侵攻編25話 破竹の進撃



尾羽刕を進発した親征軍は、二手に分かれて進軍を再開した。二手とは、姉さんが率いる本隊と、伊織さんが率いる別働隊だ。当初の予定では、伊織さんには尾羽刕に残ってもらい、兵だけ借りるつもりでいたのだが、彼は自分の出征にこだわった。巨大都市の元首でありながら戦うコトなく帝国に降り、東部地方全域の陥落を招いた元凶と見做されている士羽家。伊織さんは、由緒ある家名に塗られた泥を払拭したいと考えたのだろう。


伊織さんにやる気と能力があるなら、戦果を上げて箔を付けてもらった方がいい。なので尾羽刕には、新総督の腹心である旗本八騎から、内政向きの三人を代理として残した。先代総督の奥方が、その身に代えて国外に逃がした旧臣達も親征軍に馳せ参じていたから、彼らを軍務と内務の補佐役につけておく。これなら総督不在でも問題あるまい。


師団級の戦力を指揮した経験のない伊織さんには、オプケクル准将とアレックス大佐に同行してもらう。新米指揮官の経験不足は、アスラ元帥と共に戦った古参兵の人食い熊が補い、適当戦術の達人である烈震アレックスには、突発的な状況の変化に対応してもらう。この布陣であれば、別働隊は任せてしまえる。もちろん、進軍しながら互いの戦況を報告し合って、連携はきっちり取るけどな。


日本で言うところの北陸道と東海道に分かれて北上する親征軍は、中小都市を次々に陥落させていった。本隊が北上するルート上には、ちょっと気の利く帝国軍人がいたらしく、周辺都市の防衛軍を集結させて野戦を挑んできたが、完膚なきまで粉砕してやった。統一作戦最初の野戦を総括すれば、"鎧袖一触"だな。


その戦場になったのは四方ヶ原って場所だ。日本で言えば、家康が信玄に大敗し、脱糞しながら城まで逃げ戻ったという逸話を生んだ三方ヶ原にあたる。野戦をコーディネートした帝国軍人と家康の違いは、彼は城(街)まで逃げ戻れなかったコトだ。追撃部隊の先陣を切ったクリスタルウィドウに捕捉され、緋眼のマリカに討ち取られた。もちろん、戦意を喪失した街も降伏した。


この野戦で375名の敵兵を斃し、64名を捕虜にしたオレは、トゼンさんが持っていた"一度の戦闘における最多殺傷記録"を更新し、タイトルホルダーになった。奇しくも殺傷数375名は、機構軍の最多殺傷記録の保持者、死神トーマと同数だな。


「375人は殺し過ぎだな。ド頭で力の差を見せつけ、戦意を削いでやるつもりでいたが、ここまで殺る必要はなかったのかもしれん……」


艦長室改め、軍監室の肘掛け椅子の背を倒し、天井を仰ぐ。別机で戦闘記録を整理していたシズルさんが、武家の当代らしい感想を述べる。


「敵兵の生死までお気にかける必要はありません。殺す気で立ち向かった以上は、返り討ちにされても文句は言えぬ、それが武門の定めにござりますれば。筆頭家人頭としての所感を申せば、後一人斃しておけば、死神を抜き去って単独トップであったと、口惜しさが拭えません。」


「シズルさん、オレは記録の為に戦っている訳じゃない。」


「存じ上げております。家人頭としてではなく、私個人の本音を言わせて頂ければ、"お館様が心配"なのです。どうかお館様には、姉君の為、八熾一族の為と、割り切って頂きとうございます。」


「……朧京を攻略するとなれば、此度の野戦の比ではない戦死者が出るだろう。それを承知で親征を決めたオレが、迷うようではいかんな。流血の先に、より良い未来があると信じて戦いに専心しよう。」


「それがようございます。シズルが緑茶など淹れて差し上げますので、一息つかれては如何ですか?」


「焼酎も入れてね?」


「お館様のお酒好きにも困ったもの。ちょっとだけでございますよ。」


心配顔から呆れ顔になったシズルさんは席を立ち、隣の給湯室に向かう。


「疲れを癒すのには酒が最適。昔っから"酒は百薬の長"って言うじゃん。」


なんだかんだと言いながらも、当主に甘い家人頭の背中に向かってそう呟いてみたが、返ってきたのは有無を言わさぬ正論だった。


「お言葉でございますが、それは呑兵衛どもが自己弁護の為に考案した詭弁に他なりません。目出度ければ祝い酒、気鬱になればヤケ酒、何かと理由を付けては呑む。故に"呑兵衛"なのでございます。」


