侵攻編39話 チキンレース



「ローゼ様、もはや一刻の猶予もありません。朧京は陥落、アードラー中将は自決を遂げ、レーム大佐とミッテンハイム大佐が戦死しました。親征軍が北上して来るのも時間の問題です。以前にお願いした通り、親征軍との停戦交渉をお願いします!」


龍の島に上陸したばかりのアシュレイからの通信。でも、自分からは動けない。これは父と私の我慢比べなのだ。


「アシュレイ副団長、私は交渉に赴く意志があります。ですが、それは陛下から"全権を委ねられれば"の話だと言いました。陛下からまだ何も話が来ていない以上、帝国には交渉の意志がない、と考えます。」


アシュレイは万事において、盟友のスタークスと相談する。父の最側近である騎士団長から、私の意向は聞かされているはずだ。朧京が陥落した以上、親征軍との停戦交渉が最善手。父もそれはわかっているが、それでも私から交渉役を買って出るのを待っている。でも、その手には乗らない。


「ローゼ様も父君のご気性はおわかりのはず!将兵達の為にどうか!ご決断を!」


将兵の為に……多少不利な条件を突き付けられようとも、決断すべきなのかも……


アシュレイからは見えない位置に座っている少佐が、私に視線で釘を刺す。……日和ひよるな、と。


「……私の答えは変わりません。植民支配を断行したのは陛下、ならば龍の島で起こる全ては、陛下の御裁断で動かされるべきです。アシュレイ副団長は敗残兵の収容を急がれるべきでしょう。」


通信を終えてから、ため息をつく。我慢比べをしていられる時間はあと僅か。砂時計の中に残った砂粒は、小指の先ほどもない。


─────────────────


「キキッ!(元気出して!)」


就寝前に小さな家族に励まされる。


「大丈夫、ボクは折れない。タッシェもみんなもいてくれるから。」


情は捨てない、でも情に流されない。父は、ボクの弱さに付け入ろうとしているのだ。だけど、指南役の少佐は父が先に折れると読んでいる。その読みを信じよう。


"自らの手で築き上げた権威の崩壊に、皇帝は耐えられない。極論すれば、それが彼の全てだからだ"


軍師の助言を活かしてこそ君主だ。……今は耐える、歯を食いしばりながらでも!


あ!卓上コンピューターにスイッチが入った!


「ローゼ様、夜分遅くに失礼します。陛下から通信が入っておりますが……」


クリフォードが待ちに待った一報を知らせてくれる。少佐の表現を借りれば"風上を取った"のだ。後は"太陽を背負う"だけだね。


─────────────────────


素早く正装に着替えて通信室に入った私の目に、着座する髑髏マスクの軍師の姿が映った。もちろん、交渉担当のクリフォードも一緒だ。深呼吸してから、赤銅の騎士に通信を繋ぐように合図する。


「ローゼよ、そちらの戦況はどうなっておる?」


わざわざ夜分遅くに通信を入れた挙げ句に、本題は後回し。相変わらずですね、父上。


「報告書にある通りです。」


"そちらと違って好転続きですよ"とでも、言ってあげたいところですが、我慢しておきましょうか。


「もっぱら領土を拡張しているのは他派閥、しかも最大の受益者があのサイラスとは、余は気に入らぬな。」


「ロンダル閥の切り崩しに成功した、と思って頂ければよろしいかと。もちろん、他の派閥にも食い込んでおります。ガルム閥の友好勢力が増える事は、帝国の国益に適うはずですが?」


「支援を施すのはよいが、恩を踏み倒されぬようにするのだな。ところでローゼ、スタークスから聞いたのだが、おまえは親征軍との交渉を望んでいるらしいな?」


さっそく言質を取りに来たか。父上、言葉の戦争を始めましょう。


「陛下のお許しがあれば、交渉に赴くのはやぶさかではありません。」


「おまえの交渉能力を見てみたい。余の代理人として、帝との交渉を許可しよう。光栄に思うがよい。」


言質の次は、格付けですか。少佐の助言通りの展開ですね。


「有難き幸せ。しかしながら、帝との交渉は難しいでしょう。」


「ほう。自信もないのに交渉を望んだのか?」


「交渉以前の問題です。私が相手では、大龍君は交渉の場にお出でになられません。帝と交渉されたいのなら、陛下がテーブルに着く必要があります。」


「……御門命龍が、余と同格だと言うのか!」


歴史の古さを由緒と呼ぶなら、向こうが上です。御門家の歴史は二千年を優に超えているけれど、リングヴォルト家の歴史は千年にも満たない。


「彼らはそう思っているでしょう。他国人の心理までは誰も操れません。交渉相手は、帝の義弟になるかと思います。」


「……龍弟侯とか称する小僧がカウンターパートか。」


「小娘の交渉相手に小僧が出てくる、ふふっ、釣り合いは取れていますわね。」


「ふん。……おまえではなく、アデルにやらせてみる手もあるな。」


兄上に出来るかどうかなど、私より父上の方がご存知でしょうに。まとめて当然の交渉ですら、ぶち壊すのが兄上だ。お粗末過ぎるカードなんて、切り札になるどころか、足元を見られるだけですよ?


