奪還編15話 龍姫は西の空を眺める


※今回のお話はカナタの心の姉、御門ミコトのエピソードになっています。


ザインジャルガを拠点とするテムル師団、総督であり同盟少将であるテムル・カン・ジャダランの異名は"蒼き狼"である。若き少将の異名と同じ名を持つ旗艦、"蒼狼ボルテ・チノ"の艦内通路で、御門ミコトは沈みゆく夕陽を眺めていた。正確には夕陽ではなく、機構軍前衛都市マウタウの方角に視線を向けて、物思いに耽っていたのだが……


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「ミコト姫、こんなところにいらっしゃったのか。客室を呼んでも応答がないので探していたのだ。」


精悍な顔をした遊牧民族の末裔は、龍の島唯一の王族に最大限の敬意を払っている。テムル・カン・ジャダランは御門ミコトとその弟よりも年長であったが、彼は年齢よりも人格と能力に重きを置く男であった。


「……少し、夕陽を眺めたくなったものですから。総督の手を煩わせましたね。」


優雅な所作で一礼する龍姫。気品というものは生まれつき身に付くものではないとテムルは思っていたが、ミコトの所作を見ていると、王とは生まれながらにして王なのかもしれないと疑問が湧いた。彼の部族や彼に付き従う部族にも"お嬢様"と呼ばれ、蝶よ花よと育てられた娘はいたが、ミコトほどの気品を感じさせる娘はいなかったからだ。


「黄昏時は俺のような武骨者にも寂寥感を抱かせる。俺は朝焼けの空が好きだ。眩い陽光は希望と勇気をかき立ててくれるからな。」


勇将の誉れ高い男は常に前進し、希望を追い求めている。停滞や絶望は、彼の生き方にはそぐわない。


「ふふっ、まことにテムル総督らしいお話です。それでこそ"中原の狼"ですね。」


「うむ。我が友、"龍の島の狼"はまたご活躍だったな。空港を占拠し、人質を取ったテロリストどもを一蹴してのけたとか。」


「弟は"イズルハ一のつわもの"ですから。不逞の輩など敵ではありません。」


龍の目を持つ姉君に、狼の目を持つ弟か。古都は仁君と勇者、魂の姉弟が帰還するのを待っているのかもしれん。そんな事を思いながら、テムルはふと湧いて出た疑問を口にした。


「龍の島出身の勇者なら、軍神も緋眼もいるのだが……」


「お二方とも極めて優れた軍人ですけれど、カナタさんが最強です。これは姉の贔屓目ではなく、事実なのです。いずれ世界中の人々にも、それがわかる日が来るでしょう。」


日頃は控え目な龍姫が、自信を持って断言した。彼女の弟、龍弟侯カナタを買っているのはテムルも同じであったが、流石に大龍君ミコトほどの確信はまだない。だが、大言壮語と笑い飛ばす気にもなれない。剣狼カナタが兵士ピラミッドの頂点階層の住人である事は、厳然たる事実なのだから。


「そうだと良いな。しかしあのシスコ…ゴホン!カナタは"姉さんを娶りたいなら、オレに勝ってからにしろ"なんてほざいて…ゲフン!…のたまっているのだ。お言葉通りにカナタが世界最強なら、姫は生涯独身だぞ。弟に"もう少し条件を緩和しては如何?"と言った方がいい。」


無頼な物言いをいちいち訂正するテムルの様子が可笑しかったのか、ミコトは着物の袖で口元を隠して笑った。


「うふふっ、私も"カナタさんの嫁御は私の眼鏡に適う娘さん"と言っていますから、おあいこです。ですが……あれほど入念に、しつこく何度もお祓いをしたというのに、まだカナタさんに取り憑く悪運を祓えていなかった様ですね。あれでも足りないとすれば、今度はもっと執念深く、裂帛の気合いを篭めた祈祷を、嫌というほど繰り返す他ありませんわ……」


