第14話 見抜かれた気持ち


「こんにちはー」

「…………」


 アクアリウム展前日。

 正午を少し過ぎた頃、伊澄の働く花屋の店先に現れた圭は笑顔で挨拶をするなり、怪訝な顔をする伊澄を無視して奥にいる店主に声をかけた。


浩介こうすけさーん。ちょっと、伊澄さんを借りて行ってもいいですかー?」

「いや、勝手なことを――」

「いいよー。ついでにお昼でも食べておいで」

「え」


 伊澄は仕事中だ。いくら親しい間柄とは言え、勝手に連れ出されるのは困る。

 だが、伊澄の後ろにいた店主、辻村つじむら浩介こうすけは快く了承した。さらに、まだ取っていない昼休憩を取るように促される始末。

 表情を引きつらせた伊澄の腕を、笑顔の圭が逃がすまいとがっしりと掴んだ。


「やった。ありがとうございます」


 こういうときばかりは、彼のコミュニケーション能力の高さが成した人望の厚さが恨めしい。

 退路を失った伊澄は渋々、エプロンを外して圭と共に店を出る。向かうのは近くのファーストフード店だ。

 何か良いことでもあったのか上機嫌な圭だが、伊澄としては複雑な心境だった。

 先日、店先で結衣と圭が話をしているのを見てから、圭と会うことを自然と避けてしまっていた。結衣にはその日の内にアクアリウム展の日にちをいつにするか話を持ちかけたが、その返事を待つ間はやたらと落ち着かなかった気がする。人からの返信でそわそわとするのはいつぶりか。


(なんで、こんなにすっきりしな……あー、いや。これ以上は考えるな)


 理由を追究すれば、気づかないでいい感情に気づいてしまいそうだ。

 これ以上考えないためにも、圭と何か話すべきか。下手に話題を振れば同じことになりそうだが。

 そう思っていた矢先、話は圭の方から切り出された。


「明日、楽しみだなー。アクアリウム展」

「君が楽しみにしてどうするの」


 圭もアクアリウム展に誘いはしたが、日にちは話していない。

 何故、明日だと知っているのかと、また結衣と楽しげに話す姿が浮かんで心が重くなる。

 そのせいで、絞り出した声は普段よりも低い声音になってしまった。

 だが、圭は伊澄の心境に気づくはずもなく、なるべく気にしないようにしていた事を抉り出した。


「だって、伊澄さんに新しい春がきそうだから」

「……違うよ。そんなのじゃない」

「ええ? でも、明日のは伊澄さんからいつにするかって連絡したんでしょ?」

「それは、俺から切り出した方が話しやすいかと思って。あの子は……妹みたいな感じだよ」


 必死に胸の奥に追いやっていた気持ちが溢れそうになった。年の差を考えろ、相手のことを考えろ、と蓋をしようにも、蓋をすると言うことはつまり「そういうこと」ではないのかと、底なし沼にはまったような気分だ。

 結衣に対して異性としての好意を抱いたところで、仕事を優先する自分ではまた辛い思いをさせるだけだ。

 すると、圭は白々しい、と言わんばかりに伊澄を見ると、気づかれていないと思っていたことを口にする。


「ふーん。結衣ちゃんの手作りお菓子食べた俺のこと、あんまり快く思ってないくせに」

「いや、そんなことは――あ」

「ほらな。やっぱり、あのとき見てたんだ。俺のこと避けてたから、もしかしてって思ってたけど」


 圭に鎌を掛けられたと気づいたときには遅かった。

 結衣と圭が伊澄の店近くで話していたところを見たのは、誰にも言っていない。当時のことを知らなければ、快く思っていないことを否定するのではなく、「何のことだ」と知らない出来事に首を傾げるところだ。

 お調子者と見られがちな圭だが、人のことはよく見ている。伊澄がどれほど隠そうとしたところで、彼にはお見通しなのだ。

 深い溜め息を吐いた伊澄は、あの日から考えて一番しっくりきている言い訳を口にする。


「……警戒心の強い猫が漸く懐きかけたのに、あっさりと他の人に懐かれたのと同じだよ」

「猫ぉ?」


 素直に好意を認めればいいものを、まさかの猫に例えられた。

 ここまで頑なに認めない伊澄に、開いた口が塞がらない。

 少しの沈黙の後、思考を取り戻した圭は難しい顔をしながら言う。


「んー、何でそんなに否定するのかは分かんないけど、俺はお似合いだと思うよ。今までのタイプと違って、落ち着いた良い子だし」

「逆に聞くけど、何でそこまでしてくっつけようとするの?」


 伊澄と結衣をそういう仲にしようとしているのは、圭だけでなく茉莉にも見られる。

 結衣から好意を抱かれているのなら分かるが、生憎、彼女は異性が苦手だ。改善したいとは言っていたが、交際したいとは言っていない。

 また、もし、伊澄と結衣が交際したとして、圭と茉莉には何のメリットもないのだ。


「そりゃあ、女運悪いって言ったら今までの彼女さん達に悪いけど、よく付き合ってるなーってくらい正反対な相手ばっかりだったのが、漸く落ち着けそうな良い子だよ? 俺としては、このまま上手く収まってほしいわけ」

「あまり答えになってないんだけど……」


 伊澄としては、圭が行動する理由を聞きたかったのだが、質問の仕方が悪かったようだ。

 納得のいく答えではないが、圭としてもこれ以上の答えはなかった。


「いやいや、答えだよ。俺は、伊澄さんには幸せになってほしいの。憧れの先輩の幸せを願うのはおかしい?」

「……いや、おかしくは……ない、けど」

「伊澄さんだって、同性異性問わず、好きな人に『幸せになってほしいなー』って思うことはあるでしょ? そういうこと。別に、複雑な何かがあるわけじゃない」


 圭の言うとおり、伊澄にも良くしてくれた人は多くいる。そんな人達に対して幸せになってほしいと思う気持ちはあるが、かといって現在の圭のような行動を取るかと問われれば答えは否だ。


「俺、そこまで圭に思われるようなことをした覚えがないんだけれど……」

「いーのいーの。俺がそうしたいって思ってるんだから。それに、伊澄さんはもっと貪欲になったほうがいい。結衣ちゃんに対してじゃなくてもいいから」


 貪欲、と伊澄は口の中で小さく繰り返す。仕事に対しては貪欲なほうだと思っていたが、圭が言いたいのは伊澄が異性と付き合うときの姿勢だろう。

 圭は、今までの伊澄の行動を見てずっと抱いていたことを明かした。


「大事だと思うんなら、相手を想って手を離すんじゃなくて、離さないように相手を想ったほうがいいと思うんだよね。好きな人と付き合うのって、そういうことじゃないの? 好きな人だから、大事にしたいんじゃないの?」

「……それも、一理あるけど」


 手を離さなければいけないときもある。ただ、それは毎回ではない。

 伊澄は彼女から不満があるたびに、別れようと切り出されるたびに、それが「最良」だと思って素直に頷いていた。浮気をされたとしても、それは仕事を優先した自分が悪いのだと。

 しかし、改めて圭に言われたことで、伊澄はこれまでの行動は本当に最良だったのかと疑問に思った。自分が悪いのだと思うだけで、彼女達と向き合おうとしてきただろうか。


「次の人は、そう思える人にしないとな。それが誰かはともかく」

「……うん」


 結衣の顔が浮かんだのは、先ほどまで話に上がっていたからか、それとも別の理由か。

 気合いを入れるように、圭は伊澄の背中を強く叩いた。


「いっ!?」

「伊澄さんはまず、自分の気持ちに正直になるところからな!」




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