暗闘編13話 忠誠に生きる鬼
スラム街の犯罪者だった鬼助は誘拐犯の頭目として斬魔少年と出会った。誘拐は、犯罪者としても極めて有能だった彼のビジネスだった。時間をかけて目標を選別、調査し、血を流さないで誘拐から身代金の引き渡しまで遂行する。名家は子弟の為なら金を惜しむ事はなく、金さえ払えば無傷で子弟が帰ってくるとなれば、官憲に関与させる事もないと鬼助は知っていた。死人を出さない誘拐団としてその名を知られる鬼助のグループは、いくつもの営利誘拐をスマートに遂行出来ていた。無論、法外な金額を吹っかける事もなく、身代金を受け取った後は姿をくらまして沈黙を守った。そうする事が、次のビジネスを円滑に進める良策だと知能犯の鬼助は知っていた。言い方に問題はあろうが、どんな仕事にも"信用"がモノをいう。
だが、とうとう鬼助は失敗する。10代半ばの少年、叢雲斬魔はこれまでに略取してきた少年とは違っていた。彼は図抜けた念真力を持つ、天性の強者だったのだ。武門の惣領で超人の血族、叢雲宗家の伝説じみた逸話を笑い飛ばさずにいれば、鬼助は今も犯罪者だったかもしれない。
結果から言えば、営利誘拐の失敗は鬼助にとってはプラスに働いた。鬼助のグループを叩き伏せた叢雲斬魔は、彼らを官憲に突き出すことも、私刑を加える事もなく、自分の側近として抱え込んだのだ。猛虎は鬼すら恐れず、その手際の良さと"誘拐はするが血は流さない"という義賊じみたポリシーを評価してくれた。捨てる神あらば拾う神あり。不幸な生い立ちを持った鬼を救ったのは、神ではなく魔神だった。
そして主君を得た悪鬼は、忠誠に生きる鬼となった。
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剣の達人である鬼助はあてどなく街を歩き、絶対に尾行者がいない事を確信してから、とある雑居ビルの地下へと降りてゆく。地下の一室で隠しスイッチを押した鬼助の前に、隠し扉が現れる。扉を開けた鬼助の相好が崩れた。隠し部屋には一人の男がソファーに寝そべって酒を飲んでいる。その男こそ、鬼助が"絶対に守る"と主君の霊前に誓いを立てた新たな主なのだ。
隠し扉を閉じた鬼助に男はのんびりした声で話しかけた。
「来たか、鬼助。いやいや、今は「鬼の」リットクだったな。」
「ご冗談を。ワシは今でも叢雲宗家の侍従、鬼助でござりまする。」
鬼だの戦鬼だのと喧伝される剣の達人は、ソファーの向かいにある椅子に腰掛け、主君の盃に酒を注ぐ。
「おっとっと。ま、鬼助も一杯飲れ。」
「悪代官大吟醸・萬寿ですな。亡きご先代もこの酒がお好きでした。トーマ様も先代に似られましたか。」
「鬼助もこの酒が好きだろう?……やはり鬼助と呼ぶのはいかんな。うっかり皆の前で"鬼助"と呼びでもしたら全て台無しだ。」
「左様で。ワシもうっかり"トーマ様"と呼ばぬよう、気をつけまする。」
返杯を受けながら、いつもの厳めしい顔とは打って変わった笑顔を見せるリットク。この場でだけは主従に戻れるのである。自然に笑いもこみ上げてこようというものだ。不仲を噂される死神と戦鬼だが、実際は不仲どころか、誰にもましての深い結びつきがあった。
「クックックッ、この光景を姫が見たら怒るだろうな。俺とリットクが不仲なのを気にして、"ボクがなんとか仲立ちをしないと"なんて思ってる訳だからな。」
「そこが心苦しゅうございますな。しかしトーマ様、老師だけではなくワシまで薔薇十字に来てしまって良かったのですかな? 今までのように兵団に探りを入れる事は叶わなくなりますが……」
「構わん構わん。もう知りたい事はだいたい知っている。リットクが照京攻略の情報をもたらしてくれねば、ミコトまでセツナの手に落ちるところだった。ありがとう、リットク。」
「お役に立てて嬉しゅうござりまする。しかしながらトーマ様、なにゆえ仇の娘に肩入れなさる?」
「……世界昇華計画の鍵を握るのがミコトだからだ。」
「なんですと!?」
「龍眼には二つの能力があると言っただろう? 一つは他人の表層意識を読む能力、もう一つは…」
「世界最強のテレパス通信能力。我々のテレパス通信の効果範囲は念真強度に比例しますが、龍眼を持つ者のテレパス通信能力は龍眼の強さに比例する、でしたな。」
「ミコトの龍眼は儀龍以上だ。増幅器でもあれば世界中に念真波を飛ばせるだろう。殺人衝動抑制プログラムを世界中に発信する役割は、龍眼を持つ者が担う予定だった可能性が高い。おそらく世界昇華計画の発案者である儀龍自身が行うつもりだったのだろう。」
「なるほど。トーマ様、朧月セツナは照京を制圧した直後に、自身の親衛隊であるゲッコーパフォーマンスを総動員して、昇華計画に関わったと思われる技術者を照京から拉致しました。その事を軍上層部には報告せず、秘密裏に監禁しておるようです。」
