侵攻編28話 理外の理



「賊軍の数が増えておるじゃと!どういう事じゃ!」


睡眠不足なのか疲労なのか、はたまたその両方なのか、朧京総督ヘルマン・アードラーの目の下にはうっすらとクマが出来ていた。


詳しい報告は司令部で聞くと言い捨てたアードラーは、特別あつらえの軍服に着替え、寝室を後にする。尾羽刕が陥落して以来、毎日続く受難の一日が始まったのだ。その中でも、今日は特に悪い日になりそうであった。


─────────────────────


索敵班から空撮映像を見せられたアードラーは、報告が虚偽でも間違いでもなかった事を認めざるを得なかった。昨日、賊軍は市内の曲射砲を全て沈黙させたというのに、なぜか後退した。その理由を答えられる幕僚はいなかったが、どうやら数を増した賊軍が、その答えであるらしかった。


「いったいどこから増援が湧いてでたのじゃ!」


「前方からではない以上、後方からでしょうな。賊軍は朧京に至る途上で、いくつも街を陥落させております。そこから集ってきた兵士と思われますが?」


レーム大佐の淡々とした声が、アードラーのささくれ立った勘気に障る。


「そんな余剰兵力があるのなら、最初から引き連れてくればよいであろうが!戦力の逐次投入は、最も犯してはならん禁忌なのだぞ!」


アードラーとて士官学校は出ているし、豊富とまでは言えないが実戦経験もある。彼にしてみれば、親征軍の行動は理解不能であった。


「総督閣下、正確に言えば逐次投入ではありません。今の状況では順次合流、と言うべきでしょう。逐次投入が愚策とされるのは、分散した戦力を各個撃破されるから、であります。」


討たれた兵の補充に新たな兵を投入し、また撃破される。親征軍はそういう悪循環に陥っていないのだから、レームの言が正しい。


「愚策は愚策であろう!よし、賊軍がこれ以上増える前に、街を出て決戦を挑…」


「それを狙っているのやもしれません。」


賢しい事を言い募ってくる敗残の大佐を一喝し、下がらせたいところではあったが、幕僚達の顔付きが籠城前とは変わっている事に、アードラーも気付いていた。露骨ではないが、気鬱げな顔の瞳に浮かぶ冷ややかな光には、気付かざるを得ない。


軍学よりも数学で優秀な成績を修めたアードラーの画期的な戦術、"同じ数の兵を減らし合えば、数に優る側が勝つ"に、幕僚のほぼ全員が反対した。アードラーが皇帝の為なら喜んで死ねる男である事は事実であったが、死をも辞さぬ愛国心を一般兵にまで求めるのは無理があると、この愛国的数学者は思わなかったのだ。自分を基準に物事を判断する、アードラーは高い実務処理能力を持っていたが、想像力には欠けていた。


過半数の反対を押し切って実行した策が裏目に出れば、リーダーの権威は失墜する。死兵として送り出したはずの曲射砲破壊部隊は帰投後に再出撃を拒み、アードラー流の表現ならば"臆病"、兵士側の主張である"常識"は、他の部隊にも伝播してしまった。


同じ数の兵を減らすという作戦目的そのものは達成したアードラーは、自分の作戦に間違いはなかったと確信していたが、"再度の出撃を強行すれば、誰も帰ってきませんぞ。そのまま敵陣に駆け込み、賊軍に加わるだけです"と述べたレームの発言を、実戦経験が豊富な幕僚達は揃って支持した。アードラーの作戦を支持する者もいるにはいたが、人数と場数の面で反対派には及ばない。


朧京を完璧に統治してきた自分と、無様に尾羽刕から逃げてきたレームの発言を比較する愚かさに、どうして幕僚達が気付かないのか、アードラーには不思議でならない。だが、比較の対象になっている事実は、この場の空気が示唆している。


