暗躍編2話 死せる昇龍、生ける天狼を疾駆させる


ケリーを見送ってから私は自宅のリビングに戻り、指先に灯した炎で煙草に火を点ける。喫煙家に戻ってしまった事を妻にはひとしきり咎められたが、受動喫煙防止アプリが存在し、癌が根絶されている事実が不承不承の承諾を得る弁護人になってくれた。


もちろん、"可能であれば、もう一度禁煙する事!"とは煙草を吸う度に警告されている。


自己弁護する訳ではないが、私にとって煙草は思考力を補助してくれるサプリメントみたいなものだ。時代に逆行した身勝手な言い分ではあるが、ここは日本ではないのだし、大目に見てもらいたい。


色々考えねばならん事もあるし、遠慮なくニコチンの力を借りるとしよう。


──────────────────────


お気にいりの安楽椅子に腰掛け、煙草を燻らせながら考えを巡らす。いつの間にか、リビングにはバートの姿があった。私は高性能な体を、カナタほど上手く使えていないようだ。カナタであれば、会話可能な距離にまで誰かの接近を許したりしない。緋眼という唯一の例外を除けば、だが。


「お帰り、相棒。」


「ただいま、コウメイ。私は気にせず、悪知恵を巡らせてください。」


「そうさせてもらうよ。」


……鼠も窮すれば猫を噛む。ましてや人間が窮すればどうなるか。ハシバミ少将のような人間を傀儡に仕立てるのは無理があると機構軍は思わなかったのか? 


照京を改革するという夢にのぼせて機構軍の甘言に乗ってしまった少将だが、本来は有能な軍人なのだ。暴政スレスレのガリュウ総帥の治世の下、反乱らしい反乱や、大規模な暴動を起こさせずに、水面下で処理してきた手腕を甘くみてはならない。


クーデター成功後はいい夢を見させておいて、機構軍直属の実行部隊を治安維持と都市防衛の名目で派遣、駐屯させる。そして実権を徐々に剥奪しながら、ほとぼりが冷めた頃にガリュウ総帥と一緒に少将ら改革派を始末する。これが機構軍の描いた照京植民地化計画で、それは今のところうまく行っている。……今のところは、な。


龍の島最大の同盟加盟都市・照京でクーデターを起こした少将は、約束を反故にされ、不当な扱いを受けようとも、今さら同盟軍に助けを求められない。いかに巨大都市とはいえ、単独で機構軍に立ち向かう事も不可能。状況が完全に詰んでいるからといって、油断してはいけない。少将は保身に汲々とする小物でも、我欲を剥き出しにする欲深でもなく、照京の未来を憂う国士なのだ。我が身を捨てた国士本人が、牙を剥く可能性を考慮する必要があったはず。


「徐々に実権を剥奪するなんて生ぬるい事を言わず、クーデター後に適当な罪をでっち上げて軟禁しておくべきだった。短い時間とはいえ、臨時総督としてそれなりの権限を持たせた事が、機構軍の失着だな。」


「市民感情を考えれば、即時軟禁は悪手でしょう。」


バートはそう言ったが、私は首を振った。


「妙手は一見、悪手に見えるものだ。中世の日本を統治していたのは江戸幕府で、幕府の頂点に立っていたのは征夷大将軍だった。こちらの世界では代々"帝"を世襲していた御門家にあたる地位だな。」


日本育ちの私としては、"帝"と言われると、どうしても万世一系の最高権威を思い浮かべてしまうが、御門家の果たしてきた役割は将軍に近い。地方の守護代から身を起こした御門家は、戦乱の世を武力で制覇し、王朝を創始してまつりごとを行った。やった事はほとんど徳川家と同じなのだ。


司法、立法、行政の三権を御三家に分担させたあたりは差異があるが、彼らが老中のような立場にあった事は共通している。英明な帝の代では統治の補佐、暗愚な帝の代では御三家が統治を担当と、幕閣じみた歴史を持っている。


「江戸幕府ですか。それがどうしたんですか?」


「江戸の庶民が将軍様の顔を知っていたと思うかね? 親衛隊である旗本でさえ、禄高によっては目通り出来なかったんだ。将軍にお目通りが叶った者は"将軍様ご存知の者"となり、粗略には扱えなくなる。八代将軍・徳川吉宗は紀州藩藩主の息子だったが、兄が沢山いたせいで家臣の家に養子に出されていた。ところが当時の将軍・綱吉が気紛れで吉宗と会見してしまったので、紀州藩はそれなりの体裁を整えなくてはならなくなったぐらいだ。」