貴人に似つかわしくない不気味な笑み。龍姫の暗黒面を垣間見たテムルの背筋が寒くなる。薄々疑ってはいたが、ブラコンとシスコンの姉弟だったようだな、と確信に至ったテムルであった。


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照京奪還作戦には自分も参陣するとミコトは決意していた。心配性の御鏡雲水はもちろん断固反対で、影の参謀である風美光明もいい顔はしなかった。ミコトには軍を指揮した経験はなく、個としての強さも名だたる兵士に比べれば、さほどの事はない。であるからには、重鎮二人の懸念は当然と言える。


"ミコト様には武勇において比類なき、龍弟侯が付いております。都の奪還は戦上手のカナタ君に任せ、治安が回復した後に帰還されるのがよろしいかと"雲水はそう主張したが、ミコトは首を振った。


彼女は人生の師と言える八熾羚厳(天掛翔平)から、日本の歴史を聞かされていたのだ。出覇における天下分け目の戦い、設楽ヶ原の合戦は西軍が勝利したが、日本の関ヶ原では東軍が勝利した。羚厳は西軍敗北の要因は"秀頼が参陣しなかった事"が筆頭だと分析していた。


"幼少の秀頼さんが参陣していても、結果は同じだったのでは?"と問うたミコトに対し羚厳は、"将兵として有能無能の問題ではない。もし、御大将の秀頼が参陣していれば、東軍に馳せ参じた豊臣恩顧の大名達は動揺し、家康の「君側の奸、三成を討つ」という大義名分も成り立たなくなっていた。何より、最大の受益者である秀頼が「よきに計らえ」では兵の士気も上がらんよ。東軍は合戦前にしっかり調略を進めておったから、結果は同じだったかもしれん。じゃが、打たれた布石を台無しにする一手は「秀頼公参戦」しかなかった。まだ幼かった秀頼に大局的な判断など不可能。秀頼に万一があらばと心配するあまり、勝機を逸した淀殿と側近衆の手落ちじゃ。家康がそうなるように仕向けていたとはいえ、まんまと引っ掛かった落ち度は大きい"と答えた。


そしてこう付け加えた。"責任ある立場におる者には、リスクを承知で勝負せねばならぬ時がある。不要なリスクを取る者は愚か者と誹られ、取るべきリスクを取れない者は、臆病者となじられるのじゃ。姫、王者とは取るべきリスクを取り、不要なリスクを避けられる者をいう。それさえ出来れば、後の事は周りがやってくれる。信頼出来る側近を置き、相談するのも良い。じゃが、どんな意見を具申されても最後の決断は自分で下さねばならぬ"と。


龍球に滞在している折、ミコトは最も信頼する側近で義弟のカナタに、関ヶ原を引き合いに出して自らの参陣について相談を持ちかけた。若年ながらも百戦錬磨の軍人は、熟考してからこう答えた。


"大義名分、正統性の確立といった観点からも、仮初めではなく真の王として都を統べる為にも、そうされるべきです。ですが姉さんは後衛に控え、オレを名代として戦場に送り出してください。義弟に代理を命じて最前線に出せば、王としての名分は立ちます。姉さんは将兵にこの戦いの大義を宣言された後は、後衛から戦の様子を見ていてくださればよろしい。"御門の龍姫、御参戦"という事実のみが大事なのであって、前線で刃を交える必要などないのですから"


愛する弟の確信に満ちた答えを聞いて、ミコトの抱いていた僅かな迷いは消え、心は定まった。そして、"弟は私が自らの意志で参戦すると言い出すのを待っていたのだ"と悟り、この若き狼を自分の元に送り出してくれた八熾羚厳に、感謝の祈りを捧げた。


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神難へ向かう戦艦の客室、夜もすっかり更けた時刻に、ミコトは就寝前の葛湯を飲む。御相伴に預かる執事の侘助は、なにやら物言いたげな主に声をかけた。


