南国編16話 "死告鳥"マリアンヘラ・バスクアル



「死告鳥」の異名を持つマリアンヘラ・バスクアルにとって、失踪したケリコフ・クルーガーは上官というより、師であり兄であった。そんなケリコフから後事を託された以上は、自分が部隊を守り、剣狼に雪辱戦を挑める陣容を整えるのが責務だと彼女は考える。


「ただいま、あなた。あら、今夜の夜食はパスタなの?」


「ウィ、マダム。今日のソースは新作だけど、"自信あり"だ。」


再編した部隊の夜間教練を終えて、遅い帰宅を果たしたマリアンに、夫のチプリアーノ・バスクアル上級技官はそう答えた。マリノマリア系移民であるマリアンの夫は、パスタ料理が得意である。卓上には茹で上がったパスタの大皿が置いてあり、ソース鍋を持った夫はトマトソースをふりかけてゆく。


愛妻家の技官は、妻のマウタウ駐屯に合わせて軍務を志願した。彼が勤務するスペック本社から、出向技術者としてマウタウに赴任してきたのだ。本社役員となった薔薇十字の協力者、九重紅尾ここのえべにおの剛腕人事の一環である。


「自信作を味わう前に、軽くシャワーを浴びてくるわ。」


「了解であります、マム!」


大げさに敬礼する夫の姿を見たマリアンは苦笑した。"マリノマリア系の捕虜を尋問する時は、手足を拘束するな。彼らは身振り手振りを交えないと喋れない"なんてジョークが兵士の間で囁かれたが、夫はそんな揶揄をされる典型例だ。


陽気でオーバーアクションな夫とマリアンは職場を通じて知り合った。早い話がチプリアーノ・バスクアルは、ギロチンカッター大隊に納入した特殊兵器のメンテナンス担当者だったのである。


軍人は総じて身繕いが早く、彼女も例外ではない。即席麺が完成する程度の時間で、マリアンは食卓についていた。夕刻からの教練で空腹だったマリアンは、夫の新作パスタ料理に早速手をつける。


「どうかな、お味は?」


マリアン専属料理人は、彼女の喜ぶ顔を見るのが何よりも好きなのだ。


「あなたは兵器技術者じゃなくて、シェフになるべきなんじゃない?」


「キミが退役したら、二人でレストランでも開業しようか。結構流行るかもしれないぞ?」


「残念ながら、当分退役出来そうにないわ。ボスは行方知れずだし、新加入した兵士の練度はまだまだだし。ボスが帰ってくるまでに、新生ギロチンカッター大隊を、案山子軍団スケアクロウと戦えるレベルに育てておかないと……」


上官のケリコフ同様、彼女も好きで軍人になった訳ではない。貧しい炭鉱夫の倅だったケリコフ・クルーガーも、ストリートの孤児だったマリアンも"食う為に"軍人に志願したのだ。食う為に選んだ職業が天職だったという点も、二人は共通していた。


「あまり気負う事もないと思うけどね。ケリコフさんは無事で、部隊から犠牲者も出なかった。彼の修行は、復讐の為とは限らないよ?」


「課せられた任務は全て完遂してきた無敗の軍人。剣狼に不覚を取ったせいで、ボスの名誉と名声は著しく毀損したわ。損失補填の為には、その剣狼に勝つしかないでしょ?」


「ケリコフさんが名誉や名声に拘るタイプには見えないよ。拘ってるのはキミじゃないのか?」


「………」


「無敗の凄腕軍人"処刑人"、キミが敬愛する上官の名誉に拘る気持ちはわかる。でも、それってケリコフさんの為になってるかな? 押し付けられた偶像は、本人にとっては迷惑かもね。」


「技術屋のあなたに、軍人の誇りはわからないわ!」


妻よりも少し大人で、妻よりもはるかにオーバーアクションな夫は、目一杯両腕を広げた。


「オーケー、夫婦喧嘩は犬も食わない。でも技術はないだろう? 確かに僕の仕事は納入した兵器のメンテナンスだけど、仕事に誇りを持っていない訳じゃない。~屋って表現は、本人が言うのは自負の現れだけど、他人が言うのは侮蔑的表現だ。政治家の先生方に"政治屋"なんて言ったら、確実に憤慨する事、受け合いだね。」


