第21話 戸惑う二人
「もー……何なの、このイケメン。こんなに手がかかるとは思わなかった」
「すいませんでした……」
まさか、自ら告白したことがないとは思わず、圭はテーブルに顔を乗せてぼやいた。
伊澄は伊澄で、「殴っていい?」と言った圭に指で強く弾かれた額を押さえてテーブルに突っ伏している。殴られなかっただけマシだが、これはこれで痛い。
深い溜め息を吐いた圭だったが、突然、上体を起こすと自身の財布を取り出し、中から二枚のチケットを取り出した。
「キーホルダー返すことを口実にしても良いけど、それだとあっさり別れちゃいそうだし、これでも口実に会って、周りに人がいないときに『好き』って言えば?」
「これって……」
「お客さんから貰った、ケーキバイキングのチケット」
長方形の券には、スイーツの写真とホテルの名前、「ケーキバイキング招待券」といった文字が書かれていた。
海の近くにある名の知れたホテルで、レストランはその海を眺めながら食事が出来ると評判だ。
圭は客から、好意と宣伝も兼ねてこのケーキバイキングのチケットを貰ったのだった。
しかし、貰ったのが圭であれば、伊澄は受け取ることはできない。
「えっ。でも、圭は?」
「これな、実は……あと二枚ある」
そう言いながら、圭は財布から同じ券をもう二枚出した。
招待券はそんなに配る物だっただろうかと思いつつ、本当に貰ってもいいのかと受け取りを躊躇ってしまう。また、結衣を誘うにも、彼女に嫌な思いをさせたばかりだ。
悄然とする伊澄を見て、圭は小さく息を吐いて言う。
「四枚貰ったけどそんな行けるわけないし、逆に貰ってくれると助かる。それに、当日は俺と茉莉ちゃんもこっそり様子見てるから、とりあえず、誘うだけ誘ってみたら?」
「でも……」
「傷つけた手前、誘いにくいって? いやいや、伊澄さんは結衣ちゃんが泣いてること知らないことになってんだから、まだ挽回の余地はある」
知らない振りをしたまま誘うのは、伊澄の心理的にも辛いものはある。ただ、本当に辛いのは彼女だが。
未だ素直に頷かない伊澄を見かねて、圭が苛立ったように声を上げた。
「もー! 今まで自分から接近してて、自覚した途端これ? そりゃあ、妹発言で傷つけてるけどさ、とにかくその失言については今だけ忘れて、誘ってみる! で、断られたら告る前に振られたと思え!」
「ええ……」
「了承貰えたら挽回のチャンス!」
下手をしたら、このメッセージの返事によって今後の交流も変わってくるだろう。
断られたら、と思うと途端に怖くなった。
「伊澄さんも辛いのは分かるけど、好きって自覚したんだろ?」
「……うん」
「それなら、今度は自分から踏み出さないと」
先ほど認めたせいか、伊澄は素直に頷いた。少し恥ずかしそうにする伊澄は新鮮で、聞いた圭まで少しむず痒い気持ちになった。
圭に促されるまま、テーブルの端にあったスマホを取る。
メッセージアプリを開けば、上の方に結衣の名前があった。
「……っ! どうやって送ろう……」
「えええええ」
文字を打ち込もうとしたところで、伊澄はテーブルに額をぶつけた。鈍い音がし、テーブルの上に置いてある缶が僅かに揺らぐ。
これは重症だ。
「今回だけだからな! アドバイスしてやるから、ほら、元気出して!」
「うう……。ごめん」
「そこは『ありがとう』な!」
「ありがとう」
(あれ? この人、酒に弱かったっけ?)
