成立編15話 バイオメタルベビー
湯船から上がる頃には漠然とした不安も洗い落とせていた。今、そんなコトを気にしても仕方がない。オレの好きなコ全員嫁って大それた野望の成就が見えてきてから考えりゃいいさ。
用意された浴衣に着替えたオレは、宴会場である本館大広間へ向かった。雪駄を脱いで、合戦図の描かれた襖を開けると、マリカさんに声をかけられる。
「珍しく長風呂だったじゃないか。カナタはアタイの隣だ、座れ座れ。」
里長のマリカさんの席は当然ながら、掛け軸前の上座だ。そのお隣がオレの席か。上座は落ち着かないんだけどな。いつもだったら隣を譲ろうとしないリリスも、場の空気を読んでるのか珍しく大人しい。
「主賓も席に着いた事じゃし、乾杯の音頭を取らせてもらおうかの。龍の島での戦の勝利と、我ら火隠衆の繁栄を祈願して一本締めじゃ。」
ゲンさんが音頭を取り、皆で盃を交わす。里の皆さんを交えた楽しい一時の始まりだ。シュリとホタルが結婚報告に長老衆の席を訪ねて回り、ナツメがくノ一見習い達に戦役での武勇伝を披露する。心を閉ざし、極端に口数が少なかったナツメの変化を里の衆も喜んでくれている。
シオンとナツメは雪風が連れてきた忍犬見習いの子犬達と戯れ、浴衣をはだけたゲンさんとゲンゴが爺孫でドジョウすくいを披露し、皆が笑う。そしてサプライズは宴がたけなわになった頃に起こった。宴会場に現れた仲居姿のくノ一がラセンさんにアスナさんが産気づいたコトを告げ、アルコールを抜いた夫は嫁の元へと走った。皆が期待しながら酒をチビチビ飲んでいる席に、喜色満面のラセンさんが戻って来る。
「無事に赤子が産まれたぞ!元気な男の子だった!」
皆喜んだが、特に爺婆達の喜びようは一際大きかった。里長の血を引く子の誕生を心待ちにしていたからだ。
「ふぇっふぇっふぇっ、まことにめでたいのう。小童、倅の名は考えておるのかえ?」
里の最長老は掛け軸に描かれた真紅の蜘蛛に手を合わせてから、副頭目に息子の名を尋ねる。
「無論です。息子の名は
ラセンさんの息子は火車丸くんか。きっと立派な忍びになるだろう。
「うむ。この婆めが立派な忍びに育ててみせるわえ。」
マリカさんはゲンさんに師事して忍術を学んだらしいけど、ラセンさんはお婆様に師事したらしい。宴席では好物の
「お婆が火車丸の教育係をやるのはいいが、カレー狂には育てるなよ?」
里長に釘を刺されそうになったお婆ちゃんは、スルリと身を躱した。
「どれどれ。婆は
……旗色が悪くなるとウナギのような軟体さで逃げ出すこのチャッカリぶり。ラセンさんをチャッカリマンに育て上げたのは、このお婆ちゃんだったのか。
そして老練なくノ一、梟に目配せされた里の爺婆達は、里長様を包囲する。
「次はマリカ様の番ですな!」 「どこぞに良い殿方などおらぬものかのう?」 「分家のお子が副頭目となり、本家の跡継ぎを補佐する。それが理想ですのじゃ。」 「左様、ラセン様とマリカ様のようにのう。」
オレも八熾の爺婆達に、あんな風に包囲されたなぁ。ホント、こういうところは封建時代のまんまだわ。まあこの世界じゃ世襲が蔓延ってて、誰も疑問なんざ持っちゃいないんだが……
「いい歳こいた爺婆どもが雁首揃えて群がってくんな、鬱陶しい!」
短気な里長様は一喝したが、爺婆達は怯まない。どこの世界でも年寄り衆は強いのだ。
「そろそろ少尉も逃げた方がいいんじゃない?」
オレの浴衣をチョイチョイと引っ張りながら、撤退を促すリリス。なんでオレが逃げる必要があるんだ?
