灰に、

 僕も後を追うように、外へ出た。あのまま彼女のあとは追わないのは違うと、分かっていたからだ。協力するという理由で助けてもらったのに、結局何もしないのは、嘘つきと同じだ。

 路地を歩く彼女に追いついた僕は、彼女の後ろを付いていく。そして自分の中で浮き上がる疑問を解くため、問いかけた。


「世界を救うって、何? あの『悪いヤツ』は?」


 夜の寒さで冷え切った僕の右手を、彼女はさも当たり前のように握る。そしてトコトコと、どこかへと連れて行く。


「あの『悪いヤツ』は『月人』と言う宇宙人。人間を窮地に追いやっている、危険な奴らなの。ほら、近頃病気が流行っているでしょ?」


 ──延々と眠り続けてしまう病、眠り病。


 彼女は、この奇病がその人型の宇宙人『月人』の仕業だと言う。


「世界を救うためには、その月人を倒したいの。でも私一人だけでは倒せない。貴方の力がなきゃいけないの」


 そして彼女は、足を止めた。そこは、近所にある大きめの図書館だった。

 図書館の真上に浮かぶ白い満月が、煌々と夜の街を照らしている。


「ここの屋上に、月人の基地へ繋がるゲートがあるの。そこに潜って、彼らの基地へ乗り込みましょう」


 目と鼻の先に、僕をこんな目に遭わせる原因となった『悪いヤツ』がいるのだ。急であまりにも都合の良すぎる展開に、僕は少し、違和感を覚えた。何かが仕組まれている気がする。


「これは罠じゃないわ。なるべくして、なっているの。世界を救うためには、こうでなきゃいけないの。あとで貴方も、きっと意味を理解するわ」


 猫娘はそう言い、僕の右手を握ったまま、歩み進める。僕らは従業員用のエレベーターに乗り込み、屋上へ行く為、ボタンを押す。そして屋上に着くまでの間、また黙り込んでしまった。猫娘はまだ、僕の右手を握っている。


「いつまで、手を握っているんですか?」


 彼女は顔を僕の方へと向け、金色の瞳で僕を見つめて、黒くて長い尻尾をゆらゆらと揺らす。猫のように。


「晶が不安になるかと思って、握っていたけど、嫌だった?」


 彼女の金色の瞳や、黒くしなやかな尻尾と、ピクピク動く猫耳が、僕に過去の記憶を思い出させる。昔飼っていた黒猫、ユエ。心がずきりと痛んだ気がして、急いで彼女から目をそらした。


「いいよ、このままで」


 胸が締め付けられる思いがした。心が苦しかった。だから僕は、素っ気なく返す。彼女が何かを察したのかどうかは、分からない。ただその後はまた、冷たい沈黙が僕らを包んだ。その沈黙を破ったのは、屋上に着いたことを知らせるエレベーターの音。軽快な機械音が鳴る。


 ゆっくりと、扉が開く。


 屋上から見る夜空は、どこまでも真っ暗で、星ひとつさえ瞬いていない。青白い月だけが、屋上を照らしていた。そんな屋上の真ん中に、大きく白い石柱状の物体が佇んでいる。それは、SF映画に登場したモノリスを彷彿とさせる姿だった。


「あれが、月人の基地へのゲートよ」


 僕らは周りに誰もいないことを確認してから、ゲートに近付いた。近付くと、ゲートの大きさが際立つ。恐らく、僕の身長の二倍はあるだろう。眼が痛くなるほどに白いゲートは、月の明かりに照らされ、幽かな光を放っていた。


「このゲートは、どうしたら通れるの?」


 僕がそう言うや否や、猫娘はしなやかな右足で、力強く白いゲートを蹴った。昭和のテレビに対する処置法のようだ。

 そんなことをして、ゲートが開くはずがない。

 だが、そんな僕の思いを裏切るかのように、ゲートはぐにゃりと歪んだ。ゲートの中央から徐々に渦形に変形し、銀河に似た形になった。


「じゃあ、準備はいいかしら? 飛び込むわよ」


 彼女は僕の右手を、更に強く握りしめる。そして僕に返答する間も与えることなく、一緒に謎の渦へと飛び込んだ。


 ゲートを潜り抜けた先は、病院に似た清潔感溢れる廊下だった。月人の基地なのだろう。宇宙を舞台にした映画に出てきそうな、直線が多いシンプルなデザインがなされている。


「さあ、行きましょう」


 そして彼女は、僕を引っ張る。


「行くって、どこへ?」

「どこも何も、基地の中心部よ。月人をコントロールしている場所へ行けば、眠り病の原因になっているものを止められる。そうでしょ?」


 僕の手を握ったまま、彼女はくるりと振り返る。黒いフレアスカートがふわりと、動きに合わせて膨らんだ。建物内がすべて白くデザインされているせいで、全身を黒く揃えている彼女の姿は、映画のワンシーンかと錯覚してしまうほどに、映えていた。


