覚醒編25話 己の非力を知る者は、既に非力にあらず



※今回の話はローゼ視点です。


「王手。バーンズ、よく頑張ったが、ここまでじゃな。」


老師の鍛え上げられた鉄の指がパチンと駒を指し、辺境伯は盤面を見て考え込んだ。老師と辺境伯は長い付き合いの碁敵だ。チェスなら辺境伯、囲碁なら老師に分があり、負けた方は得意な遊戯で再勝負を挑む。延々と再勝負を繰り返すお二人に"今日は、覇国の将棋で勝負してはいかがですか?"とボクが提案してみたのだ。


日頃は仲のいい二人だけど、盤上で相対した時だけはムキになる。勝負を始める前には、格上が使うとされる王将をどちらが使うかでひと悶着あったくらいだ。そんな大人げない老人二人の勝負を、ボクとキカちゃん、それにタッシェの二人と一匹で見学してみる。


「むう、ああしてもダメ、こうしてもダメか。」


「姫、烈火の宿将と呼ばれるバーンスタイン卿はいささか往生際が悪いようじゃぞ?」


勝利を確信したバクスウ老師は余裕顔だ。


「では宿将を救援する事にしますね。こう受けましょう。」


「ほう? なればこうじゃ。」


「でしたらこう。」


数手を交わした後、王将は見事に逃げ切った。勝負は振り出しに戻ったのだ。


「……逃げられたか。姫が将棋に精通しておったとはお見それしたわい。」


「まさか。ボクは駒の動かし方ぐらいしか知りません。」


「なんと!」


驚く老師にボクは種明かしをする。


「テレパス通信でキカちゃんに教えてもらっただけです。」 「てへっ♪」


可愛く舌を出したキカちゃんはIQ180の天才。演算能力の塊だけに、理詰めの遊戯には滅法強い。最後の兵団の本拠地、白夜城に居候していた時も無敵無敗を誇り、将棋の名手とされる朧月団長でさえ、キカちゃんとだけは勝負しなかったぐらいなのだ。


「ハッハッハッ、勝負はこれからじゃな、バクスウ。」


盤面の駒を動かす辺境伯は楽しそうだ。


「助言で窮地を免れておきながら抜かしよる。姫、もう手助けはナシですぞ?」


再開された勝負は、規則正しいノックの音でまた中断された。


「失礼します。ローゼ様、少佐がお戻りになられました。」


入室してきたエックハルトにうやうやしく告げられ、ボクは席を立った。


「すぐに行きます。老師、辺境伯、あまり熱くならないでくださいね。」


「ローゼ様、少佐と難しいお話をするの?」


椅子に座って足をブラブラさせているキカちゃんの問いかけにボクは答えた。


「うん。そうなると思う。」


「じゃあキカは、太刀風とおやつにしてるね!タッシェも一緒に行こ!」


「キキッ!(おやつなの!)」


部屋の外では土雷衆の忍犬、太刀風が尻尾を振りながら待っていた。艶やかな毛並みの背中に跨がったキカちゃん、その肩にタッシェが飛び乗ると、漆黒の狼犬は疾風のように駆け出し、あっという間に姿が消える。


……両親と一族の仇、御門ガリュウ……その最後を見届けたトーマ少佐を、本当はそっとしておいてあげたい。でも、少佐に相談に乗ってもらいたい案件が山積みなのだ。


王将は駒としての性能は飛車角には及ばない。将棋ではキカちゃん、政戦両略には少佐、ボクにはアドバイザーが必要だ。何事も独断で決める父上や朧月団長はボクの非力を嗤うかもしれない。でも、ボクは助言を必要とする自分を恥ずかしいとは思わない。それどころか、誇りにしている。"非力は恥ではなく、己の非力を知る者は、既に非力にあらず"、龍の島を統一した初代帝はそう言った。家庭教師のサビーナから習った言葉の意味を、ボクはもう知っているから……だから、今の自分を誇れるんだ。


──────────────────


「お帰りなさい、少佐。」


「急に無理を言ってすまなかったな。これは土産のつるかめ屋の栗羊羹だ。」


急報を受け、龍の島へと旅立った少佐。それが心楽しい旅ではなかった事を、ボクは知っている。


「本場の羊羹ですか。じゃあ、お茶を淹れますね。」


「……あ~、お茶ねえ。」


言いたい事はわかってます!名料理人のミザルさんに甘やかされてるせいで、少佐は味にうるさいのだ。


「ティーパックのお茶です。これなら腕の良し悪しは出ません!」


紅茶の淹れ方はギンに習ってるんだけど、まだ玉露にまでは手が回らない。カナタも覇人だから、美味しい玉露の淹れ方も知っておいたほうがいいよね……


最高の栗羊羹に、ティーパックの玉露かぁ。お菓子とお茶のバランスが取れてない。無敵無敗の軍人、死神トーマとお飾り皇女のボク、卓上で向かい合う二人のアンバランスさと同じだ。


「俺は姫には過ぎたる駒、そんな後ろ向きな考え方はやめた方がいい。謙虚も度が過ぎると卑屈に転じる。」


洞察力に長けた少佐には、ボクの心の内などお見通しのようだ。


「卑屈になったつもりはありません。ましてや少佐は駒でもありません。まだ荒削りな原石が、無敵の軍人に相応しい玉石になろうと決意しているだけです。ボクは……少佐のようになりたいんです。」


少佐はボクの師で、理想像だ。勇は真似出来なくても、知は少佐の域にまで到達したい。いつか、知勇を備えたカナタの隣に立つ為にも!


