第6話 カノプス三世の息子、ヴェラ
「だっ、だいじょうぶ、です。ヒール、しますから」
逆上しかけた俺の精神を、ツィンカの声がなだめた。
後先考えずに魔法をぶちまけるところだった。
ヴェラを殺し、ツィンカを巻き込み、反動で俺も死ぬような魔法を。
「残念だ、ボーサの狐耳。抵抗しなければ、接収だけで済ませるつもりだったものを」
「せっ接収!?」
横でおろおろしていたエノーが絶叫した。
「ヴェラ様、なにを仰っているのですか! 接収!? シルクス・コマンドリーは聖殿騎士団の」
「その聖殿騎士団が盟約破りをしたのであろう?」
信じられないほど冷たい声で、ヴェラは言った。
「アルゴー公国は、盟約破りの罪でお前たちを起訴する。聖殿騎士団、もはや教皇庁からの破門は免れ得んだろう。ゆえにこの土地、銀鼠騎士団がもらい受ける」
エノーはがっくりうなだれ、膝をついた。
なるほど、目的は騎士修道会の土地と財産か。
同性愛の温床になっていると、聖殿騎士団を訴訟した連中みたいなものだ。
「待てよ」
俺はツィンカの腕を押しのけ、ヴェラの前に立った。
「こいつらは何も知らなかった。俺はここであんたに殺されてやる。それで終わりに――」
ヴェラの剣が、俺の左肩から入って鎖骨を断ち肋骨を寸断して心臓に到った。
「我と我らが働きの内、報いに値せぬものは無し」
蹴り飛ばされて、俺の身体は血を噴きながら橋の上を転がった。
ものすごい勢いで溢れる血が、眼下の壕に注いだ。
「銀鼠騎士団が為すのは正義。交渉はしないぞ、魔王」
全身が急速に冷たくなっていく。
体がぴくりとも動かない。
五年ぶりの、死の感覚。
「リゲル!」
ツィンカが泣きながら叫んだ。
「父の到着を待ち、この連中を本国の“井戸”に移送する! おとなしく沙汰を待て!」
真っ二つに割れた心臓が、骨が、あたたかな感覚とともに繋がっていく。
「ヒール……漏れてるよ……」
聞こえるはずもない言葉を、ツィンカに向かって呟いた。
「修道士どもは一人も逃がすな。速やかに逮捕せよ」
ヴェラの指示を受けた四人の騎士が、エノーとツィンカを引きずっていく。
「俺は魔王の首を刎ねる」
剣を振って血を払ったヴェラが、近づいてくる。
「思い、出した」
俺は呟いた。
ヴェラの足が止まった。
「ボーサの女のヒールか。忌々しい真似を」
「カノプス。思い出したよ、完全に」
「我が父が英雄となった日のことを?」
ヴェラは切っ先をこちらに向けつつ、左手に魔力を集め始めた。
警戒してくれるなら、ありがたい。
俺は体をよじり、橋から身を乗り出した。
血気に逸った聖墓騎士カノプスは、立ちはだかる父を斬り殺した。
俺を離そうとしない母を脚絆で蹴り飛ばした。
へし折れた肋骨が肺に刺さり、母は血を吐いて死んだ。
「ヴェラ。あんたの親父は、お前と同じクソ野郎だ」
俺は捨て台詞を吐くと、身体を壕に投げ込んだ。
たちまち、無数の魔法が水面を割ってあぶくと共に降り注いだ。
鯉が狂ったように暴れ、沈殿した泥が凄まじい勢いで水を濁らせる。
俺は魔法が当たらないよう祈りながら、水底を這うように進んだ。
めくら撃ちの魔法が狙いを外し、かする気配さえ無くなった。
浮上して、身体を地面に引き上げる。
コマンドリーの裏、未開墾の深い森がそこには広がっている。
すぐに追っ手が来るだろうが、わずかな時間があれば十分だ。
「早く殺さないからこうなるんだよ、ばかどもが。魔王だぞ」
世界を丸ごと罵りながら、俺は這い進んだ。
泥まみれになりながら、森の奧へ奧へと。
もう二度と逃げない、だって?
「俺はあんたの家族じゃないよ、ツィンカ」
盤根の絡みつく岩に背中を預け、息をする。
末端は痺れ、全身は冷たく、視界はおぼつかない。
ツィンカのヒールは傷をふさいだが、流れた血の全てまでは補充してくれなかった。
「いいよもう、分かった。ヴェラ、あんたの望みは完全に理解した」
そりゃ、家族でもなんでもないし、殺される機会を捨てるのは惜しいけどさ。
なんか……これはちょっと、本意じゃないな。
「自殺したいんだろ? 協力するよ」
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