素直に圭に礼を言う伊澄は珍しくはないものの、普段より元気はない。
呆れが心配に変わりつつ、伊澄がテーブルに置いたスマホを見る。
「誘うって言っても、そんな難しく考えなくていいんだよ。まずは、店に来たとき、キーホルダー落としたの拾ったって送る」
「うん」
「で。今日、俺にホテルのケーキバイキングのチケット貰ったから、これを返すついでに、今度、一緒に行かない? って送っておけばいいだろ。キーホルダーが人質みたいだけど、そこはまぁ、気にすんな」
「分かった」
「あ。『俺に』って打つなよ? 『圭に』って打てよ?」
「うん」
やはり、伊澄は酔っているのかもしれない。やたらと素直に頷いて文字を打ち込む彼は、どことなく年齢より幼く見えた。
本当に打てているのかと、圭は内心で冷や冷やしながら伊澄の手元を見守る。ついでに、文章がおかしくなっていないかも見てやった。
そして、入力し終わった伊澄も何度か読み直し、震える指で送信ボタンを押した。
「お、送れた……!」
「あー……そうだな。送れたな」
これは誰だろうか。
メッセージを送っただけだというのに、彼は大きな事を成し遂げたかのように歓喜に打ち振るえている。
圭は遠い目をしながら伊澄に軽く返し、返事が来るまで適当に過ごそうと肴に手を伸ばした。そして、自身も茉莉に連絡しないとなぁと思い、スマホを取り出す。
恐らく、結衣は伊澄からのメッセージに驚いて茉莉に連絡するだろう。何せ、妹扱いしているはずの伊澄からのお誘いだ。これも妹だからなのか、それとも他の感情があるからかと困惑する結衣の顔が浮かぶ。
それから少しして、伊澄のスマホからメッセージが入った旨を知らせる音が鳴る。
「……結衣ちゃんからだ」
「おお。ちゃんと返してくれるんだな。で、なんて?」
「…………」
「い、伊澄さん!?」
スマホを両手で持ちながらメッセージを大事そうに読んだ直後、伊澄がまたテーブルに突っ伏した。
突然の奇行に驚いていると、彼は突っ伏したままのせいでくぐもった声で言う。
「俺、もう駄目かもしれない……」
「駄目って? 今さら?」
「今さらは酷い。……そうじゃなくって、その、認めたら……全部、可愛く見えて……今までこんな事なかっ……って、その顔なんなの」
ここに来て惚気かよ、と圭は全力で嫌そうな顔をしてしまった。
だが、伊澄の反応からして、どうやらまだ挽回のチャンスはあるようだ。
スマホの画面を見れば、確かに「行きたいです」というメッセージと「了解」のスタンプが送られてきていた。ただし、「了解」のスタンプは白黒で、熊の被り物をした人間が親指を立てているという、少し気味悪いイラストだが。
(えっ。これ、可愛いか?)
「どうしよう。顔がすっごく熱い」
「あー……うん。とりあえず、水被っておく?」
恋は盲目とは聞くが、まさかこれほど取り乱すとは思わず、圭はこれから先、この調子で大丈夫なのかと不安になってきた。
また、圭のスマホには茉莉からのメッセージが入る。「伊澄さん、どういうつもりなの?」と。
(親友泣かせた相手だもんなぁ。そりゃ怒るわな)
テーブルの下でこっそりとメッセージを読みながら、これは茉莉を説得することも必要か、と圭は「悪い方向には行かないから、安心して」とだけ返しておいた。そして、ついでにケーキバイキングにも誘う。既読のマークはつかないが、もしかすると結衣と電話をしながら送ってきた可能性もある。
(ほんと、手の掛かる二人だこと)
小さく笑みを零し、圭はスマホをそっと床に置いた。
「……え?」
あれから自宅に戻った結衣は、課題をする気にもならず、自室で本を読んでいた。何か参考にならないかと買った、海や砂浜の写真集だ。白い砂浜で、青い空を背景に真っ赤なハイビスカスが存在感を放つ。また、水中の写真では色とりどりの熱帯魚が珊瑚の傍を泳いでいる。
それを見て、先日の水族館を思い出した矢先、テーブルに置いてあったスマホが短くメッセージアプリの通知音を鳴らした。少しの間を空けて、再度鳴る。
もしかすると、茉莉が様子を聞いてきたのかもしれない。そう思い、スマホを手に取った。彼女とは駅で別れたが、心配そうな顔をしていたのが記憶に新しい。
だが、スマホのロック画面に表示された名前は想像とは異なっており、結衣はしばしスマホを見つめて固まる。
やがて、それが誰であるかを理解した瞬間、ごとりとスマホを落としてしまった。
「い、伊澄さん!?」
メッセージの相手は、数時間前に「妹のよう」と言われ、それによって自身の気持ちを自覚した相手だ。
嬉しいような、辛いような気持ちが混ざり合い、メッセージを開くのが怖くなった。
しかし、音は二回鳴っている。そこで、結衣は伊澄にスイーツを渡した後、感想を聞かせて欲しいと言ったことを思い出した。
(も、もしかして、感想かな……!?)
