侵攻編21話 反攻の時は来たれり



隠忍自重、もしくは臥薪嘗胆、士羽伊織の半生を表現するのなら、そんな言葉が適当であろう。伊織は復讐心を隠しながら、帝国に忠実な道化を演じ続けた。いつか来る反撃の日を夢見ながら……


必ず我が街を奪還する。それは士羽伊織にとって、尾羽刕に生まれた男としての矜持であり、母と交わした約束でもあった。機構軍に街を包囲された織部が、戦いもせずに降伏を決めた時、総督夫人は幼い息子に言い聞かせた。


"伊織、これからは暗愚を演じなさい。賢いおまえに馬鹿のフリは容易いはずです。爪を隠しながら力を蓄え、必ずや帝国に一矢報いて見せるのですよ。母は天国からおまえの戦いを見守っていますからね"


降伏を良しとしなかった総督夫人は、同盟の理念に共感する軍人を逃がす為にオトリとなって出撃し、壮烈な戦死を遂げた。不甲斐ない夫に代わって尾羽刕人の意地を見せた夫人と志願兵達の散り様は、市民達の涙を誘った。


帝国の植民都市となった故郷で、伊織は母の言い付け通りに暗愚な少年を演じた。そう難しい事ではない、父を手本にすればよいだけなのだから。少年は成長するうちにもっと有効な方法を見出した。暗愚な人間でも担ぐ者が優秀ならば、大事を為し得る事もある。この世で一番軽く見られるのは"口先だけの男"であると気付いた伊織は、新たな化粧を自分に施す事にした。


"まるきりの無能ではないが、さりとて脅威にもならない。ましてや帝国に牙を剥く気概などありはしない"


伊織はこのスローガンに則って軽薄な長広舌の徒を演じ、周囲を欺き続けた。


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道化芝居には副産物もあった。伊織は数こそ少ないが、信用出来る同志を得たのだ。


彼の同志探しから最初に外れたのは、年配の人間だった。尾羽刕が降伏した時に、骨のある大人は母と共に討ち死にするか、母の援護で国外に脱出したかのどちらかだったからだ。自分と同じ想いを抱きながら成長した少年達こそ、伊織の同志になったくれるはずであった。


牙を隠した青年は、自分に追従する者達は信じず、自分を軽侮する若者達に目を付けた。そしてその軽侮が、単に強い者にへつらう軟弱者への嘲笑なのか、本来は反旗の旗頭となるはずの男が走狗に成り下がっている事への絶望なのかを、注意深く観察した。


10年近くの時を経て、伊織は8人の若者を同志に選出した。極めて慎重に彼らとコンタクトを取った伊織は、8名の同志を"旗本八騎"と命名し、交わした血判状を母の隠し墓に供えた。そして秘密裏に連絡を取り合いながら、ずっと反撃の機会を窺っていたのである。


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同盟軍が照京を奪還し、御門命龍が戴冠したとの報は、伊織と旗本八騎にとっては大ニュースであった。新帝は刑死した先帝とは違って、尾羽刕の窮状を見て無ぬフリはすまいと思えたからだ。旗本八騎の中には先帝に協力を仰いで尾羽刕奪還を目指すべきと主張した者もいたが、伊織は先帝を信用していなかった。よしんば協力が得られたとしても、尾羽刕を植民するのが帝国から照京に代わるだけ、それでは血を流す意味がない。


頼りにならない帝と見做された御門我龍は案の定、クーデターによって失脚し、伊織の慧眼を裏付ける結果となった。


新帝の即位によって尾羽刕は再び最前線の街となったが、これは伊織達にとっては好機の到来である。今、尾羽刕を奪還出来れば、照京からの援護を得られる。伊織は表向きは事態を憂慮し、帝国の防衛計画に協力する素振りを見せていたが、裏では同志と反攻計画を練っていた。


だが、どう計算しても勝つ算段が見えない。レームは指揮官としてはそれなりの能力を持っているし、街には万を超える帝国兵も駐屯している。そして尾羽刕人でありながら、帝国に協力する狗も多かったからだ。


妙案が浮かばぬ伊織だったが、諦める事だけは出来ない。ある夜、私邸の隠し部屋で考えを巡らす伊織の元に、転機が黒装束を纏って現れた。


「あー、やめとけやめとけ。俺は敵じゃない。もし敵なら、おまえさんはもう死んでるよ。」


隠密ステルススーツを纏った侵入者は、刀に手をかけた伊織を前にしても平然としていた。武術は不得手に見せかけている伊織であったが、実は心貫流の達人である。母から手ほどきを受けた剣術に独学で磨きをかけ、荒野の無法者を相手に実戦経験も積んできた。稽古相手に無法者を選んだのは、"皆殺しにして構わない"からである。死人に口なし、だ。


「本当に敵ではない事を祈る。キミは何者だ?」


隠密スーツに般若の面を付けた密偵が、恐るべき達人である事を伊織は悟った。磨いてきた剣腕は、戦わずとも相手の力量を推し量れる域にまで到達していたからだ。


「都からの使いだ。ここ数日、アンタを観察していてね。人目を避けて修練に励んでいるし、屋敷にゃこんな隠し部屋もある。こりゃあ牙を隠し持ってるなと睨んで、姿を現したって訳さ。」


