暗躍編5話 小さな鎹(かすがい)



ここは食い倒れの街、神難。お父さんとママに大阪に連れて行ってもらった事があるけど、神難と大阪は街並みがそっくりだ。


「バート、そろそろお昼にしましょうか?」


「そうですね。むっ!あの河豚ふぐの提灯は!あれが有名な「ぐうたら屋」ですね!」


この街には今、お兄ちゃんがいる。だからお父さんはお外に出られない。だからバートとママが私を市内観光に連れ出してくれたのだ。青いスーツの私の守護神、バートは大のふぐ好きだ。偽造市民カードを使ってふぐの調理師免許を取っちゃうぐらいに……


「バート、あのハサミと足をわきわきさせてるのが「ぐうたら屋」のライバル、「かに天国」だよ!」


通りを挟んで睨み合うように、巨大なふぐの提灯と、かにの看板が対峙している。食の街、神難の名所とされているグルメストリートの入り口を飾るのにふさわしい構図だね!


「……迷いますね。蟹か河豚か……」


「ホントに迷ってるぅ? 迷わずぐうたら屋に行くのかと思ってたよぉ?」


お兄ちゃんばりの"にゅひひ笑い"を浮かべた私を広い肩に乗っけながらバートは苦笑いした。


「……アイリも性格が悪くなってきましたね。ぐうたら屋に行きたいのは山々なのですが、私以下の腕だったらガッカリじゃないですか……」


バートは捌くのも調理も上手だもんね。平和になったらふぐ料理店を開けばいいかも。


「コイントスで決めましょう。表ならぐうたら屋、裏ならかに天国、それでいいかしら?」


迷うバートにママが提案した。


「そうしましょう。」 「さんせ~い♪」


コイントスの結果、お昼はかに料理に決定した。


─────────────────


座敷席に陣取ってかに料理を楽しんでいる私達の耳に、聞き覚えのある声が飛び込んできた。


「ん~、シオンのほじってくれたカニはひと味違うの♪」


こ、この声は!それにシオンさんって……


「ナツメ、カニフォークの使い方は教えたでしょう?」


やっぱり!衝立ついたてに隔てられた後ろの席にいるお客さんは、シオンさんとナツメさんだ!お兄ちゃんを好きで、お兄ちゃんが好きなお嫁さん候補の二人が、薄い板一枚を挟んで隣にいる!


(アイリ、言うまでもないですが、接触してはいけません。)


お箸の止まった私にバートが警告してくる。お姉さんになるかもしれない二人をしっかり見てみたい気持ちはあるんだけど……


「シオン、生け簀のカニさんを見物してくるから、身をほじっててね!」


ナツメさんはホントに甘えんぼみたいだ。え、でも生け簀ってアイリ達の席の向かいにあるから……


「もう!仕方がないコね。」


生け簀を覗き込むナツメさんの背中を横目で見てみる。引き締まった細身の体、もし振り向いてくれれば、アイドルみたいに可愛いお顔が見られるのに。


わっ!ホントに振り向いちゃった!……私が横目で様子を伺っていたのに、気付いちゃったのかも!


「こんにちわ。どこから来たの?」


め、目が合っちゃった以上は、ご挨拶しないと!


「リグリットから来ました!」


ママは電話が掛かってきたフリをして架空のビジネスの芝居を始めた。ナツメさんと顔を合わさないようにしているみたいだ。バートとママは変装しているけど、それでも用心したいのだろう。


「カニさんがいっぱいいるよ。お姉ちゃんと一緒に見てみない?」


ナツメお姉ちゃんからそう言われた私は、バートを上目遣いで見てみる。


(断るのも不自然です。ですがアイリ、細心の注意を払ってください。)


バートはテレパス通信で私に指示してから、ナツメさんに会釈した。


お許しが出たのでナツメお姉ちゃんと一緒に生け簀のカニさんを見学してみる。手の込んだ造りの生け簀の中には、いろんな種類のカニさんがいっぱいいて、目を楽しませてくれる。


「このおっきなカニさんはなんて名前なんだろ……」


「タラバガニだよ。見た目と名前はカニっぽいけど、実はヤドカリの仲間なんだって。」


へー、そーなんだ!カニにしか見えない姿なのに!


