そして骨に、灰に、星に。

井澤文明

そして骨に、

 いつの間にか、眠っていたらしい。


 目を閉じる前は午後四時を指していた部屋の時計は、もう夜の九時を示していた。夕日で照らされていたはずの部屋は、もう夜の暗闇に呑まれている。

 こんなに寝たのは、いつぶりだろう。ぼんやりとした頭で考える。この所、色々ありすぎて疲れたんだ。


 最近、世界中で奇妙で不可解な病が伝染していて、みんな騒いでいる。なんでも延々と眠り続けてしまう『眠り病』と言う病気らしい。


 数日前、母がその『眠り病』に罹った。だが、僕はそれでも未だにこの病を遠いおとぎ話のように感じている。

 まるで、現実味がない。母が病に罹ったと知った時、然ほど気にしていなかった。


 その原因は多分、僕が数週間前に愛猫を亡くしてから、両親と距離を置くようになっていたせいなのだろう。

 僕が愛猫のユエを亡くし、塞ぎ込むようになってから、僕と両親との間に大きな壁が作られてしまった。両親の「たかが猫が死んだだけ」という言葉が原因なのだから、僕に一切の責任はないと思っている。いや、実際に僕は一切の責任を負っていない。僕はただ家族の死を悼んだだけなのだ。それを両親は理解してくれなかった。冷血なあの二人が、どう考えても悪い。


 両親に対して苛立ちが募る。

 あの二人に対しての文句はいくらでも出てきて、止まらない。これは困った。


 僕は気持ちを入れ替えようと思い、心地良いベッドから這い出た。帰宅してから何も口にしていなかったせいで、腹と背中がくっついてしまう気がした。

 ベッドから出た僕は、そのまま一階にある冷蔵庫へと向かった。勝手に冷蔵庫の中を漁ると、普段だったら父に怒られるが、あの人は母の看病をするため、暫く帰って来ることはない。

 だが、誰もいないはずの台所から、がさりと物音が聞こえて来て、僕は思い出す。玄関の鍵を閉め忘れたのだ、学校から帰って来た時に。

 どろりと、冷たい汗が、背中を伝う。心臓の鼓動も、自然と早くなる。


「誰か、そこにいるの?」


 そう声を出したのは、僕ではない。謎の不法侵入者だ。落ち着いたボーイソプラノ。侵入者の声音から、幼さを感じる。恐らく僕と同世代の女子だろう。僕はゴクリと唾を飲み込み、近くにあったフラットモップを握った。


「こっちが聞きたいわ!」


 モップを構え、攻撃体制に入り、冷蔵庫の前に立つ少女を見る。

 奇妙な少女が、そこに立っていた。黒い猫耳と尻尾が生えた少女が、そこに立っていた。彼女の長い黒い髪と膝丈のフレアワンピースは、窓から覗く暗闇とマッチして、ミステリアスな雰囲気を作り上げている。

混乱と混沌で、頭の中は満ち溢れていた。知らない不法侵入者が──しかも変な猫耳と尻尾が生えた同世代の少女が──目の前に、さも当然のように立っているのだ。

 暫くの沈黙が、僕と彼女の間に訪れる。時計のチクタクという音だけが、僕らを包んでいた。そんな居心地の悪い沈黙を破ったのは、ワンピース姿の猫娘だった。


「君、私と一緒に世界を救ってみない?」


 黒い尻尾を揺らし、右手を僕へ差し伸べ、彼女は告げる。

 そんな、少年漫画にありそうな勧誘の仕方はやめて欲しい。そんな僕の心の声も、彼女には聞こえない。


「私は、まあ『悪いヤツ』を倒す、正義の味方みたいな者よ」


 これはいよいよ、少年漫画風な展開になってきた。僕は握る拳を強める。


「厨二病かよ。警察呼ぶからな」

「君は、私を狂人だと思うの?」


 猫娘は首を傾げ、不思議そうに問いかける。それはそうだ。逆に、この状況で何故こいつを狂人だと思わない。


「いいから、そこで大人しくしていろ」


 左ポケットに入れたままになっていたスマホに、手を伸ばした。

 ピクリと、猫娘の右耳が動く。そして彼女は金色の瞳を右に──リビングへと動かし、不機嫌そうに顔を歪めた。


「ああ、もう来ちゃった。サイアク」


 彼女がそう言うや否や、部屋が途端に明るくなった。電気がついた訳ではない。

 猫娘の顔が向けられた場所には、『ナニカ』がいた。白い煌びやかな光を放つ、ぼんやりとした淡い輪郭の人の形をした影──。それは僕の家のリビングにぽつりと立ち、ゆっくりとこちらへと近づいている。目や口はなく、それが果たして僕らをみているのかどうか、判断の仕様がない。


「あれが、私の言う『悪いヤツ』だよ。そうだね、某笑わない不気味な泡風に言えば『世界の敵』かな」

「それ、隠せてないと思う」

「そう? まあ、それよりも重要なのは、君が私に協力してくれることだよ」


 このピンチを脱却したければね──。


 最悪な交渉をしてくる悪役のように、彼女は意地悪な笑みを浮かべる。白い『ナニカ』から出ている謎の光のせいか、『悪いヤツ』が近付くにつれ、身体中にズキズキとした痛みが伝わり、呼吸もし辛くなった。

 もう僕に、選択肢はないようだ。

 唾を飲み込み、覚悟を決め、僕は拙い声を絞るように出し、答えた。


「分かった。一緒に、倒してやる」


 僕の言葉に、彼女は口角を上げる。そして嬉しそうに、しなやかな体をうねらせた。まるで猫のように。

 そしてスカートの中から、ビビットピンクの銃を取り出す。小学生が百円ショップで買う銃に似たデザインだ。彼女はリビングに佇み発光する『悪いヤツ』に銃口を向け、撃った。だが飛び出したのは、銃弾ではなく、七色のビーム。先ほどまで少年漫画の雰囲気だった筈が、急に魔法少女アニメと化す。

 ──世界観が良く分からない。

 それが、僕の率直な感想だった。少年漫画のようで、魔法少女アニメにも、ライトノベルにも見える。


「さあ、行こうか」


 七色ビームを受けた『悪いヤツ』は、いつの間にか消えていた。

 置いてきぼりにされている感が否めない。僕はズルズルと、この猫娘のペースに流されているのだ。彼女は玄関へと向かっているが、僕は進む一歩が踏み出せないでいる。そんな僕を怪訝そうに見つめ、彼女は振り返り、問いかける。


「どうしたの、晶? 一緒に倒すんじゃないの?」


 ぞわりと、小さな電流が身体中を巡る。

 ──なぜこの人は、僕の名前を知っているんだ?


「そんなに怖がらなくてもいいじゃない。私は貴方を知っているわ。理由は、まあ後

になれば分かるわ。今はまず、世界を救わなきゃ」


 謎を残したまま、彼女は外へ出た。世界を救うために。

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