奪還編26話 仮面の刺客


※今回のエピソードは、前話から少し時間を遡ります。


照京郊外から少し離れた山岳地帯に逃れたグスタフ・エスケバリとライアン・オコーナーは、部下達に警戒を命じて情報収集を開始する。先に撤退した友軍は同盟の伏兵に奇襲され、さらに惨敗を重ねた。つるぎの悪魔は、照京を奪還しただけでは飽き足らず、敗残兵への追い打ちまで準備しておいたようだった。敗走する味方には合流せずに、単独での逃避行を選んだエスケバリの判断は吉と出たのだ。


吉と出た判断、だがエスケバリに幸運を喜ぶ余裕はない。動物園の熊みたいに行ったり来たりを繰り返しながら、愚痴と怨嗟をこぼし続ける。


「あの野郎!大一番に全戦力を注ぎ込まず、伏兵に回しやがるとはな。どこまで悪魔なんだ!」


街の背後に回り込んだ軍団がいるとなれば、撤退は容易ではない。選択肢は二つ、包囲網の穴を見つけて脱出するか、ほとぼりが冷めるまでどこかに潜伏するかである。


「目障りだ、消えろ!」


エスケバリは運悪く巣穴から顔を出してしまった狸をパイロキネシスで丸焼きにする。食料にする為ではなく、ただの八つ当たりだ。強力な火炎で消し炭にしてしまっては、悪食慣れした野伏レンジャーでも口にする事は出来ない。


「グース、野生動物に八つ当たりしても意味がない。」


憤怒と焦燥を隠せないエスケバリの姿に、オコーナーは不安を感じた。前のボス、ケリコフであれば同じ状況に置かれても、平然としていただろう。戦闘能力も高いが、本職は情報分析官であるオコーナーは、エスケバリよりは冷静さを保っていた。分析を生業とする彼は"世界は自分達の都合で動いてはいない"と理解していたからだ。


「うるさい!さっさと傍受した情報を解析しろ!次の行動が遅れるだろうが!」


「今やってる。急がせたいなら静かにしてくれ。」


オコーナーは地面に設置した背嚢型戦術コンピューターを操作し、乱れ飛ぶ敵味方の通信を解析する。"事態を把握出来るまでは、軽々に動くな"、それがケリコフの教えだった。


オコーナーはケリコフの能力が不満で裏切った訳ではない。不満だったのは"人格"だった。ネヴィル元帥から下された数々の極秘作戦、その任務の途中では金や貴金属類、果ては名画や債券まで入手するチャンスが幾度もあった。だが、ケリコフは見向きもしなかった。金品の略取は背信行為かもしれないが、そんな事は誰でもやっている。自分達の手際なら不正が露見する事もない。なのにケリコフ・クルーガーは一切、手を付けなかったのだ。


"俺達は軍人だ、火事場泥棒ではない"というケリコフの信念は、オコーナーとは相容れなかった。もし、遭遇したチャンスの半分でもモノにしていれば、今頃大金持ちだったのに……そんな思いを燻らせていた分析官はエスケバリの誘いに乗り、分析のノウハウを仕込んでくれた師を裏切った。軍のサラリーとは桁が違う大金を掴んで事業を興し、さらなる金と名誉を手にする。実業家として成功を積み上げ、最後には上流階級の証明である一代オーナーパスを手に入れたい。それが野心に燃えるオコーナーの目標だったのだ。