「ではどうすれば良いのじゃ!指を咥えて賊軍が増えるのを見ていろとでも言うのか!」


「決めるのは閣下でしょう。私は意見を具申したまでです。」


レームが判断を委ねたのは、保身からである。彼にも親征軍の思惑が読めないでいたのだ。わかっているのは、ここまでは剣狼の計算通りに状況が推移しているであろうという事だけであった。


───────────────────────


判断に迷ったアードラーは、本国の皇帝に指示を仰ぐ事にした。皇帝の勅命であれば幕僚達も従うはずだからだ。そして"不世出の将帥"と謳われる皇帝ゴッドハルトなら、賊軍を壊滅させる一手を授けて下さるはずだと、祈るような気持ちで本国に通信回線を繋ぐ。


「……アードラー、策の是非はともかくとして、敵を前に不協和音を奏でてはならぬ。今の状態では、籠城戦でも野戦でも、賊軍めに不覚を取るだろう。」


「陛下、私に策をお授け下さい。陛下の知略を必ずや実現し、賊軍めを追い払ってみせます!」


実は近隣都市の部隊を朧京に集結させる策も、皇帝からの指示であった。アードラーの一存では、そんな大きな決断は出来ないのだ。薔薇十字を除く帝国軍においては、皇帝の指図通りに動く事が徹底されている。


「……まず、同時撃滅の策は誤りであったと幕僚達に詫びよ。」


「しかしながら陛下!私の秘策を兵士達が忠実に実行していれば、勝てていたのです!」


「誰もがおまえのような忠義者ではない。賢者には賢者の、愚者には愚者の策を授けるのが、将たる者の仕事だ。」


そして今授けているのが"愚者への策"だ、皇帝が心中で呟く言葉にアードラーは気付かない。繰り返すが、アードラーには想像力が欠けている。


「ハハッ!不協和音を取り除いた後は、いかな策を実行すればよろしいのでしょうか?」


「それはアシュレイに訊くがいい。元岳港にいる救援師団と連携する事が肝要だ。」


もっともらしい事を言っているが、現状打破への答えにはなっていない。想像力に欠けるアードラーは、"陛下も考えあぐねているのではないか?"とは思わなかった。度を過ぎた上意下達は、部下から想像力や独創性を削いでしまうのかもしれない。


──────────────────────────


度を過ぎた上意下達も害悪ならば、度を過ぎた権威主義も害悪である。自身の格を維持する為とはいえ、皇帝と直接話せる権利を将官に限った事は、今回は裏目に出た。プライドの高いアードラーは"自らの誤りを認め、幕僚達に詫びろ"という命令を守らなかったのだ。


代わりに彼は、"皇帝陛下は進駐師団が一致団結する事を望まれている"とだけ述べた。これでは幕僚達に芽生えた疑心暗鬼は拭えない。もし、幕僚達も交えて話していれば、そういった事態は防げていたはずである。幕僚達の疑心暗鬼の矛先はアードラーに向かっていて、皇帝に向いてはいなかったからだ。


想像力不足がアードラーの欠点ならば、配慮不足が皇帝の欠点であった。いや、このミスは、自分の支配力を過信し過ぎた結果なのかもしれない。アードラーの自尊心よりも、自分の支配力が上だと皇帝は考えていたのだ。


皇帝に指示された通り、救援師団を率いるアシュレイに通信を入れたアードラーに対し、剣神は幕僚達も交えた作戦会議を提案した。皇帝に言上出来る権利は佐官の幕僚達にはなかったが、帝国騎士団副団長のアシュレイにならば連絡出来る。進駐師団幹部からアードラーの実行した"同時撃滅の策"を聞かされたアシュレイは、苦虫を噛み潰すような気分でいたのだ。


執政官としてはともかく、指揮官としてのアードラーを元よりアシュレイは評価していなかったが、そんなサイコパスじみた、いや、サイコパスそのものの戦術を実行するとは、愚かにも程がある。敵の心理を読む事に長けた剣狼カナタが、進駐師団内部に生じた不協和音を見逃すはずもない事を、彼女は知っていた。


