新生編10話 老醜の身を晒しても…



爺様は重い口調で、かつて八熾家に起こった出来事を話し始めた。


「羚厳様は屋敷にお仕えする侍女と恋仲になられました。その娘は武家の子ではありますが、土豪の分家のような家の出で、御門家に次ぐ家格をもつ御三家、八熾家とは天地の開きがございましてな……儂の父が中心となって、娘を"身分違いだ"と説き伏せ、別れさせたのです。もちろん羚厳様には内密で……」


「だが、その娘は既に懐妊していた。そうなのだな?」


「……はい。娘は懐妊の事実を我らには知らせず、実家に帰って双子を出産しました。我らは後になってその事を知ったのですが、主家の血を引くお子を害する訳にもいかず……付き合いのあった牙門家に頼み、養子として引き取ってもらったのです。」


「なんという事だ!それではお館様は、紛うことなき羚厳様の孫ではないか!」


シズルさんが叫び、爺様は頷く。


「……そして八熾家に変事が起こり、照京を脱出されたシノ様は牙門家に匿われました。そこで甥と姪にお会いになられたのでしょう。ここからは予想ですが、シノ様は牙門家の当主から事情を聞かされ、双子を自分の養子とされたのではないかと。」


牙門家は中立都市にある家だった。御門の先々代も、八熾シノの囲い込みを疑いはしても、手を出せなかったのだろう。……問題は、八熾、いや、牙門シノとなった人物の人となりだ。


「爺様、八熾シノとはどういった人物だった?」


「……兄君、羚厳様を誰よりも敬愛される気丈なお方でした。……女性にょしょうでありながら、八熾一族の秘伝剣法、夢幻一刀流を修め、その腕前も当主の羚厳様に次ぐ、と言えばお分かりになるかと……」


慎重に言葉を選びながら話す爺様。その様子がオレに牙門シノの気性を悟らせてくれる。


「言葉を飾るな。気構えのきつい性分だったのだな?」


「家中の者でも、"女武道"などと言う者もおりましたが……気構えが強いとまでは……」


この爺様はオレに至らない点があっても、絶対に悪くは言わない。でも、見る目がない訳でも、不公正な訳でもない。是は是、非は非と公正な判断を下せる、主家に関わるコトでなければ……


「最愛の兄を奪われた八熾シノが、復讐の権化になったら意外か?」


「………」


爺様は黙して答えない。いや、答えられないのだ。主家に対する忠節がこの爺様の屋台骨だ。その屋台骨を自ら揺るがす老人ではない。忠義の心こそが、この爺様の人生なのだから。


「やはりか。武者修行の旅に出ていた若かりし日の大師匠は、隠遁生活を送る牙門シノと手合わせしたコトがあるそうだ。その勝負は水入りに終わったが、"剣腕においてはシノ殿が上手うわてだった"と大師匠は仰られていた。」


「お館様、剣腕において勝るのに、なぜに水入りとなったのですか? トキサダ先生に花を持たせた、という事でしょうか?」


「シズル殿、そうではない。お館様、シノ様は"長くは戦えないお体"になられていたのですな?」


オレは爺様に向かって頷き、話の続きを聞かせた。


「そうだ。八熾、いや、牙門シノは照京脱出の際、肺を痛めたらしくてな。息が上がるのが早かったそうだ。その事に気付かれた大師匠は、見切りの技を駆使して持久戦に持ち込んだ。弱点を見抜かれた牙門シノは"この体では到底仇討ちなど望めぬ"と呟いたそうだ。」


大師匠は言葉を濁して詳細を話さなかったが、牙門シノは手合わせにかこつけて"自分の素性を悟った壬生トキサダを殺すつもりだった"のだと思う。真剣での勝負、そして水入り後に"どうか自分の事は内密に……"と懇願したコトから考えても的外れではないだろう。大師匠はそれを知りつつ、牙門シノを哀れんで沈黙を守った。


