暗躍編4話 体の乗り換え
この世界にやって来た時のように、ポッドの中で私は目覚める。少し離れていただけなのに、自分の体を懐かしく感じるぞ。
「お父さんだぁ!」
開いたガラス扉から半身を起こした私に、娘が抱き付いてきた。
「こりゃ驚いたな。話を聞かされてはいたが、恐ろしい秘術もあったものだ。」
百戦錬磨の完全適合者も、憑依の秘術には驚いたようだ。
「見ての通り、こんな感じで私とカナタは地球からやって来たのだよ。アイリ、体は大丈夫か?」
「ぜんぜんへーき!念真力はそこそこ使ったけど、まだまだよゆーだよ!」
さすがは念真強度500万nを誇る愛娘、頼りになる。
「教授、さっそくですが念真強度と適合率の測定を行います。」
サワタリ所長が検査ポッドの扉をオープンさせたので、ポッドからポッドに移動する。おっと、検査の前に…
「風美代、食事の支度を頼む。」
当たり前だが、この体の胃は空っぽなのだ。
「はいはい。メニューは何がいいのかしら?」
「鉄板焼きナポリタンで。」
アイリとケリー、それにサワタリ所長、もちろんバートに三羽烏、その場にいた全員が黙って手を上げた。昭和な喫茶店メニューは、コウメイチーム全員の好物なのだ。
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8人分の鉄板を用意するのが面倒だったのか、ラボの食堂には鉄板焼き用のテーブルが用意してあった。お好み焼き屋に置いてある、あのテーブルだ。
「これを運び込む方が手間なような気もするが……」
「元からあるんです。普段は普通のテーブルですが、スイッチ一つで鉄板焼きテーブルに早変わりするだけですわ。もちろん、タコ焼き用の鉄板にも対応しています。」
……そういえばサワタリ所長は神難出身だったな。好物の粉モノを本格的に作る為に設えさせていたようだ。
「アイリはねー、たま~にバートや三羽烏と一緒に、お好み焼きパーティーをやってるんだよー♪」
「……娘よ、どうしてお父さんを呼ばないんだ?」
「コウメイはお好み焼きが嫌いだからですよ。ネタ元は内緒ですけどね。」
相棒は黙秘権を行使した。確かに
「しかし教授も変わった男だな。普通、お好み焼きが嫌いな人間はタコ焼きも嫌いなものだろう?」
ケリーは好物のヨーグルトリキュールを飲みながら笑う。ヨーグルトリキュールは食前酒には不向きだと思うが……
いや、ヨーグルトやリキュールは食前酒には向いているかな?
「大きなお世話だ。蝶は好きだが蛾は嫌いな学者だっている。本当だぞ、私の学友はそうだったんだからな!」
その学友は変わった男だったが、念願叶って昆虫学者になっている。思えば彼は面白い男だったのだから、友達付き合いをしてみればよかった。……若い頃の視野狭窄を嘆いても仕方がない。今後はそうならないように、今の仲間を大事にしよう。
「あむあむ!お父さんもお兄ちゃんも、やっぱり狼の血族だったんだね。元の体も狼眼を持ってたんだもん。」
鉄板焼きナポリタンと粉チーズが好きな娘は、チーズをたっぷり振りかけすぎて、口の周りが真っ白だ。アイリを甘やかしたくて仕方がない大人達(ケリー以外の全員)が、口の周りを誰が拭うか、虎視眈々と機会を狙っている……
「ああ。私とカナタは狼なのだ。眼球を移植する必要がなくてなによりだった。」
オマケにクローン体より、念真強度も高かったしな。身体能力は低下したが、念真強度が上がったのなら、なんとか帳尻が合うかもしれない。
三羽烏の機先を制してナプキンを手に取った相棒が、娘の口の周りを拭いながら問いかけてきた。
「コウメイ、地球からはカナタさんの元の体の髪の毛も送られてきています。戻ろうと思えば元の体に戻れる状況な訳ですが……」
物部さん経由で入手したと言えば、理由も立つが……カナタは体の乗り換えを拒否するだろう。
「息子は天掛波平ではなく、天掛カナタとして生きてゆくと決意した。元の体を用意しても戻らないだろう。」
「だろうな。カナタは今の体を"八熾羚厳がこの世界に生きていたなら誕生していたはずの孫の体"だと認識している。……そうか。あの決闘の真っ只中で覚醒した時、"オレはオレの囁きに気付かないでいた"みたいな事を言っていたが、あの時までは"借り物の体"だと認識していたんだな。」
「なるほど。死の間際まで追い詰められたカナタに肉体が囁いた。この体はおまえ自身なんだと。」
超が付くほどのハイペースで適合率を上昇させてきたカナタが、完全適合者に覚醒するまでに二ヶ月の時間を要した。その遅滞は、意識の齟齬が原因だったのだ。
「そんなところだろう。悪魔じみた強さを持つ肉体に、智略の神に溺愛された魂が宿り、一体化した。あの体のベースになった
