南国編20話 愛読するのはチャンドラー



「ボス、T・アンチポイズンは期待通りの効果を発揮しました。過剰な麻薬を毒物と判断した戦術アプリは、体内からの除去を開始、クランケXの症状は劇的に回復しています。試薬を投与した後にフラッシュバックは一度も起きていません。」


龍球に派遣した甲田君から吉報がもたらされる。私は無意識のうちに両拳を握り締めていた。


「よしよし、これで我々のチームに最強の助っ人がやってくるな!甲田君、出来る限り早く、彼をここへ連れて来てくれたまえ。」


「はい。彼はボスと龍弟侯が異邦人であるとの話も信じてくれたようです。カラオケが嫌いな龍弟侯は閉口されたようですが……」


なるほど、ケリコフ君は答え合わせの為に、カナタに地球の歌を歌わせてみたのだな。そしてそんな歌は惑星テラにはないと確認した彼は、地球の存在を確信した。カナタに音楽の才能などないのは一目瞭然だからな。……でもないか。作詞作曲はからきしだろうが、カナタはかなりの美声の持ち主で、歌も結構上手い。美声で滑舌がいい上に弁も立つ、息子はリーダーとしての資質に恵まれている。


「カナタさんはカラオケが苦手ですか。甲田女史とは大違いですね。」


バート、カナタは地球では独りぼっちだった。一人カラオケもアリではあるが、極少数派なんだよ。私も一人カラオケに行った事はあるが、持ち歌の練習の為だった。そして……妻から音楽の英才教育を受けている娘の指摘によって、"下手の横好き"である事が判明してしまった……


自分では歌が上手いと思っていたのだが、単に忖度されていただけだったとはな。王様に裸だと指摘するのは、いつの時代でも子供らしい。


「ボス、私は息子さんに偽名を名乗って己も偽り、ストレスが溜まっていますよ?」


甲田小梅、龍球では甲山梅雪を名乗る腹心に軽く睨まれる。甲田小梅も偽名なのだが、甲田小梅、乙村竹山、丙丸吉松の三者は本名を捨てて、偽名を真の名にしているのだ。甲、乙、丙で、松、竹、梅なのが、三羽烏の絆と結束を示すと言って……


「わかったわかった。戻ったらいくらでもカラオケに付き合うから、勘弁してくれ。」


下手の横好きと判明しても、カラオケが嫌いになった訳ではない。とはいえ、甲田君ほど好きでもない。彼女と来たら、誰かが止めないと、夜通し歌い続けるからな。徹夜で歌い続けようが、喉も嗄れずに平然としているのだから、大したものだ。サワタリ所長が甲田君の為に、機構軍の"人間要塞マンフォートレス"が搭載している音響砲を真似た戦術アプリの開発に着手したのも頷ける。


「お父さん、アイリ達の仲間が増えるんだね!」


クランケXの移送計画を打ち合わせてから通信を切った私の膝の上に、愛娘が乗っかってくる。


「ああ、そうだ。アイリ、コウメイ・チームに"バース"がやってくるぞ。」


「ばーす?」


「ランディ・バース、史上最強の助っ人スラッガーだ。三冠王を二度も取り、1986年に記録した3割8分9厘という打率記録は未だに破られていない。唯一の欠点は鈍足だった事だが、逆に言えば"足で稼いだヒットがない"のに、そんな記録を打ち立てたのだから、いかに彼が凄かったのかわかろうというものだ。」


「へー、スッゴいんだね!ジョー・ディマジオとどっちがスゴいかなぁ? パパは"大ディマジオこそ、最高の野球選手だ"って言ってたんだぁ。」


ヘンリー・オハラ氏はディマジオファンか。同じ娘を愛する父として、野球談義を交わしてみたかったな。


「バースには小話があってな。彼はランディ・バスが本名なんだが、登録名は"バース"にされた。なぜだと思う?」


可愛く小首を傾げるアイリ。懸命に考えているな。アイリも天掛の血脈に連なる子だ。カナタのように、思考力はあるはず。


「う~ん、なんでだろ……お父さん、ヒント、ヒント!」


「ではヒント1、彼の所属した球団の親会社は鉄道会社だった。」


「……鉄道会社? 鉄道会社って路線バスも持ってる事があるよね?」


「イエス。」


「わかった!"〇〇バス、大ブレーキ"とか"〇〇バス、急失速"とかスポーツ紙に書かれるのがイヤだったんでしょ!」


「その通り、アイリは賢いな。」


見事に1ヒントで正解した娘の頭を撫で撫でしてやる。しかしバースの事例は、運命の皮肉を教えてくれるものだな。"打てないかも"と、要らぬ保険をかけたバースは打ちまくり、"バースの再来"とスポーツ紙が囃し立てた助っ人達は……お察しだった。私に言わせれば、白人で左打ちの助っ人を獲得したからって、バースに例えるのは、甚だ不適切だ。日本プロ野球史上に燦然と名を残す伝説の強打者と比較されたら、来日した助っ人だってたまったものではない。