部屋住みと呼ばれる冷飯食いに甘んじていた吉宗は、禄高三万石とはいえ大名になれた。彼の政治家人生はそこからスタートしたのだ。


「江戸っ子が江戸城に入れなかったように、照京市民が総督府に出入りは出来ない、ですか。でもそれは、テレビどころか写真もなかった時代の話でしょう? 動静を知る手段は直接会見だけではありません。」


「むしろ媒体が発達していれば、情報操作が容易くなる。江戸幕府で言う側用人、現代風に言えば側近を仕立て上げて、スポークスマンをやらせればいいんだから。頃合いを見て前総帥ごと始末するのだから、そう長い間でもない。市民代表との会見数を制限し、側近に代理を務めさせればボロは出まい。もしくは少将の横暴をアピールする為に、市民代表とは会わないでもいいな。」


「カナタさんは風美代さんからは念真力成長の能力を学びましたが、コウメイからは暗黒面ダークサイドを学んだんですね……」


暗黒面が役立つ時代なんだ。清く正しく死ぬよりも、腹黒くても生き残る方がいいじゃないか。それに私と違ってカナタは正義の体現者だ。黒い手段で、己が正義と信念を執行しているだけさ。


「……ベストな手段は機構軍に協力的な民間の有力者に、さも少将と会見してきたかのように演技をしてもらう事だろう。その協力者には、顰めっ面しい様子で"臨時総督は変節されたのではないか?"なんて言わせてイメージ操作するんだ。メディアは機構軍が握っているのだから、どうにでも出来る。」


「……よくそこまで悪い事を考えつきますね……」


「本当に、悪い旦那様だわ。」


照京への潜入任務から帰ってきたバートに、風美代がねぎらいの珈琲を淹れる。湯気の立つカップを傾けた相棒は、満足げな顔で頷いた。


「……旨い。風美代さんはまた腕を上げましたね。喫茶店でも開いたらどうです?」


「最初の旦那様も、再婚した旦那様も、再々婚した旦那様も珈琲の味に五月蝿いから。上達するのは当然の帰結よ。」


笑う風美代にバートがツッコミを入れる。


「一番目の人物と三番目の人物は、同一人物じゃないですか。」


「そうかしら。財務省の方々が見たら、今の光平さんは別人にしか見えないんじゃない? 影のフィクサーに華麗なる転身を遂げた風美光明を見ても、ね。」


まあ、見た目からして別人だしな。いずれ本来の体に戻るつもりではいるが。


「出世にしか興味がない辣腕官僚と、家族の為なら犯罪も辞さないフィクサー、確かに違い過ぎますね。しかしコウメイ、どうして機構軍は"カグヅチ"のOSをサッサと書き換えないんでしょう?」


両軍で最高の性能を誇る曲射砲"カグヅチ"は、御門グループが開発した。当然、照京防衛の為に大量に配備されている。陸上戦艦に接近されれば、いくら強固な防壁を有していようと、いずれは突破されてしまう。戦艦を撃沈可能な曲射砲は都市防壁の要なのだ。バートの任務は接収したカグヅチを、機構軍がそのまま運用しているかを確かめる事だった。


「不可能だからだ。カグヅチのOSと基幹部品を開発したチームと施設は照京にはない。」


私の前にコーヒーカップを置きながら、妻が質問してきた。


「照京は御門グループの本拠地なのに?」


「本拠地の治安を問題視したリンドウ少将が全ての本社機能をリグリットに移転させていたんだ。まさに慧眼というしかないな。」


昇り龍サナイ氏にとって、ハシバミ少将の蜂起は予想外だったろうが、クーデターには備えていた。陥落前から最前線の都市ではあったし、安全な首都への機能移転は実に合理的と言える。もし、照京がクーデターか敵襲で陥落しても、最新技術の開発チームと基幹施設が無事なら、グループの再起は可能。その深慮遠謀が役に立った。あの英才が戦死してしまった事が、御門グループ最大の損失だろう。もし竜胆左内が生きていれば、カナタはずいぶん楽が出来ていたはずだ。


「でもコウメイ、カグヅチのOSが御門グループ製のままだとして、それに何か意味があるんですか?」


「あるんだよ。昇り龍、第二の置き土産だ。いや、ハシバミ少将との合作というべきだな。解説するとだな、カグヅチのOSには出荷前からある仕掛けが施してある。特定波長の電波を受信したら、隠されたプログラムが発動し、自律行動を開始するのだ。」