「知らなかったぁ。ヤドカリさんのお仲間なんだぁ。」


「カニの足は10本、でもタラバガニの足は8本で、ヤドカリと同じなんだよ。」


「お姉ちゃんは物知りなんだね!」


蘊蓄うんちくの多い彼氏がいるから、頼みもしないのに教えてくれるだけ。動物園でデートした時なんかね、私がユーカリの木の上で寝てるコアラを眺めてたら、"コアラは一日のうち、18時間から20時間を寝るか休んで暮らしているんだ。主食のユーカリの葉には青酸やタンニンといった毒素が含まれている上に、栄養素に乏しい。消化に時間をかけながらエネルギーの消費を抑える必要があるのさ"だって。そんな事聞いてないし!」


……確かにお兄ちゃんってうんちくが多いよね……しかもかなりどーでもいい雑学の……


「ウザそうな彼氏さんだね……」


「……でも大好きなの。可愛いお嬢ちゃん、大きくなった時に、いい恋が出来るといいね。」


そう言ってナツメお姉ちゃんは、私の頭を撫でてくれた。


─────────────────


「ヒヤヒヤしたせいで料理のお味がよくわからなかったわ。まさかシオンさんとナツメさんに遭遇するなんて……」


ママは気が気でなかったらしい。私にとっては今日の出来事はいい思い出なんだけど……


「アイリの念真強度の高さに気付かれなくて幸いでした。手練れの兵士といえど、相手が非戦闘状態ならなかなか気付かないものみたいですね。」


でも私が少しでも妙な素振りを見せたら、凄腕兵士でもあるお姉ちゃん達は見逃しはしなかっただろう。剣術を習っている私は、手のひらでさえ見せられない。ホントはナツメお姉ちゃんと握手してから別れたかったのに……


「あ、あそこに屋台が出てるよ!お土産にタイ焼きを買って帰ろ♪」


夕方にやって来るお客さんと会う前に、頭に糖分を補給しないといけない。お父さんの弁護人はこの私!マリカさんにはぜんぶ話すべきだと主張したのは私なんだから。


"口先だけの正論なんざ、言わない方がマシだ"、それがお兄ちゃんのポリシーだ。私は世界に変革をもたらす狼の妹だから、偉大な兄に相応しい振る舞いをする。正論を主張したなら、ちゃんと行動で責任を取る。座して眺めているだけの卑怯者にはならないから!


──────────────────


私達は御門グループ特命部の神難支部に滞在している。お父さんは主要都市のほとんどに、秘密の隠れ家を準備しているのだ。そのアジトの応接室に入ってきたマリカさんは、出迎えたお父さんの顔を見て怪訝そうなお顔になった。用心棒のケリーがいるのは想定内だろうけど、家族とおぼしき私とママの姿があるのも訝しがっているはずだ。


「教授はカナタそっくりの容貌のはずだが……どういう事だ?」


「これが私の本当の姿なのだ。はじめまして、火隠マリカさん。よく来てくれたね。まあ掛けてくれたまえ。」


お父さんはマリカさんに席を勧めてから、応接室の片隅に置いてあるコールドスリープポッドの金属蓋をスライドさせた。冷気に包まれたポッドの中にはお兄ちゃんにそっくりの体が眠っている。


「なるほど。じゃあその体が"権藤杉男本来の体"って事か。そうなると新たな疑問が湧いてくるねえ。どうやって元の体の遺伝子情報を手に入れたンだい? ついでになんで妻子にまで引き合わせる気になったのかも聞きたいところだねえ。」