「あなたが阪〇ファンだったなんて、初めて知ったわ。私には隠していたの?」


龍球からの通信を受けたのが自宅のリビングだから、当然、妻もいる。


「隠してなどいないよ。私は"バースファン"なだけだ。贔屓球団の応援をするのが通常の野球ファンだが、私はチームではなく、選手個人を応援するタイプでね。そして私が認定する"最強の助っ人"はランディ・バースだ。もちろん、異論は認める。」


風美代がリビングテーブルに置いた大皿から、焼きたてのパンケーキを切り取ったバートは苦笑いする。


「バース氏はさておき、今は大物の招聘に成功した事を喜びましょう。ですが、個人的にはちょっと複雑ですね。クルーガー氏は、私の"完全な上位互換"なお人ですから。」


ポジションが一つしかない野球と違って、我々には"過剰戦力による飼い殺し"は発生しない。層が厚ければ厚いほど、単純に強くなる。何も問題はない。


「バートだけに限らない。私も含めて、コウメイ・チームの誰もが、大抵の能力では彼以下だ。相手はカナタを敗北寸前にまで追い込んだ完全適合者様なんだからな。」


「プロフィールに目を通したのだけれど、ケリコフさんは、まさに完全無欠の兵士ね。スピード、パワー、テクニック、そしてメンタルまでが最高水準な上に、磁力操作という希少能力を持っていて、なおかつゲリラ戦の天才。非の打ち所がないわ。」


フォークとナイフを構えてウキウキしているアイリの前に、小皿を置きながら風美代は感嘆する。


「お兄ちゃんはそんな人によく勝てたよね~!」


まったくだ。もしもこんな怪物がアンチェロッティファミリーの軍事顧問をやっていたら、バートの復讐は叶わなかったかもしれない。


「大物助っ人には、コウメイ・チームの実働部隊を率いて頂こう。既存のチームをいったん解体し、彼をトップに据えて、アタックチーム・甲、乙、丙と、バックアップチーム・松、竹、梅を編成する。甲、梅のリーダーは甲田君、乙、竹のリーダーは乙村君、丙、松のリーダーは丙丸君だ。バートと風美代はリザーバー兼相談役といったところかな。」


これで理想的な態勢を築ける。三羽烏は優秀だが、その実力は拮抗している。頭一つ抜けた実力者を総指揮官に据えたいと前々から思っていた。バートは優秀だがキャリア的にも性格的にも指揮官タイプではないし、私だと直接戦闘能力に問題がある。寸暇を惜しんで研鑽を積んでいるが、薔薇園に行けば、中隊長になれるかどうかといったレベルだ。だがケリコフ・クルーガーはアスラ四天王級の猛者、彼ならば三羽烏も総指揮官として仰ぐのに異存はあるまい。これで私はプランナーの仕事に専念出来る。


「お父さん、アイリは?」


「……マスコット、かな?」


将来的には主戦力になるかもしれんがな。なにせ娘は運動神経がいい上に、念真強度500万nを誇る。そして末恐ろしい事に"心龍眼を戦闘に利用する事"まで学びつつある。相手の表層意識を読める能力とは、相手の次の手を読める、と同義だ。


「マスコットは人を殺傷しないよ?……アイリは家族ファミリーに仇なす人には容赦しない。」


「ああ。自分とファミリーを守る時には容赦するな。それが"黒幕の娘"だ。」


お姫様として育てられた総帥と違って、マフィアの世界で育ったアイリは、必要とあれば躊躇なく殺す冷徹さを持っている。父親としては複雑な心境だが、黒幕の娘として生きねばならない以上、その方がいい。ここは地球では、いや、平和な日本ではない。どこに行こうと紛争地帯、殺らねば殺られる戦乱の星なのだ。



アイリにチャンドラーの小説はまだ早いが、マーロウ哲学の1点だけは教えておく必要があるな。"撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけ"、この美学を持たない殺人者は、荒野に蠢く無法者ヒャッハーと同じだ。


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