第24話 ケリを付ける


 パキン、と小さく音がした瞬間、ハッとして手元を見る。

 花を使ってリースを作っていた伊澄だが、枠に入れる途中で茎が折れてしまった。


「……またやった」


 大きく溜め息を吐いて、カウンターにリースの枠と折れた花を置く。

 昨日、ケーキバイキングに行って、結衣に想いを告げるはずが、思わぬ人物の登場で出来ず仕舞いになった。それどころか、勇気を振り絞って結衣に「見苦しいところを見せてごめん。どうしても、直接話したいことがあるんだけど、会えないかな?」と送っても返信はないままだ。あの現場を見せつけられて、すぐに「話したいことがある」と言われても難しい話だろう。

 重なる失敗を反省するかのように縁に手をついて俯いていると、いつもとは違う様子を心配した店主夫妻が声を掛けた。


「大丈夫か? 伊澄」

「珍しいわね。熱でもあるんじゃない?」

「普段、頑張ってくれているし、早退してもいいぞ?」


 まだ昼を過ぎたところだが、お盆も過ぎた今は少し落ちついている。

 このまま働いて、もっと大きなミスを犯すわけにもいかない。

 非常に申し訳ないが、夫婦の厚意に甘えることにした。


「……ごめんなさい。じゃあ、お言葉に甘えます」

「うん。お疲れ様。ゆっくり休んでね」


 一度、店の奥に下がってエプロンを置き、カバンを取って中からスマホを取り出す。

 微かに期待していたが、結衣からの返信はなかった。

 今日は早く帰って休もう。

 そう決めて、伊澄は店を後にした。




「あれ? 伊澄さん、仕事じゃなかった?」

「早退させてもらった」


 体調が優れないと見た夫婦に気を遣ってもらい、早退した伊澄だったが、自宅には帰らずに圭のいる喫茶店に来ていた。

 圭は何故か伊澄のシフトを知っている様子だが、早退まではさすがに把握し切れていない。

 あっさりと、けれど、どこか重い空気を背負った伊澄をひとまず、いつものボックス席に案内する。


「早退って、なんでまた。というか、体調悪いならここに来ないで帰ったほうがいいんじゃないの?」

「そう、なんだけど、実は……」


 伊澄としても、帰れるなら帰って休みたかった。

 しかし、部屋に戻れない理由があったのだ。


「部屋の前に、乙葉がいて……」

「怖っ」


 ストーカーかよ、と続きかけた言葉は、寸でのところで飲み込んだ。

 伊澄は、三十分ほど前の出来事を思い返しながら、重い溜め息を吐いた。

 その様子から、彼女に気づかれたのだとは分かる。


「この前、連絡先も教えずに別れたし、どうしても話がしたいって言われて……」

「もしかして、俺に連絡先を教えてくれなかったのって、押し掛けるつもりだったってこと? こっわ。それで、話をしたくなくて逃げてきたって?」


 乙葉の執念深さに、圭は思わず身震いをした。

 圭は、乙葉が伊澄の前に現れた日の晩、すぐに自身の広い交流関係を活かして、どうにか乙葉の知人までは繋がった。しかし、そこから先の……乙葉の連絡先を手に入れることが出来なかったのだ。本人が、伊澄の後輩とは言え、知らない男に教えるのは嫌だと言って。

