムは姉さんの側仕えもやってたから、饗応も心得ている。護衛達の筋骨隆々の背中を見送る夫人が日傘を畳んだのでジェントルっぽく受け取り、玄関扉に描かれた狼の目に視線を合わせてロックを解除した。


「ザラゾフ夫人、狼の隠れ家へようこそ。」


オレはドアノブを引いて貴婦人をサロンに招き入れた。


──────────────────────


「珈琲と紅茶、どちらがよろしいですか?」


見た感じじゃあ、紅茶党っぽいんだが……


「ウォッカを。カウンターの上に見た事のない酒瓶がありますわね。」


おっと、そうきましたか。こりゃ見た目の印象は捨てるが吉だな。


「試供品がお口に合うかどうか。いささか自信がありませんね。」


冷蔵庫から取り出したキャビアの缶詰とグラス二つをトレイに乗せ、試供品はサイコキネシスで一足先にテーブルに送る。


ザラゾフ夫人は試供品のボトルを手に取り、貼られたラベルに目を通した。


「……"復刻親父・壱号"……試供品にしてももう少しネーミングは捻るべきですわね。」


確かに。ダサいコトこの上ないな。


「肴はキャビアでよろしいですか?」


純金のスプーンを差し出すと、夫人は豪奢な指輪を嵌めた指で優雅に受け取る。


「ルシア人にキャビア嫌いは滅多にいません。無難で堅実なチョイスですわ。」


試供品をグラスに注ぎ、乾杯する。ダサいネーミングのウォッカをテイスティングしたザラゾフ夫人は名前と反するその味に、少し驚いたようだった。


「ネーミングセンスは落第ですが、味は合格です。でもこのウォッカはどこかで……」


「閣下から頂いたゴバルスキー酒造のウォッカを手本にしました。あの銘品を再現したいのです。」


「なるほど。まだ試行錯誤の段階のようですが、味の輪郭は掴めています。上手く再現出来れば飛ぶように売れるでしょう。」


災害閣下は味覚も大雑把そうだが、夫人は繊細な味覚を持ってそうだな。モノホンのお嬢様な訳だし。


「完成度が上がる度に、試供品を屋敷に送らせて頂きます。是非、銘品の復活にご協力を。」


「喜んで協力致しますわ。夫が喜びそうですし。……さて、先ほどは無理なお願いを叶えて頂きましたわね。」


「無理でも何でもありません。食前酒を飲み干すより容易いコトだ。」


「……京司郎の事なのですが、夫も息子も"仇を討ちたいなら正々堂々と挑ませる。真剣勝負に臨んだからには返り討ちもやむなし"というスタンスです。」


生粋の強者らしいスタンスだが、ザラゾフ夫人は同調出来ないでいるようだ。ま、それが普通だよな。


「夫人の意見は違うみたいですね?」


「夫と息子には共通の欠点があります。ザラゾフ家の血が為せる業かもしれませんが、"力を重んじ過ぎる"のですわ。そして私にも欠点があります。……その……生まれてから一度もお金で苦労した事がない身の悲しさといいますか……」


あ~、うん。なんとなくわかった。この賢婦人に雲水代表のような実務能力があれば、ルシア閥は天下を取ってるよな。


「大変失礼だとは思いますが、なんとなく察しました。」


「算盤勘定に明るい人材が欲しくても、そういう人材はトガ元帥の麾下に流れてしまいますし、そもそもそっち方面の人材の良し悪しが私にはよくわかりませんし、夫も息子も腕っぷしのない兵士は軽んじますし……」


「それで京司郎ですか。確かに利発そうな顔はしている。」


「あの子は15ですが、朧京大の1回生です。昆布坂家は文官の名門で、亡くなった母親も帝国の支配下で財務副局長を務めていました。」


また飛び級野郎か。まったく、三流大学を中退したオレへの当てつけかよ。


「なるほど。勉学に打ち込んできた分、剣術の成長は遅れ気味だったのか。」


「孫娘の顔を見て"このコ絶対、ザラゾフ家の系統だわ"と思いましたの。ですので、算術に秀でた側近を付けてあげたい。それに私は京司郎も可愛いのです。夫も息子も"剣狼を恨むのは筋違い"と言いますが、あのコを理解していません。昆布坂京司郎は"筋違い"ではなく"勘違い"をしているのです。」