「ええ!?」 「なんですって!?」


うんうん、いい顔だ。この顔を謀略を仕組んだ昇り龍にも見せてやりたい。


「カグヅチの開発チームから裏も取れている。もちろん、大変危険な仕掛けだから、合図となる特定波長は開発チームも知らない。それを知っていたのは、仕掛けを考案した昇り龍と、防衛司令のハシバミ少将だけだ。そしてこの紙なんだが、これも御門の特殊技術でね。風美代、この紙を電子レンジでチンしてくれ。暖め80℃で加熱してから、氷水で冷やす。面白い事が起きるはずだよ。」


胸ポケットから差し出した紙を風美代に渡し、珈琲を啜る。……実に旨いな。これなら本当に喫茶店を開けそうだ。引退したら妻と二人で喫茶店でも経営しようか?……ダメだ。私が何も出来んぞ。いや、会計係なら出来るかも……


珈琲を載せていたトレイに紙を載っけた風美代は、2分ほどでリビングに戻ってきた。


「あなた、白紙が写真に変わったわ!」


トレイの上には、息子の写真が載せられていた。


「ハシバミ少将の遺品の中に、愛用の万年筆があった。市販されていない、オーダーメイドの逸品だ。その筆の内側に貼り付けてあった極薄のアルミ板を剥がすと、同じ紙が出てきたのさ。」


「少将の遺体と遺品を調査したんですか。本当に抜け目がないですね。」


バートに過大評価された私は、誤解を解くべく正解を教えた。


「指示をしたのはカナタだよ。カナタは少将の遺体か遺品にメッセージが残されている可能性を考えて、シュリ君に調べてもらっていた。持つべき者は有能な友、彼でなければ、おそらく気付かなかっただろう。凝り性のシュリ君は同じ万年筆を持っていたハシバミ軍医から筆を借り、細部に渡って比較検討したのだ。その結果、巧妙に張られたアルミ板の存在に気付いた。」


カナタもいい友達を持ったものだ。この特殊紙の存在は一部の者しか知らないが、サンブレイズ財団の理事で、特殊工作員であるシュリ君には当然伝えてある。彼はすぐに紙の正体を見抜き、ハシバミ少将からのメッセージを読み取った。昇り龍はハシバミ少将を信頼していたから、カグヅチに施された仕掛けや、御門の要人が機密伝達に使っている特殊紙の存在を教えておいたのだろう。


「ハシバミ少将は生き方は不器用でも、手先は器用だったのね……」


風美代の言う通りだな。彼にもう少し狡さがあれば、こうはならなかっただろう。


「少将は尉官時代は工作兵、趣味はボトルシップ作りだ。相当に手先が器用だったと思われる。」


思えばハシバミ少将はシュリ君と似ている。不器用な生き方しか出来ない、ボトルシップマイスター。息子の盟友から貰った見事なボトルシップは、私の書斎に飾らせてもらっている。


「コウメイ、ハシバミ少将はプログラムを作動させる電波の波長を特殊紙に記していたのですね?」


「ああ。それに入力した自律行動の指針も書き記してくれていた。その指針とは、5つの条件から成る。


①南側の外縁防壁上に設置された砲台を破壊後、当該防壁を陸上戦艦が通過可能な広さになるまで5箇所、砲撃する。

②上記の攻撃に加わらない北部、東部、西部のカグヅチは、駐屯軍詰め所と総督府を砲撃。

③同盟軍を迎撃に市街を出た艦船があれば、②より優先して攻撃。①の条件が満たされない場合は、南部砲台は①を優先する。

④特殊周波を受信後はカグヅチ内の全ての隔壁を封鎖、砲台内部の機構軍兵士は可能ならば屋内防衛設備を使って無力化、不可能であれば撃滅。発令所クルーによるメインシステムの破壊に備え、全てのシステムを非常用のサブシステムに移行。

⑤上記の条件が全て満たされた後は、市内に突入した同盟軍の援護を行う。但し、市街地への砲撃を行ってはならない。


これがハシバミ少将の遺言だよ。見事なものだ。」


梯子を外されつつある事を悟った少将は、誰にも言わずに知りうる限りのデータをカグヅチに入力しておいたのだ。傀儡とはいえ総督だったのだから、派遣されてきた機構軍がどの駐屯所にどのぐらいいるかは知っている。元々は照京の防衛司令だったのだから、優先攻撃目標の選定も巧みだろう。



照京奪還後にはこの事実を公表し、故人の名誉を回復してあげなければ……


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る