大きな野心と高い能力を持つオコーナーは情報を的確に分析し、概要を掴んだ。


「グース、剣狼が伏兵に使ったのはヒンクリー、オプケクル師団で間違いない。」


「やっぱりか。野に潜む指南をグリズリーズが担当し、奇襲攻撃の指南はランドパイレーツがやった。忌々しいが、いい役割分担だ。ライアン、捕虜の数はどのぐらいだ?」


「捕虜の数だな。すぐに算出する。」


エスケバリが冷静さを取り戻した事にオコーナーは安堵した。戦闘能力では死告鳥バスクアルに劣るエスケバリがギロチンカッター大隊の副長だったのは、彼女よりも作戦立案能力に秀でるからだ。指揮能力と作戦立案能力の高さは軍人にとって非常に重要な要素だ。一般人より弱いと陰口を叩かれるアリングハム公サイラスだが、指揮能力と作戦立案能力の高さだけで"戦の名手"と称えられてもいる。師団クラスの指揮官であれば、サイラスのように戦術脳だけでも一流になれるのである。連隊クラスでも戦術脳が優先されるだろう。前線指揮の頻度が上がる大隊となれば難しいが、それでも戦闘能力よりは指揮能力が重視される。もちろん、戦闘能力と指揮能力を兼備している事が望ましいのだが……


既に拿捕された艦船、拿捕が濃厚な艦船を割り出しながら、オコーナーは回想する。


……思えばギロチンカッター大隊は理想的な布陣だった。戦術と戦闘に絶対的な能力を持つボスを、悪知恵に長けたエスケバリと情報分析能力の高い俺が補佐し、生粋の兵士だったバスクアル、ペペイン、アンドレアスで実戦を賄う。システムとしては完璧だったが、俺達は人間で機械じゃない。


機構軍でも五指に入る実力者のボスは別格、俺とエスケバリは戦闘だけではなく頭脳戦もこなせる。バスクアル、ペペイン、アンドレアスだって極めて高い戦闘能力を持っていた。だったらもっと上を狙うべきだろうが!何が悲しくて一介の戦争屋に甘んじなけりゃならない。おまえらがもっと高い目標を持っていれば、ボスが剣狼に敗れさえしなければ、俺は裏切らずに済んだんだぞ!


極めて自分勝手な言い訳を心中で呟きながらも、オコーナーの手は作業を的確に進めている。オコーナーもエスケバリも、ネヴィル師団最強の大隊で中隊長を任された男なのだ。戦闘能力だけではなく、専門分野における能力も極めて高い。ライアン・オコーナーもその例に漏れず、通信傍受とデータ分析に関しては超一流である。彼はさほど時間をかける事なく、推定捕虜数を算出し終えた。


「艦船とそれに随行する部隊から算出した概算値は約5000。捕虜の半分以上は軍事官僚や技術屋といった戦闘能力に欠ける連中だろう。もっと小規模な戦いでの例しか知らんが、こういう場合に捕虜になる者の職種傾向からして間違いない。」


軍隊では適合率の低い者が技術職に就く事が多い。適合率の低さは身体能力の低さ、であるからには逃亡成功率もおのずと低くなる。


「誤差はどのぐらいありそうだ?」


「プラマイ500ってところかな。あっても1000までだ。」


「最低でも4000名の捕虜か。……数が数だ、ヒンクリーとオプケクルは一度は照京へ帰投し、捕らえた捕虜を収容するだろう。それから再度出撃してさらなる敗残兵狩りを行うはずだが、一度は包囲網が緩む。脱出するのはその時だな。」


データの分析がいくら正確でも、正しく活用出来なければ意味はない。エスケバリは提示されたデータを元に、理に適った行動方針を決められる頭脳を持っていた。


「それまではここに潜伏か?」


「そうだ。山岳地帯なら大型艦船は入ってこれないし、起伏が多いからソナーにも引っ掛かりにくい。この山でもっと潜伏に適した場所を探そう。」


「わかった。インセクターを準備する。」


コンピューターをインセクター使役モードに切り替えようとした瞬間、新たな情報がディスプレイに表示される。暗号文字を即座に解析したオコーナーの顔が歪んだ。彼らにとっては凶報だったからだ。


「グース、マズい事になったぞ。悪夢の騎士団が撤退に成功した。ダイスカークも無事だ。」


「なんだと!? それは確かなのか!」


「間違いない。アルハンブラが援護したようだ。」


「曲者め!俺達には黙って撤退支援の準備をしてやがったのか!」


それが事前にわかっていれば現在のボス、黒騎士を見捨てずに済んでいたのだ。エスケバリは歯ぎしりしたが、アルハンブラにも言い分がある。先に伝えれば、プライドの高い黒騎士は"俺が負けると思っているのか!"と激昂するに決まっている。彼にしてみれば"余計な悶着を避けただけ"なのだ。