"氷狼"牙門アギト、世界違いの私の異母兄か……
彼が死んでいて幸いだったな。生きていたなら、カナタが手を汚すところだった。
詳しい事情は聞いていないが、シュリ夫妻とアギトには根深い因縁があるようだ。どんな因縁かは知らないが、非はアギトにあるはずだ。カナタの性格を考えれば、叔父であろうと決して許しはしない。"間尺に合わない事は合わさせる。場合によっては力尽くで"が、カナタのルールなのだ。
「ところで教授、神難で緋眼に会うのはいいが、どこまで話すつもりなんだ?」
ざく切りのマッシュルームにフォークを突き立てたケリー、その言葉に皆の手が止まる。
「思案しているところだ。……どうしたものかな……」
賢い上に機微に敏感な彼女に嘘を付くのは危険だ。だが、私の全てを話せば、激情家の彼女の逆鱗に触れる事は間違いない。殴られるぐらいで済めばいいが、どんな激烈な反応を示すか、正直読めない。
「コウメイ、"会わない"という選択もありなのでは?」
それは出来ないんだ、バート。
「会見を断った時点で二心があると見做す、と警告されている。会わないという選択はない。」
串刺しにしたマッシュルームを頬張りながら、ケリーが頷いた。
「だったら会うのは確定だな。教授、俺の意見が聞きたいか?」
「是非聞きたい。」
「権藤杉男で通した方がいい。緋眼はもうカナタの嫁のつもりでいる。教授が愛しい旦那を見放した実父だと知れば、怒りを爆発させるぞ。」
……だろうな。私が私自身に抱いている怒りよりも、深く熱く怒るに違いない。
「教授、リーダーの意見に私も賛成です。」 「私も。」 「私もです。」
三羽烏もケリーの意見に賛成か。……やはり隠しておくのが安全策だろう。
「……お父さん、マリカさんには全部話すべきだと思う。お兄ちゃんのお嫁さんなんだよ?」
私の退路に立ち塞がったのは娘だった。強く、真っ直ぐな瞳で私を見つめてくる。龍を顕現させずとも、瞳に力を宿す娘なのだ。
「アイリ、私や風美代が責められるのは構わないが、彼女には是が非でも私達の協力者になってもらわねばならんのだ。」
コウメイファミリーの今後を考えれば、緋眼との関係悪化は避けたい。
「だからだよ。ほんの少しでも不信感を抱けば、マリカ姉さんは探りを入れてくるかもしれない。誤魔化し切れるの?」
カナタの嫁は最強の忍者だ。本気で探りを入れられたら、隠し通すのは困難だろう。
「お父さん、逃げないで!もし本当にお兄ちゃんと家族に戻りたいのなら、お兄ちゃんのお嫁さんともキチンとした関係を築かなきゃいけないんだよ? 息子の嫁は、お父さんの娘なんだから!」
アイリの言う通りだな。逃げてはいけない。……しかしよりによって、一番難易度の高い女傑から説得せねばならんとは……
「風美代、私は姐さん女房殿には全ての事情を話そうと思う。それでいいか?」
「ええ。マリカさんには正直に話しましょう。悪い目が出た時は、その場でなんとかするしかないわ。ケリーさん、ボディガードをお願い出来るかしら?」
「了解した。電光石火で殴りにこられたら、止められるのは俺だけだろう。」
なにせ相手は"世界最速の女"だからな。私や風美代とはレベルが違う。
「教授、全てを打ち明けるのなら、本物の体の方が良いでしょう。神難にはその体で行ってください。眠らせてある体は神難のラボに送っておきます。」
この体で緋眼と話した後、体を乗り換えてカナタと謀議、なかなかせわしないな。
「サワタリ所長の助言に従おう。この顔をカナタに見られたら、全てが水泡に帰する。入念に神難入りの計画を練るとしようか。」
神難でのミッションは、緋眼を説得し、照京奪還の手筈を整える事。カナタの偉業をコーディネートするのが私の役目だ。
「三羽烏はここに残って照京再生計画の細部を詰めておいてくれ。」
敬礼した三羽烏は、仕事の前に腹ごしらえを始めた。山盛りのナポリタンをガツガツ貪る三人に負けじとアイリもナポリタンをかき込み、リスのように頬袋を膨らませる。……なんて可愛い娘なんだ。この愛らしい姿を映像で残さねば……
そう思った時には、もう丙丸君がテーブルの上に三脚付きのミニカメラを置いていた。
「風美代、ナポリタンのお代わりが要りそうだぞ?」
「準備はしてあるわ。私達もしっかり食べて、大仕事に備えましょう。」
よし、私も目いっぱい食うぞ!腹が減っては戦は出来ぬだ。
まだ誰にも話してはいないが、照京奪還作戦には私も直接参加する。親父の故郷を取り戻す戦いを、黙って見ているだけなんて出来ない。私は八熾羚厳の息子、戦場で名乗りを上げる事は叶わぬ身でも"八熾の狼"なのだから……
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