宿敵編4話 災害閣下の御内儀



明け方まで人斬りと酒を酌み交わし、狭い四畳半で雑魚寝を決め込むオレ。目覚まし時計に代わって惰眠を終わらせたのは、ハンディコムのコール音だった。


「隊長、今どこにいるんですか?」


オレが朝帰りをするのは珍しくない。とはいえ三人娘(とりわけ心配性のシオン)にはメールぐらい入れておくんだったな。


「幽霊長屋さ。トゼンさんと飲んでたんでね。」


「あのあばら家に泊まったんですか!? とにかくすぐに身繕いをして演習場に来てください!」


「今日は休みで、訓練はなかったはずだけど?」


「お客様が訪ねて来られています。」


「客? 誰だ?」


「ザラゾフ夫人とその随員、それに……昆布坂京司郎です。」


昆布坂少年がザラゾフ家に引き取られてから三月と経っちゃいない。いくらなんでも"いざ尋常に立ち会え!"とかじゃあなさそうだが……


「すぐに行く。」


話し合いでカタがつくなら、それに越したコトはない。例え挑んできたところで、昆布坂少年を殺す気なんかないけどな。


───────────────────────


シオンと合流し、賓客の待つ基地外縁部に向かう。演習場の片隅には、屈強なルシア兵を伴った貴婦人の姿があった。あれが災害閣下の細君、アレクシス・ザラゾフか。写真よりも見映えのする方だな。妙齢の時分には貴族達が"是非とも我が家に迎えたい"と鈴なりになったとかいう逸話を持つ社交界の花だ。


「龍弟侯、突然訪ねたりして申し訳ありませんわね。老婆の気まぐれに付き合うも一興と、ご容赦くださいませ。」


差していた日傘を侍従兵に渡したザラゾフ夫人は丁寧にお辞儀をしてくれた。育ちの良さからくる気品ってものが、このご婦人にはたっぷりあるみたいだな。実年齢よりはるかに若く見えるのに老婆とか、とんだ謙遜だ。


「お目にかかれて光栄です。侯爵夫人のお噂はかねがね。」


「ふふっ、噂の出所は夫でしょう? おおかた"強情な女"とでも仰っていたのではなくて?」


勘も鋭いらしいぞ。こりゃ"賢夫人"ってヤツかもしれん。心のギアを一段上げよう。


「ご冗談を。災…元帥閣下には色々とお世話になっております。」


ギアチェンジ失敗。のっけから失言しそうになるとは。


「災害閣下でよいのですよ。夫は人型災害である事を誇りにする暴威の塊ですから。……京司郎、そのような目付きはおやめなさい。無礼と無分別を私は許しません。」


ムキムキマッチョの間からオレを睨みつけていた少年は、夫人に窘められて目を伏せた。夫人は背後に立っている少年の視線を感じ取れる鋭敏さがあるのか?……違う、これは年季だ。少年の性格を読み切って、睨みつけているに違いないと踏んだのだろう。


「後ろに目が付いておられるようですね。」


「私に背後の視線を感じ取る鋭敏な知覚はありませんわ。龍弟侯の後ろに立っておられる美しい副長殿が、一瞬ですが眉をひそめられました。それで京司郎の無礼に気付いたのです。」


「紹介が遅れました。彼女がスケアクロウ大隊副長、シオン・イグナチェフ少尉です。」


シオンが規律正しく敬礼したのが、音と空気の揺らぎでわかる。これは完全適合者ならではの超感覚だ。


「存じ上げております。ラブロフ・イグナチェフが育てた愛娘ですもの。世間では色々噂がありますが、きっと事情がお有りなのね。」


シオンを"父殺し"だと思っている兵士はまだいる。真実を明らかにしていないのだから、風聞が飛び交うのは避けられない。実際に会えばそんな人間じゃないとわかってもらえるのだが、同盟の全兵士と交流する訳にもいかないのだ。


