第二章 暗闘編 帝国皇女は世界の闇と相対する

暗闘編1話 成功すれば上官の功績、失敗すれば部下の責任



「第三大隊前進!後一歩で賊軍めは総崩れだぞ!」


賊軍、か。艦橋に立って兵士達の白兵戦を見守るヘルゲン・シュテーリッヒ中尉は、上官には聞こえない小さな呟きを漏らした。


彼が所属する世界統一機構軍の高官には、主敵である自由都市同盟軍を"賊軍"と呼ぶ者がいる。大抵は苦労知らずの世襲貴族の将校か佐官だ。


敵兵と白刃を交えて戦ってみれば、彼らが自分達と同じ人間である事がわかろうモノを、とヘルゲンは思う。


貴族とは名ばかりの没落貴族出身のヘルゲンは最前線で剣を振るって戦い、死山血河を築いて、今の地位を得た。だから賊軍こと、自由都市同盟軍の兵士達も、血を流し、家族や友人を想う人間である事を知っている。陸上戦艦の艦橋に鎮座し続け、スクリーン越しの戦場しか知らない彼の上官とは違って……


世襲貴族の上官、ヒルシュベルガー中佐を補佐するのがヘルゲンの仕事、経験豊富な彼は経験不足の上官にアドバイスを行う。


「中佐、第三大隊の前進は少し早いかと。もう少し前線全体を押し上げてから…」


「黙れ!貴様には戦機が見えぬのか? あと一押しで我が軍の勝利であろう!」


戦機なら貴方よりは見えているさ。我が軍は優勢で勝利は目前、だが、その"あと一押し"が難しいのだ。ヘルゲンはそう思ったが口には出さず、沈黙を守った。突出した第三大隊が挟撃されても勝利は揺るがないと分かっていたし、上官であるヒルシュベルガーが意見されるのが嫌いな人間である事を承知していたからだ。


いささか気の急いた上官の判断、だが大勢に影響はない。少し、余分な戦死者が出るだけだ、とヘルゲンは思ったが、それはオペレーターの言葉を聞くまでだった。


「敵の増援を確認!陸上戦艦が一隻、戦場へ急行しています!」


「陸上戦艦が一隻? ふん、たかが戦艦一隻で何が出来るか。」


上官ほど剛毅、悪く言えば鈍感にはなれないヘルゲンはオペレーターに命じて、新手の敵の分析を命じる。


「敵艦の画像をスクリーンに出せ。所属部隊、艦名の確認作業を開始。」


ヒルシュベルガーは指揮シートにふんぞり返り、指を鳴らして従卒に命令する。


「ワインを。少し早いが勝利の祝杯を上げるとしよう。我が軍の勝利と、ヘルゲンの心配性に乾杯だ。」


兵卒の一ヶ月分の給料に相当するワインを口にしたヒルシュベルガーだったが、二口目を飲む事は出来なかった。スクリーンに映し出されたのは鋭い剣のような衝角ラムを持った陸上戦艦の姿、その船影を見た彼は驚愕のあまり、ワイングラスを持ったまま固まってしまったのだ。


「敵艦はソードフィッシュ!アスラ部隊第11番隊旗艦、ソードフィッシュです!」


オペレーターが叫び、床に落ちたワイングラスの割れる乾いた音と、ブリッジクルーの悲鳴が狭窄する。


オペレーターから伝えられるまでもなく、クルー全員が増援の戦艦を知っていた。同盟軍最強のアスラコマンド、陸上戦艦ソードフィッシュは"あの男"の乗艦なのだ。


「陸上戦艦ソードフィッシュ!邪眼持ちの悪魔、剣狼が現れよったか!」


驚愕から持ち前の鈍感さで立ち直ったヒルシュベルガーだったが、彼の副官ヘルゲンは上官ほど鈍感、いや、愚鈍にはなれなかった。


「最悪だ!よりによって奴が増援とは!」


心の中だけで留めるつもりだったが、ヘルゲンは艦橋中に響く声で叫んでしまっていた。同盟軍の異名兵士ネームドソルジャー「剣狼」とは、実戦投入されてから、僅か一年で最強部隊の部隊長に成り上がった怪物で、異名兵士名鑑ソルジャーブックの要注意兵士リストに◎付きで掲載されている悪魔。睨んだだけで人を殺す邪眼を持っている事から、友軍兵士達から「邪眼持ちの悪魔」と呼ばれ、恐れられる男である。


