暗躍編3話 あらゆる技術は、まず悪用法を考えるべし



「ねえねえお父さん、神難にお出掛けするんでしょ? だったらお出かけ用のお洋服を買いに行こうよ!」


無邪気に袖を引っ張る娘。妻子と街を散策したいのは山々だが、息子そっくりの顔で首都を出歩くのは危険だ。カナタは現在、神難に滞在しているから出くわす事はないが、八熾一族の誰かが首都にいる可能性は有り得る。いや、八熾一族でなくとも、同盟市民ならカナタの顔ぐらい知っているだろう。この世界で最も顔が売れているのはアイドルでもアーティストでもスポーツ選手でもない。国を挙げて英雄と祭り上げる、異名兵士なのだ。


「アイリ、お父さんも家族で街へ出掛けたいが、それは無理だ。ママとバートに連れて行ってもらいなさい。お父さんはお留守番をしているから。」


「お顔が問題なんでしょ? だったら変えればいいじゃない。変装じゃなくて、本当にね。」


「バイオメタルは復元力が高過ぎるから整形は無理、アイリも知っているだろう?」


アイリはプルプルと首を振った。愛らしい仕草に見とれていた訳ではないが、娘が何を意図しているかが、私にはわからない。


「体ごと変えればいいってお話だよ。お父さんの元の体はラボにあるんだもん。しんひょーいの術を使って、乗り移ればいいの!」


……あ!! そうか、その手があったか!


「なるほどな。素体と祭器と術者、ここには全てが揃っている。」


「えへへ♪ 聖鏡は安全の確保と研究の為に、研究所で預かってるんだよね?」


「うむ。サワタリ所長が万が一にも傷つけないように細心の注意を払いながら、色々と調べている。」


いずれは正当な持ち主である雲水代表に返還しなければならないが、今の状況では所在不明にしておいた方が安全だ。ない物を奪いに来る輩はいないのだから。御三家の至宝というだけでも警戒に値する聖鏡だが、盗賊よりもはるかに危険な男が狙っている可能性がある……


朧月セツナは照京を制圧した際、真っ先に龍石の元に向かったらしい。神祖が創りだした至宝は龍石、神剣、至玉、聖鏡の四つ。奴の行動は御門と御三家が有する至宝に、何か特別な力が秘められている可能性を示唆している。少なくとも、心転移の術を行使する際の祭器に使える事は知っていると考えねばなるまい。


雲水代表は邪眼を持たない上に武勇は一般人並、娘のイナホ嬢は鏡眼を持ってはいるが、まだ子供だ。彼らが危険を避けるという意味でも、今はこの秘密施設に安置しておくべきだろう。


「祭器と術者がいればきっと出来るよ!しんひょーいの術は、しんてんいの術の下位術式だから、しんてんいの術を成功させたお父さんなら使えるはずだもん。それにアイリもねー、ミコト様にこの世界に連れてきてもらった時に、なんとな~く感覚は掴めたように思うんだー♪」


アイリはミコト総帥と同じ心龍眼を持ち、念真力は総帥の倍ほどもある。心憑依の術を行使出来る素質は、これ以上ないほど備えているのだ。


「……やってみる価値はあるな。今から少し祝詞のりとの練習をしてみようか。」


「うん♪ でもね、お父さん。祝詞はあくまで補助で、そこまで重要じゃないんだよ。大切なのは極限の集中と強い強い意志。ミコト様の心龍の背中に乗ってる時、スゴい集中と意志が伝わってきたんだー。」


なるほど、魔法ではなく超能力の一種だけに、集中力と意志の力が肝要なのか。祝詞は集中を高める為のルーティーンの役割を担っているのだな。打席に入ったバッターが、決まった仕草でバットを回すのと同じだ。


「アイリが心憑依の術を使ってみてくれ。龍眼を持った術者の方が、成功率は高いはずだ。」


「うん♪ やってみるね!お父さんはやっぱり元のお顔のが似合ってるし!」


私とカナタは天狼と心龍のハイブリッドだが、カナタの狼眼が示すように、狼の血が色濃く出ている。


親父…八熾羚厳とは血縁関係のないアイリはそうではない。その瞳に心龍を宿す少女は、神祖・御門聖龍と同等の力を持っていたがゆえに家族と引き裂かれた悲劇の龍姫、天継姫あのつひめの血を色濃く受け継いでいるのだ。


─────────────────


超能力やオカルトの類は、本来、科学とは対極にあるものだ。しかし、この戦乱の星ではそうではない。物理法則を無視した念真能力を持つ者が実在し、科学者達はその謎を解明しようと研究を続けている。その第一人者が叢雲トワと御堂ミレイ、通称"叡智の双璧"なのだ。