それはそれで緊張して手が震える。「妹」と言われたことが何処かに吹き飛んでしまったくらいに。
メッセージアプリを開けば、伊澄の名前の横に届いている数が表示されている。鳴った音と同じ二通分きているようだ。
どうしよう、と思いつつ、感想ならこちらからもお礼を言わなければならない。
心臓が早鐘を打つ。
一度、大きく深呼吸をした後、結衣は思い切ってメッセージを開いた。
「……キーホルダー?」
メッセージは想像の斜め上を行っていた。スイーツの感想ではなく、結衣が伊澄から貰った猫のキーホルダーを拾ったということが最初の文面だった。
キーホルダーについては、結衣も駅で無くしていることに気づいて、それがまるで伊澄との交流を終わらせるように感じてさらに辛くなったものだ。だが、どうやら落としたのは伊澄の店の近くだったらしい。
見つかったことに安堵しつつ、その下にある、少し長めのメッセージへと視線を落とす。
「ひぇっ」と声が漏れた。
「えっ!? えっ? ば、バイキング? バイキングって? えっ。お、お誘い? え、なんで?」
伊澄は、それなりに名の知れたホテルのケーキバイキングのチケットを圭から貰ったようで、結衣に一緒に行かないかと誘ってくれていた。猫のキーホルダーを返すついでに。
だが、伊澄にとって結衣は「妹のような存在」で、異性としては見られていないはず。ならば、これも妹にするのと同じなのか。
迷った挙げ句、結衣は返信するより先に茉莉に電話を掛けていた。
『もしもし?』
「茉莉ちゃん!」
『伊澄さんから何かあった?』
「圭さんから何か聞いた?」
焦って掛けてはいるが、毎回、伊澄のことというわけではない。
だが、彼女は伊澄のことだけは先に彼の名前を上げるため、もしかして圭から何か話が回っているのかと勘ぐる。
『ううん。何もないけど、ほら、キーホルダー落としたって駅で落ち込んでたでしょ?』
「う、うん」
気づいたとき、探しに戻ることも考えたが、下手をすると伊澄のいる花屋まで戻ることになる。
そう思うと、結衣も探しに戻るとは言えず、茉莉も何も言えなかった。
茉莉は結衣を見送った後、帰路につきながら果たして何処からキーホルダーがなかったかと記憶を探っていた。もしかすると、見つける手掛かりになるかもしれないと思って。
『何処で落としたかは、あたしもはっきりとは知らないんだけど、結衣を追いかけてるときに落ちた物は見てないなって思ったの。それで、もしかしたら、伊澄さんの所で落とした可能性があるなと思って』
「すごいね。まさにキーホルダー拾ったってメッセージがきたの」
『そうなの? 良かったじゃん』
結衣は、茉莉の想像力に舌を巻く。彼女は追いかけながらも冷静だったのだ。
キーホルダーが見つかったのは、確かに結衣も嬉しかった。ただ、問題はそこではない。
「うん。そうなんだけど、その……ば、バイキングに、誘われ、て……」
『はい?』
「ホ、ホテルのケーキバイキングのチケットを圭さんに貰ったから、一緒に行かないかって」
『何ですって』
茉莉の雰囲気が変わったのが、声音で伝わってきた。僅かに苛立ちを含んでいるが、それは結衣に対する怒りではない。
空気が変わったことで、結衣も抑えていた焦りが再び沸き起こった。
「どっ、どうしよう……! 絶対、妹を誘うノリなんだと思うけど、今の気持ちのまま会うなんて……」
『いや、迷う必要なんてないでしょ。妹みたいに見られてるんなら、「女」を意識させてやるだけよ! 結衣にはそれだけの武器がある! ……あ、言ってて辛くなってきた』
「茉莉ちゃん!?」
力説した茉莉だったが、何故か急に沈んでしまった。電話の向こうで、茉莉が平均より少し控え目な自身の胸元に視線を落としただけなのだが、姿が見えない結衣に伝わるはずもない。
しかし、茉莉は気持ちをすぐに切り替えると、結衣の背中を押してやった。
『とにかく、「行きます」って返事しなさいな。あたしも、いざとなったら圭さんと一緒に様子見ててあげるから!』
「えっ、圭さんまで!?」
『あのね、結衣の気持ちは圭さんも分かった上だから。気づいてないのはあの鈍いゆるふわ男だけ!』
「えー!」
結衣が自身の気持ちに気づいたのは今日だが、茉莉だけでなく、圭も気づいていたのか。