「ベルガー中佐、後退を命じてください!奴が相手では勝負にならない!」


「ヒルシュベルガーだ!儂の名前を勝手に略すな!没落貴族の分際で生意気だぞ!」


一刻を争う事態だからだ!そんな事もわからん愚図だから、名門貴族の癖に中佐止まりなのだ、と喉まで出かかった台詞を飲み込み、ヘルゲンは忠告を重ねる。


「剣狼が来援する前に撤収を!奴が戦場に立てば為す術はありません!」


「腑抜けが!邪眼持ちの悪魔がなんだ!こちらは1個連隊1000名、敵は4個大隊400名、剣狼を加えても5個大隊500名だ。倍の戦力差ではないか!」


倍です!アスラコマンドは10倍の戦力差でも戦える精鋭中の精鋭だとご存じないのですか!」


実戦経験豊富なヘルゲンの忠告は、自分の手を汚した事のないヒルシュベルガーの耳には届かない。


「黙れ黙れ!貴様のように憶病風に吹かれておっては戦にならぬ!そんなだから没落するのだ!」


興奮したヒルシュベルガーは指揮シートから立ち上がり、口角泡を飛ばしながら命令を下した。


「総員に告ぐ!剣狼なにするものぞ!我々ヒルシュベルガー連隊の強さを見せつけてやれい!剣狼を討ち取った者には5000万クレジットの報奨金を与え、昇進もさせてやるぞ!」


恐怖を功名心と物欲で克服した兵士達は、数を頼みに同盟軍を圧倒する。だが、来援した最新鋭戦艦の出撃ハッチが開き、白地にゴールドラインの入った軍服を纏った男が戦場に降り立つと状況は一変した。


黄金の瞳を輝かせる悪魔の前に、近寄る事も出来ずに倒れてゆく兵士達。兵士達が、地位と金銭で押し殺した恐怖が蘇ってきたのを、悪魔は見逃さなかった。自身が先陣を切り、精鋭の部下と共に戦局をひっくり返しにかかる。


「ラングストンに迎撃させろ!「殺戮機械」の異名を取るラングストンならば…」


「無駄です、中佐!ラングストンごときで止められる男ではありません!」


まあまあの身体能力と最新鋭のサイボーグアームに頼りきったラングストンでは勝負にならない。相手は精鋭なのだ。


ヘルゲンの忠告も虚しく、ラングストンは名乗りを上げる事さえ出来ずに、剣狼に斃された。強いのはわかっていたが、ラングストンに何もさせないとは!ヘルゲンの脳裏に故郷に残した妻の顔が浮かんだ。


……レナーテ、必ず帰ると約束したが、無理かもしれん。


ヒルシュベルガーは躍起になって再逆転を狙ったが、それは負けを取り戻そうとする三流ギャンブラーの悪足掻きに似ていた。相手の切り札エースを止める手立てがないのだ、再逆転など望めるはずもない。


「……中佐、転進のご命令を。まだそれなりの均衡が取れている今なら、離脱可能です。」


悪足掻きにも人命は費やされているのだが、状況が決定的に悪化するまで、彼は悪足掻きを止めない。ヒルシュベルガーの副官になってから3ヶ月ばかりだが、ヘルゲンは上官の性格を熟知していた。


「……ぐぬぬ!……この儂に転進せよというのか……」


「賊軍には大ダメージを与えました。勝ち固めの為にもご転進を。」


実際、剣狼の来援さえなければ、自軍の勝利は揺るがなかった。11番隊以外に痛撃を与えた事は事実。勝ち固めではなく、惨敗阻止が正確な表現だろうが、ヘルゲンは世襲高官相手には言葉を飾る必要があると、よく知っていた。敗北はもう免れないが、旗艦の拿捕、もしくは撃沈といった最悪の事態は避けたい。上官の為ではなく、自分と部下達の為に……


「1番艦、2番艦は旗艦の転進を援護せよ!ヘルゲン、転進を言い出したのは貴様だ。責任は取れよ?」


はいヤー。撤…転進を開始せよ!急げ!」


戦果が上がれば上官の手柄、敗北を喫せば部下の責任。それがまかり通る組織である事も、ヘルゲンは理解していた。


「残存兵に告ぐ!私が転進した後も、死力を尽くして戦え!」


意味のない命令をヒルシュベルガーは下したが、ヘルゲンはそれには抵抗した。どうせ敗北の責任を取らされる身、もうヒルシュベルガーに義理立てする必要はなかったからだ。


「兵士達よ、旗艦の撤退後に離脱を開始せよ!離脱が不可能なら投降も許可する!」


「勝手な命令を下すな、ヘルゲン!ヒルシュベルガー連隊が臆病者と誹られるであろう!それは連隊長である儂の不名誉なのだぞ!」


命惜しさに我先に逃げ出す男が名誉だと? 敗戦の責任を取らされて副官の解任は確実。最悪の場合、私は収容所に送られるだろう。つまり、もう貴様のご機嫌を取る必要などないという事だ!


「中佐、戦場をご覧あれ。命令される前に逃げ出した者、投降した者達が見えるはずです。せめて"そういう命令だった"と格好をつけておいた方が良策だと思いますが?」


ヘルゲンの言った通りの光景が映る大スクリーンに、ヒルシュベルガーは年代物のワイン瓶を投げ付けた。兵士の血で赤く彩られた大地に、ワインの赤が追加される。



その醜態を見届けたヘルゲンは、深々とため息をついた。


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