「勘違い、とは? オレが決行した作戦で母親を亡くしたのは事実でしょう。」


「京司郎が許せないのは貴方ではなく"自分自身"なのです。恵まれた環境に胡座をかいて暮らしてきた母子は、危機的状況でも格好をつけてしまった。なり振り構わぬ必死さがあれば、母子揃って生き残れていたでしょう。闘争の場では戦力にならない文官一家がシェルターに逃げ込んだところで、卑怯の誹りは受けません。」


アレックス大佐は浅慮と笑ったが、ザラゾフ夫人は弱者の心を理解しようと務めている。この奥方がもっと前面に出られればルシア閥にとっていいコトだったのだろうが、災害閣下はあの性格だからなぁ。


「屍人兵を街に解き放つなんて暴挙は読めなかったにせよ、安全は期するべきでしたね。母子揃って頭は良かったはずなんだから。」


「学力テストの良し悪しでは計れない人間力の浅さ、生きる執念の欠如が悲劇を招いたと認めたくない。京司郎は怒りの矛先を貴方に向ける事で、心のバランスを取っている状態です。ですが成長し、強くなれば、誤魔化すのを止めて自分の心と向き合えるでしょう。そして、過去の自分を許せる時が来るはずです。……だからお願い、あのコに時間と機会を与えてあげて。」


時間と機会、か。時間をかけて成長し、一度は決闘を挑まないと本心に気付けないかもしれないと、夫人は考えている。今回の手合わせは時間稼ぎだったのか。圧倒的な力量の差を理解した京司郎は、相当な時間を鍛錬に費やすしかない。時間をかけて本心に気付かせたい夫人にとっては好都合だ。


傷付き、打ちのめされた少年に"立て!"と命じる厳しい態度の裏には、慈愛の心が隠れている。少年の身を案じて、オレみたいな青二才に懇願する程の深い愛が……


「昆布坂少年は甘ちゃんだったかもしれませんが、バカではない。オレに挑んでくる時は、何らかの成算があると思いますが。」


「私は絶対強者の女房ですから、兵を見る目には自信がございますのよ。京司郎がどれだけ強く賢く成長しようと、貴方なら殺さずに退ける事は容易いはず。乱世を生きる者として"強者の論理"の必要性は理解しています。ですが、生まれついての強者ではなかった私は"弱者の可能性"も信じたい。……ご理解願えませんか?」


災害閣下やアレックス大佐の考え方も嫌いじゃない。でも、オレが好むのは夫人のような考え方だ。生まれついての強者ではなかったオレは、やはりそういうスタンスに肩入れしてしまうのだろう。


「ザラゾフ夫人、オレにも欠点があります。いや、欠点だらけなんですが、数ある欠点の中でも最たるものは"女に甘い"でしてね。どうもこの欠点は直りそうにない。」


オレもこの星に来るまでは、自分を誤魔化して生きてきた。生まれ変わった体で様々な経験を積んで成長し、仲間にも恵まれたからこそ、己の本心に気付けたんだ。オレはオレの生き方への答えとして、昆布坂京司郎に機会を与えねばならない。


「うふふ、貴方は"とてもいい男"ですわね。もし若き日のザラゾフと、今の貴方に同時に求婚されていたら、私は迷ってしまったでしょう。災害と剣狼、二人の英雄が時期を同じくして生まれなかったのは僥倖でしたわ。」


リップサービスなのはわかってるけど嬉しいねえ。災害閣下もこの口車にコロコロされていい気になり、連勝街道を驀進してきたんだろう。オレがリリスのおだてに弱いのと一緒だ。


「今の話は最高軍事機密に指定しておきます。閣下の耳に入ったらガチバトルが勃発しますから。」


京司郎ならあしらえるが、災害閣下はそうはいかない。殺す気で戦わないと殺される。


「そうなったら夫の応援をしますわね。災害ザラゾフのファン1号はこの私ですもの。」


「オレが思うに閣下は文官を見る目がない。しかし、女を見る目は確かなようだ。ザラゾフ夫人は"とてもいい女"です。」


「ではもう一度乾杯しましょう。……いい男といい女に。」


二つのグラスが奏でる澄んだ音がサロンに響く。昔はクソみたいなクローン計画の黒幕だと思ってたザラゾフ元帥やその家族、それがここまで関わり合いになるとはお釈迦様でも思うまい。あれに関しちゃ、マジで忖度配下の先走りっぽいよなぁ。まあ、過剰に忖度されるような威圧的言動を繰り返す閣下も悪いんだけどさ。



夫人の人となりは見えてきた。もう少し深いところまで行ってみよう。この一家には十分深入りしてるんだから問題なしさ。


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