奪還編17話 血塗れた牙を研ぐ男
※カナタ達が神難から出撃した少し後から今回のエピソードは始まります
機構軍は照京一の名門ホテル、ドレイクヒルを接収し、ドレイクムーンホテルと改称した。看板をすげ替えられたホテルは、要人用の官舎として使用されている。
周囲のビルより一際高い最上階の特別客室には三人の男の姿があった。一人は長身で黒髪の男、"黒騎士"ボーグナイン・ダイスカーク。一人はシルクハットを被り、
壁に背を預けて立っている三人目の男は前髪が長く、顔がよく見えない。腰に業物らしき刀を提げているあたりから、剣客かもしれなかった。
「で? お二人さんはどうするつもりだ?」
剣客らしき男に問われた二人は答えない。その沈黙が彼らの置かれた状況の悩ましさを示唆していた。
「時は金なり、貴様ら風に言えば、タイムイズマネーって状況だろう。にらめっこに費やす時間は金にはならない。指示待ち人間に、この状況の判断は出来まい。早いとこリリージェンに連絡を入れたらどうなんだ?」
まるで他人事とばかりに揶揄する男。その口調には敬意や仲間意識は欠片もない。黒騎士は白い目で見る事は出来ないが、白目じみた視線を壁際の男に向けた。
漆黒の眼球を持つ男は、壁際の男に警告する。
「……
帯刀した男は"コウガ"と呼ばれているらしかった。本名かどうかは定かではない。
「おまえ如きが俺の首を刎ねるだと? 面白い冗談だ。……いや、やはり笑えんな。
コウガの侮蔑にピクリと眉を吊り上げた黒騎士は、長剣に手をかけながら立ち上がった。
「……よかろう。どうやら本気で死にたいらしい。」
ボーグナイン・ダイスカークを相手に、"忌み子"は禁句であった。赤子を授かった親にとって、格別な瞬間は二度ある。我が子の両目が開いた時と、始めて立って歩いた時だ。
白目の全くない、闇を溶かし込んだかのような漆黒の瞳。その異形の瞳を覗き込み、凍りついた両親の顔を、ボーグナインはよく覚えている。黒騎士には生まれ持った特殊能力がいくつかあり、"幼児期健忘がない"も、その一つであった。
しかし幼児期の記憶がある事が、ボーグナインとって幸か不幸かはわからない。なぜならそれがボーグナインにとって、唯一記憶にある両親の顔だからだ。世間体を気にした両親は、庭師夫妻に金を掴ませ、ボーグナインを引き取らせた挙げ句に、屋敷から遠ざけてしまった。翌年生まれた普通の瞳の次男を跡取りに据えた夫妻は、長男の誕生をなかった事にしてしまった。そして、15年後に溺愛する次男もろとも変死した。
奇しくも長男と次男の誕生日は一年またぎの同じ日であった。跡取り息子の誕生日を盛大に祝うパーティーの席上で、母親はボーグナインの事を口にしてしまった。"あの
少年期に殺人に手を染めたボーグナインが最初に殺した相手は、実の親と弟だったのだ。距離のある標的でも殺せる能力を持っていた少年は、死に至らしめた家族の死体など見向きもしなかった。もっとも見ていたところで、記憶にある顔とは似ても似つかなかっただろう。あまりの激痛に、夫妻の形相は別人のようになっていたはずだから。即死しないように手加減し、家族が発狂するまで苦痛を与え続けたボーグナイン。その残虐さは"黒騎士"と呼ばれる前から完成されていた……
長剣と刀、洋の東西は違えど得物に指を添え、一触即発の空気をヒリつかせる騎士と剣客。ロイヤルスィートルームは殺しの達人同士が放つ火花が舞い散る火薬庫と化した。そんな場に居合わせた魔術師こそ、大迷惑である。
「ボーグナイン、落ち着いてください。ここで殺し合いを始められても困ります。」
黒騎士を宥めながら、片眼鏡の奥に光る鋭い目でコウガを牽制する魔術師。その目は"これ以上余計な事を言うな!"と言いたげであった。
「この野良犬に、自分が負け犬である事を思い出させるだけだ。躾の悪い犬は猟犬にならん。」
引き下がる様子を見せないボーグナインにアルハンブラは閉口した。異名兵士は我が強いのが相場だが、完全適合者となればひとしおらしい。ここは突き放すのが上策とみた魔術師は、仲裁を放棄した。
「では勝手に殺し合ってください。私と
魔術師はマントを翻しながら席を立ち、ドアに向かって歩き出した。
「待て、アルハンブラ!勝手な真似は許さん!」
制止するボーグナインに、背中を向けたままアルハンブラは答えた。
「場も弁えず殺し合いをやらかす男に、"勝手な真似は許さん!"などと言われましても。私闘と重要人物の捜索、どっちが大切なんです?」
「……わかった。おまえの言う通りだ。今は犬を躾ている暇はない。」
気に入らない相手は迷わず殺す主義のボーグナインだったが、さすがに状況によっては自重するらしかった。
