第11話 抱いた感情の正体は
夏の日差しも強まってきた七月中旬。
注文された花束や胡蝶蘭、観葉植物などの配達を終えた伊澄は、昼休憩も兼ねて、配達の途中にあった公園に立ち寄っていた。
公園の中心部には円錐を逆さにしたような大きな窪みがあり、中心には夏期限定で水を噴き出す三メートル程の高さの塔が聳え立つ。今、塔は噴水の役割を担っており、最上部からは止めどなく水が溢れていた。
水深の浅いプールと化した塔の周りでは、小さな子供達が親に見守られながら無邪気に遊んでいる。頭から水を被っている子供が多いが、照りつける太陽の下であればすぐに乾くだろう。
噴水を囲うように、端の方には多くの木々が植えられており、伸びた枝葉が作る陰にはいくつかのベンチが設置されている。
ベンチには、談笑をする人、昼食を摂る人、大胆にも横になって寝る人がいた。気温は高いものの、噴水が近いことや日陰にあることもあって、涼やかな風が吹いて過ごしやすい場所なのだ。
(圭の店に寄っても良かったけど、この前のこと催促されても困るしなぁ)
腕に止まった蚊を叩きながら、夏場の外の難点の一つに溜め息を零した。
店には昼休憩を取ってから帰る旨は伝えているため、何処で休憩を取るかは自由だ。
当初は通い慣れた圭のいる喫茶店に行こうかと思ったが、先日、圭にアクアリウム展の話をして以降、顔を合わせると「連絡は? 日程は?」と訊かれるので選択肢から除外した。かといって、昼時で混んでいる飲食店に入るのは億劫になり、どうしようかと悩んだ矢先、たまたま目に入った公園に駐車場を見つけ、さらにはコンビニも近くにあったので今に至る。
コンビニで買ったサンドイッチを食べながら、噴水で遊ぶ子供達を眺めた。先日、ゲームセンターで迷子になっていた男の子よりは幼く、母親に抱かれていた赤ん坊よりも大きい。
もう少しすれば、あの二人の兄妹もここで遊んだりするのだろうかと考えていると、聞き覚えのある声が耳朶を叩いた。
「あれ? 伊澄さん?」
「え?」
名前を呼ばれたこともあり、声の主へと視線を向ける。
そこには、コンビニの袋を片手に提げた茉莉と結衣がいた。
結衣は目を瞬かせていたものの、伊澄と目が合うとぱっと顔を赤らめて視線を逸らす。
一方、茉莉は結衣の手を引いて伊澄の近くに歩み寄ると、人当たりの良い笑顔を浮かべた。
「お久しぶりです。今日はお仕事なんですか?」
「うん。今は配達終わり。……そっか。茉莉ちゃんとは猫カフェ以来だったね」
白いシャツに黒いパンツ姿の伊澄を見た茉莉は、私服ではないと察して確認する。猫カフェに行ったときの服装より体のラインが分かるため、先日感じた緩い雰囲気はない。代わりに、スマートに仕事をこなす空気を醸し出している。
なるほど、これならば彼の普段の性格とのギャップに驚く女性は多いはずだ、と茉莉は合点がいった。
茉莉にそんな事を思われているとは知る由もない伊澄は、二人の持ち物に首を傾げた。
「二人は学校、だよね?」
「はい。通ってる専門がこの近くなんですけど、お昼ご飯買いに出てました」
「この近くっていうと……ああ、あの製菓の?」
「そうです」
頭の中に近隣の地図を描いた伊澄は、すぐ近くに製菓の専門学校があることを思い出す。公園からも学校の建物の一部が見えるが、知人がいるわけでもないので気にしたことはなかった。
製菓の勉強をしているという事は、将来はパティシエなどを目指しているのだろう。喫茶店で働く圭が知れば、「ぜひ、うちで働いて欲しい」と言うかもと考えたところで、彼ならば既に知っているかと自己完結する。何せ、茉莉と親しく連絡を取り合っている上、彼は伊澄より先に二人が専門学生であると知っていたのだ。
そこでまた、伊澄は二人が未成年だということを思い出し、この状況は大丈夫なのだろうかと不安が過ぎる。
(いやいやいや。ただ話してるだけだし、そんな、邪なことをやっているわけじゃないし……!)
