侵攻編20話 窮余の一策は、窮鼠の反撃を呼ぶ



尾羽刕市索敵担当士官・ヒュッター中尉にとってその日の朝は忘れられないものであった。戦略担当士官らと行った緊急作戦会議の席上で"あれほどの数のスパイダークラブがあれば、市内の曲射砲をほぼ無力化出来る"との回答を得ていた上に、さらに同数のスパイダークラブが到着したとなれば、驚愕しない方がおかしい。賊軍後方の索敵にあたっていたチームが消息を絶ったのは、これを知られたくなかったからだったのだ。


謎は解けたが、戦況がマズい方に推移した事は否めない。すぐさま関係各所に伝達をする中尉だったが、その連絡が終わる前に通信部から新たな報告を受ける。彼らは、賊軍からの攻撃予告を受信したのだ。


"一時間後に総攻撃を開始する。降伏か抗戦か、好きな方を選べ"と。


戦略担当士官に指示を仰いだヒュッターに返ってきたのは、この一言。


「私は知らん!レーム大佐に聞け!」


最前線から外れた巨大植民都市だからと思って転任してきたヒュッター中尉にとって、今の状況は不運としか言い様がなかった。


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戦略担当士官から判断を迫られたレームにとっても、悩ましい状況である。前日までの本国からの命令は"援軍が到着するまで、尾羽刕市を死守せよ"であったが、スパイダークラブが倍に増えたとなれば、とても援軍の来援まで持ち堪えるのは不可能。曲射砲同士に潰し合いをさせても、敵にはまだ半数の曲射砲が残る。そうなれば市内の防衛施設に立て籠もる帝国兵を、施設ごと吹き飛ばす事が可能。それを避ける為には敵味方が入り乱れる接近戦に持ち込むしかない。友軍誤射フレンドリーファイアが生じる乱戦であれば、砲撃は封じられるはず、しかしそうなれば……


あの怪物と市街戦だと!?……レームの頭に、近付く事も出来ずに睨み殺される帝国兵士の姿が想起された。


大量の移動式曲射砲を擁する賊軍に街を包囲された時点で、レームは市街戦を覚悟していた。剣狼カナタは己の強さを過信して必ず最前線に出てくる。指揮官としてそれなりの戦果を上げてきたレームは、敵将の思い上がりを逆手に取って、返り討ちにしてやろうと考えていた。ところが配下の実績ある異名兵士達は口を揃えて"一騎打ちどころか、多対一でも勝ち目は薄い"と首を振った。


レームの最も頼りにする異名兵士、"猛牛"リンツに至っては"剣狼が常に最前線に出てくるのは、自分を倒せる者などいないと確信しているからでしょうな。そしてそれは過信とは言えません。事実、完全適合者である処刑人も黒騎士も、あの邪狼めに破れております"と冷静に述べた。


"自分なら勝てる"と豪語する異名兵士もいるにはいたが、怖い物知らずの彼らには実績が乏しかった。根拠もなければ実績も不十分な売り出し中の兵士と、経験、実績ともに豊富なベテラン兵士、どちらの言葉に重きを置くかを迷うレームではない。彼とて貴族とは名ばかりの貧家に生まれながら、30代で大佐にまで昇進した男なのだ。


レームは直属の上官である進駐軍司令アードラー中将に連絡を取ったが、明確な指示は出ない。アードラーの立場からすれば"出さないのではなく、出せない"のであるが……


「中将閣下!賊軍めは一時間後に総攻撃を仕掛けてくるのですぞ!」


我が皇帝に直接連絡を取れない立場に歯噛みするレーム。リングヴォルト帝国においては、皇帝に直接連絡が取れるのは将官以上と定められている。唯一の例外は、血縁関係にあるスティンローゼ・リングヴォルト大佐に限られていた。