「……何度も言っているが、俺のようにはなるな。」


師事し始めてからずっと思っている、"少佐のようになりたい"と。ボクが目標を口にする度に少佐は"俺のようにはなるな"と返してくる。


「どうしてですか? 少佐の深慮遠謀は…」


「いずれわかる。姫ならきっと。」


少佐の言葉の意味が、今のボクにはわからない。でも、少佐には先が見えているんだ。今は先の事よりも、直面した問題を解決しよう。


「はい。喫緊の問題に話題を変えますね。少佐の留守中に、マリアンヘラ・バスクアル中尉を筆頭に三人の中隊長がマウタウを訪れました。麾下の中隊もご一緒です。」


「マリアンが訪ねてきたのか。副長のエスケバリはどうした?」


「それが……バスクアル中尉の話では、グスタフ・エスケバリ大尉ともうお一方は、最後の兵団ラストレギオンに入ったのだそうで……」


湯呑みを置いた少佐の表情が険しくなった。髑髏マスクの眼窩から覗く目が光を帯びる。


「……そうか。エスケバリがな。それでマリアンはなんと言ってきた?」


「ケリーさんはカナタとの決戦に臨む前に、中隊長宛ての手紙を残されていました。マリアンさん宛ての手紙には"俺が死んだ時には死神を頼れ"と記してあったそうです。」


「ケリーは生きているはずだ。即死を免れたなら、俺の渡した生命維持アンプルで…」


「生きていらっしゃるのですが、"一人になって一から鍛え直す"と言い残して、姿を消されたそうです。」


準適合者「剣狼」が相手ならケリーさんは勝てていた。でも、あの戦いの最中、カナタは完全適合者として覚醒した。ボクからすれば"相手が悪かった"としか言えないんだけど、それは外野の感想だ。同じ完全適合者として、ケリーさんは雪辱を誓ったのだろう。……それは真の強者にしかわからない心境だ。


「マリアンは止めなかったのか?」


「その伝言を聞いたのはバスクアル中尉ではなく、エスケバリ大尉だそうです。……少佐、どうかしたんですか?」


「……妹のように可愛がっていたマリアンに顔も見せずに姿を消したってのが引っかかる。」


「バスクアル中尉もその事を怒ってらっしゃいました。"大佐が修行し直すのなら、私もお供したのに!"だそうです。」


「それで顔を見せなかったのかもしれんな。マリアンなら亭主も巻き込んでケリーのお供をしかねない。」


バスクアル中尉の旦那さんってスペック社のエリート研究員だったはずじゃ……


「ケリーの失踪に関しては少し様子を見よう。あの男が本気で姿をくらましたら、追えるもんじゃない。落ち着いたら、俺かマリアンに絵葉書でも寄越すはずだ。」


「……もし、葉書がこなかったら?」


「殺された可能性が出てくる。そうなった場合、犯人はエスケバリだ。」


あまり考えたくない可能性だけど……


「ザインジャルガで敗れたネヴィル元帥が、エスケバリ大尉に"処刑人の粛清"を命令したのかもしれませんね。」


ザインジャルガ戦役でも、カナタは八面六臂の活躍を見せた。二度に渡ってアリングハム公を破り、籠城戦を勝利に導いただけではない。その後は、御堂少将と共に反撃の先陣まで切って戦局を決定づけたのだ。もし、ケリーさんがカナタを討ち取っていれば、こんな結果にはならなかったはずだ。……でも、いくら腹ただしくても、ケリコフ・クルーガーほどの手練れを粛清するだろうか?


「いや、それだと兵団入りの説明がつかない。ギロチンカッター大隊は精鋭だ。ザインジャルガの攻略に失敗し、戦力を損耗したネヴィルが精鋭部隊を手放すとは思えん。ネヴィルの不興を買ったエスケバリは、セツナを頼って保身に走ったんだろう。」


そう、ボクでもそうする。一度の敗北で勇将を粛清していたら、自軍が弱体化するだけだ。捲土重来を支援し、再起を促すのが王道だろう。


ケリーさんは生きている、その前提で考えよう。……作戦とはいえ、アリングハム公をオトリに使ったケリーさんは責任を問われる立場。姿をくらまし、ほとぼりが冷めるのを待つ手に出たのだろう。一人になって敗北を振り返り、試行錯誤しながら己を鍛えて、カナタとの再戦を期す。


……打倒剣狼に燃えるケリーさんには悪いけど、そうはさせない。鍛え上げたその力は、打倒剣狼ではなく、薔薇十字の為に使ってもらうんだ。そうする為には……


「少佐、バスクアル中尉とギロチンカッター残党の身柄は薔薇十字で引き受けたいと思います。中尉の説得を手伝ってもらえませんか?」


ケリーさんは自分が不在の間は、能力的にも人格的にも信頼出来る少佐に部下を預けるつもりだった。でも、バスクアル中尉達はボクが預かり、信頼関係を築く。それが、ケリーさんを自陣営に招き入れる呼び水となるはずだ。


「姫も俺と同じ考えのようだな。マリアンの説得は俺がやろう。姫は皇帝を説得し、ネヴィルを牽制するんだ。セツナがやったようにな。」


そっか。朧月団長だって、エスケバリ大尉達を引き取る為に父上を利用したに決まっている。




エスケバリ大尉が兵団に走ってくれた事は、ボクにとっては好都合だ。欲しい人材、人員が選別された状態でマウタウまで来てくれたのだから。この僥倖を活かせないようでは、ボクに"将の将"たる資格はない!


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