「義父をご存知なのですか?」


訊ねるシオンに夫人は微笑みながら頷いた。


「ええ、もちろん。私が"強情女"ならば、ラヴロフ中佐は"頑固親父"ですわね。何度も招聘しようとしましたが、一向に応じてもらえませんでした。派閥の最高顧問程度では、ご不満だったのかしら? ですけれど、いくら異名が"狙撃の皇帝"でも、本物の皇位は用意できませんし……」


ルシア閥の最高顧問なら、文句ない地位だと思うけどな。でも皇帝ツァーリラヴロフは、地位よりも家族を選んだ。スノーラビッツという部隊ファミリーを。


「父は部隊と現場を何より重んじていました。決して最高顧問に不満があったのではないと思います。」


シオンがそう答えると、ザラゾフ夫人は沈痛な表情で応じた。


「だからこそ、どうしても彼が欲しかった。……残念ですわ。」


ルシア閥に強兵が多い理由はこのご婦人だ。災害閣下の細君が派閥のスカウト役をやっているに違いない。


「ザラゾフ夫人、そろそろ御用向きをお伺いしてもよろしいですか?」


「龍弟侯にお願いが二つあります。」


「お聞かせ願いましょう。」


「まず一つ目のお願いから。私に畏まった物言いは止めて頂きたいのです。夫の表現を借りれば"無頼を通せ"ですかしら?」


オレはキチンと着込んだ軍用シャツのボタンを外しながら答えた。


「無頼がお望みならお安い御用だ。地位ではなく、ご婦人への礼節に留めましょう。」


「あら、紳士なのね。もう一つのお願いとは、京司郎に稽古をつけてやって欲しいのです。」


「いずれオレを殺しに来る男を鍛えろと?」


ザラゾフ夫人は凄味のある光を宿した目でニヤリと笑った。


「はい。いずれ剣狼に挑む少年に、厳然と存在する"格の差"を思い知らせてやってください。どれほどの差があるのかわからねば、その差を埋める事など不可能でしょう?」


あの夫にしてこの夫人あり。なるほど、災害閣下が惚れるだけはある。


「いいでしょう。シオン、洟垂れに身の程を叩き込むから医務室に連絡を。」


多少怪我をさせたところで、文句を言うご婦人ではあるまい。少しキツめに揉んでやろうか。


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屋外演習場の真ん中で相対するオレと京司郎。夫人とボディガード達がギャラリーだ。ムキムキマッチョが差し出してきた訓練刀を受け取ったオレは地面に小さな円を描き、得物を返却した。