「わかっておる。すぐに陛下のご裁断を仰ぐゆえ、時間を稼ぐのだ。」


「賊軍は一方的な通告を突き付けてきた後、一切の通信を無視しております!交渉など出来ません!」


「降伏に応じると返答すれば、条件の話をしようとするはずだ!そのぐらいの知恵を働かさぬか!」


苛立ったアードラーは通信を打ち切り、苛立ちをぶつけられたレームは豪奢な軍帽を床に叩きつけた。


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降伏に応じると返答してみたレームであったが、賊軍からは"全ての艦船と兵員の武装を解除し、北門から出せ"と通告があっただけで、それ以上の交渉は出来なかった。すぐに索敵班から"北側の包囲網の一部に動きあり。脱出路が生じた模様"と報告があったので、レームは戦況図を確認する。しかし、賊軍がその気になれば、簡単に挟撃される布陣変更でしかない。これでは撤退するフリをするのも難しい。


司令部からヘリで移動しながら"もっと撤退路を広く開けろ"と通信を入れさせてみたが、賊軍からは何の返答もない。レームの焦りは募るばかりであった。


総督府に到着したレームは、謁見の間に居並ぶ政府要人には目もくれず、都市総督である士羽織部に言上した。


「総督閣下、あと30分で賊軍の総攻撃が始まります。ここは閣下が敵陣に赴き、彼奴らを説き伏せるよりありません。」


傀儡総督を捨て駒に使って時間を稼ぐ、それがレームの窮余の一策であった。例え人質にされようが、帝国にとっては痛くも痒くもない。士羽織部は、帝国の行う搾取を追認する存在でしかなかった。つまりは泥避け役である。特大の泥が飛んできた以上は、この男に被らせるしかない。


「て、敵陣へ赴けと申すのか!だ、誰が私の安全を保証してくれるのだ?」


誰も保証出来るか、バカが!そう怒鳴りたいレームであったが、今はこのボンクラに時間稼ぎをさせるしかない。


「閣下、街の存亡がかかった危機的状況なのです。ここは尾羽刕の最高責任者である閣下の働きどころでしょう。屋上でヘリが待機しております、お急ぎを。」


織部と近習だけをヘリに乗せたら、そのまま逃亡しかねない。レームは因果を含めた帝国騎士を、ヘリに搭乗させていた。いくら邪知暴虐な賊軍といえど、使者の一行を斬り捨てる真似はすまい。騎士が囚われたとしても、捕虜交換で取り戻せるはずである。


「い、嫌じゃ!私は敵陣になど行かぬ!い、いつものように良きようにはからえ!それが卿らの仕事ではないか!」


駄々をこねる子供のように椅子にしがみ付く傀儡総督。孫がいてもおかしくない歳の人間の振る舞いとは思えない。


「聞き分けのない事を仰られても困りますな。」


レームが警護の騎士に目配せすると、傀儡総督は左右から腕を掴まれ、椅子から立たされる。


「離せ!離さぬか!今、代理役を命じるゆえ!だ、誰ぞ、名代として敵陣に赴いてくれい!」


懇願するような視線を政府高官に向ける織部だったが、皆、顔を伏せて目を合わせないようにしている。主君の織部と同じく、彼らもまた傀儡に過ぎなかった。何の権限もないのに、責任だけ負わされてはたまったものではない。


「お待ちください!父に代わって私が使者になります。」


謁見の間に入ってきた青年が使者を買って出た。士羽織部の息子、士羽伊織である。父親よりは才覚があると評価された伊織は帝国士官学校に留学し、帰国後は防衛部隊に配属されていた。


「おお伊織!さすが私の息子だ!大佐、使者には伊織を立てる。それで良いだろう?」


歓喜する傀儡総督にレームは目もくれず、命令違反を咎めた。


「伊織、総督府に参内しろと命令した覚えはないぞ。勝手に持ち場を離れるな。」


幾重もの思想チェックに合格した伊織には、防衛軍少佐の地位が与えられている。レームは伊織に全幅の信頼を寄せてはおらず、警戒はしていたものの、息子も帝国に帰順していると見ていた。常日頃から大口を叩く悪癖はあったが、"龍の島全土を手に入れたあかつきには、私を総督にして頂きたい"という嘆願は、本気であるように思えたからだ。


