侵攻編8話 張り子の虎



烈震アレックスと彼の一行は、ドレイクヒルホテルに滞在している。もてなすべき重要人物だと判断した雲水代表がホテルを手配し、軍の官舎から移ってもらったのだ。どうやら雲水代表は百里奚ひゃくりけいだったらしい。


"百里奚は様々な国に仕えましたが、大功を立てたのは秦においてです。しかし、彼が秦に来て急に賢くなった訳ではありません。それまでの国との違いは、彼の言葉を用いたか否かなのです"、こんな台詞を小説で読んだコトがある。雲水代表は見識も良識も備えた名宰相だった。単に前総帥が忠臣を使いこなせる器ではなかっただけなのだ。


ロイヤルスィートルームを訪ねると、娘の写真を眺めながら指立て伏せに励む烈震さんの姿があった。侍従の兵士が出迎えに来なかったのは、彼の背中で重しになっていたからだったか。


「ザラゾフ大佐、こんな夜分にすいませんね。」


呑気に指立て伏せをやってるぐらいだ。まだ機構軍の侵攻を知らないでいるな。


「なに、構わんさ。それからカナタ君、私の事はアレックスでいい。」


指立て伏せを止めた大佐は立ち上がり、重しを務めていた侍従二人がタオルとアイスウォッカを持って戻ってくる。


「ではアレックス大佐、急いで帰国の準備を…」


「必要ない。私がするのは帰国の準備ではなく、戦の準備だ。この島での、ね。旨い、やはり運動後にはアイスウォッカだな。……ああもちろん、これは大陸での動きを知った上での答えだよ。」


大陸の情報は耳に入っていたのか。ザラゾフ元帥から通信が入ったんだな。


「元帥は侵攻軍を迎撃に向かうはずです。ナンバー2の大佐がいなくてはマズいでしょう?」


「私がいる方がマズいのだよ。父が好き勝手に暴れる土壌が出来てしまうからね。バーバチカグラードでも止めたんだよ、"死神の底が見えるまで、一騎打ちは危険だ"って。倅の忠告を無視した挙げ句に、慢心が首をもたげてあの始末さ。」


戦術力が高いアレックス大佐が控えていたら、指揮をブン投げて個人プレーに走るってコトかよ。困った暴走爺ィだな。


「じゃあ大佐は戦う準備もしてこられたのですね?」


「ああ。鳴瀧に私の部隊を向かわせている。父が"あの小僧は食わせ者だが、話の通じる奴だ"と言っていたからね。奪った領地に相応しい見返りは寄越すはずだと睨んだんだ。」


……機構軍の侵攻を知ってもなお、大佐は虫の息になってる龍足大島を制圧する方がいいと考えているようだな。ここは一つ、烈震アレックスの力も借りるコトにしよう。もともと総督総代就任に口添えしてもらう見返りは用意しなきゃならないんだし、それがちょっとばかり大きくなるだけだ。


「部隊の進路を変更させてください。鳴瀧ではなく、ここにです。」


「……ほう、機構軍め。性懲りもなく都を奪おうと動いたのか。負け犬にしては殊勝ではないか。」


肉食獣の笑みを浮かべる烈震アレックス。この凄味、やっぱり災害ザラゾフの息子だ。


「いえ、こちらから動くんです。手始めに尾羽刕を落としましょう。」


「……それは面白そうだ。詳しい話を聞かせてもらおう。」


アレックス大佐が指を弾くと侍従の一人はバルコニーに、一人は室外に出た。席を外しながら厳戒態勢を取る、側近だけに所作がわかっているようだな。


ん? 人払いをしておいたのに、テレパス通信だと!?


(カナタ君の話を聞く前に、私からも話がある。くだんの計画だが、立案者も協力者も処断した。もうキミの秘密を知っているのは父と私だけだ。)


複製兵士培養計画のコトか!大佐からは絶対に秘密が漏れない自信が窺える。つまり処断ってのは謹慎や降格ではなく……


(物理的に処断、というコトですか……少しやり過ぎなのでは?)


ルシア閥の技術系幹部数人が事故死したという噂は聞いていたが……彼らが培養計画の首謀者だったらしい。


(計画失敗の責任を取らせた訳ではない。結果的にそうなった、という話だ。私が調査した結果、彼らには別な罪状があった。死を以て償うべき罪状がね。)


(……そうですか。)


(父からキミへ伝言がある。"秘密は絶対に漏らさんから、人間として生きろ。そんな事を言われるまでもなく、最初から人間だったのだろうがな"、確かに伝えたよ。)


ザラゾフ元帥は直感で、"剣狼はクローン人間ではない"と確信していたらしい。本人は絶対に否定するだろうけど、あの計画に関わった人間を全員粛清したのは、オレへの罪滅ぼしがしたかったからだろう。


(承りました。オレからも元帥に伝言があります。"元帥の勘は当たりです。オレは八熾の狼として生きる"、そうお伝えください。)


(わかった。経緯はサッパリわからないけれど、父の勘は当たっていたようだね。)


(戦争が終わったら経緯を説明します。それまでは待ってください。)


(いや、説明はいらない。父も私も細かい事に興味はないんだ。剣狼カナタは狼の系譜に連なる男、それがわかれば十分だよ。)


なんたる大雑把さよ。でも、オレはこういう豪快さんは嫌いじゃないんだよなぁ。自分が粘着質でクソ細けえコトに拘る人間だけに、羨む気持ちがあるんだろう。


表面的には無言に見えるオレとアレックス大佐はアイスウォッカで乾杯し、本題に入る。


「喉も湿ったし、作戦を説明します。本作戦の最終目標は、"龍の島のハートランド化"にあります。」


この世界にもマッキンダーと同じコトを考えた学者がいて、地政学にはハートランドという用語が存在する。小難しい理論を文で読むより、信長の野望をやる方が早い。やれば九州の端っこからスタートする島津氏が滅茶苦茶有利だと一発でわかる。背後を一切気にする必要がなく、九州統一までは前へ前へと進軍するだけでいいんだから。拠点をハートランド化出来る有利さは、歴史ゲームで学んだ。


