暗闘編12話 帝国騎士と糟糠の妻
夜会と襲撃の疲れを暖かい湯船で洗い流したボクは、リビングに戻り、一人二役をこなしたギンを労う。
「ご苦労様、ギン。一人二役は疲れたでしょ?」
湯上がりのタッシュにミカンを剥いてあげながらギンは微笑んだ。
「大した事ではありません。クエスター殿の変顔も見物出来ましたしね。」
「すっごく面白い顔をしてたよね!写真を撮っておけばよかったかな?」
「フフッ、額に入れてその暖炉の上に置いておきたいぐらいだ。ん? ヘルゲン殿が帰ってきたようです。」
「ギン、面白い顔がもう一度見られるよ?」
「おやおや、姫は本当に性格が悪くなられたようだ。」
生真面目なヘルゲンの変顔ってどんな感じなんだろ? う~、ワクワクしてきた!
──────────────────
ヘルゲンがリビングに入ってくる前に、エックハルトが素早く夜食の皿をテーブルに並べる。
「ただいま戻りました。おや、これはなかなか豪勢な。」
ご馳走を見たヘルゲンの相好が崩れる。うんうん、ヘルゲンの好物ばっかりだもんね♪
「座って座って!エックハルトも一緒に!」
「私は執事でございますから……」
「いいから座るの!」
ハンディコムが鳴り、執事の顔に戻ったエックハルトが厳かに告げてくる。
「姫様、アデル様より通信が入っているようです。お繋ぎしますか?」
「ええ。」
壁掛けディスプレイに映し出された不機嫌な顔。兄上は少し感情を隠す事を覚えた方がいい。
「ローゼ、どういう意味なのだ?」
「兄上、主語を入れて話さないと意味が通じませんよ?」
「"楽しい余興をありがとう"とは、どういう意味だと訊いているのだ!僕は何もした覚えはないぞ!」
あんな挑発に乗ってくるとは……だから少佐に"浅慮の生きた標本"なんて酷評されるのだ。黙殺しておけばいいものを、感情のままに反応してしまう。これじゃあクロだと自白しているに等しい。あの哀れな巨漢が秘密を守るつもりでも、主がこれでは意味がない。
「何もした覚えはない、ですか。それならそれでよろしいと思いますが?」
「ローゼ!僕が正統正式な皇子であり、自分は平民の後妻との間に生まれた皇女に過ぎないという自覚があるのだろうな!」
"めかけばら"と言わなくなったあたりは進歩したと認めてあげようかな? 心の中では毒づいているんだろうけど。
「では半分平民の皇女からご忠告を差し上げます。これからは何事もアシュレイ副団長にご相談あそばせ。兄上お一人の判断では…」
「黙れ!妹の分際で要らざる差し出口を叩くな!」
「フフッ。ギン、これが"負け犬の遠吠え"というものかしらね?」
「ハハハッ。姫、"弱い犬ほどよく吠える"かもしれませんよ?」
冷笑するボクとギンの姿を見た兄上は怒りに震える。
「ローゼ!次期皇帝であるこの僕に、よくもそんな舐めた真似を……」
「舐めた真似? それは兄上のなさりようでは?」
「よ、よくもよくもこの僕に向かって……」
「これ以上の会話は不毛。兄上、血圧のお薬でも飲んで、もうお休みした方がよろしいのでは? それではご機嫌よう。」
通信を切ったボクは、真っ黒な画面に向かってあっかんべぇをしてみた。ボクの真似をしたタッシュも、画面に向かって可愛く舌を出す。
「やはり黒幕はアデル様でしたか。実の妹を暗殺しようなどと、男の風上にも置けぬ!」
事情を察したヘルゲンは義憤に駆られたようだ。
「ヘルゲン、明日の午前の予定は空けておいてください。」
「ハッ!実行犯は全員捕縛しましたが、その協力者はまだこのマウタウに潜んでいるかもしれませんからな。」
「スパイの洗い出しは土雷衆が担当し、既に動いています。ヘルゲンは明日の朝、叙勲式に出席してください。」
襲撃犯の一人になりすました赤衛門さんが組織に潜入したはずだ。これでバックアップチームも一網打尽に出来るだろう。
「叙勲式? 誰の叙勲が行われるのですか?」
「あなたのです。シュテーリッヒ家は明日より、
「わ、私がですか!? しかし私は虜囚の身から救い出されたばかりで、まだ何の功も立ててはいません。」
「今夜立てました。帝国皇女の危機を救い、襲撃者を捕縛。申し分のない功績です。」
機微に聡いヘルゲンは、言外の意図を察したみたいだ。そして高潔なヘルゲンは重苦しい表情になる。
「ローゼ様、私に土雷衆の手柄を横取りせよと仰るのですか?」
「横取りではありません。ヘルゲンも作戦に参加していたのですから。ですが、公式記録にはあなたの名だけが記されます。大丈夫、土雷衆も納得しての事です。騎士は名誉を重んじますが、忍者はそうではありません。」
「しかし……」
「ヘルゲン、私の騎士になるのは嫌ですか?」
「とんでもない!祖父の不行状で騎士の位を剥奪された我が家にとって、再叙勲は悲願。ですがこんなカタチで……」