司令部の大作戦室にアードラーと全幕僚を集めたアシュレイは開口一番、断言した。


「最初に言っておこう。理外の戦術に出た敵軍の狙いは、諸君らの動揺を誘う事にある。」


アシュレイには剣狼の仕掛けた罠と、その狙いが読めていた。正体の見えない敵と戦うのは誰でも恐ろしいもので、この場合の正体とはその数だ。総数6万と思っていた敵軍が一夜にして8万に増えた。明日には10万、もしかしたらもっと……最初に"敵の総数は自軍の半分にも満たない"と高をくくらせておいてから、手酷く裏切る。一度は安堵してしまったがゆえに、心理的な落差は大きい。


最初から連れていけるだけの兵を動員すれば、籠城側とて覚悟は定まる。なのに見せる手順を変えただけで、ここまで動揺を誘えるのか、アシュレイの背筋に寒気が走った。


「我々の動揺を誘う為だけに、あんな非論理的な合流策を取ったと仰るのですか!」


レームの言葉にアシュレイは頷いた。


「その動揺がバカにならない。事実、諸君らは一夜にして増えた敵軍に、動揺してしまっているではないか。」


数的優位を活かせずに敗退した軍は、歴史上にいくらでも例がある。そして多数側が敗れた事例のほとんどにおいて、心理的に少数側に気圧されているのだ。剣狼は、誰かが自分の策略を見抜くであろうと予測しているだろう。


"最良の策とは読み難い策ではなく、読まれたとしても機能する策である"、剣狼は同盟機関誌に載った自身の言葉通りの策略を仕掛けてきた。私がその狙いを看破したところで、将兵の不安を完全に拭い去る事は出来ない。百戦錬磨の"剣神"アシュレイは、最良を求めるのではなく、最悪を避けるべきだと、考えの方向性をシフトさせた。


「ワシは動揺なんぞしておらん!そんな事よりナイトレイド伯、こちらに来るのにどのぐらいの時間がかかるのじゃ!聞けば未だに制海権を奪取出来ておらぬらしいではないか!」


実力のある将帥に、勝つ事よりも負けない事に専念されれば、どれだけ厄介なものかをアードラーはわかっていない。賢明な剣神はここで総指揮官を激昂させるべきではないと、喉まで出かかった言葉を引っ込め、今後の方策だけを述べた。


「……可能な限りの努力はしている。敵艦隊に我々を打ち破る気がないのだから、大迂回して本島最北部から上陸する作戦に切り替えるつもりだ。我々の来援までなんとか持ち堪えろ。つまりは籠城だ。」


現在判明している親征軍の数は8万……1,5倍の兵力差を活かして野戦を挑ませる手もあるが、アードラーと剣狼の指揮能力と兵質の差を考えれば、とても勝てるとは思えない。それに親征軍の数はまだ増えるはずだ。アシュレイの読みは、ほとんど正解にまで辿り着いていた。


完全な正解、実は剣狼の策は二段構えであった。少ない数で朧京まで進軍し、進駐師団が野戦に打って出ればわざと負けて後退し、追ってきた敵を伏兵と共に包囲殲滅する。籠城されたならば、小出しに合流して進駐師団の動揺を誘う。剣狼が望んでいたのは前者であったが、彼は希望的観測を持たない。大軍が展開するのに適した平原に到達してもなお、進駐師団に動きがないと見た剣狼は、次善の策を取る事にしたのである。


そして帝国軍にとってマズい事態が進行していた。剣神は剣狼の策のほとんどを看破したが、剣狼もまた、剣神の作戦を看破していたのである。剣神は陽動攻撃を仕掛けながら迂回路を探るだろうと読んだ剣狼は、烈震と精鋭兵を足の速い艦に乗せ、沿岸部から離脱させていた。アシュレイが籠城策を指示する事も読めているからこその分隊行動である。


救援師団が本島北部になんとか上陸したその日、烈震アレックスが率いる援軍もまた、朧京近郊に到着していた。救援師団の来援はもう間に合わない。



……朧京を完全に包囲した親征軍の総攻撃が今、始まろうとしていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る