暗闘編5話 殺人衝動抑制プログラム



帝国公館の執務室、完全適合者は完全適合者に助言を行う。


「元帥直々の命令じゃ拒否も出来まい。俺からのアドバイスは"ヤバいと思ったら逃げろ"ぐらいだな。」


エックハルトの淹れたチャイを飲みながらのアドバイス、でもチャイは少佐の好みではなかったらしい。途中で飲むのを止めてしまった。


「……俺が剣狼に負けるというのか?」


対照的にケリーさんはお茶の香りを楽しんでいる。好物なのは本当だったみたいだ。でも満足げな様子だったのは少佐の台詞を聞くまでで、今は厳しい顔をしている。少佐ほどの洞察力はないボクにも、ケリーさんの気持ちは手に取るようにわかる。兵士の頂点に立つ男にとって"逃げろ"というアドバイスは、聞き流せるものではない。


「現時点ではおまえさんのが上だと思うが、勝負はやってみないとわからん。剣狼は窮地になればなるほど力を発揮するタイプだしな。それに剣狼の部下にも要注意だぜ。ラバニウムコーティングを搭載したお嬢ちゃんには特にな。」


「悪魔の子、リリエス・ローエングリンか。確かに面倒だ。それに絶対零度、殺戮天使、鮮血に赤毛。便利屋ってのもいたな。……部下の犠牲が避けられそうにないのが辛いところだ……」


「剣狼はおまえさんと同じで部下思いだ。公平性を担保し、小細工を弄する余地がない舞台を用意してやれば、不利を承知で一騎打ちに応じてくるかもしれん。」


「本当にそう思うのか?」


「ああ。だがケリー、一騎打ちはおまえさんにもリスクがある事は忠告しておこう。剣狼カナタは"成長する怪物"だ。」


「成長する怪物、か。狼狩り部隊ウルフバスターズには荷が重そうだな。」


狼狩り部隊? また嫌な言葉が出てきちゃったよ……


「クルーガー大佐、狼狩り部隊とはなんですか?」


「ローゼ姫、俺の事はケリーで構わんよ。狼狩り部隊とは、ネヴィル元帥が編成した特別チームだ。なんでも邪眼対策に特化した精鋭らしいが、詳しい事は知らん。ようするに、狼狩り部隊が失敗したら俺が出るって事だな。」


カナタを抹殺する為の二重の罠か。……カナタ、お願い。負けないで!!


「ケリー、これをやるよ。」


少佐は懐から小さなアンプルを取り出し、ケリーさんに手渡した。


「なんだ、これは?……バイオメタルユニットではなさそうだが……」


「シャットダウンアプリの上位版、「生命維持アンプル」だ。奥歯にでも仕込んでおくといい。噛めば即座に効果が現れ、普通なら致命傷のダメージを受けても命だけは助かる……かもしれん。もちろん、シャットダウンアプリと同じで、完全な仮死状態になるから簡単にトドメを刺される。狸寝入りが通じるかどうかも賭けになるな。」


「……俺が本当に負けるかもしれないと思っているのはわかった。それが何よりの収穫だよ。またな。」


アンプルを受け取ったケリーさんは、執務室を出ていった。ビジネスパートナー、と言っていたけど、クルーガー大佐は、少佐にとって友人みたいだ。


────────────────────


「少佐、あそこまでアドバイスをする事はなかったんじゃありませんか?」


筋違いの恨み事なのはわかっているけど、文句を言わずにいられない。カナタにはなにがあっても生きていて欲しい、それがボクの本音だ。


「ケリーとは持ちつ持たれつの仲だ。それなりの義理は果たしておかないとな。姫、剣狼は完全に頭角を現した。頭角を現した兵士を討とうとするのは必然。これは剣狼にとって避けられない戦いなんだよ。」


「でも!!少佐はカナタより、完全適合者のケリーさんの方が力は上だと思っているんでしょう!仲間と力を合わせて戦えばカナタにだって勝機はあるかもしれないのに、カナタの仲間思いを利用しての一騎打ちを勧めるだなんて!」


「姫、仲間思いはケリーも同じだ。それにな、ケリーが上だと言ったが、それはあくまで"現時点では"だよ。明日にはどうなってるかわからないし、剣狼の怖さは窮地における爆発力だ。アスラで格上の隊長達に鍛えられたカナタは、格上との戦い方を熟知している。……だから、俺は剣狼が勝つだろうと睨んでいる。」


「……本当にですか?」


「だから二つしか持ってない生命維持アンプルの一つを渡した。もう一つは姫に渡したいところだが、戦闘細胞適合率が足りない。」


「適合率不足、ですか?」


「あのアンプルは"完全適合者専用"なんでな。だが条件が厳しい分、心臓を破壊された状態だろうが、しばらくは生命を保ってくれる。効果時間内に適切な処置を施し、医療用ポッドに放り込めば、ギリギリセーフになるだろうよ。」


「完全適合者専用の生命維持アンプル……スペック社はそんなものまで開発してたんですね。」


スペック社の技術力はボクが思っていた以上だったらしい。完全適合者を即死させるのはほぼ不可能、生命維持アンプルさえあれば、かなりの確率で命を維持しうるだろう。


「開発したのはスペック社じゃない。」


そう言って少佐は立ち上がり、窓を閉めた。


「じゃあ誰が開発したんですか?」


「俺の母親だよ。さっき言いかけた質問ってのはそれなんだろう?」


「……はい。ではやはり死神トーマの正体は叢雲トーマなのですね?」


少佐と初めて会った時の記憶が甦る。ボクが名無しの死神に"トーマトウシロウ"という名を提示した時に見せた一瞬の逡巡。それは少佐が隠していた本当の名前に被っていたからだ。


「……いずれ露見するだろうと思っていたが、なぜ気付いた?」


「……カナタが教えてくれました。」


「やっぱりか。本当に聡い男だな。」


叢雲宗家については調べておいた。超人の証、神虎眼を持つ宗家の人間は短命の定め、決して長くは生きられない。"旅の最後までは付き合えないが……"寂しげにそう言った少佐の言葉の意味が、わかってしまった。……トーマ少佐には後どのぐらいの時間が残されているのだろう……


イヤだ!そんな事、考えたくないよ!