叡智の双璧をこよなく尊敬するサワタリ所長は、秘術の開始前に様々な計器類を設置したいと言い出したが、私は認めなかった。


「教授、心憑依の術を研究すれば、念真力の謎を解明出来るかもしれません!お嬢様の集中を乱さない範囲で計器類を設置させてください!」


研究心の塊である所長は諦め切れないようだ。しかし、ダメなものはダメだ。


「エリクサー細胞のように、人類を癌の脅威から救う発明もある。だが、心憑依の術のメカニズムは解明してはならないのだ。もし、心憑依の術が戦術アプリ化されたらどうなる? 私だったらいくらでも悪用する方法を見つけられる。」


「で、ですが……」


「上位術式の心転移の術はさらに危険だ。サワタリ所長、これに関しては絶対に研究してはならない。いいな?」


「……はい。ですが……心転移の術を使えば風美代さんやアイリちゃんのような、難病を患った人を救う事が出来るんです!人類は癌を克服しましたが、現在の生体工学を持ってしても救えない難病はあります。地球から送られてきた医学書に目を通させて頂きましたが、地球よりもこの央球の方がはるかに難病の数が多いのです。」


サワタリ所長は化学だけではなく、医学においても博士号を持っている。彼女を支える研究スタッフが言うには、"所長にその気があれば、他の分野でも楽々と博士号を取れるだけの学識を有しています"との事だ。そしてうら若き所長には知識だけでなく、応用力と実践力もある。アニマルエンパシーのメカニズムを解析し、戦術アプリ化に成功した才能は、天才と形容する他あるまい。


「バイオハザードの影響で、原因不明の奇病が爆発的に増えたからだな。それはわかっている。」


「だったら!私に秘術を研究させてください!難病を患った人の遺伝子情報から健康なクローン体を創り、魂を転移させる。そうすればあらゆる難病に対する特効薬になるんです!」


「サワタリ所長、そこまでわかっていながら、どうして危険性に気付かないんだ?」


「……え!?」


「無慈悲だが極めて有能な独裁者がいたとしよう。その独裁者は老いる前に若い体を創り出し、魂を転移させるだろう。人類にとって最悪の事態、無限の寿命を持つ独裁者の誕生だな。」


あ!!……カナタが"不死身の"ザハトは、御門家の血を引いている可能性があると言っていたな。ザハトは体を使い捨てに出来るだけが長所で、他の部隊長ほどの強さはない。性格の歪みを考慮すれば、奴を使うのは危険を伴うはずだ。朧月セツナがリスクを承知でザハトを飼っているのは、心憑依の術の実験をしているからではないのか? 


ケリーの話では、ザハトの狂気は死ぬ度に増しているらしい。……祭器の補助なしで憑依を繰り返せば、精神が歪んでいく、あり得る話だ。


龍石はその為に必要だった。偽りの龍は冷酷な男だが、頭は切れる。狂気の度合いを深めてゆくザハトを観察していれば、術を行使するにあたって何か欠損がある事には気付くだろう。


この推測が当たっているなら、朧月セツナの目的は世界を支配する事だけではなく、"永遠の独裁者"となる事だ。心転移の術を使える術者をコールドスリープで眠らせ、儀式の時にだけ甦らせる。20歳の体を創らせて、50歳で乗り換えるとしよう。術者が儀式と念真力の回復に3日を要すると仮定すれば、一年で126回の儀式が可能だ。126回×30年は3780年。術者を10年使うだけで3万7千80年も生きられる。バイオメタル化した人間の老化の遅さを考えれば、60歳で乗り換えでもいい。


……いや、待て。祭器の念真力の回復時間も計算に入れないといけない。カナタを転移させて念真力が空になった勾玉が、その回復に要した時間を思い出せ。……違う。儀式を行わせた術者を直ぐにコールドスリープさせれば、祭器の回復時間など問題ない。また体を乗り換える必要に駆られるまでには、何十年もの猶予があるのだ。


!!……バカか、私は!そんな計算は不要だ!術者自身にも転移を繰り返せさせればいいだけだろう!独裁者と術者の輪廻転生、不死にはなれずとも、不老の実現は可能なのだ。朧月セツナは完全適合者、不意打ちの凶弾に倒れるような男ではない。不死に近い肉体を持つ強者が、不老のシステムを手に入れれば……世界に君臨し続ける支配者になれる……


「……仰る通りです。私は正の面だけを見ていて、負の側面を見ていませんでした。心転移の術の戦術アプリ化に成功しても、使用者には極めて高い適性が求められるでしょう。中世の砂漠の民が数少ないオアシスを巡って争ったように、世界中の人間が我先に永遠の命を求めて争い、死んでゆく……」


