侵攻編2話 シオンさんははっちゃけたい



※今回のエピソードはスケアクロウ副長、シオン・イグナチェフが主人公です。


自分は朝に強いのだという事実を知ったのはアスラ部隊に配属されてからだ。極端に朝に弱いリリスと、かなり朝に弱い隊長とナツメがそれを教えてくれた。


戦術アプリの助けなど借りずに、起床と同時に意識が覚醒する。僅かな異変を感じれば、隊長も妹みたいな二人も跳ね起きて覚醒出来るのに、どうして普段はそれが出来ないのかしら……


ベッドの上で半身を起こす。……一緒に寝ていたリリスとナツメの姿が見当たらない。あの二人ったら、また隊長のベッドに潜り込みに行ったのだ。


お仕置きが必要ね。そう思ったが、懲罰用のフライパンはこの部屋にはない。八熾屋敷の滞在が長引くようなら、金物屋で仕入れてくるとしよう。


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「おや? 尻ペン用のフライパンはどうしたんだい?」


リリスとナツメは仕方ない……いえ、仕方なくはないのだけれど、またマリカ隊長まで同衾している。エースがこれでは、アスラ部隊が無頼の集団と見做されるのもやむを得ないわね……


「今日にでも仕入れてきます。マリカ隊長、少しは親友のシグレ局長を見習って…」


「小言は嫌いだ。シオンも少しははっちゃける事を覚えなよ。ホントは羨ましいんだろ?」


「う、羨ましくなんかありません!」


「わーったわーった、そういう事にしといてやンよ。ナツメ、リリス、シオンがキレる前に着替えて、朝メシでも作ンよ。」


「……あい、姉さん。」 「……む~……あと5分だけ……」


軍務に就いていなければ高校生と小学生の娘二人を脇に抱えて寝室を出てゆくマリカ隊長。自由奔放な人なのはわかっていたけれど、最近は隊長への誘惑が過ぎる。親代わりのゲンさんにでも相談した方がいいかしら?


「……んが……すやすや……」


こんなに騒いだのに隊長はまだ寝ている。悪意を持って忍び寄る人間がいたら即座に飛び起きるのに、どうして平時はこんなに鈍感なのかしら……


「隊長、起きてください!もう朝ですよ!」


寝床に潜り込まれた隊長に非はないかもしれないが、鍛えた握力で太股をつねり上げる。いえ、隊長も悪い。戦場にいる時のようにキリッとしていれば、マリカ隊長やあの二人だって、ふしだらな行為は手控えるはずなのだ。


「……おおぅ!シオン、痛いってば!」


「痛くなるようにつねったのだから当然です。隊長、今日のスケジュールはどんな感じですか?」


隊長のスケジュール管理は本来、私とリリスの仕事だ。だけど八熾屋敷に滞在してからは、隊長が自分で予定を組んでいる。まだ何も聞かされていないけれど、隊長には先を見据えた戦略があって、それに必要な行動の取捨選択は自分にしか出来ない、という事なのだろう。


「午前中は一族と会合、午後からは屋敷で静養。本格的に動くのは明日からだな。」


都を奪還した狼は、まだ一日も休んでいない。隊長がいくら超人でも、休息は必要だ。特に、精神面においては。やっぱり情勢が落ち着いてから頼んだ方がいいわね……


「シオン、言いたいコトがあるなら言ってくれ。」


私の逡巡を隊長は察知したようだ。普段は鈍感なのに、こういう時には非常に鋭い。リリスが"世界一オンオフギャップが激しい男"と評するのにも頷ける。


「いえ、特には…」


「いつも自分を抑えてまとめ役をやってくれてるのには感謝してる。だけどシオンだって人間なんだから、思うところがあるだろう。自己抑制はとても大切なコトだが、程度による。」


「個人的な事情ですから、情勢が落ち着いてからでも大丈夫です。」


「個人的な事情ならなおのコト聞きたいな。」


たまには私がワガママを言ってもいいわよね? 