「ミコト様、何か心配事でもお有りなのですかな?」


「……心配……そうですね。行く先々でトラブルに巻き込まれる弟が心配です。」


苦笑しながら侘助は返答する。


「お館様のトラブル体質にも困ったものですな。とはいえ、"禍を転じて福となす"が、お館様の持ち芸でもありますれば。此度も叛乱予備軍の炙り出しを奇貨として、テムル師団を神難方面に呼び寄せる口実となされました。戦国の世に"御門の狼虎"と恐れられた八熾家惣領に相応しい知略かと存じまする。」


「……御門の狼虎……」


御門の狼とは八熾一族、御門の虎とは叢雲一族、御門家が帝を称して以来、照京の武門を司ってきた二つの家を合わせて"御門の狼虎"である。狼の一族は龍の元へと帰参してくれた。虎の一族は……討魔様も……私の元へ……


「如何なされました?」


「……いえ。儚い絵空事を思うておりました。」


討魔様と叢雲一族にとって、私は"仇の娘"だ。龍を家紋に戴く御門家は開闢かいびゃく以来、陰に日向に世話になってきた狼虎を切り捨ててしまった。カナタさんは恩讐を乗り越え、狼の血族と共に私の元へ帰ってきてくれたけれど、同じ事を虎の血族に望むのは手前勝手が過ぎる……


「儚い絵空事などではございませぬ!我らのお館、八熾カナタ様がきっとミコト様を都に凱旋させてみせましょう。無論、我らもお力添え致しまするぞ。」


主の言葉を勘違いした侘助の言葉に力が込もる。


絵空事とは都の奪還ではなかったのだが、信頼する執事役が相手でも、心の内をありのままに口にする事は出来なかった。叢雲一族は今、敵性勢力に身を置いているのだ。交戦の可能性がゼロではない以上、侘助に迷いを抱かせてはいけない。


「……ありがとう、侘助。恨み骨髄であるはずの御門家の為に粉骨砕身、その骨折りには必ずや報いますから。」


「もう左様な事を仰いまするな。お館様が"恨みは水に流し、これからは手を携えて歩もう"と一族を導かれ、我らはお館様の下知に従うと誓い申した。御門と八熾の遺恨は過去の事、これからは共に歩むのです。」


「はい。八熾、御鏡あっての御門。私はそう心に刻んで、共に歩む所存です。御三家の再結集が望めない以上、両家にはの両翼両輪として働いてもらわねばなりません。」


「御門の両翼両輪ではありませぬか?」


「民にとって、公正で寛大であれば、王など誰でも良いのです。ですが、両家の補佐さえあれば、私は良き王になれるでしょう。」


照京に再び君臨する覚悟は出来ている。カナタさんが提唱する王のカタチ、"君臨すれど統治せず"は私が実現してみせる。


「生まれ変わった照京に、叢雲家も帰参してくれぬものですかな。……ミコト様にはお耳に痛い話でしょうが、非は御門家、いや、お父君にございまする。」


側仕えする貝ノ音兄弟には、叢雲討魔とその一族が健在である事を教えておいた。いずれ、八熾宗家の秘密も打ち明ける日が来る。八熾羚厳は非業の死を遂げたのではなく、天掛翔平として納得のゆく人生を送った事に、一族の心は慰められるはず……


「侘助の言う通り、非は祖父と父にあります。私は都の民に、祖父と父の悪行を詫びるところから始めなければなりません。その上で、叢雲一族が都に帰参してくれるのならばこれ以上の喜びはありませんが、それは難しいでしょう……」


祖父は八熾宗家は滅ぼそうとしたが、一族は追放に留めた。それでも八熾一族の恨みは骨髄に至っていたのに、父ときたら叢雲一族を宗家ごと根絶やしにしようとしたのだ。叢雲家の郎党は、龍の家紋を見ただけで、唾を吐きたい気持ちだろう。"龍虎相撃つ"という最悪の事態だけ避けられれば、よしとせねばならない。



……愛する人は取り戻せないけれど、私には愛する家族がいる。魂の弟、カナタさんと共に、都に輝きを取り戻してみせる。羚厳様、どうか私達姉弟を見守っていてください。



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