暗闘編6話 ちびっ子弁護人、奮闘する



私は椅子からソファーに座り直し、マリカさんと向かい合う。まずは現状認識の確認からだ。


「マリカさんがお父さんとママを許せないのはわかります。」


「たりめえだろ。高校受験に失敗したぐらいで息子を見放すような男に父親を名乗る資格はないし、旦那に厭気が差したからって2歳の子供を置いて家を出た女に母親を名乗る資格はない。」


……そこはマリカさんの言う通りなんだよね。私にとっては最高のお父さんとママなんだけど、お兄ちゃんにとってはそうじゃなかった。あ!天国のパパ、最高のお父さんっていうのはパパとおんなじって意味だからね!パパとお父さんは同率首位だから!


「ところで御門グループ副代表に就任されたヒムノンさんってとってもいい方ですよね?」


マリカさんはすぐには答えなかった。唐突に話題を変えた私の意図を考えているのだ。


「…………おヒムも大変だろうがな。ガーデンのナンバー3と御門グループの副代表を兼任してンだから。ま、若い嫁は旦那と義母大好きの尽くしたがりだから、仕事だけに専念出来る状態だ。おヒムは元来、頭脳労働大好き人間だし、問題あるまい。」


おヒム……リリスさんやナツメお姉ちゃんは"ヒムヒム"って呼んでるし、ヒムノン室長って愛されキャラみたいだ。そんなヒムノン室長をお父さんは"お役所でも民間企業でも活躍出来る、稀有な人材"と評価してる。


お父さん曰く、"役所と民間企業は仕事のやり方が全然違うからな。優秀な役人が民間企業に入っても活躍出来るとは限らないし、逆に優秀な企業人が役所に入って仕事を取り仕切れるかと言えば、そうでもない。天下りといって役人が民間企業に入る事はよくあるのだが、それは仕事の能力を期待されているのではない。ソイツが所属していた関係省庁との人脈確保が主眼なのだよ"だそうだ。


でも、ヒムノン室長は役所でも民間企業でも活躍出来る稀有な人間。重要なのは、"お兄ちゃんと出会った時のヒムノンさんはそうじゃなかった"って事だ。


「ギャバンさんもお兄ちゃんに乞われて、御門グループの執行役員になるそうです。」


見た目はアレなギャバンさんだけど頭脳は優秀で、名門大学を飛び級で卒業している。就任要請を受けた時に"こう見えて僕はMBA経営学修士を持っているからね。任せてくれたまえ"とか言ってそうだけど……


「らしいねえ。お嬢ちゃん、アタイは御門グループの人事案件を話したい訳じゃないンだが?」


「私が言いたいのは、ヒムノンさんやギャバンさんが以前のままだったらどうだったかな、という事です。」


マリカさんの第一印象が最低だったに違いないお二人は生まれ変わり、現在は良好な関係を築いている。ヒムノンさんとギャバンさんは、"人間は変われる"という事実を立証したんだ。反証にもってこいな事例があるのなら、弁護人として最大限に活用するよね!


「…………」


沈黙したマリカさんは、胸ポケットに伸ばそうとした手を引っ込めた。私は卓下のスイッチを入れて空気清浄機能を作動させる。


「遠慮せずにおタバコをどうぞ。私は受動喫煙防止アプリをインストール済みです。」


マリカさんは指先に灯した炎でタバコに火を点け、天井を見上げた。


「副官時代のヒムノンさんは、ヒンクリー師団の足を引っ張るだけの嫌味なお目付役でした。ギャバンさんはもっとヒドくて、リリスさんに唾を吐いちゃったから、お兄ちゃんに半殺しにされてます。でも、今はどうですか? お二人ともお兄ちゃんにとってなくてはならない仲間に…」


私に視線を戻したマリカさんは手を上げて台詞を遮った。


「オーケー、人間は変われる。弁護人の主張を認めよう。だが、カナタの両親が変われるとは限らない。」


「お父さんは照京動乱の時、我が身を省みずお兄ちゃんの為に時間を稼ぎました。そして今も黒子としてお兄ちゃんを支えています。」


「………」


マリカさんは沈黙した。よし、この調子だよ!


「ママはお兄ちゃんを置いて家を出た事をずっと後悔していました。会いに行かなかったのは、今さら会わせる顔がなかったからです。娘の私はそう主張しますが、検事さんはどう思われますか?」


「会わせる顔がないから会いに行かない、ソイツは"逃げ"だな。会わせる顔があろうがなかろうが、いや、ないからこそ会いに行くべきだった。いいかい、お嬢ちゃん。人生で一番スッキリしないのはね、"答えが出ない事"なんだよ。どんな最悪の事実でも、知っていれば答えが出せる。自分の新しい人生と息子を天秤にかけて、前者を選んだ女がいた。その事実を直接会って伝えられれば、"ああそうかい、勝手にしな"って踏ん切りがつくンだよ。天掛風美代が臆病だったせいでカナタは"どうして母さんはオレを捨てて家を出て行ったんだろう?"ってモヤモヤを抱えたまま成長したんだ!それがどれだけ残酷な事か、わかるかい?」


今度は私が沈黙する番だった。おそらくパパも同じ事を考え、ママに"息子さんに会いに行くべきだ"って勧めていたのだろう。


沈黙しちゃダメだ。何か、何か反論を考えなければ……そうだ!


