暗躍編8話 素直じゃないのもほどほどに



執務室へ向かうアシェスの足取りは軽い。少佐と顔を合わせれば、憎まれ口ばっかり叩いているアシェスだけど、本当は会えて嬉しいのだ。ここまで素直じゃない姉を持つと、妹のボクは苦労するよ……


「トーマ、ローゼ様が相談があるそうだ。入るぞ。」


返事が返ってくる前に、アシェスは執務室のドアを開けてしまった。そしてやっぱり、少佐の姿は執務机の傍にはなかった。部屋の真ん中に置いてあるリクライニングチェアに寝そべった少佐は、見るからにだれーんとしている。猛虎の午睡ひるねかな?……まだお昼前だけど。


「……おー。姫にアシェスか……」


これ以上着崩しようがないほど着崩した軍服の胸に手を突っ込んで、大あくびをしながらボリボリと厚い胸板を掻く仕草のだらしない事。これが平常運転なんだから、頭が痛くなる。


「トーマ!仮にもローゼ様の指南役でありながら、そのだらけたザマはなんだ!」


「怒鳴るな怒鳴るな。もう目は覚めてる。」


少佐が半身を起こすと、控え室のドアからシャシャッとミザルさんが姿を現し、冷えたビールとスライスサラミを置いたトレイをリクライニングチェアの脇にセットした。この特注のリクライニングチェアは、"人間をダメにする椅子"みたいだ。


「か~!起き抜けに飲むビシャモンビールは最高だな!」


オデコに青筋を立てたアシェスが動く前に軽く爪先を踏んで踏み留めさせる。いい加減慣れてよ。少佐はいつもこうでしょ?


「おひいさんは紅茶でいいかい?」


背後で煙草を咥えた少佐に、後ろ手かつノールックで火を点けてあげるミザルさん。ボク達に会釈しながらの離れ業には、感心するしかない。カチンと小気味のいい音を立てながらオイルライターをポケットに仕舞う仕草まで、見事にサマになっている。


「はい。今日は…」


「ストレートティーだろ? いつもはミルクティーのお姫さんがストレートティーって事は、さっきミルクティーを飲んできたって事だな。」


子分を極めし男、ミザルさんは"子分を極めすぎて、もはや自分"とまで言い切る少佐の食べたい物や飲みたい物は、完璧に予知する能力を持っている。どうやらその能力は、ボクにまで適用され始めたようだ。


「ご名答。ですが…」


「お茶請けのクッキーは食い損ねた。ご心配なく、焼きたてのがあるんだな、これが。」


気が利き過ぎて、怖くなってきた。こんな気遣いの達人と暮らしていたら、ボクもダメになっちゃいそう……


──────────────────


ボクは、父がベルギウス公を当て馬にして、宮廷の引き締めを図るつもりなのではないかという推論を少佐に話してみた。


ソファーに並んで腰掛けるボクとアシェスの顔を交互に見やった少佐は、厚切りのサラミを手掴みしたせいで油ぎった手を上げた。そうしたら一陣の風と共に、ウェットティッシュが隣室から飛来してくる。ミザルさんの颶風能力って、少佐の身の回りのお世話にばっかり使われてるような気がするんだけど……


「姫はこう仰ってる訳だが、アシェスの意見はどうなんだ?」


ウェットティッシュで手を拭いながら、少佐はボクの守護神に問いかけた。


「私に意見などあるか。ローゼ様の意見が全てだ。」


「それじゃあダメなんだよ。少しは自分で考えないと、またセツナに躍らされるぞ。照京動乱の一件で懲りなかったのか?」


「そ、それは……」


痛いところを突かれたアシェスは、口ごもってしまった。


「アシェスとクエスターにも、戦略の重要性を教えてあげてください。少佐、ボクの"ベルギウス公当て馬説"をどう思われましたか?」


「大方そんなところだろうよ。哀れベルギウス公は、"当て馬兼、牽制役"に使われる、か。道化師は道化芝居にしか使えんのだし、やむを得ん話ではあるな。」


牽制役? 


