侵攻編15話 皇女は隠した牙を剥く


※今回はローゼ編です


バルミアン市の人口は約200万人、中堅都市というには大きく、巨大都市というには小さい都市国家だ。薔薇十字がこの街を迅速に占領出来たのはトーマ少佐の知略と武勇のお陰だ。少佐はバルミアンの前衛都市を統治する貴族の私有艦船を事前に調べていて、本物そっくりのダミー艦を造らせておいた。その原材料は、以前の作戦で同盟軍から拿捕した艦船だ。


奇襲で衛星都市を陥落させた薔薇十字は、逃げる貴族の艦船をあえて追撃しなかった。いや、最初から彼らは逃がす予定だった。そして我先に逃げ出した貴族の艦隊は少佐の予想通りの逃走ルートを通過中に、準備していた電波欺瞞地帯で全て拿捕された。通信が断絶されていたので、救援信号など送れない。当然、バルミアン市は彼らが虜囚になった事を知らないでいる。範囲の狭い電波欺瞞地帯内で貴族艦隊を拿捕せしめた少佐の手腕は、見事の一言だ。


そして、爆薬を満載したダミー艦隊はバルミアン市に入り、最後尾の艦が街門を爆破。残りの艦は分散して市内の防衛施設に急行し、曲射砲の1/3を破壊する事に成功した。捕らえた貴族に扮して市の管制官を見事に欺き、爆薬艦から脱出した赤衛門さんがこの作戦のMVPだろう。


大破した街門と大ダメージを受けた防衛施設。動揺する敵性都市は、"皆殺しの死神"からの降伏勧告を受けた。"軍を率いて街を退去するなら追撃しない"という付随条件が効いたのだろう、市長は戦う事なく街を明け渡した。防衛施設が万全の状態なら徹底抗戦も選択肢に入ったかもしれないが、この状況で戦えば兵質の差が如実に出る。とても友軍の来援まで持ち堪えられない、戦力を温存して奪還を目指すという判断は妥当だ。


「市長が賢明な判断をしてくれて助かりました。市街戦となれば薔薇十字の兵員だけではなく、市民にも犠牲が出てしまいます。」


撤退していく同盟軍の艦列を眺める辺境伯は、私と違って冷ややかだった。


「賢明ではなく臆病というべきでしょうな。賢い市長であれば、自分達が去った後の市民への扱いについても交渉しようとするはずだ。」


「市民を苦しめる気などありません。"薔薇十字への信頼があった"と、好意的に解釈しましょう。」


「フフッ、まあ賢者であろうと臆病風に吹かれようと、無傷で街を手に入れたのだから、よしとしておきますかな。それでは姫、ワシは旗艦サラマンドルに戻って、占領の準備を始めまする。」


「お願いします。私は本国に今回の戦果を報告し、照京陥落の続報を訊いてみます。」


「陛下は相当不機嫌ですぞ。お気をつけなされ。」


照京は陥落、メルゲンドルファー伯爵は戦死。帝国を統べる皇帝が、これで不機嫌にならないはずがない。私の報告する戦果など、大した慰めにはならないだろう。


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報告を聞き終えた皇帝陛下は、眉一つ動かさなかった。


「……よくやった、と言いたいところだが、勝手な真似をした、とも言えるな。そこをおまえがどう考えているかが、余は気になる。」


勿体つけた尊大な物言いには、生まれてからずっと付き合ってきたから慣れっこだ。以前と違うのは、もう萎縮しなくなった事、だろうか?


「宮廷にいる密偵の存在を考えると、今作戦を相談するのは憚られました。」


「ほう。身近に仕えていた家庭教師サビーナの裏切りに気付かなかったおまえが言うと、説得力があるな。」


勿体、尊大、嫌味、父の言動はこの三点に集約される。そういう性格だから、というだけではない。この言動に耐えきれずに不満を顔に出した者は、粛清リストに名を連ねる事になる。猜疑心の強い皇帝は、常に他人の顔色を観察しているのだ。


「あの件は失敗した訳ではありません。私は"成功しない方法を学んだ"のです。」


サビーナの言動、行動、表情をただ見るだけではなく、その一挙一投足を注意深く観察していれば、彼女の抱える闇を見抜けていたかもしれない。私が賢ければサビーナだけではなくヘルガやパウラ、護衛の騎士達も死なせずに済んだ。


「失敗したのではなく、成功しない方法を学んだ、か。物は言い様だな。」


「陛下、機構軍広報部から今回の勝利についてコメントを求められています。私は"この勝利を、亡きメルゲンドルファー卿に捧げる"と答えるつもりなのですが如何?」


「おまえは余のコメントを横取りするつもりか?」


「滅相もない。では陛下がメルゲンドルファー卿をお悼みください。薔薇十字は"今回の勝利は、偉大なる元帥によってもたらされた戦果である。皇帝陛下に神の祝福を"とコメントしておきます。」


よし、計算通りだ。メルゲンドルファー卿とアードラー卿はとにかく覇人から疎まれている。将来的にはミコト姫と手を結びたい私は、植民政策の先頭に立っていたメルゲンドルファー卿を称える事はしたくない。帝国に忠義を尽くした伯爵には気の毒だけど、それが政治的判断というものだから。


「それでよい。帝国は惜しい男を失った。あれにももう少し柔軟性というものがあればな……」


「帝国の誇る"堅将"は、一体誰に斃されたのですか? 伯爵が遅れを取るとは、生半な相手ではないはずですが……」


父は"おまえは余に報告させる立場になったのか?"とでも言いそうだけど……照京陥落の報を受けた直後に出撃し、同盟の索敵レーダーから逃れるべく、磁気障害の強い地域を進軍してきた。メルゲンドルファー卿の戦死だけは知っていたが、その詳細までは知らない。その気になれば進軍途中で情報を得る事は可能だったけれど、兵士に与える動揺を考えれば、作戦成功まで情報は伏せる方が得策だと判断したのだ。


