南国編17話 旗艦の中の謀議
疾風迅雷がモットーのマリアン、だが彼女の夫の行動も迅速だった。手紙を受け取った翌日の朝、
マリアンから"処刑人"のメッセージを聞かされた死神は、二本の煙草と一杯の珈琲を消費する。夫妻は死神が口を開くのを固唾を飲んで見守っていた。
「……ケリーはグースとライアンに売られたか。第2、第4中隊の隊員がそれを承知していたかは不分明だが、現状ではクロと見做すべきだろうな。」
「少佐、ボスは"状況は少佐が解説してくれるはずだ"と書き記していました。ご説明をお願いします。」
せっかちなマリアンは、一刻も早く状況を知りたがる。
「剣狼と死闘を演じたケリーは重傷を負って、医療ポッドでおねんねしていた。それを好機と見たグスタフ・エスケバリとライアン・オコーナーが共謀して、昏睡状態のケリーを兵団のザハトに売ったんだろう。発作的な裏切りではなく、前々からセツナの調略の手が伸びていた、と考えるべきだな。」
「あのクソ野郎どもが!!……よくもボスを……八つ裂きにして肥溜めにブチ込み、上から重油を巻いて火を点けてやる!」
マリアンは力一杯執務机を叩いたが、机はヘコみもしなかった。この机は人外の怪力を誇る死神専用に作られた特注品なのだ。
「……デカい音がしたねえ。珈琲のお代わりかい?」
艦長室の隣にある待機室から、土雷衆里長名代のミザルが姿を見せた。
「す、すまない。すぐに頭に血が昇るのが私の欠点でな。」
「そいつは俺もだ。気が合うねえ。」
ギロチンカッター大隊ではマリアン、亡霊戦団ではミザルが、短気の代表格である。ただし、短気を直そうとしているマリアンと、改めるつもりが全くないミザルという違いはあった。
「ミザ、珈琲のお代わりを淹れたらおまえも話を聞け。少し土雷衆にも働いてもらう事になりそうだ。」
「イエッサー。」
珈琲を淹れ直したミザルが席に着いてから、死神は話を切り出した。
「エスケバリとオコーナーが裏切り、瀕死のケリーを兵団に売った。そして、ザハトがケリーを
短気ではあるが、気遣いの出来るミザルが、そっと胡桃をマリアンに差し出す。マリアンは差し出された胡桃を手にし、殻どころか実まで粉々にへし砕いた。お茶請けに胡桃を食べようと思っていたチプリアーノは、当てが外れて苦笑いする。
「屍人兵は時間が経てば劣化する。破壊衝動と鍛えた技が同居出来る時間はそう長くない。ザハトは剣狼配下の殺戮天使にご執心らしいから、さっそく切り札を切る事を考え、セツナはダメ元でゴーサインを出した。失敗しても邪魔なケリーは死ぬし、屍人兵は顔を仮面で隠しているから、うまくいけばケリーだと悟られずに葬られるかもしれない。仮にケリーの屍人兵化が露見しても、"ダムダラスで処刑人を殺した剣狼が、死体を強奪して機構軍を貶める策略に使った"と発表すればいい。もちろん、エスケバリとオコーナーは嘘泣きしながら"元上官の遺体は剣狼に奪われた"と証言するだろうな。」
「私がそんな証言を認めるとでも…」
「水掛け論になるだけだ。そしてマリアンの証言を機構軍広報部は絶対に報じない。おまえさんが我を張り続ければ、ギロチンカッター残党の身柄を引き受けたローゼ姫の立場が悪くなるだけさ。」
「真実の証言でも、同盟を利する以上は揉み消す、かよ。少佐、兵団の大将はそこまで計算してんのかい?」
髑髏マークの煙草をポケットから取り出した死神が箱を開ける前に、ミザルは持っていた新しい箱の封を剥がし、口に咥えさせて火を点けてやる。気遣いの達人は灰皿に捨ててある本数から、もう空箱だと知っていたのだ。死神は空箱をゴミ箱に投げ捨てたが見事に外れて床に落ち、上官の不器用さを知っているミザルは人差し指と中指を立てた。風の忍術が空箱を舞い上がらせ、ゴミ箱の中へと誘導する。
「ああ。セツナはそこまで見越している。」
「ぐぬぬ!なんて悪辣な……」
胡桃を袋ごと受け取ったマリアンは、夫の要望に応えて胡桃を割り続ける。
「だが、悪い事は出来ねえもんだ。ケリーは剣狼に助けられて生きていた。それどころか、正気まで取り戻したんだ。現在は御門グループの保護下にあるのだろう。」
「それで案山子軍団と御門グループには手を出すな、ですか。合点がいきました。そういう事情なら、彼らに手を出す訳にはいきません。」