「ベルギウス公は、誰を牽制する役割を負わされるというのですか?」


「黄金の剣と真銀の盾に守られた姫君。負わされるのではなく、勝手に背負うだろうから、皇帝は放置するだけだ。」


ボクを牽制する役目!?


「次期皇帝の座を巡って争う皇子と皇女、だが現在のところ、皇女が皇子を圧倒している。後継者レースを見物している観客ゴッドハルトとしては、いささか興が削がれる展開だ。レースを盛り上げる為には、一工夫しないとな。」


「淡々と恐ろしい事を言うな!父親が娘と息子の争いに油を注いでどうするのだ!」


アシェス、少し静かにしてて。考えがまとまらないよ。


……少し足掻いてからだろうけど、ベルギウス公は父の権勢をひっくり返す事は不可能だと気付くだろう。気付いたらどうする? 次の代に望みをかけるんじゃない? そうか。ベルギウス公は私か兄上の後見人になって、権力を握ろうと考えるだろう。私と兄上、どっちが操りやすいか……当然、兄上だ。兄上の参謀役といえるのはアシュレイ副団長だけで、そのアシュレイの忠告さえ兄上はマトモに聞く耳を持たない。頑固一徹の"火山のボルケニック"バーンズ、神算鬼謀の"死神"トーマを擁する私より、遙かに傀儡に仕立てやすい。


「軽い神輿の方が担ぎやすい。確かにありそうな話ですね。」


頭の軽い神輿、と言うべきかもしれないけど……


「最大の理由はアデルが"皇子だから"だがな。」


「?」


「ベルギウス公には娘がいる。アデルに嫁がせれば、ベルギウス公は皇帝の義父って訳だ。古今東西、皇后の実家が政治を壟断するなんてのは、よくある話でね。」


レーネを兄上に……年は10以上離れてるけど、王族の結婚に年の差なんて珍しくない。


「父は皇帝を退いても、院政を敷こうとするでしょう。ベルギウス公の野望は成就しそうにありませんね。」


「だろうな。そこんとこが姫に不利な点だ。皇帝は姫の背中に生えた羽に気付いている。黙って言いなりになるタマじゃない皇女と、自分の言うがままに盲従する皇子。国の繁栄を度外視すれば、盲従皇子の方が都合がよかろうよ。」


「朧月少将も、いざ後継となれば、兄上に付くでしょうね。おバカさんが皇帝になった方が、やりやすいでしょうから。」


「かもしれん。姫、自分に万一の事があった場合に備えて、王族では一番マトモなレーネ姫を抱えておくってのはいい判断だ。だがまず、万が一が起きないようにする事が大切だぞ?」


少佐はボクがレーネを手元に置いた真の理由を悟っていた。さすがボクの指南役だ。


「ローゼ様!そのような大事を私やクエスターになぜ黙って…」


「空振りに終わるに越した事はない保険だからです。人の世に絶対はありません。」


「姫、話は変わるが地走蟲兵衛じばしりちゅうべえを知っているか?」


地走忍軍の頭目、"三面六臂の"蟲兵衛。最後の兵団ラストレギオン十三人衆の一人だ。


「もちろん知っています。蟲兵衛さんとは会った事はありませんが、上忍のまひるちゃんとは会いました。」


真夜中の騎士団ミッドナイト・ナイツ上がりの連中とは俺も面識がないんだが、蟲兵衛ってのはなかなか面白い男らしい。ネタ元は、キカと仲良くなったまひる嬢ちゃんなんだが。」


「面白い男、ですか。」


写真で見る限り、面白いどころか怖そうな人なんだけど。……いや、人を外見で判断してはいけない。でも、目が四つもあるんだよね。左右の頬と耳の間あたりに、目が一つずつ付いてる。六臂かどうかはわからないけど、三面なのは間違いない。


「その蟲兵衛がマウタウにやって来るらしい。一度、会ってみてくれないか?」


「わかりました。」


「おいトーマ!あんな怪しげなもののけ男を、ローゼ様に目通りさせる訳にはいかんぞ!」


もう!どうして少佐の心証を下げるような事ばっかり言うの!どうなっても知らないから!


