第5話 銀鼠騎士団

 ツィンカがいろいろ聞かせてくれて、世界の状況が飲み込めてきた。

 どうやら聖地奪還の件で、大陸中がごたついているらしい。


 いわく、この日と定めた出発日に誰も来ない。

 どこが船を出すかで揉める。

 出資者の希望で、聖地でもなんでもない場所を攻めさせられる。


 聖地遠征軍も五回を数える。

 緊張感が失われ、ぐだぐだになり、利権が発生する。

 篤い信仰心が政治にとって代わるのだ。


 俺が今のところ殺されていないのは、なるほどそのせいだった。

 今の大陸は、魔王討伐に戦力を割けない。

 そもそも魔王がどうでもいいし、それどころじゃないというわけだ。


「昔はよかったなあ。勲功を立てたがる騎士がうじゃうじゃいて、すぐ俺を討ち取りに来たんだ」


 俺はため息をついた。

 ここは図書館で、俺はなぜかツィンカの膝の上にいる。


「またそれですか、リゲル」


 ツィンカは呆れたように言った。

 背伸びした五歳児がなんか言ってますけど、ぐらいに思われている。

 まあ、信じてもらおうとしてるわけじゃない。

 

「魔王ごっこもほどほどにしてくださいね」

「愚かな人間よ……我は本物の魔王なり」

「とっても怖いですよ、リゲル」

「手はじめにお壕の鯉を全てグリルしてやろう……」

「まあ!」


 ツィンカが俺の両ほほを挟み、もちもちしてきた。


「そんなことをされては冬を越せません。どうか魔王様、哀れな民草にお慈悲を」

「ならぬものはならぬ」


 そして俺たちは同時に吹き出した。

 同時に、鐘が鳴った。


晩課ヴェスペラエの時間ですね。ちょっと行ってきます。終わったら晩ごはんですよ」

「ちゃんと食べるって」


 ツィンカが去り、俺は図書館で一人になった。


 平和な日々をぼんやり過ごすのは、悪くない。

 だが麦に意思があって、越せないほどの寒い冬が来ると知っていたら、必死になって実ろうとするだろうか?


 そのうち聖地遠征を巡るごたごたが片付き、だれかがふと魔王のことを思い出し、盟約を果たしにやってくる。

 俺はいつも通り殺される。


 考えはじめると、なにもかもがどうでもよくなってくる。

 もうなんでもいいからさっさと殺してくれ。


「おい、クソガキ! ここか!」


 エノーが、血相を変えて怒鳴り込んできた。

 顔が真っ赤で酒臭い。

 また酔っぱらってるのか。


「どうしたんですか」


 俺がうんざりした目を向けると、エノーは一瞬ひるんだ。


銀鼠ぎんそ騎士団だよ! お前を出せって! なにしやがったんだこのクソガキ!」


 そんな、お馴染みのみたいに言われてもな。

 何者だよ、銀鼠騎士団。


「分かりました。いま行きます」


 俺の胸は高鳴っていた。

 想定の百倍ぐらい遅かったし、相手は聖墓騎士でもないけど、そんなことはどうでもいい。

 ようやくだ。

 ようやく、殺してもらえる。


 次はもっと早く来いよな。


 エノーと共に門を潜ると、橋の上で、五人の騎士がツィンカと向き合っていた。

 上衣サーコートに刺繍された紋章は、火口金と火打ち石。 

 見たことないな。


「本当に、お前は……何をしやがったんだよ。アルゴー公国だぞ」


 エノーはがたがた震えていた。

 だから、お馴染みのみたいに言われてもな。

 最近興った国のことは知らん。


「やべえ、吐きそうだ……いやもう吐く、これは絶対に」


 それはビールの呑みすぎが原因じゃないかな。


「こんにちは」


 俺はずかずか歩いて行って、先頭の騎士に挨拶した。

 騎士は兜をあげ、面食らったような顔で俺を見下ろした。


「では、あなたが?」


 男の問いに、俺は頷く。


「そんな! ありえません! だってリゲルは……!」

「あなたを八つ裂きにしたり、こちらのコマンドリーを焼き払ったりしなかった? そうでしょうとも。そんなことをすれば、すぐに殺される」


 男に言われて、ツィンカは言葉を失った。


「はじめまして、魔王。“堅牢公”カノプス三世の息子、ヴェラである」

「あー……なんか聞き覚えある」

「そうだろうとも。父はかつて聖墓騎士として、あなたを討った。都市が一つ滅びはしたが、魔王禍の再来を未然に防いだのだ」


 じわじわ思い出してきた。

 そんなこともあったなあぐらいだけど。

 殺されすぎて、一つ一つの死の記憶が曖昧なのだ。

 都市を滅ぼしてたのか、俺。

 

「そっか。英雄か」

「今は銀鼠騎士団の団長だ」

「なるほど、それはよかった。それじゃあ一つよろしく」


 俺は両手を広げた。

 ぼんやり覚えてるぐらいの人が来るのを待って、旧交をあたためるつもりはない。

 ぷすっとされて、今世も終わりだ。

 五年はさすがに長かった。


「物分かりがいいのだな」


 ヴェラは拍子抜けしたように言った。


「五百年殺され続けたことはある?」

「これは失礼。死の先達に対する物言いではなかったようだ」


 シャレの通じるやつだ。

 こういうやつに、後くされなくすぱっと殺してもらえるのが一番いい。


「待って! 待ってください、だめです!」


 ツィンカが膝をつき、俺を抱きしめてヴェラを睨んだ。


「この子はまだ五歳なんですよ!? どうしてこんな風に……魔王、魔王だから? どうして殺されなくちゃならないんですか!」


 ヴェラはツィンカの黒髪と狐耳を見て、得心したように頷いた。


「あなたはボーサか。そうであれば、古の盟約を知らなくても無理はない。凌遅千年の刑は今でも執行中だ。その魂が消滅するまで、魔王は転生し、殺され続ける」

「そういうこと」


 俺はツィンカの腕から逃れようとした。

 思ったよりもずっと強い力で、ツィンカは俺を離さなかった。


「わ、わたしは……」


 ツィンカはぎゅっと目を閉じ、大きく開いた。


「もう二度と逃げないって、決めているんです」


 ヴェラはため息をついた。

 抜剣し、ツィンカの肩を突いた。


「いっぎっ!? あ、うあああ……!」


 剣を引き抜くと、白い僧衣が真っ赤に染まる。


「……は?」


 なにしてんだ?


 なにしてんだ、こいつ?

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