「俺の母、叢雲永遠トワ、旧姓、鷺宮永遠は天才でな。親友で同僚だった白鷺深怜と共に"生命の石ライブストーン"を研究し、その謎を解いた。」


「生命の石、ですか。」


「ああ。生命の石の謎を解く事は、御門儀龍が進めていた"世界昇華計画"とやらの鍵を握っていたのさ。殺人衝動抑制プログラムによる完全平和の実現が、計画の要諦だった。」


世界昇華計画、初めて聞く言葉だ。御門儀龍氏は理想主義者だったとは聞いているけど……今はそれより……


「殺人衝動抑制プログラム? なんですか、それは?」


「人を殺そうとする強い殺意に反応し、警告として脳に痛みを与える。警告を無視して殺人を犯そうとすれば……ほとんどの人間は痛みでショック死するだろう。剣狼の持つ狼眼で睨まれたみたいにな。アシェスやクエスター級の強者ならショック死はしないだろうが、殺意を捨てない限り、いずれは脳を破壊されて死ぬ。無防備な状態で狼眼に晒され続ければ、どんな強者であろうが死ぬしかない。」


人を殺そうとナイフを振りかざしても痛みでそれどころじゃなくなる。殺意を持って銃を構えても同じ事だ。もし、殺人衝動抑制プログラムが全人類に搭載されたなら、この世からは戦争どころか殺人さえ根絶出来る……


「もし、殺人衝動抑制プログラムが全人類に搭載されたら絶対平和の世界が実現しますね。世界を新たなステージに昇華させる、世界昇華計画ですか……」


殺意を捨てた人々による優しい世界。一見、理想郷のようにも思える。


……でも、そんな世界が人の世だと言えるだろうか……絶対的な力で、感情を強制される世界が……


「殺意は怒りや憎しみの延長線上にある。負の感情だって、人間を構成する要素だと俺は思うが、御門儀龍はそうは思わなかったようだな。」


怒りや憎しみだけでなく金銭や地位、私利私欲で殺意を抱く人間もいる。でも、ほとんどの人間が殺意を覚えるのは、怒りや憎しみの行き着いた先にだ。ボクだって、ボクを「妾腹めかけばら」と蔑む人間に対しては強い怒りを感じる。それは殺意と言ってもいいかもしれない。でも、だからといって人は殺さない。


"めかけばら"とはボクだけではなく、平民だった母様を侮辱する言葉だ。母様は貧しい家庭で育ったかもしれないけれど、誰よりも心の豊かな人だった。そんな母様を侮辱した人間には相応のお返しはしてあげる、けれども理性で殺意は抑え込む。


"ローゼ、人が生きてゆく間には、怒りや憎しみを覚える事もあるでしょう。でもね、負の感情を理性で制御する、それこそが人間なのよ?"、母様は生前、ボクにそう教えてくれた。母様が生きていれば、御門儀龍氏の考えには賛同しないだろう。


「プログラムを世界に広げる方法も難題ですね。ワクチンみたいに配布して回るぐらいしか…」


「もう世界中に広がってるさ。姫の体にも既に搭載されている。」


ボクの体にも既に搭載されている? ボクが搭載してるのは……


「ああっ!……じゃあバイオメタルユニットって…」


「バイオメタルユニットのコア、通称ブラックボックス。バイオメタルユニットは様々な改良を施されているが、ブラックボックスの製法だけは不明で、現在の技術力ではコピーしか出来ない。鷺宮永遠と白鷺美怜しか中身を知らないブラックボックスの中に、殺人衝動抑制プログラムは隠されている。」


「バイオメタル化した人間の子供にも戦闘細胞は継承される。戦闘細胞が継承されるという事は当然、ブラックボックスも……」


「そうだ。長期化した戦争はバイオメタルユニットを大量生産させ、人類のバイオメタル化は急速に進んでいる。兵士でなくとも老化を遅らせ、各種抗体の強化によって悪環境への適合も可能とするバイオメタルユニットを必要とする者は多い。」


「富める者は栄華を楽しむ為に長寿を願い、過酷な環境に生きる貧しき者は生き延びる為にバイオメタルユニットを渇望する。数世代を経れば、人類のバイオメタル化は完了するでしょう。それが御門儀龍氏の考えた昇華計画の一環なのですね。」


「そうらしい。もっとも世界昇華計画は御門儀龍が暗殺された事によって頓挫した。殺人衝動抑制プログラムを発動させる為に必要な要素が欠けたんだ。計画の鍵となる天岩戸あまのいわとの場所は、儀龍しか知らなかったからな。」


天岩戸? イズルハの故事にある伝説だ。儀龍さんが故事にちなんで命名したのだろう。



なんだか壮大な話になってきたけど、聞ける事は聞いておかないと。ボクは朧月団長の照京攻略には裏があったんじゃないかと疑っていた。裏があったとすれば"世界昇華計画"が無関係だとは思えない。


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