「都からの使い!? じゃあキミは帝の配下なんだな?」


「正確には帝の義弟のお仲間だ。」


龍弟侯の仲間……」


戦上手の龍弟侯、照京奪還の立役者の噂は伊織も当然知っていた。ある者は一騎当千の兵であると恐れ、ある者は戦術無敗の戦巧者と称える。好悪の別はあっても、彼の強さは誰も否定しない。


「ご理解が頂けたところで、用向きを話そう。実はな、龍弟侯は近い内に尾羽刕を攻略するべく出征してくる。」


「尾羽刕攻略……なるほど。使者殿は俺に内部から協力せよと言いたいのだな?」


伊織は身と心が震えるのを感じていた。乾坤一擲、己の全てを賭ける時が到来したのだ。


「アンタにとっても悪い話じゃない。見返りは尾羽刕総督の椅子だ。」


「椅子取りゲームに興味はない。尾羽刕市民への公正な扱いが得られれば、それでいい。」


「人任せはよくないぜ。そう思うのなら、自分で公正な市政を実現するんだな。皮算用は後にして、具体案を練ろう。与えられた状況としてはだ…」


般若面と伊織は内外から仕掛ける罠を練り合わせる。命を惜しむ気はないが、無駄死するつもりもない。"段取り八割"という言葉は、謀略にも適用される。


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事の成否は、段取りが八割……つまり残った二割は現場で埋めなくてはならない。


「剣を収めて下がれ!もっと下がるんだ!」


レームを人質に取った伊織は、警戒しながら壁際に下がる。ここなら狙撃もされないし、背後からも攻撃されない。何度もシミュレーションしてきた通りに、状況は推移している。


「そこまでだ!刀を捨てて大佐を離せ!」


謁見の間から逃げ出そうとした織部は、帝国騎士に捕まっていた。うつ伏せに倒れた傀儡総督の背を踏み付けた騎士は、剣の切っ先を首に当てる。


「伊織、大佐を離すのじゃ!で、でないと私が殺されてしまう!」


手足をバタつかせながら叫ぶ父の姿に、伊織は心底情けない気持ちになった。


「父上、そこでお死になさい。俺もすぐに後を追いますから。」


「おまえは父を見捨てると言うのか!こ、この親不孝者め!」


「俺が親不孝者なら、父上は不徳者だ!我が身を惜しんで市民を見捨て、喰らう酒肴がそんなに美味か!」


父親が人質にされる状況も当然想定済みである。だから伊織は一切、迷わなかった。市民だけではなく、彼も織部には愛想が尽き果てていたのだ。


「いいのか!本当に貴様の父を殺すぞ!」


首筋に食い込む刃、失禁する織部。緊迫した状況でなければ、誰もが失笑していたに違いない。


く殺せ!何を躊躇う!息子の俺が殺していいと言っているだろうが!殺れ!」


こんな修羅場に連れてこられた市営放送のスタッフも気の毒であったが、今まで支配者の提灯を担いできた天罰なのかもしれない。


「あ、あの~、我々は何をすれば……」


「カメラをセットし、指定するチャンネルに繋げ。後は市営放送局にいる仲間がやる。おう、来てくれたか。機材のチェックを終えたらレームを頼む。」


謁見の間に入ってきた二人の侍は、踏み付けられた主君に見向きもせず、設置されたカメラを確認し、伊織から人質を受け取った。そして人質に猿轡を噛ませてから、手足に拘束具を取り付け、仕上げに腰に爆破ベルト巻いた。手早く作業を終えた二人は、ニヤリと笑って自分達の胸を叩く。ペースメーカーが止まったら、爆破ベルトが作動するという意味である。


ハンディコムを取り出した伊織は、市営放送局にいる仲間に連絡を取った。


「よし。回線は繋がったのだな? 30秒後に全回線で放送開始だ。」


二人がかりで刀を突き付ける仲間を背景に、伊織は市民と軍に向かって演説を開始した。


「尾羽刕市民と心ある将兵達に告ぐ!帝国の支配は今日で終わりだ。我々は帝国の尖兵を率いるレーム大佐を人質に取った。市民は戸締まりを厳重にして家から出ないでくれ。尾羽刕を故郷とする将兵達よ、帝国に首輪を付けられてさぞ悔しい思いをしてきただろう。さあ、武器を取れ!だがまだ動いてはならない!合図をしたら私と共に、市民に銃口を向けた帝国兵とその狗どもに、正義の鉄槌を下すのだ!」


演説を聞いたレームの額から大粒の冷や汗が落ちる。口だけ男と思われていた総督の息子は、屈辱に耐えながら反撃の時を待つ愛国者だった。古来より、どもはこういう筋書に拍手喝采を送るものだ。テレパス通信で必死に状況打開の指示を飛ばすレームだったが、至るところで愚行に便乗する輩が出て来る事は想像に難くない。


「外には大軍、内から蜂起。この事態を納められるかな、レーム?」


レームの焦りを見透かしたように嗤う叛逆者の首魁、伊織。


"思想調査部は何をやっていたのだ!こんな危険人物を見過ごしていたとは職務怠慢も甚だしい!"、猿轡のせいで叫ぶ事が出来ない男は、本国の無能者達に怨嗟の思念を送る。



調査部にも問題があったかもしれないが、この事態の最大の責任者はレームである。士羽伊織の直接の上官は、他ならぬレーム自身であったのだから……


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