「It is called mistake to make a mistake and not change it、これはパパから教わっ…」


「"過ちて改めざる是を過ちと謂う"、論語を引用するとはなかなか賢いお嬢ちゃんだ。アタイはその言葉をカナタから教わった。出典を聞いたのは秘密がバレてからだけどね。」


「間違っても改めない、それこそが間違いだというのなら今からでも…」


「論語にはアタイ語で反論しよう。"気の抜けたビールは飲めない"、意味がわかるかい? もう遅いって意味なんだが。カナタはもう自分を確立し、英雄になった。アタイや三人娘、一応、ミコト姫も入れとくか。新しい家族もいるし、家族同然の仲間もいる。だからアタイの旦那の心に波風を立てンな、そういう話なんだよ。親のやった仕打ちとは無関係のお嬢ちゃんには酷な話だけどね。」


マリカさんの怒りは深く重い。もう切り札を切るしかない。


「お父さんやママとの関係をどうするかは、お兄ちゃんが決める事です。ママの事をどう思ってるかわからないけど、お父さんとの絆を断ちたくない気持ちがお兄ちゃんにはあるはず!」


「なンでそんな事がわかる!その根拠は?」


「……お兄ちゃんが今でも"天掛"を名乗っているからです。」


そう、私はお兄ちゃんが今でも"天掛カナタ"と名乗っている事に希望を見出しているんだ。


「なンだと?」


「だってそうでしょう。この世界に来たお兄ちゃんは、"新しい人生を始めるにしても、元の苗字を名乗るのが違和感がなくていい"、そんな気持ちで天掛を名乗ったんだと思います。でも、無理なく改名するチャンスが、いえ、当然改名すべき場面があった。八熾一族の皆さんは、お兄ちゃんに"八熾カナタ"と名乗って欲しいはずです。八熾一族惣領にして同盟侯爵、お兄ちゃんの今の立場から言っても、八熾を名乗るのが自然で当然。でもお兄ちゃんは、今でも"天掛"を名乗り続けている。お父さん……天掛光平が憎くて、捨て去りたいのなら、お爺ちゃんの真の名であった"八熾"を名乗ればいいのに、そうはしていない!」


お兄ちゃんはお父さんを憎んでいる。些細な事で見放されたのだから当然だ。でも、お父さんから教えられた事はお兄ちゃんの血肉になっていて、かつて父親に抱いていた尊敬の念や愛情は、心の奥底で眠っている。私はそう信じたい。


「……確かにな。カナタは公式行事での署名や八熾の庄に滞在している時は"八熾"を使っているが、そうでない時は"天掛"で通している。一族を称える時には"八熾の狼"と言い、自らが"剣狼"と呼ばれている事を誇りとする旦那は、狼の血族・八熾の名に強い思い入れがあるはずだ。だったら八熾を名乗ればいいものをと思っていたンだが……」


「それに……お兄ちゃんの掲げる理念はお爺ちゃんの影響が大きいと思いますけど、その理念を実現させる思考、行動はお父さんの手法に酷似しています。」


戦場で見せる奇想天外な戦術は、お父さんにはない才能。でも、権力闘争を戦う策謀はお父さんにそっくりなんだ。


「……"嫌いな親父だったが…"って枕詞をつけてからだが、天掛光平の教え、哲学を何度も口にしていたな。事実は事実として認めなきゃなンないねえ……」


お兄ちゃんのお嫁さんは、情を重んずる情熱家だ。でも激情に流される事なく、冷静に事実を分析出来る人でもある。こんな素敵な女性がお兄ちゃんを好きになってくれてよかった。


「だからお父さんとママを、お兄ちゃんに会わせる事を許してください。」


「わかった。……だが、今はダメだ。旦那は教授が天掛光平だと知れば、"親父の力なんざ借りるか!"と言い出しかねない。そうなったら御門グループは大幅に弱体化し、それはカナタにとっても大きなマイナスになるだろう。戦略戦術においてはこの上なく賢く冷静な旦那なんだが、根っこのところじゃ情を何よりも重んじてる。」


時期尚早、マリカさんもお父さんと同じ判断をしている。お兄ちゃんに愛される女性ヒトと、憎まれる父親オトコの考えが一致、か……


「私もそう思います。」


姐さん女房のマリカさんが時期尚早と判断した事で私の考えも固まった。お兄ちゃんには時間が必要なのだ。


「キッドナップ作戦って任務があってね、入隊したばかりの未熟な新兵だった旦那なのに、理より情を取った。経験を積んだ旦那は、"情を実現させる為に理を駆使する"ようになっていったが、自らの根源に関わる父親との関係だけは鬼門だ。明らかに理性的ではないのに、情を優先させかねない。」


「……うん。」


「アイリ、時が来たらカナタは両親と対面する事になるだろう。だが、カナタは両親との決別を選ぶかもしれない。それは覚悟しておくンだよ?……なんだい、ニヤニヤしちゃって。」


「"お嬢ちゃん"から、"アイリ"に昇格したのが嬉しいんです!」


腰を浮かせて私の脇の下に手を回したマリカさんは、軽々と体を持ち上げて抱っこしてくれた。


「旦那がどんな決断をしようが、たとえそれが間違った決断であろうが、アタイは旦那の側につく。だけど一つだけ約束しよう。アイリーン・オハラ・天掛は妹だと、アタイがカナタに認めさせてやる。おまえは天掛親子のいざこざにゃあ、無関係なんだから。」


「……ありがとう、マリカさん。」


お兄ちゃんが愛してやまないお胸に頭を預けて、至福の時間に浸る。私だけが家族と認めてもらっても意味がない。私が再生させたいのは"天掛一家"なのだから。




でも、マリカさんの理解を得たのは大きな一歩だ。お父さんやママがいずれお兄ちゃんに会う事を認めてもらえた。今はそれで十分なはずだ。


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