地球では、航空兵器の発達がマッキンダーの理論を風化させたが、この世界ではヘリ以外の航空兵器は存在出来ない。攻撃衛星群のターゲットになるだけだからだ。つまり、ハートランドの存在は有利不利に直結する。


「カナタ君は座学が苦手じゃなかったのかい?」


「戦略論と戦術論は得意な方でね。龍の島は四方を海に囲まれていますから、陸上戦艦で直接侵略は出来ない。海上防備を万全にすれば、理想的な生産拠点になり得ます。」


「オマケに龍の島は重工業が盛んだからね。手先が器用で勤勉なんて民族が住んでる強味だな。トガとカプランが幅を利かせているのは安全地帯に広大な生産拠点を有しているからだ。それさえなければ、あの二人なんて雑魚もいいところなんだが……」


あえて指摘しないが、アレックス大佐は一つ見落としをしている。トガもカプランも軍人としては凡庸以下だが、領地の運営にはそれなりの手腕を持っている。生産力の高い拠点があっても、それを活かせる手腕がなければ意味を為さない。武闘派集団のルシア閥に欠けているものだ。


「この島のハートランド化に成功すれば、その恩恵はアスラ閥とルシア閥にもたらされます。」


「予備戦力を投入してでも、賭けに出るべき局面だ。父と相談して、さらなる兵員をこの島に送ってもらおう。トガとカプランの領地をジワジワ削らせている間に、この島を完全制圧する。成功すれば、機構軍との戦いも、同盟内での勢力争いも有利になるだろう。まさに一挙両得だ。」


「当面の見返りは生産された艦船や武器の供与、将来の見返りはルシア地方西部の奪還に協力、でいかがですか? もちろん、奪還した領土は全てルシア閥のモノです。」


オレとしてはルシア地方西部の奪還を遂げた時点で、停戦協議を持ちかけたい。両軍のパワーバランスは、それで釣り合いが取れるからだ。フラム人のカプランはユーロフ圏にまで進出したいだろうが、そんなコトは知ったこっちゃねえ。


「悪くない話だ。父も納得するだろう。」


「ではハートランド化への具体策を提示しますから、忌憚ない意見を伺いたい。まず尾羽刕ですが、戦わずに手に入れます。正確には"戦っても勝ち目はない"と思わせて、掠め取る訳ですけどね。」


「ほう!どんな風に恫喝するんだい?」


「照京奪還を力尽くでやるつもりだと思わせる為に、我々は大量の移動式曲射砲スパイダークラブを持って来てます。で、スパイダークラブのハリボテも事前に準備させておいたんですよ。」


「ハリボテ?」


「外観だけはそっくりですが、砲撃能力はありません。言わば"張り子の虎"ですが、これも大量にある。近日中に、照京に輸送される手筈です。」


「……なるほど。虚仮威こけおどしの道具に使うという訳だ。」


「はい。計算では本物のスパイダークラブを使い潰せば、尾羽刕を力技で陥落させるコトは可能。ですが、本物は朧京の攻略まで取っておきたい。」


「尾羽刕市を無血で手に入れ、尾羽刕兵を軍に編入させる。そうすれば海道沿いの都市を攻略しながら、朧京まで到達出来る、か。確かに尾羽刕は敵性勢力圏では朧京に次ぐ大都市だ。理論上では可能なような気もするが……」


目論見通りにいけば、味方の消耗を抑えるどころか、戦力を拡充出来る。敵は最大の防波堤を無為に失う。この差し引きは絶大だ。戦わずして勝つ、それが最良の戦略なのは自明の理だろう。


「ですから、尾羽刕だけは戦わずに手に入れたいんです。それが今作戦の大前提ですから。無血開城に成功すれば、さらなる相乗効果も見込めますしね。」


「ああ、尾羽刕に倣って無血開城する都市も出てくるだろうよ。朧京だけは徹底抗戦するだろうが。」


朧京総督アードラーは戦死したメルゲンドルファーの精神的従兄弟だ。たとえ死のうが降伏はするまい。


「成算は十分にあります。占領政策には土台無理があるんだ。誰だってよそ者がデカいツラして街を闊歩していれば、いい気はしない。植民地化の永続なんて夢物語、奴らにツケを払ってもらう時がきた。」


皇帝は今まで、弾圧と懐柔を駆使しながら占領政策を上手くやってのけてきたが、一般市民や地元兵の反感までは消せない。新たな統治者が寛大な仁君なら、反旗を翻す者が必ず出てくる。皇帝が龍の島に攻勢をかけてきた時、尾羽刕総督は戦わずに降伏した。だが、尾羽刕防衛師団に所属している総督の息子は表向きには帝国に従属しているが、内心では傀儡となってまで総督の椅子にしがみつく父の腑抜けぶりに歯噛みしているとのコトだ。


極秘裏に彼とコンタクトを取ったケリーからの報告は信頼に値する。"張り子の虎"と、"蟻の一穴"が揃えば……八割方の勝算の根拠だ。



もし、計算が外れて尾羽刕を力尽くで制圧するコトになっても問題ない。そうなれば、オレが尾羽刕を防衛し、他の部隊を大陸の戦線に投入するだけだ。照京を最前線から遠ざけるという最低目標だけは達成出来る。


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