 個人情報なので圭もあまり強くは出られず、どうしたものかと困っていたところだった。

 だが、それが彼女自身が伊澄に直接会って話すのが目的だとしたら、わざわざ自ら接触してきた後輩を頼ってきたりはしないだろう。

 話もせずにここに逃げ込んだのかと思ったが、伊澄がそれを否定した。


「いや、話はするんだけど、今日は突然だったし、余裕がなくって……」

「いつ?」

「……明日」

「明日ぁ!?」


 突然の日程に、勝手に伊澄の話し合いに参加する気だった圭は驚いて声を上げる。

 何事かと客が圭を見るが、話し相手が伊澄だと分かると「いつものか」と言わんばかりに視線を戻す。常連客ばかりで助かった。

 取り乱してしまった圭は、咳払いをひとつしてから言葉を続ける。


「分かった。じゃあ、明日はここで話しない?」

「ここで?」

「そ。どっちの家で話したって、余計に拗れて、そのうち面倒になるか情に流されるか諦めるかしてまたヨリ戻されてそうだから、ここで」


 圭の上げた予想を否定できないのが辛いところだ。

 だが、ここならば第三者の目もある上、いざとなれば圭が助けに入ってくれる。本人もそのつもりだ。

 唯一の気掛かりは、この店を私情で使ってもいいものか。乙葉のことなので、声を荒げられる可能性もあるのだ。


「まあ、こっちの都合はこっちに任せとけって。元々、喫茶店って話し合いに使われやすいから気にすんな。……すごい修羅場は、他にもあったし」


 圭の言うとおり、喫茶店は様々な話し合いにも使われる。伊澄も何度かその経験はある上、店に来たときにその状況を目にすることもあった。ただ、「すごい修羅場」については、圭が遠い目をしているのであまり触れない方がいいだろう。

 乙葉への連絡は圭がするとのことなので、そちらに任せることにし、伊澄はいつものアイスコーヒーを飲んでから家に帰った。小一時間ほど喫茶店にいたため、恐らく、もう帰っているだろうと踏んで。




 そして、翌日。

 昼過ぎに圭の店を訪れると、既にボックス席には乙葉の姿があった。三席ある内の真ん中で、一番奥には二人組の客がいた。癖のある長い金髪の少女と帽子を被った少女で、学生なのか勉強している様子だった。

 これから隣で繰り広げるであろう会話を考えると、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。さすがに、「これから隣で修羅場が始まるかもしれないので、先に謝っておきます」とは言いに行けないが。

 伊澄が入ったのを見た瞬間、乙葉は立ち上がったものの、すぐに席に座り直した。公共の場ということを考えたのだろう。

 伊澄は彼女の前に座ると、圭が水を運んできた。さすがにいつものようにテーブルの横に立つことはせず、カウンターの向こうに下がった。

 ただ、何から話していいのか分からず、ひとまず、直接連絡を取らなかったことを謝罪することにした。


「……人伝に呼び出してごめんね」

「ううん。こっちこそ、この前は取り乱してごめんなさい」


 しおらしくテーブルに視線を落とす乙葉は、先日のことを反省している様子だ。

 これならば多少はまともに話が出来るだろう、と伊澄はそっと息を吐いた。

 話を切り出したのは乙葉からだった。


「浮気していたこと、本当にごめんなさい」

「……もういいよ。終わったことだし」


 不思議と、「俺にも非があったから」という言葉は出てこなかった。彼女だけが悪いわけではないのだが、これでは自分が完全な被害者になっている。

 何故、口に出せないのかと疑問に思っていたが、乙葉にとっては伊澄が自分を見なかったことはどうでもいいのか、いつかのように責める姿勢はなかった。


「あの人に遊ばれてたって知って、私も目が覚めたの。だから……お願い。もう一度、私にチャンスをちょうだい」

「…………」

「伊澄とやり直したいの」


 真剣な眼差しに耐え切れず、伊澄はそっと視線を落とす。

 今は乙葉と向き合わなければならないと言うのに、こんな時でも浮かんだのは結衣の姿だった。

 乙葉には悪いが、気持ちは既に結衣に向いているのだと改めて実感した。


「……ごめん。もう、他に好きな人ができたんだ」

「一昨日の子?」

「うん」


 気持ちを受け入れているせいか、すんなりと頷けた。そして、胸の奥が温かくなった。こんな気持ちになるのは初めてだ。

 乙葉は呆気にとられていたが、すぐにハッと我に返ると少し慌てた様子で前のめりになった。


「伊澄のことだし、しつこく言われて断れない状態なのよね?」

「ううん。あの子からは、まだ何も聞いていないよ。ただ、俺が好きなだけ」

「っ!」

「今までは確かにそうだった。俺、『好きだと言ってくれるなら』って、安易に受け入れすぎたんだ」

「は……?」


 自分のことを好いてくれる人を傷つけるわけにはいかないと、気持ちは後からついてくるだろうと安易に受け入れてしまっていた。その結果が、乙葉のように「仕事ばかりで私を見てくれない」と浮気や破局に至っていたのだ。