そんなに分かりやすいものなのかと、これまでの自分の言動を振り返るが、何せ自覚したばかりなのでどこで二人に伝わったのかは不明だ。
『じゃ、返信するまであたしは電話に出ないから』
「えっ。それ、何で判断する――切れちゃった」
有無を言わさず、電話は切れてしまった。
ただ、茉莉はここまで応援してくれているのだ。ならば、少しくらいは自分の力で何とかしなければならない。
結衣は自身を鼓舞すると、震える指でメッセージアプリの伊澄を選択する。
「一言……一言、送るだけ…………えいっ!」
「行きたいです」というメッセージを打てばいいだけだが、相手はあの伊澄だ。思い浮かべると顔に熱が集まり、この文だけでいいのかと葛藤してしまう。文字だけでは素っ気なく見える。だが、普段使っているはずの顔文字や絵文字はどれを使えばいいのか分からなくなり、結果、結衣はメッセージのみで送信ボタンを押した。
メッセージがトーク画面に表示されると、やはり素っ気なく見えてしまう。
(ああああ、どうしよう。やっぱり、何かつければ良かったかな。茉莉ちゃんが言ってたように、女の子っぽくすれば良かったのかな。でも、どれ使ったらいいんだろう)
頭の中で、異様なスピードで思考が駆け巡る。このままだと、素っ気ないメッセージが伊澄の目に入ってしまう。
異性を意識してもらうには……と考えた結果、結衣はよく茉莉に送っていた「了解」のスタンプを押していた。
ただし、本来押したかったのは、その下にあった「大福猫」のスタンプだったが。
「まっ、間違えちゃった……!」
しかも、既読のマークがついてしまった。
返事はくるだろうかと少し見ていたが、何も返事はない。
何故、あんなスタンプを送ったのかと己の指を憎みつつ、また、送った相手は異性なのだと思うと、結衣は泣きたい気持ちで茉莉に電話を掛けた。
「茉莉ちゃん!!」
『送った?』
「お、送ったよ。……余計な物も」
スタンプは、茉莉や他の友達と面白いスタンプを探して遊んでいたときに買ったものだ。友人や家族の間では送るものの、基本的には大福猫シリーズのスタンプを使っている。
「異性」を意識させるより、むしろ、「妹感」を強調した気がした。
『余計な物は……まぁ、突っ込まないであげるけど、送ったってことは、返事は?』
「…………来てません」
『ちょっと! せめて終わらせてから報告しなさいよ!』
少し待ちはしたものの、まだ会話は終わっていない。行く日にちなどを決めていないのだ。
声を荒げた茉莉に、結衣は反射的に身を縮めながらも必死に反論した。
「だ、だって、急に怖くなって……」
『ここにきて!? 大丈夫よ! 伊澄さんのことは男と思わないの!』
「えっ。じゃあ、私、同性の人を好きになっちゃったの……?」
『いや、今のは言葉のあやだけど、ぶっ飛んだ考えね』
茉莉の言い方も悪かったかもしれないが、そこから同性を好きになったという方向にいってしまう飛躍の仕方に軽く頭痛を覚えた。
声色こそ普段と同じ結衣だが、どうやら相当混乱しているようだ。
『いいから、落ちつきなさい。あと、本人を前にしてるわけじゃないんだし、あたしとやり取りしてると思って送ったらいいのよ』
「茉莉ちゃんに敬語使うの?」
(あ、ちょっと面倒くさくなってきた)
協力して良い方向に持っていきたい気持ちはあるが、ここまでくると少し面倒に思ってしまった。
茉莉としては、このまま一度、電話を切って伊澄とのメッセージをきちんと終わらせてほしいのだが、切ったところで今の結衣にそれだけの余裕はあるのだろうか。
電話の向こうで悩む茉莉に追い討ちをかけるように、結衣は「余計な物」について明かした。
「皆で面白半分で買ったスタンプ送っちゃったし……」
『どれ?』
「熊の被り物した、白黒のやつ……」
『嘘でしょ』
「絶対、妹感強めちゃったよ……!」
スタンプの誤送信は茉莉もたまにやってしまうことはある。が、まさかこの状況でそれをやってしまうとは。
『あー……分かった。分かったから。ケーキバイキングで挽回しよう。あたしも圭さんと良い方法考えるから』
「うう……。ありがとう」
結衣は、頼れる友人がいて良かった、と心底、茉莉に感謝したのだった。
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