胡桃を割り終えたマリアンが答え、胡桃を食べ飽きたチプリアーノが論評する。
「策士、策に溺れるの典型ですかね。……余った胡桃は持って帰ろうか。今夜は"胡桃入りマカロニサラダ"にしよう。」
「旨そうだな、それ。バスクアル中尉、レシピを教えてくれよ。キカも胡桃が好きなんだよな。」
「いいとも。帰る前にレシピを書いたメモを置いていくから。」
「マカロニサラダの話はいいから!少佐、話を続けて下さい。我々はどう動くべきですか?」
呑気な夫と妹大好きの里長名代を窘めたマリアンは、死神に先を促す。
「"どう動くべきか?"の答えは"今は動かない"だ。まずケリーが薬を抜かないといけない。ザハト、エスケバリ、オコーナーへの復讐に動くのは体調が戻ってからになる。即座に動くか、機会を窺うかだが、ケリーの性格を考えれば、後者だろう。俺の読みでは復讐劇の開演は、かなり先になるはずだ。」
「どうしてですか!裏切りは明白なのに!」
憤るマリアンだったが、死神はいつものように落ち着き払っていた。死神トーマは、良くも悪くも熱狂の伝わらない男なのだ。情熱に欠けるがゆえに、常に冷静で物事を俯瞰視出来る。人間の長所と短所は両立ではなく、混在するものらしい。
「エスケバリとオコーナーの裏切りは確定だが、部下全員がそうとは限らん。ケリーの事だから、兵団入りした後に事情を知らされ、事後承諾みたいなカタチになった連中まで殺そうとは考えまいよ。その洗い出しに時間を要するのと、剣狼の人たらしっぷりが復讐を遅らせると思うね。」
「人たらし、ですか。ケリコフさんが剣狼カナタを気に入って、御門グループへの協力を優先する、という事ですかね?」
チプリアーノは死神に近いメンタリティであるらしい。自分なりに状況を分析してみせた。
「そういう事だ。天掛カナタって男はなんていうのかな、……そうだな、無理矢理言葉にすれば"ほっとけないオーラ"を醸し出してんだよ。本人にそんな自覚はないみたいだがね。」
「お
ミザルはローゼ姫が薔薇十字の総帥に就任した際、呼称を"
先代里長の養子で、土雷衆の誇る上忍衆"三猿"の長兄ミザル。風遁忍術を巧みに操り、他人に幻覚を見せる事の出来る邪眼"狐眼"を持った強力な忍者である彼が里長に就任すると言っても、反対する者はいなかったであろう。事実、一度は皆の総意で里長就任の要請は受けたのだ。しかしミザルが引き受けたのは里長ではなく名代だった。"あくまで俺は名代で、
「姫のご同類だな。似た者同士で惹かれ合ってる。ミザ、赤衛門とキカを連れて龍球へ飛んでくれ。ケリーがいるとすれば、龍球御門病院の特別病棟のはずだ。」
短気であろうが暴れん坊であろうが、筋目を通し、可愛い義妹を立てようとする兄を、死神は腹心として重用している。この件の裏取りは彼と猿達に任せるしかない。
「わかった。ケリーさんの所在と無事を確認するだけで手出しは無用、だろ?」
「ああ。無事が確認出来たらすぐ戻れ。」
エスケバリ、オコーナー中隊隊員の白黒判定はケリーが自分でやるつもりだろうが、手伝ってやる必要はあるな。それも土雷衆にやってもらうしかなさそうだが。そんな考えを死神は巡らせる。
「少佐、"似た者同士で惹かれ合ってる"とはどういう意味でしょうか?」
首を傾げたマリアンに死神は答えた。
「少し込み入った話になるが、バスクアル夫妻には事情を話しておこう。旦那の方は最初から片足を突っ込んでいる事だしな。ただし、聞けば後戻りは出来んぞ?」
"片足を突っ込んでいる"とは、チプリアーノ・バスクアルが、スペック社の社員だった頃の死神を知っているという意味である。マリアンの夫は、かつては兵器技術者だった死神の同僚でもあるのだ。
「はい。覚悟を決めてお話を伺います。」 「やれやれ。妻とは一蓮托生ですからね。」
死神は魔女の森での出来事を夫妻に話し始めた。
主戦派に与しない第三極の形成を狙う、ローゼ姫と剣狼カナタの思惑は一致している。死神は薔薇十字の参謀役として、有力な味方を増やしてゆく必要があった。いずれ身を引く、その時の為に……
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