「緊急事態ですので、お目こぼしください。レーム大佐、父より私の方が交渉能力があります。時間を稼げば良いのですよね?」


帝国士官学校での成績が中の下だった割りには状況が見えているらしい。いや、実技が芳しくなかったゆえに中の下に甘んじたが、勉学の方はそこそこ優秀であったなとレームは思い直した。


「そうだ。出来るか?」


大言壮語が趣味のホラ吹きなら、それなりに弁舌も立つはず。腰抜けの傀儡総督よりも、時間を稼いでくれるかもしれない。その場にいた誰もがそう思った。


「もちろんです。私の舌一枚で、賊軍を足止めしてみせましょう。」


「いいだろう。だが最悪の場合、囚われの身になるかもしれんぞ。」


レームにとって、直接交渉の使者を出すのは窮余の一策であったが、それだけに成功率は上げておきたい。伊織の功名心は渡りに船であった。


「覚悟の上です。もし私が囚われるなり殺されるなりすれば、尾羽刕市民は憤り、一丸となって賊軍に抵抗するでしょう。私にとっても悪い話ではありません。上首尾に運べば戦功の第一、死んでも街を救った英雄として名が残ります。もちろん囚われの身になった場合は、最優先で帰国交渉をお願いします。使者として敵陣に赴くにあたって、私の交渉戦略を述べておきましょう。まず、我が軍の優位として強調すべき点は四方から駆け付けてくる援軍の存在であり、対する賊軍めが優位として主張してくるであろう点として…」


「それは直接、賊軍に説け。今は時間がない。」


お得意の長広舌に付き合っている暇はない。使者に志願したいなら好都合だ、好きにやらせてみよう。レームにとって重要なのは、次の一手であった。


「ハッ!では帝国の作法に則って、使者任命の儀式をお願いします。」


リングヴォルト帝国においては、使者を命じられた者は任命者から懐剣を授かる。交渉に失敗した場合は、その剣にて命を絶つという意味だ。もちろん近代に入ってからは形骸化されていて、実際に自害した者などいない。一交渉が不調に終わったぐらいで死を選んでいたら、外交官がいなくなる。


"長広舌の気取り屋にも困ったものだ。今は一刻を争う時だというのに"とレームは思ったが、このお調子者は調子に乗らせておいた方がいいと判断した。


「うむ。誰か懐剣を持ってこい。」


目前まで歩み寄り、片膝を着いた伊織をレームは警戒していなかった。彼が帯刀していたにも関わらず、である。適合率が低く、身体能力にも恵まれなかった伊織をレームは軽んじていた。


「懐剣はすぐに役に立つでしょう。……貴様の自害に必要だからな!」


俊敏なイタチを思わせる身のこなしで動いた伊織。虚を突かれたレームは反応出来ず、首筋に刃を突き付けられていた。護衛の騎士達が駆け付ける前に、伊織はレームの背後に回り、その体を盾にする。


「……ぐぬぬ。い、伊織!気でも触れたか!」


首に刃をあてられたまま呻くレーム。傀儡総督の息子は不遜な顔でせせら笑った。


「気が触れただと?……違うね、俺は正気に戻っただけだ。道化の演技はもうお終い、長年の借りを返す時が来たのだ!」


そろりと動いて死角に回ろうとした騎士は、伊織の投げた脇差しで絶命した。口だけは達者な男と思われていた伊織は、武芸も達者であったのだ。


「次に誰かが動いたら、レームが死ぬぞ? 俺はそれでも構わない。指揮官を失った貴様らが、無様に負ける様を地獄で見物するだけだ!」


たじろぐ騎士達に、伊織は要求を突き付けた。


「総督府の前まで国営放送のスタッフを連れて来ている。彼らをここに呼んでこい。ほら大佐殿、おまえからも命令するんだよ。命は惜しいだろう?」


首筋に刃先が食い込み、赤い血が軍服のカラーを伝って床に流れる。


「……伊織の……謀反人の言う通りにしろ……」


この後に及んで言葉遊びか。謀反人と呼ばれた男は顔でも心中でもせせら笑ったが、油断はしていない。



死を覚悟してこの場に臨んだ男、士羽伊織。彼の一世一代の大勝負は始まったばかりなのだ。


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