「隊長と二人で行きたいところがあります。私のグランマが覇人なのは知っていますよね?」


「うっかり失念していたな。お婆さんは茶道の家元の娘で、ここ照京は茶道の本場だ。この街に縁戚の方々がいるんだな?」


「グランマの親戚にはもう挨拶を済ませています。武とは縁遠い茶道の一族には、機構軍も手は出さなかったようで安心しました。行きたいところというのは、グランマゆかりの場所なんです。陸路で4時間ぐらいの森に…」


「わかった。昼から出掛けよう。」


「でも隊長だって体を休めないと……」


「体は頑強に出来てるから問題ない。オレが欲しているのは心の栄養だ。茶の道に通じたお婆さんゆかりの場所は、さぞやいい眺めなんだろう。シオンがお弁当を作ってくれたら、もっと癒されるんだけど、どうかな?」


今日だけは隊長の好意に甘えてしまおう。本音を言えば、一日でも早くあの場所へ行きたいのだ。


「おにぎりとサンドイッチ、どっちがいいですか?」


「おにぎりで。干物とお酒もお忘れなく。」


ダーはい。車両の手配は私がやっておきます。」


久し振りに隊長と二人っきりだと思うと、心が弾んでしまう。あのコ達と一緒の生活も気に入っているのだけど、私だって隊長に甘えたい時があるのだ。


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一族と会合、と言っても策謀めいた話は一切出ない。屋敷を訪ねてきたのは八熾一族のお年寄り達で、彼らは追放されるまでは、この都に住んでいた。父祖の地に帰って来た彼らは、私と同じように思い出の場所を訪ねる予定らしい。律儀者の老人達は市内に出掛ける前に、主君に御礼を言上しに来られただけなのだ。


「お館様のご尽力で我ら一同、帰る事はないと諦めていた照京に帰参出来申した。天羽雅衛門、家人衆を代表して篤く御礼申し上げまする。」


深々と頭を下げる次席家人頭、ガラクもこの律儀さを学んでくれればいいのだけれど。


「爺様、他人行儀な挨拶などいらぬ。八熾一族は狼の群れだぞ。喜びも悲しみも皆で分かち合うのが、狼の生き方だ。」


八熾の巴紋を背負う隊長の姿は、一族の老人達の目に頼もしく映っている事だろう。私は八熾一族ではないけれど、若き天狼を思う心は同じなはずだ。私生活はグダグダな隊長だけど、一族を、軍団を率いるリーダーとしての資質は群を抜いている。


「ハハッ!老いたる身とはいえ、我らも狼。牙を磨き、お館様のお役に立ちまする。」


「期待しているぞ。年寄りには知恵という名の牙がある。子や孫にその牙を受け継がせ、世の安寧に尽くしてくれ。長老衆は八熾の宝であり、この国の宝だ。」


計算づくで話す言葉も、正直に心情を吐露する言葉も、聞く者の心を打つ。隊長は人たらしの名人だ。かく言う私も、見事にたらし込まれた人間の一人なのだろう。


一族の惣領は居並ぶ老人達の手を取り、ねぎらいの言葉をかける。一人一人の手を握り、長年の労苦を称える姿に演技はない。隊長は口癖のように"殿様稼業なんてオレのガラじゃない"なんてボヤいているけれど、周りはそうは見ていない。一族の老人達は、英明で親しみやすい主だった先代惣領の面影を隊長に見ている。


「八重、姉さんが旧八熾屋敷の跡地に慰霊塔を建立してくださるそうだ。熊狼七郎の名も石碑に刻まれるコトになろう。」


「重ね重ねのご厚情に亡き父も喜んでおりましょう。ありがとうございます。」


隊長は戦死した仲間、熊狼十郎左の母である八重さんを特に気に掛けている。母親の温もりを知らない隊長は、息子を慈しむ八重さんに感じ入る気持ちがあるのだろう。


「九郎兵衛、長老衆は皆、己が父母だと思って警護、案内するのだぞ。いくら優しい実母でも、八重だけ依怙贔屓するのはナシだ。」


「お館様、母は優しくなどありませぬぞ。俺も弟も、幼少の頃はどれだけ折檻された事か。」


隊長の飛ばした冗談に、苦笑で答える案内役の長。家格から言えば饗応役の長は天羽家の跡取りが務めるべき、でも粗忽者ガラクには一番不向きな仕事だ。


「母は武家の子らしからぬ不行状を正してあげただけです。九郎達が真に白狼衆に相応しい立ち振る舞いを身に付けたかどうか、雅衛門様と長老衆で見てあげますゆえ、身を引き締めて案内なさい。」