「……そうか。巨大な人工島の建設を行った訳だから、関係者を洗い出すのは難しくない。計画の中枢に関わった人間はいないにせよ、輪郭だけ掴めればセツナは計画の概要を類推出来るだろう。今までセツナは"選ばれし兵"を強力な兵士程度に認識していたようだが、殺人衝動抑制プログラムの存在を知った以上、奴の野心に拍車がかかるな。」
「殺人衝動抑制プログラムの事にまで気付きますかな?」
「儀龍の情報管理能力に、過大な期待をしない方がいい。セツナは計画に関わった者に甘言を弄して協力を促し、強情な者には手段を選ばんだろう。もう世界昇華計画の概要を知っていると考えておくべきだ。」
「……ミコト姫が世界昇華計画の鍵を握っている事はわかり申した。ですが、肩入れする理由はそれだけですか?」
その言葉に死神の手が止まり、咳払いしてから盃をテーブルに戻した。
「何が言いたい?」
「幼少の頃よりトーマ様を見て参りました。トーマ様はミコト姫の事を憎からず思われているのでは?」
「………」
「我龍めは権力の座から転がり落ち申した。今なら亡霊戦団を連れて同盟軍に亡命出来まする。マウタウはシュガーポットにほど近い。もちろんワシもご一緒させて頂きまする。」
「ローゼ姫を見捨てて同盟に降れというのか?」
「……それが問題ですな。あの健気な姫君を見捨てる訳には参りませぬ。ですが、ワシが一番に願うのはトーマ様のお幸せです。亡きご先代、奥方様のご恩に報いる為ならば、ワシは鬼にも蛇にもなりまする。」
侍従の鬼助、現在は
「俺がミコトに懸想などすれば、殺された一族郎党が総出で化けて出るだろう。俺はオバケだけは苦手でな。それに僅かながらとはいえ、照京におらずに難を逃れた一族が、髑髏の仮面をつけて俺に力を貸してくれている。彼らもいい顔をせんだろう。」
「………」
「そんな顔をするな。これも定めだ。それよりリットク、セツナは"薔薇十字の内情を探れ"と言ってきているんだろう?」
「はい。ゴッドハルト元帥の勅命に逆らえず、ワシと老師を手放す仕儀に相成った以上、ワシをスパイとして使うより仕方ありますまい。」
「バクスウの爺さんはセツナに一目置いてはいても、スパイ役など引き受ける訳はないからな。リットク、セツナに流す情報は俺が与える。」
「承知しました。フフッ、ワシは二重、いや三重スパイですな。これまで同様、ネヴィル元帥と兵団の情報を掴み、トーマ様にお伝え致しまする。」
「セツナは中枢の情報を漏らしたりせんだろうが、それでも手掛かりにはなるからな。それと剣狼の件はどうなった?」
「トーマ様のご言い付け通りに動き、ワシが出向く事になり申した。しかし……」
戦鬼の渋面に、死神は苦笑いした。
「姫も同行する事になった、か?」
「左様で。とんだお転婆姫ですな。」
「姫にも困ったものだ。まあ、予想の範囲内ではある。リットク、姫のお忍び旅の随員は頼んだぞ。」
「しかと承りました。しかしですな、トーマ様が助力する、ではマズかったのですか? 姫もそれを期待されていたのでしょう?」
「俺は武芸のド素人、達人同士の一騎打ちの趨勢は見極められん。それになんでもかんでも俺に頼るようではこの先が思いやられる。頼れる仲間は俺だけではない、と強く認識してもらわんとな。」
「なるほど。それでワシにお命じになられたのですか。」
「リットク、剣狼と処刑人の戦いにはギリギリまで手を出すな。ケリーが剣狼を捕虜にした場合には、俺がケリーと話をつける。そうはならんと思うが……」
「成長著しい剣狼といえど、完全適合者「処刑人」に勝てますかな? 元素系のパイロキネシスを持たぬ剣狼は、相性的にも分が悪いはずですが……」
「剣狼は未熟な新兵だった頃から格上に鍛えられ、実戦でも運悪く出会ってしまった格上達を相手に勝利してきた。いうなれば「格上殺し」さ。バクスウの爺さんもひどい目に遭わされただろう?」
「確かに。唯一、敗北したのはトーマ様にだけですな。」
「あの時の剣狼は、まだ力の
龍弟侯と呼ばれる天掛カナタはミコト姫の最側近。トーマ様の描く未来像を実現させる為には必要不可欠の人物、という事か。主の心を察した侍従は、黙って頭を垂れた。
「堅い話はここまでにして、ゆるりと飲みまするか。そう言えばトーマ様はお一人でここに来られたのですかな?」
「まさかだろう。なんの武芸も身につけていない俺だけだと、尾行がいても絶対気付かん。控えの間にキカがいる。もう寝てるとは思うが……」
「それを聞いて安心しました。では、ご一献。」
髑髏の仮面を脱いだ死神、心の仮面を外したリットクは、差しつ差されつ、酒を酌み交わす。
ひとときの安らぎの時間を、主従はゆったりと楽しむ。明日からはまた、仮面を被った戦いの日々が始まるのだから……
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