第13話 心配の理由
どうしてこうなったのか。
「んー、結衣は細身の割りにそれなりに『ある』から、あんまり胸元開きすぎるのもなぁ」
多くの女性客で賑わうアパレルショップ内。
茉莉は、掛けられている服を手に取っては、傍らにいる結衣にあてがって悩んでいた。勿論、服は茉莉の物ではなく、結衣の着る物だ。
もはや何着目になったか分からない服に、結衣は遠い目をしながら彼女に声をかける。
「あの、茉莉さん?」
「うん?」
「私、持ってる服でもいいんだけど……」
「デートなのに?」
「でっ、デートじゃないから!」
「あー、はいはい」
このやり取りも何度目になるだろうか。それでも、否定するときに詰まってしまうのは変わらない。
また顔を赤くする結衣を茉莉は適当に宥めつつ、別の服へと視線を移す。
その背を見ながら、結衣は深い溜め息を吐いた。
事の始まりは、昨日、伊澄から届いたメッセージに始まる。
夏休みということもあり、茉莉の部屋に泊まるつもりだった結衣は、夜に届いたメッセージに驚いて声を上げた。
「へっ? はっ!? ええっ!?」
「何? どうしたの?」
髪を乾かしていた茉莉は、ドライヤーをかけていても聞こえた声に、思わずドライヤーを止めて結衣のもとに歩み寄った。部屋はなるべく隣に音が漏れないところ、と選んでいて良かったと思いつつ。
激しく動揺している結衣は、布団の上に落としたスマホから視線を上げるなり、泣きそうな顔で茉莉にしがみついた。
その瞬間、まだ内容は聞いていないが何となく察してしまった。
「まままま、茉莉ちゃん! どうしよう!」
「落ち着いて。伊澄さんからメッセージが来たのね」
「何で分かるの?」
「スマホを見て、結衣がそこまで動揺する理由が他にないから」
半分は冗談だったが、本当だとは思わず少し驚いた。伊澄のほうから連絡がくるとは、もしや昼に何かあったかと、結衣が会ったという圭を思い浮かべる。
お菓子は圭にあげたという話だが、その圭からもメッセージで状況を説明してくれたので追及はしていない。
だが、伊澄から状況を動かしてくれたなら好都合だ。
茉莉はすがりついてきた結衣を引き剥がし、布団に落ちたままのスマホを拾い上げる。画面には「アクアリウム展、いつ頃行けそう?」と届いていた。その前の文章を見る限り、茉莉が行けないことはまだ伝わっていないが、ここは一言添えておくべきか。
しかし、これは茉莉が打っていいものではないだろうと、スマホを結衣へと差し出した。
「はい」
「え?」
「返すのは結衣だから」
「なんて返せば……」
恐る恐る茉莉からスマホを受け取った結衣は、どうやら思考を放棄しているようだ。
メッセージを返すのでこれでは、当日はどうなるのかと少し不安になった。
「そうねぇ。まずは、あたしが行けないこと」
「わ、分かった。……『茉莉ちゃんは、誘ったんですけど行けないみたいです』で、いい、かな?」
「言う前に打つ」
「はい!」
ピシャリと言えば、結衣はわざわざ布団の上に正座をしてスマホを操作し始めた。その顔は真剣で、とても遊びに行くためのやり取りをしているとは思えない。
手が震えるのか、やや時間は掛かりつつも送信したと結衣が告げると、茉莉はベッドの縁に座ってスマホを見せてもらう。
メッセージはきちんと送信されており、隅には伊澄が読んだ証である「既読」という文字が出ていた。
「よくできました」
「えへへ」
「はい次」
「えっ!?」
喜んだのも束の間。茉莉はさくさくと次の段階に進める。
ぎょっとして固まる結衣だが、茉莉としては何故、今の返事で終わるのか問いたいところだ。
「まだ日にち返してないでしょ」
「そ、そんなぁ……!」
「ほら、早く都合のいい日にちを提案する!」
「スパルタだ……」
そして、結衣は茉莉に急かされるまま何とかメッセージを送り、アクアリウム展に行く日にちが決まった。
あっという間に日は流れ、約束をした日はもう明日に迫っている。
