侵攻編12話 ローゼのお尻は安産型(目撃者談)



「酸素供給連盟は植物の代わりに酸素を供給するだけの組織ではなかった、か。なるほど、加盟料がお高くつくのもやむを得ないな。」


自然環境では絶滅したとされる動植物を保全するのは意義のある事業だ。勢力を問わず、協力するべきだろう。


「ご理解頂けてなによりです。実は方舟計画は、元は"舟板計画"だったのですがね。」


舟板?……カルネアデスの舟板のコトか!


「いきなり話が剣呑になりましたね。舟板となれば、穏やかじゃない。」


ノアだけじゃない、この世界にも"カルネアデスの舟板"に似た逸話が存在する。緊急避難の用例としてよく引き合いに出されるカルネアデスの舟板とは、"船が難破し、自分と誰かが溺れている。手近に浮いた舟板には、一人を支える浮力しかない。この場合、相手を突き飛ばして板を独占しても、殺人には問われない"って話だ。


「まったく穏やかではありません。第一次バイオハザードの際、人類の滅亡を危惧した環境保全連盟は、自分達と動植物をコールドスリープによって眠らせ、惑星環境が自然回復するのを待とうとしていた。結局、大幅に人口を減らしはしましたが、人類はしぶとく生き残り、舟板計画は方舟計画に方針転換された訳ですが……」


人間用のコールドスリープポッドを各地に作ってはみたものの、実際に使用されるコトはなかった、という訳か。


「コンバットセルとエリクサーセルが開発された後、人類はこの過酷な環境下でも人口を増やしつつある。母体組織の懸念は杞憂に終わりましたね。」


「結構な事ですな。とはいえ、この星は人類だけのものではありません。我々の悲願は、眠りについた動物達を、緑豊かな自然の中に帰して繁殖させる事なのです。その為にも、不毛な戦争は一刻も早く終わりにしたい。龍弟候に酸素供給連盟の秘密をお話ししたのは、あるお方から貴方が"停戦を望む男"だと教えて頂いたからです。酸素供給連盟は通貨安定基金と同じく、"政治や軍事にはタッチしない"を基本原則としておりますが……私個人は"酸素供給連盟も停戦に尽力すべき"というスタンスなのです。」


酸素供給連盟と通貨安定基金は、機構軍にも同盟軍にも与しない第三者的存在。とはいえ運営しているのが人間である以上、個々の思想は存在するに決まっている。


「あるお方とは誰ですか?」


脳裏に浮かぶあの笑顔。あるお方とは、たぶん……


「お分かりでしょう。薔薇十字総帥、スティンローゼ・リングヴォルト皇女です。」


やっぱりか。ローゼも自分のやり方で人脈を広げ、戦争を終わらせようとしているんだ。


「パーチ副会長、忌憚ない意見を言わせてもらうが、仲介するのが酸供連だけでは弱い。安定基金も巻き込んで、共同で調停者となるべきだ。」


「……なるほど。AIが合理的な判断を下せば、安定基金も動くかもしれませんからね。」


「AI?」


「平和を願う同志として、龍弟候には私の知る全てをお話ししましょう。これは極秘事項ですが、通貨安定基金のトップは人間ではなく、AI"リーブラ"なのです。数学界の巨星、ローエングリン博士が若かりし日に提唱したアルゴリズムを具現化したリーブラは、自己進化する。」


リーブラ……天秤だな。その名の通り、通貨の安定と価値保全を図る為にバランスを取る存在なのか。安定基金に属する人間は、自らをリブリアンとかバランサーと称している。まさか組織のトップが自己進化型AIだとは思わなかったが……


リリスの爺様はマジで巨星だな。叡智の双璧とタメを張る天才としか言えん。


「安定基金の連中は、神託を訊く巫女か神官みたいなものか。AIの御告げに従って、通貨の暴落を防いでいる訳だ。」


「仰る通りです。通貨安定基金の人間は、AIの方針を忠実に実行する信徒のような存在。"通貨を安定させる為には停戦が合理的"とリーブラが回答を示せば、それに従うでしょう。どうにかして"停戦が通貨の安定に寄与するか否か"を、リーブラに判断させねばなりません。」


「それにはまず"リーブラにアクセス出来る祭司役が誰なのか"を、突き止めるのが先だろうな。」


平社員が社長に面会出来る大企業はない。安定基金の下っ端から中堅職員までは、トップがAIであるコトすら知るまい。秘密を知るのは一部の幹部だけ、アクセス出来るのは最高幹部に限られていると考えるのが妥当だ。