肩越しに振り返ったシズルさんの目は冷やっこい。至らぬ主を支える労苦に、それこそ酒でも呷りたい気分なのだろう。


──────────────────


緑茶で割った焼酎をチビチビ飲みながら、戦況全体を俯瞰してみる。皇帝は腹心の帝国騎士団副団長、"剣神"アシュレイを差し向けてきたか。足手まといの皇子を連れていない剣神は強敵だ。彼女の動向が今後を左右するだろう。北陸沿岸の都市は次々と別働隊によって陥落している。いくら剣神といえど、龍の島へ上陸するのはそう簡単ではないはずだが、果たしてどう動くつもりなのか……


「お館様、剣神は龍の島に上陸してくるでしょうか?」


書類を捌く手を止めたシズルさんに、そう問いかけられる。やはり剣神の動向が気になるようだ。


「さて、な。剣神というより、皇帝の意向を考慮すべきだろうとは思う。帝国において、皇帝の意のままにならない勢力は薔薇十字のみ、神盾も剣神も皇帝の代理人に過ぎない。龍の島の生産拠点を失うコトは、帝国にとって大打撃だが、固執すればさらなる損害を招く。……皇帝が損切りを決断するか否かが問題だ。」


「お館様ならどうなさいますか?」


「交渉を持ちかける。今なら持ち運びの利く財産を持たせて、帝国兵を撤退させる話がまとまるかもしれん。親征軍は無傷で街を手に入れたい、帝国軍は負け戦で将兵を損耗させたくない、と利害も一致しているからな。ただ問題は…」


「問題は?」


「帝と皇帝の間には、信頼関係が微塵もないコトだ。皇帝が何を約束しようが、事態が変化すれば"賊軍との合意など知らん"と言い出す可能性があるからな。帝国は同盟軍を叛徒と見做している。政府がテロリストとの約束を破って組織を撃滅しても、卑怯と誹られるコトはないって理屈が、彼らの間では通るんだ。交渉は、互いの立場を認めないと成立しない。」


そもそもあの皇帝なら、偽りの約束を交わして状況を打開しようと企む可能性すらある。


「なるほど。それに交渉となれば、皇帝は帝と同じテーブルに着かなければなりますまい。世界の皇帝を気取るゴッドハルトにそれが出来ますか?」


由緒や格式なら、ユーロフ圏最大の王権を有したガルム皇帝と、エイジア圏の盟主を務めた帝は同格と言えるが、それを認めるのは、皇帝自らが築き上げてきた権威を失墜させると考えるだろう。


「それも問題になるだろうな。だから剣神アシュレイに関しては…」


今後の方策を言いかけた時にドアがノックされた。


「カナタ君、僕だ。少しいいかな?」


「入ってくれ。」


四方ヶ原でもいい働きを見せたギャバン少尉と巨漢の弟、ピエールが軍監室に入ってきた。


「剣狼、俺と兄貴の活躍は見てたかい?」


ピエールはギャバン少尉を"兄貴"と呼ぶのに抵抗がなくなったらしいな。いいコトだ。


「報告書は読んだよ。まあ座れ。シズルさん、珈琲でも淹れてくれ。」


異母兄弟が腰掛けたソファーの対面に椅子ごと移動し、労をねぎらう。


「ヤケクソになった兵士は厄介なものだが、冷静に戦線を支えてくれたな。強堅マイティガードの名に恥じぬ鉄壁ぶりだったぞ。」


「へへっ。ま、兄弟で力を合わせりゃこんなもんよ。俺と兄貴は無敵のコンビなんだ。」


親指で鼻をこする弟を、兄が窘める。


「ピエール、無敵は言い過ぎだよ。欠点を補い合い、長所を伸ばせる名コンビなのは間違いないけどね。」


「やれやれ、兄貴は慎重だねえ。大陸で苦戦してる親父も、俺らが居ればと歯噛みしてんじゃねえの?」


「僕を手放したのは父上だ。今さら知った事ではないね。でもピエールが救援に行きたいなら、僕も同行するよ。」


「親父は負けても死にゃしねえよ。自分の安全確保にだけはしゃかりきなんだからな。それでもおっ死ぬ無能なら、死んでよしさ。」


我ながら真っ黒な考えではあるが、いっそビロン少将が戦死した方が、お家は安泰だろう。パワフルで行動力のある弟が新当主に就き、思慮深い兄貴が支えれば、ビロン家は再度躍進する。賢夫人と評判だったギャバン少尉の母親を亡くして以来、ビロン家は精彩を欠いている。ピエールの母である後妻は、お世辞にも賢母とは言えないお人だからな。