「……同じ台詞をペペインにも言えるのか?」


ほらぁ!温厚な少佐が怒っちゃったじゃない!


「……すまなかった。出身、人種で人間を判断するなど、最低の行為だ。」


そうそう、素直に素直に。アシェスはとにかく素直じゃないのが玉に瑕なんだから。


「ま、アシェスの言わんとする事もわからなくはない。蟲兵衛が化外人アウトサイダーなのかは不明だが、異形の忍者である事は間違いないし、配下の蝦蟇王がまおう守宮刃やもりばが評判の悪い男なのは確かだからな。」


「うむ。だからてっきり首魁の蟲兵衛も怪しげな男に違いないと思ってしまった。」


地走忍軍上忍の蝦蟇王さんと守宮刃さんは、表舞台に出て間もないというのに、もう兵士の間では悪評が喧伝されている。アシェスはそれが気に掛かっていたみたいだ。


「蟲兵衛は先代から後継指名されて頭目になったが、元は蝦蟇王や守宮刃と同じ、上忍の一人だったようだ。」


「忍軍というものは貴族と同じように、世襲で里長や頭目を決めるものだと聞いているが……」


アシェスはそう言い、首を傾げた。


「普通はな。だが先代の実子は蛭神真蛭ひるがみまひる、頭目を張るには幼すぎる。土雷衆を見ているから分かるだろうが、忍軍ってのは実力組織でもある。貴族ならボンクラ若様を周囲が支える体制でもお家を維持出来るが、切った張った、忍んだ隠れたが要求される忍者は、貴族のようにはいかん。リーダーには知恵と経験、忍者としての力量が求められる。」


まひるちゃんは地走忍軍先代頭目の実子だったのか。幼い正統血統の子を守る後見人。蟲兵衛さんはキカちゃんを里長に育てようとしているミザルさんと同じような立場なのかもしれない。土雷衆は一致団結して里長名代のミザルさんを支え、キカちゃんの成長を見守っているけど、地走忍軍はそうではないのかも……


地走忍軍の先代さんは上忍三人の中で、蟲兵衛さんを後継に選んだ。ボクが先代さんの立場だったらどうする? 幼い我が子、まひるちゃんと一族みんなを守るのに適任な後継を選ぼうとするだろう。顔は怖いけど、蟲兵衛さんは兵衛さんなのかもしれない。


でも選ばれなかった二人は面白くないはずだ。元は同じ上忍だった蟲兵衛さんの命令を、素直に聞き入れない可能性はある。誰某だれそれの風下になんか立てるか、そんな風に考える人間をボクはいっぱい見てきたから、そう思うんだ。


「少し考えがあります。蟲兵衛さんとの会見はボクに任せて頂けますか?」


「ハナから任せるつもりだ。お手並みを拝見させてもらおう。」


「それから少佐、今夜、ボクの屋敷で新生ギロチンカッター大隊との夕食会を催します。途中参加で構わないので顔を見せてください。それと出来ればシェフをお借りしたいんですが、よろしいですか?」


「ミザがいなけりゃ俺の晩メシを作る奴がいねえじゃねえか……」


「コヨリさんがいるでしょう?」


「……俺に毒は効かないが、コヨリの料理には殺されるかもしれん。」


……そういえばコヨリさん、珈琲や紅茶をに入れてたよ。"ちゃんと洗ってあるから"なんて言ってたけど、そういう問題じゃないんだよね……


(アシェス、夕食会の後はうまくやってね? 少佐はお酒が大好きだから、簡単でしょ?)


テレパス通信で内緒話っと。


(な、なにをですか!わ、私は別に…)


はいはい、わかった。本当に素直じゃない姉さんだよ。クエスターはギンといい雰囲気なのに、アシェスときたら困ったなぁ。




……でも機微に聡い少佐はアシェスの気持ちに気付いてそうなものだけど。もしかしたら、短命の呪いを背負った少佐は、意図的に恋愛とは距離を置いているのかもしれない……


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