そして、新しいボスのダイスカークもエスケバリとオコーナーには"二つの心臓を持っている事"は隠していた。言うまでもなく、ケリコフを売った二人を信用していなかったからだ。


「どうする? ダイスカークが生きているとなれば、白夜城に帰るのも危険だ。」


短い付き合いであったが、オコーナーは黒騎士の性格を熟知している。あの激情家が先に逃げ出した自分達をタダで済ませるはずがない。


マズい状況なのはすぐに理解出来たが、起死回生の妙案は浮かばない。データの分析は得意だが、オコーナーには主体性が欠けていた。先を見通すビジョンのない彼が大金を得て起業しても、成功は覚束なかっただろう。


「そうだな。とにかく、朧京のアジトに戻ろう。そこから先は…」


「先はない。……もうお仕舞いだ。」


聞き覚えのある声にハッとなる二人。見張りの部下を咎める事は出来ない。声の主が"あの男"ならやむを得ない話だ。男は彼らを一流の兵士に鍛え上げた教官でもあるのだから。


樹上から自分達を見下ろす仮面の男の目には、かつて見た光が宿っている。かつては非道な敵に向けられていた瞳の輝きは今、エスケバリとオコーナーだけではなく、二人に追随した者達にも向けられていた。


「ボ、ボス……生きていたんですか……」


オコーナーは自分の声がひび割れるのがわかった。エスケバリはすぐさま部下達に臨戦態勢を取らせたが、部下達はいつものように即応出来ない。彼の恐ろしさを誰よりも知っているからだ。


「ボス? 元ボスの間違いだろう。久しぶりだな、グース、ライアン。」


仮面を外したケリコフ・クルーガーは樹上から飛び降り、砂鉄の剣を構えた。


「生きていやがったか。敵のお情けで生き残るとは、アンタも落ちたもんだな?」


エスケバリは"部下がケリーを抑えている間に逃げるぞ!"とオコーナーにテレパス通信を飛ばしたが、返信はなかった。悪事に加担した相棒は、蛇に睨まれた蛙のようにすくみ上がっていたのだ。


捨て駒にされようとしている部下達にしても、元上官だけに注意を払う訳にはいかなかった。彼らの布陣する窪地を取り囲むように、仮面の軍団が姿を現したからだ。精鋭兵である彼らは、仮面の刺客達も精鋭である事を読み取った。しかも自分達より数も多い。


精鋭同士の激突となれば、勝敗はリーダーの力量が左右する。刺客のリーダーが同盟兵士から"処刑人"と恐れられた元ボスでは勝ち目は薄い。かつてその教えを受けた彼らに"動揺するな"と言う方が無理であった。


「俺は少し後悔している。戦場を生き抜く技術を教える前に、人としての道理を教えておくべきだったとな。」


淡々と呟くケリコフの言葉が、自分達への弔辞だと悟った元部下達は戦慄した。狙った獲物を逃した事がないという伝説を持つ男、"処刑人エクスキューショナー"からの処刑宣告。その伝説は初めての敗北によって終わりを告げたが、その刃から逃れ得たのは後にも先にも剣狼カナタ、唯一人なのだ。


「抜かせ!いつまでも上官面してんじゃねえ!」


戦闘の口火を切ったのは、エスケバリの操るパイロキネシスの炎。紅蓮の炎は砂鉄の盾を赤く染め上げたが、貫通するには至らない。


「おやおや、磁力剣の威力を上げてくれるのか。ちょっと見ない間に親切になったものだな。」


赤く熱した砂鉄の盾を剣に組み替えながら迫る処刑人。



仮面の刺客軍団と裏切り者軍団の戦いは、こうして始まった。


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