「心当たりがあります。目的は違えど同じ中立組織同士ですから、それなりの付き合いがありますので。」


初対面だがこの男は信用してもよさそうだ。自分の組織や友好組織の秘密まで、残らずぶっちゃけちまってる。人を見る目のあるローゼの信頼も勝ち得ているし、以前に教授から聞いた"酸素供給連盟のパーチ副会長には独自の動きがあるようだ"という情報とも合致している。だったら……


「オレも正直なところを話しておこう。まだ停戦の機運は熟していない。当面、オレは戦いを続けるコトになるだろう。動くのは"同盟軍と機構軍の国力が拮抗した時"だ。両陣営における主戦派の動向にも左右されるが、少なくとも国力の拮抗がなければ、交渉の前提が整わない。」


現状では同盟側が停戦を望まない。国力に差がある状態での停戦は、相手に有利なだけだからだ。国力を回復させた機構軍がまた戦争を仕掛けてくるかもと思えば、停戦協議に応じる訳にはいかない。停戦派のオレがそう思うぐらいなんだから、主戦派はもっとだろう。


「ここでも天秤ですか……龍弟候は、バランス・オブ・パワーの成立こそが停戦への鍵だと仰るのですね?」


「ああ。停戦させただけじゃ意味ないからな。一時的な停戦を維持させてこそ、終戦に繋がる。"戦ったら負けるかも"と、互いが思えばこそ手を出さないのさ。」


そもそも不利な状況にならないと機構軍側の主戦派、ゴッドハルトやネヴィルが停戦なんざ考えない。こっちの災害閣下ザラゾフも問題だけど、アレックス大佐と組んで説得するしかねえな。


「なるほど。ローゼ姫が"カナタは高邁な理想に溺れず、過酷な現実と戦って和平を実現させようとする英雄です"と仰いましたが、まさにお言葉通りのお方だ。」


オレが"理想論に酔いしれる輩"が嫌いなのは、親父の影響だろうな。永田町には与野党問わず、"気楽な空論"を弄ぶ阿呆が結構いたらしく、官僚の親父は"政治屋の言葉遊び"にお付き合いするコトも多かったようだ。


"カナタ、大人になっても決して"霞を食う輩"にはなるなよ? 仙人みたいに山奥に引き隠って言葉遊びに耽っているならいいのだが、往々にして机上の空論を喚き立てる奴ほど、実社会で目立ちたがる。永田町にいる自称賢者どもは仙人と違って税金で食っているのだから、もっと始末に悪いのだがな"


フフッ。親父も大概、口が悪いな。大丈夫だ、毒舌親父。オレは虚言を弄して敵をハメるが、空論は口にしない。目指すかも大事だが、目指すかはもっと大事だ。


「買い被りだ。オレは英雄なんかじゃない。」


ローゼに英雄扱いされるのは嬉しいけど、オレは小市民でいたい。"戦争を終わらせた英雄"を目指しているのは、"好きなコ全員オレの嫁"ってよこしまな野望を叶える為だ。平和になったらマリカさんと三人娘を嫁にして、政治からも軍事からも身を引く。新妻達の尻に敷かれながら、自由気ままな引退生活を送るのさ。


「いえ、買い被りではありません。ローゼ姫は本気でそう思っておられるのです。なぜなら"……エッチだけど"と本音を付け足されましたから。」


さも可笑しそうに笑うパーチ副会長。ローゼもいらんコトまで吹き込むなよ。罰としてオレの嫁小隊に加えちゃうぞ!


……ローゼも嫁……悪くないアイデアだが、命がいくつあっても足りねえか。クエスターアシェス辺境伯バーンズ鉄拳爺バクスウ……準適合者四人とバトルはいくらなんでも無理ゲーだもん。姫様おっぱいと安産型桃尻は惜しいんだけどねえ……


──────────────────


八熾屋敷を後にしたパーチ副会長は、姉さんのいる総督府に向かった。"雲水議長を交えた三者会談は表敬訪問レベルで済ませます。裏の事情は龍弟候から説明してください"と言い残して。


客人を送り出したオレは、厳重なセキュリティに守られた屋敷の地下室に降り、教授に通信を入れた。影のブレーンに相談するのは、もちろんさっきの密談についてだ。


「…という訳だ。教授、オレの判断は早計ではなかったよな?」


「問題ない。彼が二ヶ月前にローゼ姫と会見したのは確かだ。善後策を話し合う前に、簡単に状況を整理しよう。以前から和平の樹立を画策していたパーチ副会長は、頭角を現してきたローゼ姫に白羽の矢を立てた。会見で姫の信用を勝ち取った彼は、姫が和平樹立のパートナーと考えているカナタの存在を教えてもらい、為政者交代時の挨拶という名目で照京にやってきた。」