長老衆を束ねる天羽家当代は孫に厳しい視線を向け、才気はあるが粗忽者の評判を拭えないでいる若者は目を逸らせた。


「だそうだ。ガラク、トシゾー、饗応役には厳しい採点が待っているぞ。締めてかかれ。」


九郎兵衛は老人達と一緒に大型バスに乗り込み、ガラクとトシゾー率いる白狼衆の乗った黒塗りのSRVが前後を固める。


八熾家御一行の出発を見届けた隊長と私は、自分達も出発する事にした。


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「ん? 団長に副長やんか。そろそろ出発するんやな。ウチの準備はバッチリやで!」


軍港の中に入った私達は、巡洋艦の傍に立つAI娘に出迎えられる。


「二人で出掛ける足が軽巡かよ。シオン、いささか大袈裟じゃないか?」


「私もそう思いましたが、シズルさんがハンマーシャークを使えと言って譲りません。アップデートされた自動航行システムのテストも兼ねているそうなので、了承しました。」


「そういうこっちゃ。ウチはまた一つ、お利口さんになってもうたねん。さあさ、乗った乗った。」


ホログラムに背中を押されるけれど、当然、物理的な力は働かない。アンナの人格モデルはサクヤだって聞いたけど、本当にサクヤが二人いるみたいね。


「やれやれ。軽巡を襲ってくるヒャッハーはいないだろうから、手間が省けると考えるかな。」


「そうですね。操艦はアンナに任せて、ゆっくりくつろぎましょう。隊長が見たがっていた"飛行鮫VSヤクザ"を持って来ました。監督・脚本はホーランド・バッカリーノですよ?」


隊長はB級……いえ、Z級映画の愛好家なのだ。"どっちが勝とうがどうでもいい!"というキャッチコピーが、この作品が紛れもなくZ級である事を示している。


「いいねえ!タイトルからしてホラバッカ作品らしいなぁ。帰ったらシュリにも見せてやらないと。」


Z級映画専門の監督、ホーランド・バッカリーノ氏の作品は、愛好家からは"ホラバッカ作品"と呼ばれているらしい。Z級らしく、荒唐無稽で馬鹿馬鹿しい作風がその持ち味だ。たぶん彼は、いい意味で何も考えずに作品を世に送っている。


艦橋に御座を引いて、二人で映画を鑑賞する。映写にはメインスクリーンを使っているから、映画館並みの大迫力だ。空飛ぶ鮫とヤクザが繰り広げる馬鹿馬鹿しいバトルが気になったのか、アンナまで御座の上に寝そべってきた。


「ウチも人間社会のお勉強に加わろかな。あ、心配せんでもええで。監視システムは別系統で動かしとるさかい。システム許容量の範囲内でなら、複数の仕事を同じ精度でこなせるんが、AIの強味なんや。」


「アンナもポップコーン食うか?」


映画を見ながら、屋外用のコンロでポップコーンを燻る隊長。たぶん、艦橋でここまでくつろいだ軍人は過去にも例がないだろう。


「おおきに。でもウチはポテチンがええねん。」


ホログラムのスナック菓子を取り出したアンナは、お行儀悪くボリボリ齧り始める。こんなところまで人格モデルに寄せなくてもよさそうなものだけど……


「出来た出来た。シオンは食うだろ?」


「はい。映画を見る時はポップコーンが必需品ですから。アンナ、副管理者として命令よ。今回の航海に関する記録は、A級機密事項です。」


「A級機密事項やな。了承やで。」


オーケー。これでアンナは管理者権限を持つ隊長の許可がなければ記録を公開出来ない。


「隊長、あ~ん。恥ずかしがってないで、口を開けてください。」


出来たてのポップコーンを摘まんで隊長の口に近付けてみる。案の定、あわあわした顔になったわね。兵士の頂点に立っても、こういうところは出逢った頃から変わってない。


「え、ええと……アンナが見てるし……」


食事の時にナツメがよくやってるでしょう。私だってやってみたかったんです。映画を見た後は膝枕に載せて耳かきもしますからね。


「団長の次に重たい管理者権限を持っとる副長がA級機密事項に指定したさかい、ウチは誰にも喋られへんよ。それがAIの仁義ルールやさかいな。」


「そ、そうでしたね。」


そういう事です。普段は我慢しているあんな事やこんな事を、この機会に試してみますから!



今朝マリカ隊長から、"はっちゃける事を覚えろ"と忠告された。先輩のアドバイスは活かさないとね。


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