「お館様、ではシノ様は、羚厳様の忘れ形見のお二人を使って……」


シズルさんの言う通りだろう。自らの剣では復讐を果たせぬと知った牙門シノは、復讐を双子の養子に託した。女剣鬼は、復讐の鬼と成り、厳しい修練を双子に課したはずだ。そして時代は流れ、超人兵士が闊歩する戦乱の時代が訪れた……


もし、バイオメタル化の技術が早くに発明されていたら、酸素軽減アプリで牙門シノの弱点は克服され、アギトと姉は復讐の走狗として育てられずに済んでいたのかもな……


「お館様、儂と八乙女の婆様は「氷狼」牙門アギトが先代の忘れ形見なのではないかと当たりを付けました。そのお顔立ちが羚厳様によく似ておりましたが故に。そこで儂は婆様と申し合わせ、氷狼アギトの身元を調べてみたところ、先代の遺子に相違ないとわかり申した。ですが婆様は"あの男は黄金の狼にあらず。血に飢えた餓狼ゆえ、我らのお館には相応しくない"と申されましてな。儂は"黄金の瞳を持たぬとはいえ、八熾宗家の血を引くお方だ。我らはアギト様を擁立する"と意見を違え、息子を頭に何人かの若い衆をアギト様に仕えさせました。」


「息子と若い衆はどうなった?」


「アギト様のなさりように諫言を致したところ、手打ちにされたそうです。儂も息子を手打ちにされてようやく目が覚め申した。"あの男を惣領に仰げば、恥の上塗りになろう"と申された婆様が正しかった。ですが儂はアギト様に、暴虐の気質を感じようと……」


アギトの歪んだ性格は承知で、息子達を仕えさせた。爺様はアギトに負い目を感じていたから……


「気持ちはわかる。嫡男だったアギトを、養子に出したコトへの罪滅ぼしがしたかったのだろう?」


爺様の読み違いはアギトの暴虐の度合いを見誤ったコトだ。まさか息子達を手打ちにされるとは思っていなかったのだろう。だがサンピンさんの片目を潰したぐらいだ。アギトならやりかねない。


「……はい。息子の話では、アギト様と姉君は黄金の瞳が顕現せぬ事をシノ様に咎められ、大層お辛い目に遭われたそうです。姉君はいたたまれなくなり出奔、残されたアギト様はさらに苛烈な修業を課せられて……お痛わしや……」


黄金の狼眼を持つ惣領が亡くなれば、新たに黄金の狼眼を持つ者が現れるのが八熾の血掟。だが、炎に包まれた屋敷で自刃したはずの爺ちゃんは生きていた。魂を地球に転生させ、天掛翔平としての生を得たのだ。地球では念真力は物理法則に干渉出来ない。爺ちゃんの中で黄金の狼は眠りにつき、この世界に転生したオレの瞳に宿り目覚めた。……アギトに天狼眼が顕現しなかったのは当たり前だ。現惣領の天掛翔平が地球で生きていたんだからな。そのコトを知らなかった牙門シノは、兄の息子なのに天狼眼に開眼出来なかったアギトを責め立てたのだろう……


アギトの生い立ちには同情出来ても、ホタルにやったコトは許せない。アギトが死んでいるのはオレにとっては幸運なのかもな。でなけりゃオレは、親父の異母兄……世界違いの叔父を殺すところだった。


「儂は後悔しておるのです。もしあの娘と添い遂げさせておれば、羚厳様があのような最後を辿る事はなかったのではないかと。当時の御門家のまつりごとは、暴政と言って差し支えないものでしたが、妻と子があれば諫言を控え、思い止まってくださったのではないかと。」


「過ぎたコトはもうよい。爺様、よく話してくれた。」


「お館様、話はまだあるのです。羚厳様に侍女と恋仲になった事を打ち明けられた近侍の若衆がおりました。」


「ご老体、まさか……その若衆というのは……」


言葉に詰まった筆頭家人頭に、次席家人頭は答えた。


「左様、この儂にござりまする。……卑怯者の儂が老醜の身を晒し、英明だった羚厳様が若くして亡くなるなど……あってはならぬ事じゃ。……お館様が白髪首を落とせと仰るのならば、喜んで従いまする。儂らの悲願、八熾の再興はもう為されましたからな。」


