第11話 “宵瓶”

 列柱とステンドグラスで飾られた拝廊。

 乳香のかわりに血と汗の臭いで満ち、聖歌のかわりに皮鎧のきしる音で満ちていた。


 剣、短剣、槍、投げ槍、手斧、投げ斧、弓、メイス、その他もろもろ。

 若いのから老いたのまで、がっちり武装して殺意をたたえた男たち。


「生きて帰すな!」


 誰かが叫んだ瞬間、矢と斧と短剣と槍が飛んできた。

 俺は咄嗟に拝廊から飛び出した。


「ふざけてんのか? 無理だろ」


 ここで最後のスクロールを使って、なんとか切り抜けて……その先には騎士がいる。

 アルゴー公ほどの手練れでなくとも、五歳児の勝てる相手ではない。


「……いや」


 切り抜ける手段はある。

 魔法を使えばいい。

 俺自身も黒焦げになって死ぬだろうが、相手もただでは済まない。


 なにも皆殺しにする必要はないのだ。

 ツィンカを刺したクソ野郎、ヴェラさえぶっ殺せれば思い残すことはない。


 というか、銀鼠騎士団ぎんそきしだんが何人か生き残ってくれれば、今回の魔王禍まおうかがどこかに伝わるだろう。

 大陸が魔王の恐怖を思い出してくれれば、来世はもっとスムーズに死ねるかもしれない。


 悪くない。

 俺は最後のスクロールに触れた。


 深く濃い闇が訪れた。


「おい、火ィ消えてんぞ!」

「あっヅっ! くそ、燃えてやがる!」

「ついてるって、消えてねえよ!」

「じゃあなんだって見えねえんだ! 真っ暗だぞ!」

「魔王だよ、魔王の魔法だ! 光を奪いやがった!」


 スクロールに封じられていたのは、“宵瓶よいびょう”。

 見た目は、くたびれた真鍮のカンテラだ。


 周囲の光を吸い取り、貯蔵した光量に応じた数と威力の魔炎を放つ。

 視界を奪って不意打ちする、暗殺用の兵器。

 とはいえ今は晩課ヴェスペラエの時間だし、“監視者”のせいで余計に暗い。

 いちいち上手くいかないな。


 側面のレバーを引く。

 スラットが立ち上がり、投影面から紫色の光が漏れる。


「ひっ!」


 魔力の光に気づいた誰かが、悲鳴を上げる。


「鬼火だ! 魔王の火だ! 焼かれるぞ、逃げろォ!」


 カンテラを手に、俺は歩を進めた。

 紫の炎が何条も吹き出し、怯えて逃げ惑う兵士たちを照らしながら奔った。


「うあ、あ、嫌だ、が、ぐうううッ!」


 拝廊のあちこちで、紫色の火柱が上がる。

 たきぎは銀鼠騎士団だ。


「ひッばか、近づくな、あづ、あ、ああああああ!」


 燃え上がった男にすがりつかれ、延焼する兵士もいる。

 反吐が出そうな、人と革鎧がまとめて焼ける臭い。


「どうして……どうして笑っていられるんだ!」


 斬りかかってきた男に、“宵瓶よいびょう”の投影面を向ける。

 吹き出した炎が、男を包み込んだ。


「俺、笑ってるの? 本当に?」


 問いかけるが、敵はすでに炭化していた。


 俺がどうして魔王呼ばわりされているのか、もう覚えちゃいない。

 記憶にあるのは、処刑台と涙――


 俺はもしかしたら、凌遅千年にふわさしい、いかれた惨殺フェチだったのかもしれないな。


 致死の紫炎しえんを撒き散らしながら、俺は拝廊をまっすぐに進んだ。

 人が、ベンチが、紫色の地獄に沈んでいく。


 左手側の扉に辿り着いたところで、カンテラの灯りが、ふっとかき消えた。

 わずかな全き闇の後、たいまつやオイルランプの、赤く尋常な炎が拝廊を再び照らした。

 “宵瓶”が、溜めた光を吐き出し尽くしたのだ。


 拝廊には、誰も残っていない。

 誰もが、死ぬか逃げ出した。


 さあ、もう少し殺せば辿り着くはずだ。

 扉を抜け、廊下の先には食堂がある。

 俺は焼き切れた“宵瓶”を放り捨て、扉を押し開け――


 飛んできた矢に左肩を撃ち抜かれ、俺の身体は真後ろに吹っ飛んだ。


「ふぅううう……」


 震える長い息が、扉の向こうから聞こえる。


「よくも、多くを殺してくれたな」


 完全に貫通している。

 骨が粉々だ。

 五歳児、脆すぎるぞ。


 矢を引き抜こうと上げた腕が射抜かれ、俺は悲鳴を上げた。

 めちゃくちゃ痛い。


「ああ、くそっ……なんでこんな目に」

「それを貴様が言うのか、魔王が! 何人焼いた!」


 涙まじりの怒声。

 怒る気持ちは分かる。

 こいつは多分、“宵瓶”が従士を燃やしまくっている間、ずっと扉の向こうで耐えていたのだ。

 仲間が焼き殺される悲鳴と臭いを聞きながら、確殺の瞬間を待っていたのだ。

 たいした根性だ。


 背中に血だまりのぬるさを感じる。

 これは、死ぬな。

 ようやく――



 ――ふざけんな。



「あんたらが――」



 あんたらが、クローディアを殺したんだ。



 クローディア? 

 誰だそれ?

 まずいな、走馬燈か?


「……“強い再生”」


 魔法を唱える。

 “強い”品詞を乗せた、シンプルな治癒の呪文。


 全身が灼熱した。

 皮膚が、筋が、骨が、臓腑が、暴走した魔力で変形していく。


 背中からもう一本の翼腕よくわんが飛び出した。

 長く伸びた五指の先端に、猛禽の鉤爪が生じた。

 乳歯がぼろぼろこぼれ落ち、やわらかな歯茎しけいを不揃いな牙が裂いた。


「それが真の姿か、魔王!」


 飛んでくる矢が、いやにゆっくり見える。

 俺は腕を持ち上げ、


「“はしる魔力の打撃”」


 魔法を乗せて振り下ろした。


 爪撃が、俺の腕を砕きながら魔力を乗せて飛んだ。

 その後は静まりかえった。


 身を起こす。

 騎士だったものが、六つの肉片となって床に転がっていた。


 こみあげた血を吐いて、俺は歩き出す。

 燭台を横切る。

 炎に照らされて、俺の影は異形だった。


 長く伸びた口吻マズル

 二本の翼腕。

 かかとが持ち上がって指で地面を把持する、狼のような足関節。


 俺は笑おうとした。

 獣のうなり声が、喉から漏れた。

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