うなだれたサワタリ所長の声で我に返った私は、白衣の肩に手を置いた。


「わかってくれればいい。地球には"核"というエネルギーがある事は話しただろう。核開発は地球の人々に原子力という恵みをもたらしたが、同時に核兵器という恐怖ももたらした。今でも地球の人類は、母なる星を死の星に変えられる数の核兵器を抱えて暮らしているんだ。」


人間がミスをする生き物である事を考慮すれば、原子力を単純に恵みと表現していいものなのかは迷うところなのだが。化石燃料を使った発電に頼り切れば地球の温暖化が進み、コストも嵩む。だが化石燃料より温暖化の度合いが低い原子力発電には事故のリスクが伴う。官僚だった頃は頭を悩ませたテーマだった。無限かつクリーン、さらに高出力のエネルギーをもたらしてくれる炎素が存在するこの星に、エネルギー問題は存在しない。それでも人は戦争を止めないという事だけは証明されてしまったが……


「ですが地球には緊張はあっても戦争のない地域が多く、日本はその典型だったのでしょう?」


米国の核の傘に守られた平和ではあったが、平和は平和。そういう見方も出来るのだが……


「現実的には使用不可能な超兵器による力の均衡で平和が保たれている側面はあるが、そんなものは結果論だ。」


違う価値観への理解、制度は違えど民主主義への信頼。国際協調による平和と安定こそが望ましい姿なのだ。少なくとも私はそんな世界を夢見て仕事をしてきた。子や孫の世代の為に、より良い未来を切り開くのが政治の役目だと信じて。今思えば、息子をないがしろにしていた私が抱く理想ではなかったな……


だが、今も私は夢を見ている。現実主義者の息子は、完全無欠の理想郷など志してはいない。人間は弱く、易きに流れる生き物だから。しかし同時に間違いを正し、強く歩んでいける生き物でもある。だから剣狼カナタは、不正や不満はあっても、それを正せる世界を目指して戦っているのだ。私は世界の歪みに立ち向かう小市民的英雄の影として、共に戦う。息子の目指す世界を実現させる一助となる、それが私の夢なのだ。


「私は危うく"第二の静寂しじまテンマ"になるところでした。彼は極悪人ではありませんでしたが、彼の研究は人類にとって害悪でしかなかった。私達科学者は研究にばかり目が向きがちですが、科学者である前に、"人間"でなければなりませんね……」


「その通りだ。技術を開発する時には、まず悪用法を考えるべきなのだよ。善意の研究が、悪夢をもたらす事もあるのだから。」


ノーベル賞を創設したアルフレッド・ノーベルがダイナマイトの発明者だと、どのぐらいの人間が知っているだろう? 彼は巨万の富を築いた実業家だったが、同世代の人間からは"死の商人"とも呼ばれていた。死の商人であったかは人によって判断が分かれるだろうが、戦争に使われる事を承知でダイナマイトを販売したのだから、武器商人であった事は間違いのない事実だ。防衛省にいた同窓生はノーベル平和賞のニュースがテレビで流れるのを見ながら、"死の商人が創設した「平和賞」ねえ……"と皮肉っぽく呟いたが、その気持ちはわからなくもない。


だが、彼には彼の懊悩があったに違いない。ノーベルは弟を工場の事故で亡くしているし、兄が死去した際には勘違いした新聞社から"死の商人、死す"なんて記事まで書かれた。私の推測でしかないが、ノーベルが財産のほとんどをノーベル賞の創設に注ぎ込んだのは、死後の名声の為にではなく、人類に貢献したいという善意であったのだと思う。ダイナマイトは兵器にも使えるが、土木工事にも欠かせない。結局のところ、どんな技術も使い方次第。テクノロジーに善悪はなく、使う人間の善悪に左右されるのだ。彼は築き上げた莫大な財産を、善意に注ぎ込んだ。そしてその善意は、後世の人々にとって良い結果をもたらしている。それも事実なのだ。


「教授、定命であるからこそ人間、私はそう思っています。心憑依の術を研究する事はないと、心から誓えますわ。」


「うむ。それでこそ"正義の科学者"だ。では私の体をコールドスリープから起こしてくれたまえ。」


コールドスリープポッドで静かに眠る懐かしい顔を見上げながら、私は科学者を促した。


「はい。教授が本来の体に戻り、息子さんと対面する日を楽しみにしています。」


息子が剣を置く日が一日でも早く来るように、私とチームがサポートする。



……真実を打ち明ける日、それは剣狼カナタとの決別の時になるのかもしれない。だが、たとえそうなっても私に悔いはない。地球で犯した過ちを取り返すべく、やれるだけの事をやってみた結果なのだからな。


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