オレはシガレットチョコを、教授は本物の煙草を咥える。炎のパイロキネシスを有する教授にライターは必要ない。マリカさんと同じく、ライター代わりの指先で煙草に火を点ける。


紫煙を吐き出した教授は、感想を述べた。


「和平のキーパーソンはローゼ姫だと見抜くあたり、なかなかの切れ者だな。単に話が通じそうなのが、彼女だけだと思ったのかもしれんが……」


確かに、ゴッドハルトやネヴィルじゃ話にならない。こっちの三元帥もなあ、残念ながら話になるまい。


「副会長の独断なのか、酸供連会長の意向も踏まえているのかが問題だが、パーチ氏は"私個人は…"という言い方をした。おそらく会長の意を汲んではいない。」


「同感だ。とはいえ通貨安定基金の最重要機密を知っているぐらいだ、かなりの人脈と政治力を持っていると見ていい。酸供連の内状と、彼にどの程度のシンパがいるのかは私が調べておこう。もちろん、安定基金の内状もだ。……しかし、通貨を管理する組織のトップがAIだったとは驚きだな。財務省にいるこ…ゴホッ!…こ、後輩や教え子がリーブラの存在を知ったら、垂涎のあまり脱水症状を起こすだろう。」


「教授、咳き込むぐらいなら煙草なんか吸うなよ。」


オレみたいに、シガレットチョコにしときなさい。カロリーも摂取出来るんだから。


「失敬。まあ、それら諸々の調査は私に任せてもらおう。」


「頼む。中立組織と見做されている酸供連は、ローゼとオレを繋ぐ架け橋になり得る。もちろん、動き過ぎるのは危険だから、ここぞという局面までは最小限に留めておくべきだろうな。」


「うむ。伝書鳩ではなく、平和のシンボルとしての鳩が必要なのだからな。核心はカナタとだけ話し、帝には表敬訪問で済ませるあたり、彼は謀議をよくわかっている。総督府にいる高官達の中には、狗がいると睨んでいるのだ。」


「狗と言えば、竜胆左近に動きはあるか?」


遠征に出た後に、妙な動きをされては厄介だ。


「活発に動いているさ。今のところは照京奪還に尽力した忠臣の祖父という肩書きもあるからな。早世した孫の余禄で得た人気にご満悦で、毎晩謀議を重ねている。パーチ氏と違って、三流の策謀家だがね。」


「だろうな。……ツバキさんの関与は?」


「今のところ、彼女は謀議に参加していない。左近は"孫娘に政治は早い"と考えているようだし、彼女自身も政治に興味がないのだろう。王立兵士訓練校の仕事に励み、たまに帝と会食している。特に不満を口にしている様子もないから、カナタの姉さんが上手に彼女を慰撫していると見てよかろう。」


王立兵士訓練校の教頭、それがツバキさんにあてがったポジションだ。近習からも街の防衛からも遠ざける為に、教授が考えた処遇は適切だった。


「それは何よりだ。ツバキさんが道を誤れば、泉下の竜胆少将に合わせる顔がない。」


「彼女は帝に対して不満を抱いていないだけだ。決してカナタに対するわだかまりを捨てた訳ではないぞ。それが証拠に"一手ご教授願いたい"と言って、メイド長とも手合わせしている。勝負に負けたから大人しく引っ込んだだけだ。」


「やっぱりメイさんと勝負したのか。いずれ挑むだろうとは思っていたが……」


冥土ヶ原メイは大師匠のお墨付きを得た一流の剣客。一流半のツバキさんがかなう相手ではない。シグレさんが急成長するまでは、次元流継承者の筆頭と目されていた逸材なんだ。


「彼女も左近も、放置して問題ない。彼女には剣腕が、祖父には政治力が足りていないからな。雲水代表が"祖父が出したボロに彼女が巻き込まれないよう、私が取り計らう"と言っているのだから、任せておいてよかろうよ。」


奪還後に、雲水代表と教授のホットラインが結ばれた。だが、御鏡雲水は教授の顔も正体も知らない。代表は"知るのは影のブレーンとの連絡方法だけでいい。個として極めて弱い私は、敵対勢力に身柄を拘束される恐れがあるからね"と言って、連絡方法以外の情報を知ろうとしなかったのだ。



己を知り、己を活かす。英明な孫の名声にあやかるだけの竜胆左近とは器が違う。政争においては、雲水代表の完勝だろうな。


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