侵攻編16話 守り、守られ、支え合う
父との会見を終えた私は、通信室の外で待機していたギンを伴い、家族と仲間が待つ私邸に戻る。私邸と言っても市長公邸の敷地内にあるのだが……
ありとあらゆる贅を尽くした市長の邸宅は、さながら皇帝の別荘のようで、街の規模から考えれば甚だ不釣り合いだ。いや、父の別荘でもここまで華美ではない。撤退したバルミアン市長がどういう人間であったかは、この庭と屋敷を見ればわかる。
花瓶や絵画といった
「ああもう、疲れた緊張した!!お腹も減ったし、シャワーも浴びたい!」
タッシェがフルーツバスケットからライチを抱えて持ってきてくれたので、乱暴に皮を剥きながらかぶりつく。ほどよく冷えてて、とても美味しい。
「ご苦労さん。うまくいったかい?」
死んだ鯖みたいな目をした少佐はサバ缶をツマミに缶ビールを飲んでいる。少佐の専属料理人であるミザルさんは、買い物にでも行っているのだろう。
「はい。少佐の助言通りに事は進みました。褒めて褒めて!」
少佐はパチパチと拍手しながら褒めてくれる。
「あっぱれあっぱれ。"理を利に変じて益と為す"が、為政者の王道だ。」
理を利に変じて益と為す、か。覚えておこっと。……あれ? アシェス、なんでシャツのボタンを三つも外してるの? し、しかも下着をつけてなさそう。
「……セクシー路線に目覚めたの?」
「ち、違います!こ、これは、その……」
目のやり場に困ってるっぽいクエスターが、苦笑しながら事情を教えてくれる。
「バルミアンに先だって攻略した前衛都市に、なかなかの豪の者がいたのです。その暴勇ぶりを見たアシェスが"いかに卿でもアレを一撃で仕留めるのは無理だろう?"と賭けを持ちかけ、トーマは受けて立った。」
ああ、あのゴリラみたいな顔をした強者兵士は、死神パンチで四散したっけ。帯電しながら燃え盛る拳は人外の破壊力、遠目から見ても圧巻の一言だった。
「あの軟弱ゴリラめ!一撃ぐらいは耐えてみせないか!顔が厳ついだけの見かけ倒しのお陰で、私がこんな恥辱を味わう羽目に……」
嘆くアシェスにギンが異議を唱える。
「見かけ倒しは酷評が過ぎる。"アイアンコング"ガムポはかなり名を知られたサイボーグ兵士だ。事実、スペック社の企業傭兵では歯が立たなかっただろう。少佐が異常なんだよ。」
「ああいう手合いはわりかし得意でね。アスラの"鉄腕"みたいな例外を除けば、サイボーグ兵士ってのは軒並み念真強度が低いときてる。」
サイボーグ兵士は頑丈だけど、敏捷性には劣る。規格外の破壊力を誇る少佐は、ディフェンスを物理に頼る相手は大得意なのだろう。
「姫、空腹でしたら俺がラーメンでも作りましょうか?」
「やったぁ!食べる食べる!」
ギンお手製のラーメン、通称"ギンちゃんヌードル"は薔薇十字幹部の間で大好評なのだ。
「ギン、私にも作ってください。モヤシは抜きでお願いします。」
クエスター、そんな事言わないでも、ギンはちゃんとわかってるってば。大事な恋人なんだから。
「私はモヤシ入り、麺は固めで。……トーマ、そろそろボタンを留めていいか?」
「まだダメ。ギン、俺はチャーシュー大盛りでな。」
椅子の背もたれをずずいと倒す少佐。下げた視線の先には大きなお胸がある。
「やめろ、視線を下げるな!恥ずかしいだろうが!」
耳まで真っ赤になるアシェス。恥ずかしいならそんな賭けをしちゃダメだよ?
「キキッ!キキッ!(煮玉子!煮玉子!)」
タッシェはフルーツ全般と卵料理が大好きだ。特にギンの作るウズラの煮玉子がお気に入りらしい。
「ラーメン5人前だな。少し待っていてくれ。」
腕まくりしながら、ギンは居間から退出した。
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ラーメンを啜りながらの作戦会議。議題は今後の方針だ。全員参加の正式な幹部会を開く前の予備会合は、大体このメンバーで行っている。
「接収した倉庫の確認に行ってるザップ大尉からの報告では"備蓄物資に概ね問題なし。不足分はすぐに手配します"、だそうです。という訳で薔薇十字は"とりあえずバルミアンに居座る"でいいよね?」
お小言係のアシェスからツッコミが入る。
「姫、逗留、もしくは駐屯と言うべきです。」
表現はどうでもいいでしょ。居座るのは事実なんだし!