「ゴメンなさい。あなたの仕事が私達を支えているのはわかってるの。口の悪さは、なかなか治らないものね。これが貧民街育ちの悲しさかしら……」


夫の正しさを認めた彼女は、素直に頭を下げた。


「どこで育ったかなんて関係ないよ。キミの口の悪さは生まれつきだ。でも、それも魅力の一つさ。」


ウィンクしながら笑う夫。口の悪さも魅力の一つ、素直に喜んでいいのかどうか、判断に迷うマリアンだった。


────────────────────


「そうだ。キミ宛てに絵葉書が来てたよ。龍の島に旅行してる友達からみたいだ。」


食後の珈琲を淹れた夫は、ティーカップと一緒に鳥居の写真が写った絵葉書をテーブルの上に置いた。


絵葉書を見たマリアンの顔が引き締まる。一見、紀行文に見える文面は、彼女へのメッセージ。上官からの暗文だったからだ。


「ひょっとして、ケリコフさんからの手紙なのかい?」


「ええ。ボスは今、龍の島にいるみたい。」


"マリアン、俺は今、龍の島にいる。これからの取るべき行動の指示を出すから、必ず守る事。グースとライアンは裏切り者だ。絶対に気を許すな。そして俺が生きていている事と、あの二人が裏切り者だとおまえが知っている事を決して悟られてはならない。それから、剣狼と御門グループに手出しはするな。交戦の恐れがある場合は、部隊を引いて逃げて構わん。鍵はザハトだ。この事を死神に伝えれば、仔細を解説して、細かな指示を出すだろう。おまえはその指示通りに動け。俺の事は心配いらん。マリアン、皆の事を頼んだぞ"


暗文を解読したマリアンは混乱した。あの二人が裏切り者なのは、言われるまでもなくわかっている。彼らはあの作戦前にボスから渡された手紙の指示に逆らって、兵団入りしたのだから明白だ。だが、"ボスは修行の旅に出た"と言ったエスケバリの言葉も嘘だった? それに……生きている事を秘匿せよ!?……つまりあの二人は、ボスを殺すつもりだったのか!!


怒りで血が沸騰しそうになったマリアンだったが、どうにか気を鎮める。ギロチンカッターの斬り込み隊長を務めていた頃の彼女に、部隊長のケリコフはその直情径行を改めるよう何度も忠告していた。その効果が、ボスが不在となった今、結実したらしい。


……私は"指示待ち人間"だ。指示待ち人間は、正しい指示を出す人間の言葉を聞かねばならない。己を知るマリアンは迷わず、薔薇十字の参謀役の在所を訪ねる事にした。彼女は指示待ち人間かもしれなかったが、行動力はピカイチである。


「あなた、私はこれからトーマ少佐のところへ行くわ。」


「今夜はもう遅い。明日にしたら?」


「そうもいかないのよ。詳しくは話せないけど…」


「だから明日にすべきなんだよ。絵葉書でメッセージを送ってきたという事は"急ぎではない"よね? 急いでいるなら、悠長に絵葉書なんて使う余裕はないんだから。マリアン、もう日付が変わる。こんな夜分にキミが少佐待遇特殊軍属の宿舎を訪ねるのを誰かが見たら"何かあった"と教えてやるようなものだ。」


薔薇十字の参謀役と目される桐馬刀屍郎は、正規の軍人ではない。バスクアル技官と同じ、民間企業からの出向者である。


「そうね。あなたの言う通りだわ。」


中尉待遇特殊軍属の指摘の正しさを認め、マリアンは頷いた。


「明日の朝、僕が適当な口実を作るから、二人で少佐のところへ行こう。カモフラージュは入念に、だ。」


「ありがとう。頼りになる夫がいて、私は幸せだわ。」


チプリアーノ・バスクアルが100人いても、戦闘ではマリアンに勝てない。だが、マリアンは夫の腕力に惹かれた訳ではない。賢明で、思慮深い彼に魅力を感じ、伴侶に選んだのだ。


「どうにもきな臭い情勢のようだ。行動は慎重にしないとね。死告鳥ヘルズバードは誰の肩にも止まりうる。」


マリアンヘラ・バスクアルの旧姓は、異名と同じ"ヘルズバード"だった。捨て子の彼女に家名はなく、ヘルズバードとは、彼女が育ったストリートの名称である。軍務に就くにあたり、便宜上、苗字が必要だったから、深く考えずに育った場所の名前を名乗った事を、彼女は後々後悔した。不吉さはさておき、自分の出身地と孤児だった過去が、簡単にわかってしまうからだ。もっとも、現在の彼女は"死告鳥"と呼ばれる事を誇りに思っている。その名が出身地ではなく、彼女の武勇を称える異名に変わったからだ。



死を告げる鳥、と称される空中戦の達人マリアン。彼女は"忌まわしい苗字を変える為に結婚した"と周囲に言っているが、誰も信じていない。夫と仲睦まじい彼女が、照れ隠しにそう言っているだけなのは、一目瞭然であったから。


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