前日に何故、買い物をしているのかと言うと、「あんまり早くに準備するのも、毎日緊張しちゃって気疲れしそう」と結衣の性格を見越した茉莉の計らいだった。確かに、誘いがなければ緊張が解れないまま当日に臨んでいたところだ。
これまでのやり取りを思い返し、自身の進歩を少なからず感じた結衣は、内心で成長を褒めながら茉莉へと意識を戻す。
「ねぇ、結衣って、あれから伊澄さんと会ったりした?」
「う、ううん。直接会ったりはしてないよ。忙しそうだったし……あ。でも、明日のことをメッセージで決めてからは、たまにやり取りはしたけど……」
「おっ。偉い偉い」
服を見ていた茉莉だったが、予想外の進展があったことに驚いて結衣を見た。アクアリウム展に行く日を決めるだけで泣きべそをかいていたのが嘘のようだ。
「でも、圭さんとは何度か会ったよ。あそこの喫茶店のケーキ、美味しかったから参考にさせてもらおうと思って」
「前に作ったクッキー、圭さんが食べたって話だけど、それから仲良くなったよね」
「……あ、ごめん。茉莉ちゃんも誘えば良かったね」
「いや、そういう意味じゃないの。それに、バイトが忙しいって言ったのあたしだし」
何気なく口にした言葉だが、また結衣にいらぬ誤解を与えたようだ。
茉莉としては、圭のことをそういう目で見ているわけではない。また、結衣が茉莉を誘わなかったのは、夏休みはバイトを多く入れると言っていたので遠慮したのだとは分かる。事実、茉莉は罪悪感からバイトの日にちを増やしていた。
結衣の誤解を早々に解いてから、茉莉は「圭さんみたいに距離の詰め方が上手い人だったら、もっと進展しているはずだったんだけど」と心の中でぼやく。かといって、タイプの異なる圭と結衣をそういう仲にしようとは思えないのだが。
茉莉が二人の進展について悩んでいる傍ら、結衣は手近の服を見ながらぽつりと呟いた。
「明日、うまく話せなかったらどうしよう……」
「その辺は意外とどうにでもなるもんよ。困ったら天気の話をしたらいいの」
(……すぐに使いそう)
出会った瞬間に切り出しそうだ。
共通の話題というものも、学生と社会人では早々ない。あるとすれば猫カフェくらいか。お互いにテレビはあまり見ないタイプなので、以前の茉莉と圭のようにドラマの話で盛り上がるのも難しい。
渋面で考え込む結衣を見た茉莉は、彼女の力を抜かせるように背中を軽く叩いてから言う。
「まぁ、あっちは一応、接客とかでも慣れてるだろうし、任せてたらいいよ」
「……うん」
接客と聞いた瞬間、結衣はある光景が浮かんで気分がさらに沈んだ。
楽しげに客と話す伊澄の姿が。
だが、それを知らない茉莉は、いくら異性が苦手とはいえ、ここまで気落ちするだろうかと小首を傾げた。
「そんなに心配?」
「退屈させたら、嫌だなぁって思って……。他の人なら……例えば、茉莉ちゃんとかなら、楽しく過ごせるんだろうなって」
「…………」
てっきり、茉莉は異性と二人になることに抵抗があって気が晴れないのかと思っていたが、結衣から返ってきたのは予想外の答えだった。
退屈をさせるのが嫌、ということは、結衣の中では伊澄に対する異性としての苦手意識はもうないということか。
想像より、結衣はずっと成長している。
それが判明した瞬間、茉莉の中で感動にも近い感情が芽生え、両手で顔を覆った。
当然ながら、結衣は茉莉の突然の行動に驚いた。
「茉莉ちゃん?」
「ああ、ごめん。結衣の心境の変化に全あたしが歓喜してる」
「え?」
何を言っているんだ、と言いたげな目が茉莉に向けられるが、今、冷静に説明できる余裕はない。
がしっと勢いよく結衣の両肩を掴んだ茉莉は、かつてないほど使命感に燃えていた。
「大丈夫。安心して。明日のために、今日、あたしが最大限の知恵を振り絞るから!」
「う、うん。ありがとう?」
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