「問題はアスラコマンドがこちらにやって来る事でしょうね。」
呟いてから考え込むクエスター。頷いてから少佐が方針を確認する。
「ザラゾフ師団やアスラコマンドが出張ってくる前に、取れるだけ取る。当初の予定通り、俺達が前面に出る事なく、な。どの派閥のどいつに肩入れするかはクリフォードに伝えてあるから、もう派閥間交渉を開始しているだろう。」
エリニュス作戦発動にあたっての、朧月少将との事前折衝は少佐がやってくれた。既に兵団と薔薇十字で、シンパに取り込む軍閥、軍人の線引きは出来ている。少佐が選んだのは"協調できそうな軍人"で、朧月少将が選んだのは"強い者になびきそうな軍人"だ。死神トーマと煉獄のセツナの性格の相違は、いい方向に流れている。
「対外交渉はクリフォードに任せておけば大丈夫だよね。」
「髭ダンディは多芸多才な能吏だが、中でも交渉人としての才が飛び抜けているからな。亡父が外交官だったのも影響してるんだろう。」
公式の対外窓口はクリフォードが担い、非公式の折衝はトーマ少佐が担当する。そして…
「パーチ副会長はもう照京に向かっているのでしょうね。」
「だろうな。"戦争なんかお開きにして、環境問題に取り組んで欲しい"、Mr.ブラボーの持論は正論だ。100年前の写真と今を見比べて、吐き気を催さない奴はどうかしてる。」
バイオハザードと相次ぐ紛争は、緑豊かな大地を赤茶けた荒地に変えてしまった。庶民のほとんどが食料生産プラントで造られた人工肉や遺伝子組み換え農産物で糊口を凌ぐ世界なんて間違っている。本当なら、戦争なんかやってる場合じゃないのだ。
現在の状況、これから有り得る状況、その対策を話し終えた頃に、クエスターのハンディコムに着信があった。
「叔母上からですね。結構な送信量ですが……どうやら照京攻防戦の戦闘記録のようです。」
皇子派の巨頭と目されている"剣神"アシュレイだけど、甥との関係はすこぶる良好だ。政敵の側に身を置いているのは父の差し金。お目付役がいなければどんな愚行をしでかすかわからない兄様に付き従う内に、皇子派のリーダーに祭り上げられてしまっただけなのだ。武でも文でも剣神を超える実力者が皇子派にいないから当然なんだけど……面倒な状況ではある。
「さすがは副団長、どこぞの堅物とは物分かりが違う。父ときたら娘の私が記録を送って欲しいと頼んでいるのに"陛下の裁断を仰げ"の一点張り。守りも堅いが頭も固い騎士団長殿に、爪の垢でも分けて欲しいものだ。」
憤懣やるかたないアシェス、その鼻息はとっても荒い。公私は厳密に隔てるスタークス団長らしい対応だけどね。
「そう怒りなさんな。人間誰しも、立場ってものがある。せっかくのご配慮だ、早速見てみようじゃねえの。」
憤慨する守護神の肩を叩いた少佐は、小皿に取り分けておいたチャーシューをツマミに水割りを飲み始める。
「私も一杯もらおう。トーマ……今夜あたり祝杯を上げに行かないか?」
わっ!アシェスが頑張ってる。ファイト!
「……そうだな。いい店を探しといてくれ。」
うっし!せっかくいい雰囲気になったっぽいのに、よりによってアシェスの盟友が邪魔をしようとする。
「それでしたら私達も一緒に…」
お願い、空気を読んで!恋人が出来ても朴念仁のまんまなの?
「二人にはボクの護衛をお願い!記録を見た後、市内の視察に出掛けたいから!」
人の恋路を邪魔すると、お馬さんに蹴られて死んじゃうんだよ?