 しかし、結衣と出会ってから、初めて自分から異性を好きになることを知った。この歳になって、と言われるかもしれないが、それほど彼女の存在は伊澄に大きな影響を与えたのだ。

 愕然とする乙葉を見ると心苦しくなる気持ちはある。だが、以前のように流されるわけにはいかない。


「乙葉の浮気のことがあったから、俺は……本当に大事にしたいって思える子に会えたんだ。それが、『恋心』なんだって教えてくれたんだ。だから、君とは――っ!?」


 やり直せない、という言葉は、突然降りかかってきた冷水によって遮られた。

 顔を上げて乙葉を見れば、彼女は怒りに顔を歪め、目尻には涙を浮かべて空のコップを持っている。感情が爆発した結果、手近にあった冷水を伊澄に掛けたのだ。氷が溶けていたのが不幸中の幸いか。

 店内にいる他の客が驚いてこちらを見ているのが、他人事のように思えてしまった。


「最っ低!」

「…………」


 コップを荒々しくテーブルに置くと、乙葉はバッグを持って喫茶店を出て行った。やや雑に扉が閉められ、伊澄達を見ていた客達はそっと視線を元に戻す。

 伊澄は乙葉を呆然と見送るしかできなかったが、やがて、視界の隅に入り込んだタオルに顔を上げた。ぽたりと前髪から滴が落ちる。

 テーブルの隣には、状況を察していたかのようにフェイスタオルを差し出してきた圭がいた。

 ありがとう、と準備の良い彼に礼を言って受け取れば、圭は呆れ顔で言う。


「前のことがなかったら『水も滴る何とやら』ですね、お客様」

「嫌味か……」

「あんな顔で最低なこと言う誰かさんに言われてもなぁ」


 確かに、もう少し他に言い方はあった。下手に遠回しに言うよりはいいかと思ったのだが、思ったより口は素直すぎたようだ。

 しかし、終わったことを悔いても仕方ない。先ほどの様子なら、乙葉はもう伊澄に接触してくることもないだろう。

 タオルで水気を取りながら、テーブルを拭く圭と空のコップを見る。


「……氷が少なかったのって、これを見越して?」

「さて、どうだろうね。でも……」


 伊澄のコップには、まだ溶けきっていない氷が残っていた。いくら乙葉が先に来ていたとは言え、氷がすべて溶けきるような時間ではないはず。

 もしかすると、圭はこの状況を想定して、あえて氷を少なくしていたのではないのかと思ったが、真相は曖昧に返されてしまって分からなかった。

 圭は言葉を途中で止め、隣のボックス席へと視線を向ける。

 客に呼ばれたのかと思ったが、返事をする様子はなく、再び伊澄へと視線を戻して言葉を続けた。


「『こっち』は想定してのことだけど」

「え……?」


 どういうことかと伊澄も奥の席を見れば、伊澄の方を向いた形で座っていた客が顔を上げ、長い金髪を無造作に掴んで引き剥がす。また、掛けていたメガネを外した。

 俯いていたことで長い金髪が顔を隠していたのでよく見えなかったが、その人は伊澄も知る人だった。


「ま、茉莉ちゃん?」

「こんにちは」

「ということは……」


 背中を向けて座っていた少女が、被っていた帽子を取っておずおずと振り向く。圭と茉莉が無理を言って連れてきたのだということは一目瞭然だった。

 少女の正体を知った伊澄は、言葉を失って圭を見上げる。


「お膳立てはしといたぜ」

「うわぁ、展開が急すぎる……」


 せめて、心の準備をさせて欲しいと頭を抱えてしまった。




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