"情報を得る事も重要だが、出すタイミングも重要だ。そしてその出し方もな。収拾能力、開示時期、開示方法の三つを操れる者が、情報戦の勝者となる"、これも魔女の森で教わった事だ。そしてメルゲンドルファー卿を斃したのは、おそらく…


「邪眼持ちの悪魔だ。メルゲンドルファーは奴に一騎打ちを挑み、敗死した。彼奴めは同日の戦闘で、兵団の黒騎士とも1対1で戦い、敗走させておる。……どうやら処刑人を返り討ちにしたのは、まぐれではなかったようだな。……小癪な小僧め……」


やっぱりカナタだったか。帝国屈指のヴァンガード式剣盾術の使い手をもってしても、剣狼の牙の前には噛み裂かれる。帝国軍人の中には"剣狼こそが同盟のなのではないか?"と考える者が出始めているけれど、堅将メルゲンドルファー、黒騎士ボーグナインを連破した事によって"最強説"すら出てくるだろう。記録班の話では、ここまでハイペースで異名兵士を斃し続けた兵士は、カナタだけらしいから。


「ローゼよ、なぜ笑う。帝国の忠臣が斃されたのだぞ?」


おっと、表情を殺し切れなかったか。


「陛下、雄敵の存在は、戦人いくさびとを猛らせるものです。」


猛っているのは嘘ではない。胸に秘めた情熱の炎は猛り、燃え盛っている。……私は絶対にカナタを手に入れてみせる。心に定めた、将来の良人おっとなんだから!


「その細腕で戦人だと?……冗談も休み休みにせぬか。」


最前線で戦った事がないのは父も同じだ。もう虚像には惑わされない。皇帝ゴッドハルトは優れた為政者ではあっても、軍事の天才ではない。機構軍機関紙を飾る"不世出の将帥"なんて賛辞は、過大評価もいいところだ。戦略は父が立ててきたのだろうが、実行してきたのは腹心のスタークスとアシュレイ。アデル兄様ほどの戦下手ではないにしても、父も戦術は不得手なのだ。


「王たる者は将の将帥であるべし、私は陛下の有り様を学んだだけです。」


父は教師としても、反面教師としても好素材だ。王権の良い使い方、悪い使い方の双方を学べる。


「ではさらなる学びの場を与えてやろう。軍をまとめて元岳港へ向かえ。進駐軍の帰還を援護し、その後は海を渡って威鶴港を奪還するのだ。海軍戦力は余が用意してやろう。」


……とうとうこの時が来た。隠してきた牙を剥く時が!


「薔薇十字はこの地方に残り、友軍の支援を行います。元岳港へは行けません。」


「余の命令に背くと言うのか!」


便利屋は御免被ります、父上!


「地理的状況をお考えください。我々は南エイジアの中央に進軍し、橋頭堡を得ました。後詰の軍が到着するまでここを離れる訳には参りません。援軍と交代し、大陸を大迂回して元岳港へ到着する頃には、進駐軍は既に大陸への撤退を完了しているはずです。」


「おまえが戦略など語る必要はない。すぐに準備を整え、進発しろ!」


「いますぐ進発せよと仰るのなら、せっかく手に入れたバルミアン市を、朧月少将の手に委ねる事になりますが?」


「…………」


「掣肘する者がいなくなった最後の兵団は、ルトガウル、スパーニアといった中小派閥を操り、南エイジアで確固たる地盤を築くでしょう。それでもよろしいのですね?」


父は公然と異を唱え出した朧月少将を恐れている。機構軍最強の軍団を率いる野心家に中小派閥が相乗りし、二大派閥(ガルム・ロンダル)に対抗する構えを見せているからだ。


「ローゼよ、おまえにあの竜蜥蜴を掣肘出来るのか?」


竜蜥蜴は朧月少将の蔑称だ。主に宮廷でしか使われていないが。冷静…いや、冷徹さが取り柄の王だけあって、私の言に理を見出してくれた。そして"理"は、容易く"利"に変じる。


「完全に抑え込むのは不可能です。ですが、彼に一人勝ちさせない事は確約出来ます。」


さあ父上、どうします? ライバルのロンダル王ネヴィルに戦術でも武勇でも劣るガルム皇帝ゴッドハルトが、それでも優位な立場にあったのは為政者としては上だったから。……その"利"を手放せますか?


「……よかろう。元岳港へはアシュレイを向かわせる。おまえはバルミアンで地歩を固め、他派閥の切り崩しにあたるがよい。」


あらあら、アデル兄様は置いてけぼりですか、可哀想に。この状況では兄様にアシュレイの足を引っ張らせる余裕はないという事なのでしょうね。


「お聞き入れ頂きありがとうございます。私はこの地に残り、陛下の御為に働きましょう。」


「殊勝である。これからも余に尽くせ。」


スクリーンから父の姿が消え、私は考えを巡らせる。……会見はうまくいった。父は頭がいいだけに、理と利のある説得であれば聞き入れる。スタークスやアシュレイ、戦死したメルゲンドルファー卿が忠誠を誓うだけの度量は持っているのだ。




"重鎮と重要拠点を失った上に、最後の兵団を一人勝ちさせる。そんな事態だけは避けたいはずだ"と、少佐が言っていたけれど、助言通りに事を運べた。策士の助言を活かすのが君主の仕事。今日の私は、君主であったはずだ。


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