「黙って聞いていれば、犬、犬と連呼しおって。負け犬はどちらか…」
「コウガ!まだつまらない面子に拘るなら、2対1です。私達に勝てたとしても、セツナ様が貴方を許しますかね? つまらない諍いが原因で、兵団幹部の私達を殺した貴方を、ね?」
強さでは二人に及ばないアルハンブラだったが、世知には長ける。相手によっては猫撫で声で説得もするし、必要とあれば他人の威を借りた恫喝も辞さない。
「フン!……命拾いしたな、黒騎士。」
「貴様がな。コウガ、いずれこの決着はつけてやる。」
得物から手を離した二人は互いに一歩ずつ下がり、片眼鏡を直すフリをしながらこめかみに手をあてたアルハンブラは、心中でボヤきながら席に戻った。"仮にも同僚だったのだから、折り合いぐらいつけておけばよいでしょうに……"という慨嘆は至極真っ当である。
真夜中の騎士団にいたコウガだが、リーダーのボーグナインと上下関係にあった訳ではない。咬む牙と書くコウガの仕事はその名の通り暗殺で、誰の手も借りる事なく任務を遂行してきたからだ。照京にいるのも、朧月セツナから革命政府要人の暗殺を命令されたからである。コウガは味方殺しも厭わない殺し屋なのだ。敵も味方も、強者も弱者も年齢も性別も関係ない。必要とあれば、いや、必要がなかろうとも、たとえ相手が無力な女子供でも殺せる。事実、コウガは以前に暗殺した
独断専行を咎めたセツナに、"後顧の憂いは断っておくべきだろう"などともっともらしい理由を述べたコウガだったが、その本心が暗殺した相手の尊厳をとことん愚弄する事にあった事を、朧月セツナは見抜いていた。喉を潰され、その後に嬲り殺しにされた※モーズリー兵站部長は絶命する前に、暗殺者に向かって中指を立てていたからだ。コウガはその挑発行為への報復として、妻子まで死に至らしめたのである。
実のところ死の恐怖と家族への未練で頭がいっぱいだったモーズリーに、中指を立てて暗殺者を挑発する余裕などなかった。甘いマスクと演算能力が取り柄だったモーズリーは、名家の令嬢を口説き落とす前は一介の兵士に過ぎず、自慢のルックスも戦闘の役には立たない。落第兵士の彼はたった一度経験した実戦で、左手の中指と薬指、小指まで失い、義指を使用していた。そして人生最後の夜、卓上の非常用ベルを押そうとした左手は暗殺者の怪力で抑えつけられ、中指の関節が故障。激痛に喘ぎ、握りしめた両拳で、左手の中指だけが曲がらなかった。運悪く暗殺リストに載ってしまったモーズリーは、最後の最後までツイてなかったのだ。
残虐性とプライドの高さ、双方において、黒騎士とコウガは似通っていた。お互いの存在が気に食わないのは、同族嫌悪なのかも知れない。
「アルハンブラ、おまえは脱出前に九曜公丈の捜索をすべきだと思っているのだな?」
落ち着きを取り戻したボーグナインに、アルハンブラは頷いた。脱出すべきか、ターゲットの捜索をすべきかで彼らは迷っていたのだ。
「ええ。せっかく居所が掴めたのです。寸差で雲隠れされましたが、彼は諜報員でも軍人でもない、ただの研究員。そう遠くには行っていないし、潜伏する場所も限られているでしょう。見つけ出すのに時間はかからないはずです。」
「奴が御門儀龍と懇意にしていた資産家の会社で、清掃作業員として働いている事を掴んだのは俺だがな。暗殺任務の片手間でやれる仕事に二人がかりで手こずっていたとは笑えるよ。感謝の一つもしたらどうなんだ?」
恩着せがましいコウガに向かって、アルハンブラは指先で金貨を弾いてみせた。お使いから帰った子供に渡すお駄賃じみた金貨をコウガは手で払いのけようとしたが、金貨は蝶に姿を変え、天井のシャンデリアの周りをヒラヒラと飛ぶ。
「メルゲンドルファーが戒厳令を発したから、この街からは誰も出られん。研究員と清掃作業員としての経歴しか持たない九曜公丈に、非合法の脱出手段はないだろう。……袋の鼠は捕らえておくべきか。アルハンブラ、俺がナイトメアナイツとテラーサーカスを連れて、奴の捜索にあたる。その間におまえは、脱出路を確保しておけ。ここはそう簡単には陥落しないだろうが、援軍が間に合うとも限らん。」
役割が逆の方が良いのではないかと思ったアルハンブラだったが、もう口論はたくさんだった。魔術師は兵団の本拠、白夜城に帰投したらすぐに、"任地で黒騎士とコウガを同席させてはいけません。あの二人は水と油より始末に悪い、猛毒と劇毒です"と、城の主に報告するつもりでいる。最後の兵団には曲者、食わせ者ばかりで仲が悪いが、その中でもこの二人の相性は最低最悪だと判明したのだから……
「メルゲンドルファーからの命令はどうしますか? 我々に"街の防衛に尽力せよ"と言ってきているのでしょう?」