「お爺ちゃん達はかなりしつこいよ? 上忍の私が保証したげる。」
ナツメのお墨付きをもらった爺婆達の視線がこっちを向いた。
「皆の衆、ここに龍の島一の
逃げよう。爺婆に取り囲まれるのは、八熾の庄だけで十分だ。
「……撤退戦を開始する。シオン、
「ダー。隊長、この貸しは大きいですからね?」
三十六計逃げるに如かず。南斉書・王敬則伝にある通りだ。故事から学ぶコトを忘れないオレは三人娘を連れて、脱兎の如く逃げ出した。
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翌日の朝、オレは別館のアスナさんを訪ねてお祝いを言い、産まれたばかりの火車丸くんと対面する。
「可愛いですね。この子はどっちに似るんだろう?」
「男の子だから旦那様に似てくれるといいわね。顔もそうだけど、身体能力もね。」
五世代型バイオメタルの夫妻から産まれた赤ん坊は、へその緒を分析した結果、"五世代型相当"のバイオメタルであるコトが判明した。この子は、生まれながらの強者って訳だ。
「ラセンさんの身体能力はずば抜けて高いですからね。マリカさんが"不世出の忍者"だから控え目に見えるだけで、歴代の里長と比肩しても見劣りするものではないと里の衆が口を揃えてます。」
「里のお医者様のお話では、火車丸の休眠細胞比率は、平均よりも遥かに低いらしいの。戦乱の世だから強いに越した事はないし、安心したわ。」
「今朝方、ラセンさんから詳しい話を聞きましたよ。休眠細胞が少ないのは素質の証、きっと優れた忍者に育つでしょう。」
休眠細胞とは"眠っている戦闘細胞"のコトだ。この世界に来た直後のオレは戦闘細胞適合率50%だったが、実は休眠細胞が50%存在していた。戦い続けている内に眠っていた戦闘細胞が目覚め、今では適合率100%の完全適合者となっている。オレの場合は遺伝子ごと変異を起こしているから、サンプルにはならないかもしれないが……
そして最近の研究の結果、二世バイオメタルの最終適合率は大まかな予想が可能になっている。両親の戦闘細胞適合率が頭打ちになっているのが条件だが、親と子のゲノム解析によって、推定値を割り出す研究が進んだのだ。適合率9割超えのラセンさんと8割強のアスナさんの血を引く火車丸くんは、90%前後の適合率を持つと推測されている。
「生まれながらに42%もの適合率を持つこの子は、消費カロリーも凄いのよ?」
めちゃくちゃミルクを飲みそうだよな。40%~50%と推測される休眠細胞が目覚めれば、アスラの部隊長級の強者に成長するに違いない。消費カロリーが桁違いという点さえクリア出来れば、乳児死亡率が極端に低いのもメリットだ。バイオメタルベビーの抵抗力や生命力は、生身の赤子と比較にならないほど高い。
「でしょうね。でも火車丸くんが大きくなるまでには、戦乱の世を終わらせる。この子の力は、平和を維持する為に使ってもらいますから。」
未来の抑止力となる子は、ベビーベッドですやすやと眠っている。泰平の世に兵士は要らないなんて空論には与しない。武力の裏付けなき平和を、人類は実現したコトがないからだ。
「しかと聞いたぞ。息子の為にも平和な世界を創ってもらおうじゃないか。」
出たな、チャッカリマン。毎度のコトながら"しれっと参上"しやがるぜ。
「あらあなた。昨晩遅くまでここにいらしたのに、もうお見えになったの?」
「火車丸の顔を見ないと落ち着かなくてな。アスナ、この子の成長記録は欠かさず撮っておいてくれよ?」
「もちろんよ。いつでも息子の成長を見られるようにしておきます。」
ベッドから身を起こしたアスナさんは夫と抱擁する。夫婦っていいものだな。
「おやおや、てっきり里に残って子育てに専念したいなんて言い出すかと思っていたんですけどね?」
見せつけられた身としては、皮肉の一つも言いたくなる。朝っぱらからお熱いコトで。
「クリスタルウィドウの隊員も家族だ。俺がいなくてどうする。」
これが1番隊副長・漁火ラセンの本質なんだよな。部隊長昇進の話を蹴ってでも、家族同然の隊員達を守る。だからこそみんながついて行くんだ。
「冗談ですよ。次はシュリ夫妻の子供ですかね。」
ホタルと同等の才能がある忍者がいればなぁ。でもあれだけの数のインセクターを同時起動出来る人間は、火隠の里どころか、世界中を見渡しても存在しない。現状ではホタルは産休を取れないのだ。