「そういえば、名前を聞いていなかったね」


 少しだけ彼女に対する警戒心が溶け出した僕は、さりげなく聞いてみる。いや、さりげなく、だったかは分からない。さりげなく聞いてみたものの、やはりぎこちなさがあったのだろう。彼女は目を見開いた後、おかしそうに小さくクスクスと笑いだした。


「そうね、まだ名前を教えてなかったわ」


 そして金色の瞳を輝かせながら、彼女は猫のようなか細い声で囁いた。それは奇しくも、もう会うことの出来ない愛猫と同じ名だった。

 心の動揺に気付かれないよう、僕は無理やり笑みを作る。そして、もしかしたら彼女は魔法か何か不思議な力で、愛猫が、ユエが、人の形になって戻ってきたのではないかと、ちょっとした期待が胸の中で膨らんだ。


「素敵な名前だね」

「ありがとう。貴方のも、素敵よ」


 そして僕らは、基地の奥へと潜り込んで行った。もちろん、こっそり。忍び足で。月人たちに気付かれぬように。

 初めは億劫だった月人を倒し、世界を救うという話も、今はワクワクしていた。子供の頃よくやっていた、戦隊ごっこをしているようだった。そんな浮き足立つ僕とは裏腹に、ユエはどこか深刻そうな顔をしていた。


「人って死んだらどこへ行くのかしら。晶はどう思う?」


 急に、ユエは問いかけた。あまりにも突拍子のない問いだった。彼女は翳のある表情が、白い空間の中で際立つ。


「うーん、どうだろう。僕は特定の神様を信じている訳ではないから、死後の世界がどんな感じなのか、良く分からない。でも死んだら、きっと星になるんじゃないかな」


 そうだったら、いいな。


 これは、ただの希望論だ。消えた命が、星になる訳ない。でも、もし死者が星なるのであれば、夜空を見上げるたび、あの空に輝く綺麗な星々に見守られていると感じられる。残された者の気持ちが楽になるのだ。死後の世界とか神様なんて、生きている者を安心させるためにあるんだから。


「でも、どうして急にこんなことを聞くんだ?」

「月は人を狂わせるって言うでしょう? 月光が原因で病気になる眠り病は、肉体の病ではなく、心の患いなの」

「何が言いたいのか、よく分かんないんだけど」

「つまり、人の大切な者を失う喪失感、或いはそれに近い状況に陥ると、月人の出す月光と交わって、眠り病になってしまうの」


 じゃあ、母さんは何を失ったんだ? 僕は自分に問う。自分の周りでもテレビでも、訃報は耳にしていない。あるとしたら、数週間前に死んだ、愛猫のユエぐらいだ。母さんが、あの母が、ユエの死を悲しんだのか? そうとは思えない。


「へえ、そうなんだ」


 彼女の話がどうも信じられなくて、僕は適当に相槌を打った。


「晶は最近、誰か大切な人を亡くしたの?」


 大きくクリッとしたユエの瞳は、僕を見つめる。金色の瞳には、純粋な疑問が伺えた。


「どうして、そんなこと聞くの?」

「ちょっと、気になっただけ」


 そして黒いフレアスカートが揺れる。僕は彼女の質問に答えるべきか否か、暫くの間、悩んだ。このふんわりとした、柔らかな雰囲気を壊してしまうのではないかと、不安になってしまった。


「私に似ているんでしょ?」


 心がざわりと揺れる。


「ふふふ、図星だったみたいね」


 そしてニヤリと微笑み、白い犬歯を覗かせた。僕は顔をそらす。


「冗談よ、そんなに深刻そうな顔をしないで。ほら、基地の中心部よ」


 戯けた様子で彼女は微笑むと、目の前にある大きな白い扉を指差した。この扉の向こうに、月人が人を狂わせ眠り病にするものがあるらしい。扉の向こうから、規則的な心臓の鼓動のような音が聞こえてくる。


「この向こうに?」

「ええ、そうよ。それを私たちは破壊するの」


 ドーンってね。


 陽気な笑いをあげ、ユエはくるくると踊る。


「それで、終わるの。何もかもが。月人の呪いも解けるわ。世界は救われる」


 そうか、全てが終わるのか。非日常的で不思議な冒険も。

 僕らはドアノブに手をかける。そして開けようとした次の瞬間、背後から良からぬ気配を感じた。後ろを振り返るとそこには、白い光を放つ、ぼんやりとした淡い輪郭の人の形をした影が立っていた。顔はなく、異様に長く細長い手足と痩せ細った胴体が気味悪さを際立てている。先ほどまで、月人となんて一人も擦れ違わなかったのに、もうすぐ終わりが見えるという時に限って、彼らは現れたのだ。


「逃げて!!」

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