「兄上もここのところはお暇なようですから、ぜひチャンスを与えてあげてください。戦続きで兵士達は笑いに飢えています。丁度よい余興になるでしょう。」


「戯れ言はここまでにして、本音を聞こう。交渉に赴くのに何が必要だ?」


「一枚の文書、全権委任状が必要です。交渉の場で一々本国にお伺いを立てているようでは、話になりませんから。」


「……どこまで条件をもぎ取れると考えているのだ?」


「龍の島からの安全な撤退と、戦役で捕虜になった帝国兵、戦没者の遺体の返還。それに植民政策とは無関係の財産保全までは飲ませられるでしょう。後は私の交渉能力次第でしょうね。」


これは負け戦の後始末なのだ。そう多くは望めない。交渉が決裂しても、親征軍は困らないのだから。


「親征軍は、未だ健在な植民都市の引き渡しを要求してくるだろう。全てとは言わぬが、それなりの勢力を島に確保するのだ。」


本気で言っているのだろうか? もし本気ならば、父上の器は思いのほか小さいという事になるけれど……


「陛下、親征軍は力尽くで島を奪還出来る状態なのです。全ての植民都市の返還は、彼らが絶対に譲らない条件。もし陛下が列島に足場を残したいとお考えならば、アシュレイ師団に決戦を命じ、勝利する以外にありません。」


剣神アシュレイは極めて優れた指揮官だ。だけど、士気が大幅に低下した兵士を率いて、勝ち戦の勢いに乗る親征軍と戦えば敗北は必至。仮に万全の状態で戦ったとしても、戦術と戦闘の天才が率いる親征軍には及ばないだろう……


まともに勝負させたいなら、神盾スタークスも戦地に送り込む必要がある。しかし、剣神と神盾が敗死すれば、父上は両腕を失う。それは出来ない相談のはずだ。


「戦って勝つ以外に足場を残す方策はない、か。……乾坤一擲の勝負をかける場面でもなかろう。」


なるほど。自分でも無理だとわかっていたが、私から無理だと言わせたかったのか。植民都市返還の責任を、私に負わせる為に。その責は喜んで負いましょう。


帝国内では"偉大な皇帝陛下が獲得した版図を手放した皇女"と見做す者が出る。でも裏を返せば……龍の島側から見れば私は"父親が不法に占領した領土を返還した娘"になりますからね。


「私もそう思います。帝国はまだ広大な版図を有し、陛下も健在。再建はそう難しい事ではありません。」


国庫に溜め込んだ財貨を吐き出せばいいだけだ。ゴッドハルト・リングヴォルトは、国家経営には定評のある君主なのだから。


「おだてが上手くなったものだな。……ローゼよ、余の名代として交渉に赴け。全権委任状は、すぐに届けさせる。最悪、龍弟侯との交渉になるやもしれぬが、帝を交渉の場に引き出す努力は忘れるな。」


「もちろんです。此度の件、私にお任せくださるのですね?」


決意を込めて念押しすると、父上の顔が少しだけ緩んだような気がした。私の気のせいかもしれないけれど……


「皇帝に二言はない。救援に向かった軍団、敗走する兵に囚われた兵。これらの安全と返還を絶対条件とする。その上で帝国の国益に適う条件を出来るだけ取り付けるのだ。」


「ありがとうございます。帝国皇女として、全力で交渉に臨みます!」


父上は損切りを決断した。一度方針を定めたら、徹頭徹尾、揺るがないのは紛れもない長所だ。不世出の将帥ではない父上だが、為政者としての力量には秀でている。そうでなくては、帝国がここまで巨大化する訳はない。


「期待しておるぞ。だが気負い過ぎるな。全権委任状を送る以上、全ての責任は余が背負うのだ。所詮は他人事、そんな客観性も折衝に必要な能力である。交渉の要諦とは、熱意を持ってテーブルに着き、他人事のような客観性で戦略を模索する事だと心得よ。」


「はい。しかと胸に刻みました。」


見習うべき美点は見習う。自分が成長する肥やしになるのだから。


「……おまえは母親に似てきたな。あれが余に意見する時の顔を思い出したわ。」


私が吃驚している間に、父上は通信を切ってしまった。視線を感じたのでそちらを見ると、髑髏のマスクが苦笑いを浮かべていた。我慢比べをしてきた癖に、一旦決まれば娘に忠告もする父上の様子が可笑しかったのかもしれない。少佐はクリフォードに向かって、皮肉交じりの感想を述べる。




「人間ってのは不可思議な生き物だな。とことん自己中な王様でも、時には自分が父親である事を思い出すものらしい。」


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