告白を終えた爺様の小さな体が、一層老け込んで見えた。


天羽雅衛門あもうがえもん、オレが下す罰を受ける気があるか?」


オレが問い質すと、爺様は座布団から降りて床板に平伏した。


「ハッ!いかような罰でも!」


「お館様、ご老体は見ての通りの老人。なにとぞ寛大なお心を持って…」


取りなそうとするシズルさんを手で制し、オレは天羽雅衛門の罪に対する罰を宣告した。


「これまで通り、いや、これまで以上に私心を捨て、一族の為に尽くせ。この罰に時効はない。爺様は余命の全てを使って罪を償うのだ。」


「お館様!儂をお許しくださるのですか!」


顔を上げた爺様の瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。シズルさんは爺様の肩に手を置き、念を押した。


「ご老体、お館様のお裁きに従えぬとは言うまいな?」


「ハハッ!この天羽雅衛門、命尽くる日まで八熾の御為、お仕え致しまする!」


「……人は誰でも過ちを犯すものだ。お家を思ってのコトとはいえ、爺様の犯した過ちは、先代親子の絆を引き裂いてしまった。そして絆を断たれて道を誤った先代の子、アギトによって爺様の息子は落命した。シズル、次席家人頭は因果に対する応報をもう受けたと思うが、筆頭家人頭としてはどう思う?」


爺様に寄り添ったシズルさんは大きく頷いた。


しかり。愛する我が子を奪われるという刑は最大の罰にござりましょう。ご老体、お館様は罪を許しになられると同時に、新たな罰を与えられた。我らの未来を創る為に、老骨に鞭を打ってもらうゆえ、覚悟せよ。うむ、まさに鞭打ちの刑だな。」


「爺様、これからは主家の"体面や名誉"の為ではなく、一族の"人間"そのものに尽くしてくれ。」


「……お館様のお心がこの老骨にも理解出来申した。天羽雅衛門、これよりは一族の老若男女、全てを主家と思い、お仕えさせて頂きまする。」


これでいい。オレのルールでは、許せる罪と許せない罪がある。爺様のは許せる罪だ。例え爺様達が妻子と引き離さずにいたとしても、爺ちゃんは暴政を見過ごしにはしておかなかっただろう。いや、妻子があればこそ、その未来を切り拓く為に行動していたはずだ。だから爺ちゃんの運命は変わらなかった、そう思いたい。


爺様達は爺ちゃんの家族を引き裂いたが、御門家の先々代が余計なコトさえしなければ、爺ちゃんはいずれ真実を知り、妻子を迎えに行って共に暮らしていたに違いない。……そうなっていれば、オレや親父は存在していない訳だが……


……オレが小学生だった頃、爺ちゃんの道場で剣術の稽古した後に説諭を授かった。


「罪を憎んで人を憎まず、なんておためごかしをワシは信じとらん。許されざる者は現実に存在しておるからの。じゃがのぅ、許してよい者は許す。憎しみに身を委ねるのは安易じゃが貧しき道じゃ。実り多き人生とは、苦難の道に喜びを見出す事にある。」


「爺ちゃん、この剣術は許せないヤツを罰する為にあるの?」


「違う。じじが剣を教えておるのは、自分の道を切り拓かせる為じゃよ。孫よ、人を許すという事は難しい事なのじゃぞ? なぜなら、真の許しを人に与える事は出来ぬ。強く優しく、幸せでなければならぬのじゃ。」


人を許せる人間になる為に、強くなれ、優しくなれ……幸せになれ。爺ちゃんの言葉の意味が、今ならわかるよ。



爺ちゃん、オレは今、幸せだ。明日をも知れぬ我が身だけど、幸せなんだ。だから、これでいいんだよな?



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