「堅物総督には"攻勢に乗じ、市内で陽動を企むレジスタンスを潰す"と言っておいた。捜索に動いても問題ない。」
「なるほど。上手い言い訳ですね。……しかし、九曜公丈の発見と同盟軍の攻勢が重なるとは、ツイているのかいないのか……」
九曜公丈を発見し、タッチの差で取り逃がした時に、同盟軍の侵攻情報が舞い込んだのだ。機構軍にとって重要拠点の防衛は大事だが、彼らにとってはそうではない。朧月セツナから下された命令の方がよほど重要である。しかし、いくら彼らが兵団の幹部といっても、御堂イスカがアスラの全部隊を率いて侵攻してくるとなれば、囲まれる前に撤退は妥当な選択でもある。そして、安全に撤退するなら今しかない。
任務の遂行か、自分達の安全か、難しい天秤を前にしたボーグナインとアルハンブラは、両天秤にかける道を選んだ。つまり、"脱出の準備を整えながら、ターゲットの捜索も進める"だ。
「結論は出たらしいな。俺は別口で脱出路を探しておく。文句ないだろう、脱出路は複数用意するのがセオリーだ。」
「いいだろう。おまえはそれを怠ったせいで、頭に爆弾を埋め込まれる羽目になったのだからな。」
皮肉げに嗤うボーグナインにコウガは視線を合わせず、部屋を出て行く。その背中に漂う怒りと殺意が、目に見えるようだった。
この二人はいずれ殺し合うのでしょうね、と魔術師は思ったが、どっちが勝つかまではわからなかった。ついでに言えば、どっちが勝とうがどうでもよかった。来たるべき神世紀が訪れた後に、気の済むまで殺し合えばいい。最良の結果は"相打ち"かな、と底意地の悪い事を考えたアルハンブラだったが、先の話を頭から追い払って、目先の懸案である"脱出路構築"に脳細胞をシフトさせた。
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自室に戻ったコウガは部屋で待っていた部下達に、荷造りを済ませるように命じた。"九曜公丈の捜索はしなくてよいのですか?"と問う部下はいなかった。真夜中の騎士団から唯一表舞台に出る事を許されなかった男、コウガは部下に意見をされるのを好まない。闇の殺し屋軍団には"上意下達"があればよく、下は上の命令に絶対服従、そのルールを守った者だけが、彼に付き従う事を許されるのだ。部下の方でも心得たもので、見るからに機嫌の悪いコウガを刺激しないよう努めている。
主を怒らせれば、腰に提げた至宝刀"
「叙勲もされちゃいない自称騎士と、マジシャン気取りのペテン師は、なぜセツナに連絡を入れないんだ?……奴らは俺と違って自分で判断し、解決出来る人間ではない。」
世界一値の張る高級紙巻き煙草"ブラック・トレジャー"を燻らせながら、コウガは考えを巡らす。過去に味わった屈辱が、彼を少しだけ変えた。元来持っていた狡猾さに、慎重さが加わったのだ。
「連絡しないのではなく、
コウガは煙草を床に吐き捨て、唾まで吐いた。朧月セツナにしてみれば"一番信用ならない男"に極秘計画を話す
「……舐めやがって。いずれ、いずれ目に物見せてくれる!最後に笑うのは……この俺だ!!」
機構軍も忌々しい奴ばかりだが、同盟軍にも忌々しい奴はいる。その筆頭がもうすぐこの街にやってくるはずだ。利用しない手はない。
「一仕事してから脱出するぞ。※C4をありったけ出せ。」
同盟軍の破壊工作に見せかけて、黒騎士の陸上戦艦を身動き出来ないようにする。忌々しい奴同士で派手に殺し合えばいい。どっちが勝っても目障りが減る。最高なのは"相打ち"だな。相手は違えど魔術師と同じ結論に至った男は、作戦の立案を開始した。
巧妙な仕掛け、裏切りの罠を完成させた暗殺軍団は、即座に都から撤収を開始した。黒騎士と魔術師に"別口の脱出路を探しておく"とは言ったが、"見つけたら教える"とも、"先に脱出しない"とも言っていない。奪還軍には軍神イスカとその盟友、緋眼のマリカ、それに魔性の技を持った人斬り、大蛇トゼンがいる。……あの三人と殺り合うのは避けるべきだ。アスラのゴロツキどもは、兵団相手にせいぜい潰し合うがいい。最後に残った奴を潰して、俺が世界を統べる王になってやる。
朧月セツナの手によって、闇の世界に幽閉された男は下克上の機会を窺う。血に塗れた牙を研ぎながら……
※モーズリー兵站部長暗殺事件 ※C4
兵站部長暗殺のエピソードは前作の戦役編33話「届かぬ忠告」に収録しています。C4とは軍用のプラスチック爆弾。地球に実在するものと同性能です。
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