宴席で蛍雪さんが教えてくれたのだが、灯火一族の血統秘伝"複眼"は本来、緋眼のように片目にだけ顕現するものらしい。スズメバチのような目で左右の動きを捉えながら、残る片目と合わせて遠近を測る、近接戦向きの能力だったのだ。司令がザインジャルガ戦役で斃した"殺人蜂"ホーネッカーの戦闘スタイルがそうだった。国籍不明の混血児だった殺人蜂には、歴史のどこかで流出してしまった灯火一族の血が流れていたのだろう。
スズメバチのような目を持つ一族が"灯火"を名乗っているのは、電気のなかった時代に訓練された蛍を用いて明かりを灯し、忍びの主戦場である夜戦を援護していたからだ。
そんな一族に生まれたホタルはどういう訳か、両目に複眼を顕現出来た。そしてその複眼の一つ一つを、インセクターにリンクさせられるという特殊能力まで持っていた。こうして、最高の偵察兵が誕生したって訳だ。
「シュリさんとホタルさんの子供は空蝉一族と灯火一族のハイブリッド。脱皮の出来るスズメバチが誕生するのかしら?」
空蝉一族は※羽織空蝉に代表されるように、デコイを用いた戦闘技を得意としている。忍者の里に嫁入りしたアスナさんも、忍術に詳しくなったようだ。
「次はカナタとマリカ様の番だろう。年寄り連中はすっかりその気になってるぞ?」
「完全適合者同士の間に出来た子なら、かなりの確率で完全適合者になる素質を持って産まれるでしょうね。楽しみだわ。」
なんでアスナさんまでその気になってんだよ。……この確信顔、事情を知っているらしいな。
「ラセンさん、アスナさんに話しちゃったんですか?」
「夫婦の間で隠し事はしない主義でな。洗いざらい、全部話したさ。」
「難攻不落の要塞、
やれやれ。ここは話題を変えるの一手しかないな。
「ラセンさん、火車丸くんの見守り体制は盤石なんでしょうね?」
「今、年寄り衆が人選をしているところだ。生後三ヶ月以降は、24時間体制で見守る必要があるだろう。」
「二ヶ月にした方がいいです。アレックス大佐の娘、サンドラちゃんが最短記録を更新したそうですから。」
「……そうか。人選を急がせよう。」
「あなた、何のお話なの?」
希少能力を持たないアスナさんには、オレ達の話がピンとこなかったらしい。
「火車丸くんはラセンさんの希少能力も継承している可能性が高いんですよ。世界最強レベルのパイロキネシス能力をね。」
「あっ!」
「物心がつく前に希少能力が発現したら本人も周囲も危険だからな。本土では既に何件か、幼児による発現事故が起こっているらしい。」
敵兵を消し炭に変えてしまう螺旋業炎陣の威力を知るアスナさんの顔が青ざめる。
「アスナさん、物心がつく前に希少能力が発現する例は稀ですし、事故のほとんどは希少能力保有の可能性が考慮されていない場合に起きたものだ。炎を尊び、その扱いに慣れた手練れがいるこの里なら問題ありません。」
「そういう事だ。火隠の里では、バイオメタル技術が開発される前から様々な希少能力を持つ子が産まれていた。だから十分なノウハウがある。昔と違うのは威力ぐらいさ。」
炎のパイロキネシス能力だけではなく、火隠家の緋眼に灯火一族の複眼、田鼈一族の体毛硬化能力、この里は希少能力のデパートみたいなものだ。おそらく、そういった人知を超えた能力を持った者達が集まって、忍軍を結成したに違いない。
「あなた、そのノウハウを私にも教えてください。この子を守るのは母親である私です。」
「うむ。昼からそれ専門のくノ一がレクチャーに来る。産後で体が重いかもしれんが、しっかり学んでくれ。俺もマリカ様も、そうして育てられたのだ。」
本当は妻子の傍にいたいんだろうけど、ラセンさんの代わりなんていない。夫として、歯がゆい思いをしてるんだろうな。
大切な仲間に家族が出来て、その血を受け継ぐ子供達が産まれてくる。次の世代に負の遺産を残してはならないという思いの輪郭が、強く濃くなってきた。漠然とした思いの輪郭がハッキリすれば、信念へと変わる。この信念が、オレに力を与えてくれるだろう。
※
空蝉一族を代表する忍術。瞬時に脱ぎ捨てた上着で相手の視界を遮り、死角から必殺の一撃を見舞う。上着を搦めて敵の腕を封じる派生技も存在する。カナタは親友のシュリから、いくつか空蝉一族の秘術を教えてもらっています。
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