「龍弟侯、武器は要らないと仰るのですか?」


夫人の問いは"一応、確認しておきましょう"って感じの軽さだった。絶対強者の妻を長年やってきた女は、兵士というものを熟知している。


「ハンデはつけないとね。おい少年、訓練刀ではなく真剣を使え。うまくいけばいきなり大願成就と相成るかもしれんぞ?」


「ぼ、僕を舐めるな!」


訓練刀を持った少年は憤ったが、夫人はピシャリと撥ね付けた。


「全て侯爵の仰る通りになさい。それが未熟な挑戦者の義務です。」


「はい、奥様。ではお望み通り真剣を使ってやる!死んでから後悔しても遅いんだぞ!」


甘いねえ。少しは鍛えてきたんだろうが、おまえはまだ"本物の兵士"の怖さを知らない。知ってりゃあ、ハンデは当然と受け止めたはずだ。


「おまえは実に幸運だ。今日はサービスデーだからハンデを追加しよう。オレはこの円から出ない。一歩でも出たらオレの負け、首でもなんでも刎ねりゃいいさ。」


「男に二言はないぞ!本当にいいんだな!」


喚くな小僧。オレとおまえの間には、絶対的で絶望的な差ってヤツがあんだよ。


「いいとも。アリンコが完全武装しようが巨象には勝てない。」


「僕が蟻だとぅ!」


「蟻じゃないなら蟻以下か? いいからかかってこい!口喧嘩しに来た訳じゃあるまい!」


「剣狼、あの世で母さんに詫びろ!!」


おまえ達親子だけじゃない、あの戦役で犠牲になった者全てにすまないと思っているさ。……でも、後悔はしちゃいないんだ。


「うおおおぉぉぉぉ!」


雄叫びを上げながら大地を蹴り、放たれる(勢いだけは)いい斬擊。右足で刀の腹を蹴って跳ね上げ、ガラ空きの喉を掴んで額を地面に叩き付けてやる。


「ぐうっ!ゴホッゴホッ!」


「実戦だったらこれで死んだ。喉をへし潰されてな。」


アゴに爪先を引っ掛けて放り投げ、距離を取らせる。


「畜生!まだまだこれからだぞ!」


体ごとぶつかるような突きを白刃取りし、刀を奪いながら鳩尾に蹴りを入れてすっ飛ばす。仰向けに倒れた少年の股の間に、投擲した訓練刀が突き刺さった。


「これで二回目の死、だな。」


彼我の力量の差は一回目の攻防でわかったはず。それでも使ってこないとなれば、希少能力を持ってないな。


「その余裕を後悔させてやる!」


「無理だと思うが頑張れ。」


その後も似たような流れで何度も何度も殴られ蹴られ投げ飛ばされた少年は、9度目の死を迎えた。手加減してるとはいえ、そろそろ限界だろう。


「……くそぉ……こ、こんなに……こんなに差があるのか!」


うつ伏せに倒れた京司郎は唇を噛み締めたが、立ち上がるコトは出来ないでいる。潮時だな。


「立ちなさい!!そんな体たらくでは仇討ちどころか、この時代を生き抜く事すら出来ません!」


ザラゾフ夫人は厳しいな。スタミナは空っ穴で肝臓打ちリバーブローを山ほどもらい、治りやすい折り方はしたが、肋も何本か逝ってる。このダメージで立つにはリック並みの根性がいるぞ。


「か、体に力が……」


地面に手をつき、立ち上がろうと試みるも果たせない少年。そりゃそうだ。リック級の根性があるヤツなんて、そうはいない。ま、アイツはおまえ以上のダメージをもらったのに、それでも立ち上がって向かってきたがな。……懐かしい話だ。


「京司郎、貴方は"サンドラを守る"と誓いを立てたはずです!立ちなさい!私との約束を反故にするつもりですか!」


アレクサンドラ・ザラゾフ、夫妻の孫娘か。夫人はサンドラちゃんの側近として京司郎を育てたいんだな。後事を託せる人間を育成しておくコトも賢夫人のお仕事って訳だ。おそらくサンドラちゃんもアレックス大佐のような強者に育つだろう。算盤勘定が得意な京司郎は、補佐役にうってつけって訳だ。


「お、奥様との約束は必ず守ります!あの時の僕とは違うんだ、あの時とは!」


ガクガク震える膝に渾身の力を込め、刀を杖に立ち上がる少年。いい根性だ。母親の死からは立ち直れていないようだが、男としての独り立ちは出来そうだな。


「仇はここにいるぞ。さあ、這ってでも前に進め。」


フラつきながらも前へと進む少年はオレの目の前まで辿り着き、刀を振りかぶろうとしたが、そこで力尽きた。白目を剥きながら前のめりに倒れる体を支えてやる。


「シオン、コイツを医務室まで運んでやれ。オレは夫人と話がある。」


ダーはい。ザラゾフ夫人、このコの事はご心配なく。」


軽々と少年を抱え上げたシオンは夫人に向かって一礼し、演習場から去っていった。


「じゃあオレのサロンに案内します。貴婦人をエスコートしたいところですが、災害閣下に妬かれても何ですから、先導だけにしておきましょう。」


「夫との真剣勝負を見てみたいものですわ。災害VS剣狼のドリームマッチ、同盟の全市民が熱狂する事でしょう。」


「市民には夢の対決かもしれませんが、オレにとっては悪夢ですよ。」


日傘を差した貴婦人の歩む速度に合わせて道案内しよう。気配を背中に感じながら、部隊長サロンのある区画へと歩く。



……暴勇の男を支えながらアレックス大佐を育て上げた女傑とは、腹を割って話しておきたい。こういうコトもあるかと思って、サロンのコーディネートをリリスに任せたのは正解だったな。オレじゃあセンスのない人間だと思われちまう。


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