「私は王家の不始末の後始末をしているのです。ヘルゲン・シュテーリッヒのこれまでの功績を考えれば、騎士位の回復は当然あってしかるべきでした。祖父の汚名をそそぐに十分な功を立てた貴方を推挙する者が現れないとは嘆かわしいばかり。私は王家と帝国貴族の怠慢を憂い、あるべき者をあるべき場所に戻したいだけです。」
「……ありがとうございます。このヘルゲン、ローゼ様の御為、一命を賭してお仕え致します。」
「騎士ヘルゲンの働きに期待します。……さ、ご飯にしよっ♪夜会ではお喋りばっかりに口を使ってたから、お腹がペコペコなんだよね~。」
「ヘルゲン殿の騎士叙勲の前祝いといこう。洗礼にも用いるぐらいだから、やはり赤ワインがいいかな。」
ギンの言葉にエックハルトが頷き、卓上のワインをデキャンタに移す。
「キキッ!(割って!)」
胡桃を抱えてヘルゲンに差し出すタッシェ。祖父の不名誉を回復した孫は、指二本でなんなく胡桃を割ってみせる。
エックハルトはヘルゲンとギンのグラスにワインを注ぎ、ボクのグラスにはクランベリージュースを注いだ。
「エックハルト、今夜ぐらい…」
綺麗に整えられた細髭をピンと跳ね上げ、執事は首を振った。エックハルトとクリフォードはお髭が自慢なのだ。
「いけません。お酒は二十歳になってから、でございます。」
う~。エックハルトの意地悪!
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「そういえば三猿はどうしたんだろう。邸にいるなら顔を出せばいいものを……」
ギンは今夜の立役者が席にいないのが気になるみたいだ。
「ミザルさんはイワザルさんのご飯にかかりきりみたい。少佐やキカちゃんのお世話もあるから、顔は出せないんだって。」
「短気で喧嘩っ早いミザル殿が誰より家庭的とは……人間とは不思議なものですな。む!? このシュニッツェルは絶品ですな!」
度重なる説得に観念して席についたエックハルトは、小牛のカツレツに感嘆の声を上げた。でも、エックハルトよりも驚いている人間がいる。
「こ、このシュニッツェルは!」
「みんな、今夜の料理を作った人を紹介するね。レナ、入って。」
隣の部屋から入ってきた金髪の女性が、みんなに挨拶した。
「レナーテ・シュテーリッヒと申します。この度、ローゼ様のお世話係を申しつかりました。よろしくお願いしますね。」
「レナ!どういう事だ!リリージェンにいたのではないのか!」
うんうん、いいお顔。クエスターの変顔と違って普通に驚いただけみたいだけど。
「あら、お手紙は書きましたよ?」
「私は読んでない!」
「あらあら。じゃあ私を乗せたヘリの方が、手紙よりも早かったみたいですね。」
「ローゼ様、妻は貴人にお仕えする教育も受けていませんし、上流階級の作法も知りません。この人事はいささか…」
「問題ないよ。レナはいいお値段がするカフェテリアで働いていたんでしょ? そこでヘルゲンにアプローチされたんだよね?」
「声をかけてきたのは妻の方です。私は珈琲を飲みに行っていただけで……」
騎士になろうって人間が、仕える姫に嘘はいけないよね?
「一杯1000Crもする高価な珈琲を飲みに通う人間のお財布に、10000Cr札が一枚も入ってないなんて事があるのかなぁ? 見かねたレナが"今度は外でお会いしませんか?"って助け船を出したんだよ?」
「………」
ふふっ、ヘルゲンのお顔が真っ赤だ。でも素敵な夫婦だなあ。ヘルゲンが軍人として頭角を現すまで、糟糠の妻は健気に夫を支えていたのだ。いえ、今も支えようとしている。
「あなたは仕えるべき主君を見出し、身命を賭して戦うと決意されました。帝国騎士たる夫が命を賭けるというのに、妻の私がどうして黙って見ていられるでしょう。私もローゼ様のお世話係として、あなたの行く道のお供をさせてもらいます。」
帝国騎士には妻帯者も多い。でもレナ以上に"騎士の妻"らしい女性がいるだろうか?
「ヘルゲン、ボクには信用出来る世話係が必要なの。」
「ローゼ様、至らぬ妻ですがお側に置いてやってください。……レナ、ありがとう。」
席を立ったヘルゲンは、愛する妻を抱きしめる。夫妻の抱擁から目を逸らしたギンが、場を混ぜっ返しにかかった。
「この光景を見れば、クエスター殿も独身主義を改めるかもしれないな。」
「ギン、クエスターは独身主義じゃなくて、恋愛下手で朴念仁なだけだよ。」
クエスターがどんな女性と結婚するかわからないけど、レナみたいな人だったらいいな。
ボクは……どうなんだろ? 少なくともカナタはヘルゲンみたいに高潔でも純情でもないよね。……っていうかむしろ正反対。エッチで狡っ辛くて、皮肉屋なんだもん!
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