成立編7話 我、思われるが故に幸あり
ランキネン副理事長がテーブルに置いたハンディコムからホログラム姿のリーブラが現れる。揺れる天秤の上には、膝を抱えて座る女性型と、座禅を組んで瞑想するかのような男性型の姿があった。
「どっちがリーブラなんだ?」
オレの質問に、瞑想する男性が答える。
「どちらもです。便宜上、私はデキステル、そちらがシニステルと名乗っていますが、一つの
ラテン語で右と左か。膝を抱えた女性が、そのシステムを説明してくれる。
「リーブラは自己進化機能と相互診断機能を備えた人工知能なの。私とデキステルはお互いを監視し、事象に対する分析も別々に行う。最終的に採択した意見をリーブラとして発する事になっています。」
本筋から外れるけど、興味が湧いてきちまったな。
「意見が割れたらどうするんだ? 2人で多数決って訳にもいかないだろ?」
「そのような不合理さは人工知能にはありません。人間のように"今さら持論を引っ込められない"といった不合理な感情はありませんから。」
デキステルの言葉にシニステルが頷く。
「純粋に検討し続け、より優れた方策を採択するだけ。アプローチの違いは、結論の違いにはならないから。」
「ではリーブラ、どうして私達を襲撃させたのですか?」
オレが逸らした話を、ローゼが本筋に戻した。
「突発的な事態に対する対応力を測る必要がありました。」 「停戦を樹立させる為のみならず、大業を成し得るには必要不可欠な能力ですので。」
煙草を咥えた死神が、シニカルな顔で指摘する。髑髏のマスクだから、元々シニカルっちゃシニカルなんだが。
「非力や無能とは組まない、か。人工知能らしい判断だな。」
オレ達の能力を計るテストだったって訳か。試されるのは面白くないが、いかにも人工知能の考えそうなコトだ。
「我々は常に合理的であり、最善の手段を講じます。そうですよね、シニステル?」
「ええ、デキステルも私も不合理な選択は排除するようプログラミングされています。補足すれば、今回の件には龍弟侯とローゼ皇女の信頼関係を確かめるという副次的目的もありました。」
信頼関係が希薄なら、疑心暗鬼になって交渉が中止される、か。ネヴィルは停戦交渉を頓挫させる為に、襲撃そのものを目的として部隊を送り込んできたんだ。機構軍にはマイナスだろうけど、帝国が泥沼で足掻くのは、ロンダル閥にとってはプラスになるから。
「危機対応能力と信頼関係に問題なしと実証されました。シニステルも異議はありませんね?」 「ええ。リーブラは"合理的実証主義"を重んじると、ご理解願います。」
人工知能は冷静で優秀かもしれないが、死神は人間特有の"底意地の悪さ"を持っている。この顔、AIにはない特性で釘を刺しにいくな、こりゃ。
「だが警告しておこう。その合理的実証主義とやらで人が死んだ。類似の事例をもう一度やらかしたら、おまえを破壊する。本体のある場所は知っているからな。おっと、俺を抹殺するシミュレーションは無駄だ。運良く抹殺に成功しても、リーブラの存在と所在位置を明らかにする手は打っておいた。ついさっき、だがね。」
肉食獣の顔に変わった死神は、ポケットから取り出したハンディコムの発信履歴を天秤に載った二人に見せる。やっぱりコイツは底意地も悪けりゃ、始末にも悪い。まあ実際問題、釘を刺しとく必要はある。死んだのはネヴィルの部下だけだが、オレやローゼの仲間が死ぬ可能性はゼロじゃなかったんだからな。
「ブラフですね? 本体のある場所を知っている訳がありません。」
「デキステル、桐馬少佐の情報収集能力の高さを考慮すれば、ブラフと決め付けるのは危険よ。」
「確かに。少なくとも、リーブラの存在を世界中に発信する手立ては完了したと判断すべきですね。」
「ええ。それが合理的、だわ。」
なるほど。こんな感じで自問自答…他問他答してんのか。
「信頼構築の第一歩としてハッタリではないと証明してやろう。」
死神はキカちゃんの落書き帳を手に取って、同席者には見えないように何かを書き記す。リーブラだけに見えるようにかざされた紙片には、その所在地が書かれているのだろう。
「……納得したか?」
「はい。大したものです。もう二度と類似の手段は講じないと約束しましょう。」
感心したような顔で死神を見上げるデキステル、相方のシニステルは俯いたままブツブツと呟き始めた。
「……リーブラの存在は、我々の想定以上に知られてしまっている。情報の修正を開始……」
人工知能に釘を刺した死神は、手中の紙片をパイロキネシスで焼却する。ジャブの応酬は終わったし、肝心要の
「リーブラ、単刀直入に聞こう。通貨をより安定させる為には停戦が合理的、と判断したんだな?」
