第3話 ツィンカ・パベル

「この鯉もおいしいですよ。ぜんぜん臭くありませんから」

「うん」

「あ! まだブラックプディングを食べてませんね。農家さんから分けていただいたんですよ。私たちは狩りを禁じられていますから」

「うん」

「ブルーベリーは? 好きですよね、リゲル」

「うん」


 ツィンカのすすめるがまま、ひたすらぱくぱく食べていく。

 すくすく育ってしまいそうだ。


「見ろよ。拾われもん同士が立派に親子だ」

「おー、ああして殖えてくのか? いい迷惑だな」


 ビール片手の酔っぱらいがふたり、俺たちの後ろを通り過ぎながら言った。

 どっちも男だ。


 俺の知ってる修道院は男子修道院と女子修道院に分かれていた。

 だが、歴史には色々ある。

 同性愛の温床になっていると、聖殿騎士団は訴えられたことがあるのだ。


 そもそも同性愛禁止自体、教皇庁が勝手に定めて押しつけたルールである。

 が、敗訴すれば領地を丸ごと奪われる。

 そこで聖殿騎士団長は、全てのコマンドリーを男女共用とした。


 教皇庁は激怒した。

 当たり前だ。

 しかし、このトンチで聖殿騎士団は勝訴し、所領を守ることに成功した。

 シャレの分かっている団長だ。


 しかし、次にはじまったのはコマンドリー内での異性差別だ。

 シルクス・コマンドリーはもともと男子修道院だった。

 今の修道院長コマンドゥールは女性のようだが、遠征中でここにはいない。

 修道騎士モワーヌ・シュヴァリエも、院長と一緒に出払っている。

 今このコマンドリーを管理してるのは、もともといた男の司祭シャプランだ。


 ちなみに俺の立場はどうなっているかというと、被保護者ドナだ。

 騎士団は、助けを求める弱き者に手を差し伸べなければならない。

 具体的には、余ったメシを食わせたりとか。


 俺が食えているのは、この制度のおかげだ。

 ありがたすぎて死にたくなってくる。


「おい、ガキ」


 椅子の脚を払われて、俺はひっくり返った。

 石床の上に撒かれた葦が、頬に刺さってちくちくする。


 司祭のエノーが、俺を見下ろしてニヤニヤしている。

 朝からめちゃくちゃ酔っぱらってんな。


「ほら、施してやるよ。喜べ」


 顔に酒をぶちまけられた。

 ビールを呑むのはいつ以来だろうか。

 きりっと苦くて小麦が香る、俺好みの味だ。

 だからどうだこうだってわけじゃないけど。


 いいことを思いついた。

 エノーを挑発すれば、殺してもらえるんじゃないか?

 被保護者をひとり殺しても、みんなで口裏を合わせればお咎め無しだろう。


「ごちそうさまです」


 俺は涼しい顔で立ち上がり、椅子を起こして座り直した。

 こういうのが一番腹立つんだろ。

 はじめて殺されたときに学んだよ。


「ああ? おい、なんだそれ、その態度は? 気にしてませんってか?」


 泣きわめいてほしいんだよな。

 助けてくれって、乞われたいんだよな。

 俺の心を支配したいんだ。

 それができなきゃ、次は暴力だ。

 ましてエノーは酔っぱらっている。


「背ぇ向けてんじゃねえよ!」


 エノーは俺の首根っこを掴み、椅子から引っこ抜いた。

 いいぞエノー。

 串刺しにしろエノー。

 おまえの本気を見せろエノー。


「待ってください、エノー!」


 ツィンカが慌てて立ち上がり、エノーの腕にすがった。


「うるせえぞ、ボーサの狐耳が!」


 エノーが腕を振り回し、ツィンカが尻餅をついた。


「院長は気に入ってるみてえだけどよ、おれは前からむかついてたんだ。なんだってボーサの女なんか住まわせなきゃならねえ?」


 おいおい、めちゃくちゃキレるじゃん。

 日ごろからよっぽどイラついてたんだな。


「そもそも女が入りこみやがるのがおかしいぜ。ばかだし邪魔くせえし小うるせえ。そうだろ」


 エノーの大演説を、男たちがはやし立てた。

 少ない女は黙ってうつむいている。


 なんか……これはちょっと、本意じゃないな。


 俺がぷすっとやられる分には問題ない。

 だが、周囲を巻き込むとなれば話は別だ。


 仕方ない。

 ちょっと黙らせるか。


 魔法を使うのは、いつ以来だろうか。

 あんまり覚えてないな。


 右手に意識を集中して、大気中の魔力を練り上げる。

 ばらばら死体を作るつもりはないから、威力は最小限に。


「……“小さな黒い火”」


 エノーの服の下、皮膚を直接、魔法の火で軽く炙ってやる。


「うあっちぃ!? うわっ、うわわわ!?」


 エノーは俺を手放し、腹を押さえて絶叫した。

 黒い火は対象に粘りつき、いつまでもダメージを与える。

 と言っても、威力はぎりぎりまで絞った。

 大きな怪我にはならないだろう。


「大丈夫ですか? すみません、足が当たっちゃったみたいで……」


 一応、エノーに声をかける。

 エノーは床の上を転げまわり、どんどん葦まみれになっていく。


「大丈夫そうですね。それじゃあ、俺はこれで」


 エノーもツィンカも置き去りに、俺は食堂棟を出ていった。

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