「シモン・ド・ビロン少将は戦死しない。彼は前線から離れた安全地帯から、師団の指揮を執っているそうだ。」


「腰抜けが!俺みたいなガタイがなくても、せめて砲火は交えやがれ!死んでく兵が報われねえだろう!」


勇猛さを轟かせ始めたピエールは、親父の腰抜けぶりが我慢ならないらしい。


「ピエール、ものは考えようだ。腰の引けた指揮官なら、前線には出ない方がいい。アクセルを踏もうとする傍で、サイドブレーキを引かれては溜まったものではないからね。……カナタ君、剣神の動向は掴めたかい?」


ギャバン少尉の瞳が暗い光を帯びた。その影がどこから生じているかは、わかっている。


「今、剣神の動向についてお館様と話していたところだ。」


シズルさんはオレの前に珈琲、ギャバン少尉の前に紅茶、ピエールの前にココアを置き、自分が座る席の前には梅昆布茶を置いた。


「ココアねえ、ピエールは意外とお子様なんだな。」


「ほっとけ!カロリー消費の激しい俺には、ココアが向いてんだよ!」


ピエールは恵体揃いの重量級の中でも、一際目立つ体躯を持っている。消費するカロリーはハンパじゃないだろうが、なにもココアに拘る必要はない。


「そういうコトにしといてやるよ。剣神の動向なんだが、今のところは敗残兵の収容に手一杯みたいだ。今回の野戦でまた敗残兵が増えたし、目が回るほど忙しいだろうな。オレの考えとしては、剣神が来るという前提で備えておき、来なけりゃラッキーぐらいでいいと思っている。」


「カナタ君なら"剣神をおびき寄せて撃滅する策"を考えられるんじゃないか?……いや、考えて欲しいんだ。」


日頃のギャバン少尉は、強情さとは無縁だ。強情どころか、対立する意見にうまく折り合いをつける柔軟性に長けている。便利屋ロブと支援屋ギャバンは、縁の下の力持ちなのだ。そんなギャバン少尉が、戦略的観点を度外視する態度を取るのには、明白な理由がある。


「無理をする必然性がない。オレ達の目的は龍の島の奪還であって、帝国の崩壊じゃないからな。ギャバン少尉、母親の仇を討ちたい気持ちはわかる。だが堪えてくれ。少なくとも今は、な。」


夫を補佐する副官でもあったロズリーヌ・ド・ビロン中佐は、剣神アシュレイとの一騎打ちで敗れ、戦死した。名将と凡将の狭間に立つ夫を少将にまで引き上げた原動力を失ったビロン家は、迷走し始める。彼女の死後、ビロン少将はこれといった戦果を上げるコトが出来ないでいるし、領地内でも不協和音が目立ち始めたのだ。


「……わかった。母の無念を晴らす日は、いずれ訪れると信じるよ。その時に備え、僕は力を蓄える。仇を討つにしても、今の僕では剣神と戦う土俵にすら立てないからね。」


「兄貴、僕じゃなくて、僕達、だぜ? 剣神アシュレイは俺と兄貴、兄弟の力で斃すんだ!」


「ありがとうピエール。成長した僕達が力を合わせれば、剣神にだって勝てるはずだ。」


異母兄弟が最大限にまで成長したとして、剣神アシュレイに勝てるだろうか?……危ういな。剣聖クエスターの師でもある剣神は、二剣を操るナイトレイド式を極めた剣豪にして準適合者だ。



抜き差しならない事態に陥り、剣神を討たねばならぬ仕儀に相成れば、オレが相手をするしかあるまい。ギャバン少尉とピエールは仲間、死なせる訳にはいかないんだ。剣神の甥から恨みを買おうとも、仲間の命には代えられない。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る