「イエスです、Mr.剣狼。」 「平穏時と争乱時の突発事態発生率を考えれば当然ね。」
だろうな。戦時国債の発行とか、巨大都市の損壊とか、戦争ってのは通貨を暴落させる要因にはなっても、安定には寄与しない。
「今までは"両軍ともに戦争ヤメる気ねーな"と静観してたが、状況が変わったと判断した。そういう理解でいいか?」
「はい。ですが積極的関与は出来ません。」 「リーブラの至上命題は通貨の安定ですから。」
人工知能にとっちゃ、刺客をけしかけるのは積極的関与に入らないらしい。
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リーブラとの交渉はサックリ終わった。積極的関与はしない人工知能は、情報提供と停戦樹立時の立会人(もちろん人間を代理に立てて、だが)になる事を承諾。こちらもリーブラの存在を秘匿し、停戦樹立後も通貨の管理は引き続き委任すると約束してお終い。
ま、ランキネン副理事長をはじめとする通安基の最高幹部達はロビー活動に参加してくれるそうだから問題ない。存在を隠された
さて、問題はここからの交渉だな。姫様モードに入ったローゼは強敵だぞ。
オレとローゼが対面に、左右に二人の立会人が座った。
「では次の交渉を始めましょう。私とラムザが立会人を務めます。」
「合意に至れるよう願っています。4者間で停戦樹立に努力する事は合意しましたが、帝国と龍の島の問題には、我々は立ち入りません。どうぞ存分にご議論を。」
椅子から立ち上がったリリスが仏頂面で口を開く。
「じゃあ有象無象は退出しましょうか。……さっきは油断したわ、もう一度勝負よ!」
キカちゃんにビシッと指を突き付けるリリス。他人様を指差すな、失礼だぞ。
「うん!将棋が終わったらチェスもやろうよ!」
……さっきは油断した……聞き捨てならない台詞だな。まさかリリスが将棋で負けたのか!? ガーデン無敗のちびっ子棋士が!
「まさかおまえ、将棋で負けたのか?」
「油断しただけよ!次は勝つわ!」
油断しただけ、次は勝つ。それがどれだけ意味のない台詞かは、リリスだってわかってる。似合わない負け惜しみを言うぐらい悔しく、白熱した勝負だったんだろう。
「リリス、キカちゃんを格下と侮るな。
敗因はそこだ。何が何でも負かしてやると
「……そうね。今度は楽しんでみるわ。」
「キカはすっごく楽しいよ!リリスちゃん、早く遊ぼうよ!」
「ちょっと!背中を押さないでったら!アンタ子供?」
おまえもキカちゃんも、
……戦争が終わったら、リリスとキカちゃんはいい友達になれるかもしれない。オレに
「大人の世界に飛び込むのが早すぎた
死神が独白し、ローゼが微笑む。
「ふふっ。頭の良さはよく似てるのに、性格がまるで違うのが面白いですね。」
ローゼ、だからこそ上手くいくんだ。自分に足りない部分を、相手の出っ張った部分が補ってくれるから。
「人間は一人では完成しない。異なる誰かと共にあってこそ、完成される。ちびっ子二人が真理に到達するコトを祈ろう。」
"我、思う故に我あり"、デカルトはそう述べた。偉大な哲学者にして数学者に比べりゃ米粒みたいに小さなオレだけど、持論はある。
"我、思われるが故に
「剣狼、俺がローゼ皇女の補佐役を務めるのは問題ないか? もちろん、剣狼も補佐を付けて構わない。」
「了解した。オレに補佐役は必要ない。」
オレらの念真強度なら楽勝でテレパス通信が可能だ。席を外させる意味はない。双方が交換した全権委任状を立会人の二人が改め、交渉の準備は整った。
「それでは
強い意志の力を宿す瞳。完全にローゼのスイッチが入ったな。そう、今は平和を目指す同志ではなく、それぞれの立場を背負った代理人だ。オレは手加減しないから、ローゼも手加減無用だぜ!
「交渉に先だって、帝のお言葉をお伝えします。"我々は龍の島の安寧を希求しています。それは帝国の打倒と同義ではありません"、このメッセージを本国の皇帝陛下にもお伝え頂きたい。」
帝国の絶対条件は駐屯軍&敗残兵の安全な撤収と、捕虜の解放だろう。こちらの絶対条件は、全ての植民都市の解放だ。
「大龍君のお言葉、確かに承りました。私も皇帝陛下からお言葉を預かっております。"余は無益な争いを好まない。龍の島は数多くの賢人を輩出した地だと聞く。賢明な先達に倣う事を希望する"、以上です。」
ローゼと目が合い、同じコトを考えていると確信した。オレが皇帝の虚飾を感じ取ったように、ローゼは帝の雅量を感じ取ったな。
冒頭のやりとり一つに、トップの人間性が現れていやがる。ローゼもとんだハンディキャップを背負ってこの場に臨んだもんだな。
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