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テーブルの上で立体化した戦闘記録を閲覧した一同は、一人を除いて押し黙ってしまった。
「こりゃ戦術でも戦闘でも、見事に手玉に取られたもんだねえ。一流は心理を読み、超一流は心理を誘導するとは言うが、堅将は剣狼に植え付けられた願望に躍らされ、道化師の
「……この目で見てもまだ信じられない。祖父の直弟子だった伯爵が、為す術もないとは……」
スタークス団長と一緒にヴァンガード式を学んだ伯爵は、帝国屈指の剣盾術の使い手。長きに渡って最前線で戦い続け、実戦経験も豊富だ。なのに……一方的に翻弄されている。
「剣狼は実戦に投入されてからまだ一年半に満たない若手……控え目に言っても"怪物"ですね。」
「俺だと話にもならない。クエスターなら勝てそうか?」
暗殺屋の異名を持つギンだって、相当な腕利きだ。そのギンが、勝負の土俵に立てないと嘆くほどの強者にカナタは成長している。
「……どうでしょうね。あまり自信がありません。」
「情けない事を言うな!卿と私はローゼ様の剣と盾なのだぞ!」
「では訊きますが、アシェスなら勝てるのですか?」
「うっ!……ま、まあ、少々分が悪いと思わなくはない。トーマ、卿なら勝てるだろう? なんと言っても薔薇十字最強の兵なのだからな!」
少佐に助け船を求めたアシェスだけど、あいにく救命ボートは出払っていた。
「無理なんじゃねえかなぁ。剣狼は世界最強の兵かもしれんぞ。」
「世界最強は卿だ!私が認めたのだから、そうに決まっている!」
「真面目な話、これを見ろ。」
少佐は堅将と剣狼の一騎打ちの録画をもう一度再生する。伯爵の繰り出す練達の斬擊は空を切り、念真擊の雨は砂鉄の盾と念真壁に弾かれる。
「高機動、重装甲、そして…」
窪みに足を取られたカナタ、勝機と見た伯爵は文字通り、死を覚悟した捨て身の一撃を繰り出す。しかし瞬時に体勢を立て直したカナタは片手持ちの剛擊で双手の刃を跳ね上げ、空いた手の抜刀で伯爵を斃してのけた。
「この高火力だ。俺に
「戦闘能力も凄いけど、戦術力も凄いよね。アリングハム公が仰るには"部下と部隊の力量を正確に把握し、配置も的確。特筆すべきは虚実の織り交ぜ方かな、自身さえもブラフに使って悪魔的な揺さぶりをかけてくる。私に剣狼のような武勇があれば互角に用兵勝負が出来るのだが、そうではない以上、同数の兵力で彼に勝つのは不可能だ"だって。」
「"ロンダル島一の戦上手"と評されるアリングハム公に、"同数の兵力では勝てない"と言わしめるのですか。」
腕組みしたクエスターは深いため息をつき、盟友のアシェスが台詞を引き継ぐ。
「公爵のプライドの高さを知っているだけに、驚嘆すべき事だな。」
「戦闘記録の入手をアシェスに頼んだのは、実際に見ないと脅威が実感出来ないだろうと思ったからだ。階級こそ少尉だが、新生照京軍の指揮を執るのは剣狼カナタに相違ない。我々薔薇十字は、照京軍とは交戦しないのが得策で、そういう戦略を立ててゆく。この方針は絶対に守ってもらうぞ。」
珍しく強い語気で念を押す少佐、もちろん誰にも異論はない。薔薇十字の大黒柱が誰なのかは、自明の理だから。
「わかっている。私もクエスターも深く反省しているのだ。無断で照京攻略戦に参加したのは悪手も悪手だった。」
「ええ。竜胆左内を殺した私は、照京人からひどく恨まれているでしょう。……ローゼ様の描く未来への障害になりかねません。」
「二人を責めている訳じゃない。終わってしまった事より、これからが大事だから念を押したまでだ。アシェス、祝杯を上げる店探しから始めないか?」
「いいな!少し街を散策してみよう!」
(姫はクエスターを頼む。
(わかっています。薔薇十字の中核にいる二人が強く認識してくれれば、全体の方針として揺るぎがありません。)
少佐が大黒柱なら、アシェスとクエスターは屋台骨だ。天守を支える骨格は万全でなくてはならない。
竜胆少将を手にかけてしまった事を、クエスターは深く後悔している。兄同然の騎士の背負う重荷を、少しでも軽くしてあげなくては。守り、守られ、支え合う。それが家族だ。
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