マリカさんと私の両親はソファーに座り、間に応接机を挟んで向かい合う。ケリーはその横合いに立ち、私は用意してある小さな椅子に座った。


「入手方法は後で詳しく説明するが、先に肝心な事を話しておこう。権藤杉男というのは私の親友の名だ。」


お父さんの言葉を聞いたマリカさんの、色の違う左右の瞳がスッと細まる。教授がお兄ちゃんに嘘をついている事が明らかになったのだから、当然の反応だ。


「……現在進行形でカナタを騙してるってのかい。返答次第じゃタダでは済まさないよ?」


この迫力はお兄ちゃんへの愛の裏返しだ。マリカさんは愛する人への裏切りを決して許さない。


「タダで済むとは思っていない。まず私の本名なのだが、天掛光平という。」


「なにっ!? 天掛……だと!」


「私は天掛風美代。このコはアイリーン・オハラ・天掛、私達の娘です。」


私は黙ってお辞儀をした。弁護人の出番はもう少し先のはずだ。


「……カナタの家族って事かい。詳しい事情を聞こう。」


「私と風美代はカナタにとっていい親ではなかった。剣狼カナタがまだ天掛波平だった頃、高校受験に失敗し……」


お父さんは淡々と地球での物語を語り始めた。その姿は記者だったパパが制作した犯罪ドキュメンタリー番組の中で、罪を告白している罪人の姿によく似ていた。


──────────────────


「……以上が私達家族の物語だ。説明した通り、妻に罪はない。孫を溺愛する父母の為に、私が強引に親権を奪ったのだ。マリカさん、どうか怒りをぶつけるのは私だけにしてくれ。風美代はカナタと別れたくなかったのだ……」


「いいえ。私も夫と同罪です。前夫からも娘からも説得されたのに、一度もカナタと会おうとしませんでした。」


「麗しい夫婦愛はさておいてだ……とりあえず1発殴らせろ!!」


冷ややかな目でお父さんとママを見ていたマリカさんは、突如豹変した。


「そう来ると思ったぞ!落ち着け、緋眼!教授を殺す気か!!」


電光石火で繰り出された拳を、ケリーが掴み止めた。ギリギリと軋む二つの拳から、怒りの度合いが伝わってくる。


「腐っても……いや本当に性根が腐ってるがカナタの親父だ!パンチ1発で死ぬもんかい!」


「殺す気にしか見えんぞ!とにかく落ち着け!」


……今のが世界最速の拳なんだ。そしてその拳を受け止めたケリーもスゴい。……私には拳の残像しか見えなかった。これが兵士の頂点、完全適合者……お兄ちゃんの住んでる世界……


遥かな高みにいるつわもの二人を映した瞳、それが引き金になったのか……私の龍が胎動する。


「龍眼!さっきの話じゃ、このお嬢ちゃんは天継姫の力に近しい存在と聞いたが……」


私もお兄ちゃんの住んでる世界に行きたい。完全適合者にはなれないかもしれないけど……少しでも近づきたい……あっ!それは今考える事じゃないよ!私の出番なんだから!


「お父さん、ママ、ケリー、席を外して。マリカさんと二人きりで話がしたいから。」


「アイリ、これは大人の話だから…」


ママの言葉に私は首を振る。


「大人の話じゃなくて、の話だよ。妹がに話をしても何もおかしくない。」


「……面白いお嬢ちゃんだ。いいだろう。話を聞いてやンよ。」


うん、そう言ってくれると思ってた。マリカさんは度胸のある人間を好む。それが子供であろうとだ。リリスさんとの関係を見てたから、確信があったんだ。


「アイリ、これはお父さんがつけなければならないケジメだ。」


「お父さんがつけるべきなのはお兄ちゃんとのケジメだよ。ここは私に任せて!」


「そういうこった。当のアタイが話を聞こうってんだから、外野はすっこんでな!」


「……教授、おミヨさん、ここは小さな弁護人に任せてみよう。」


有無を言わさないマリカさんの強い言葉に、説得は無駄だと判断したケリーがお父さんとママを促してから部屋を出た。迷ったお父さんとママだったけど、後ろ髪を引かれるような顔をしながらケリーに従ってくれた。これで二人きりだ。


「さあお嬢ちゃん、これで二人きりだよ。どんな話を聞かせてくれるンだい?」


まず深呼吸して。……大丈夫、ちゃんと考えをまとめてこの場に臨んだんから、やれるはず!


子はかすがい、天国にいるパパから教わった日本の諺だ。ニューヨークで暮らしてきた頃に、珍しく夫婦喧嘩したパパが私に仲裁役を頼んできた事があった。その時に、意味を教えてもらったんだ。


子が繋ぐのは夫婦仲だけじゃない。私がお兄ちゃんとお父さん、家族みんなを繋ぐ鎹になってみせる!



鎹の初仕事は、お兄ちゃんのお嫁さんと信頼関係を築く事だ。これはお兄ちゃんとフラットな関係にある私にしか出来ない仕事なんだから!


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