日中の、人目につく場所だ。端から見れば、偶然出会った知人同士で話をしているように見えるはず。
実際に、この状況を不審がる人はいない。伊澄の見える範囲内では。
自身に「大丈夫、大丈夫」と小さく言い聞かせる伊澄を見た茉莉は、先ほどから一言も声を発さない結衣を一瞥して、にやりと笑みを浮かべた。
自己暗示を掛けている最中の伊澄は気づいていないが、茉莉の隣にいた結衣はばっちりと目が合った。嫌な予感がする。
「あの、突然なんですが、伊澄さんって、お菓子とか甘い物は食べられます?」
「お菓子? うん。甘い物はたまに食べるよ」
突然の質問にも、伊澄はすぐに思考を切り替えて答えた。ただ、質問の意図するところまでは分かっていないが。
不思議そうに首を傾げる伊澄に、茉莉はあるお願いをする。
「それじゃあ、今度、試作したお菓子を食べてみてもらってもいいですか? 夏休みの間に、オリジナルのスイーツを最低でも一つは考えないといけなくて」
「俺でいいの? アドバイスとか出来る自信ないけど……」
花についての関連知識であれば、花屋で働いているのもあって答えられる自信はそれなりにある。だが、スイーツになると素人だ。改善したほうがいい場所などは分からない。
むしろ、茉莉と親しい圭のほうが色々と都合がいいのではないのか。彼は調理系の専門学校を卒業しているので、伊澄と違ってアドバイスもできるはずだ。それが役に立つものかはともかく。
しかし、茉莉は結衣の肩を抱いて力強く言い切った。
「全然、大丈夫です! あたし達だけじゃ、何がいいのかゲシュタルト崩壊しそうで。一般の人目線の……出来れば、大人の男の人の意見が欲しいんです」
「なるほど。随分と対象が絞られてるけど……そういうことなら、ぜひ協力させてください」
「やった! ありがとうございます!」
伊澄は、対象となる者が具体的なことに疑問に思った。だが、他の年上の異性ともなると、茉莉はともかく結衣には辛いだろう。
見ず知らずの他人ならともかく、何度か会ったり連絡先まで知っている結衣を放ってはおけない。
にっこりと笑みを浮かべて了承した伊澄に、茉莉も嬉しそうに声を上げた。
和やかな空気の二人を、未だに一言も話せずにいる結衣はぼんやりと眺める。声を出していないこともあって、蚊帳の外にいる気分だ。
(すごいなぁ、茉莉ちゃんは……)
人見知りに加えて異性が苦手な結衣と違い、茉莉は初対面であろうと物怖じせずに話すことが出来る。異性相手であろうとも。
結衣は課題にそんなに具体的な対象があったのかと、伊澄と少し似た疑問を抱きつつ、すんなりとお願いをしている様子を見て「羨ましい」と思った。
その瞬間、はた、と我に返る。
(ん? 「羨ましい」?)
何故、そう感じたのか。「羨ましい」というのは誰に対してか。
自問自答している結衣だったが、その肩をがっしりと掴んだ茉莉によって思考は途切れた。
「この子の作るスイーツ、どれも美味しいので期待しててくださいね!」
「うん?」
「そうなんだ。楽しみにしてるね」
考え込んでいる間に、二人は何かの話を続けていたのだろう。
気になるのは、茉莉は「結衣が作るスイーツ」と言っていたところだ。試食を頼んだ茉莉ではなく、結衣の。
伊澄も穏やかな笑顔を結衣に向け、覚悟をせずに真正面から受けた結衣は「うっ」と言葉に詰まった。
一体、何がどうなっているのかと結衣が問いただすよりも先に茉莉が切り出す。
「それじゃ、あたし達はこの辺で失礼します。何かあったら、また連絡しますね。この子から!」
「え? ま、茉莉ちゃん?」
「ほら、結衣。行くよー。お昼終わっちゃう!」
「ええ!? あ、えっと……お騒がせしてすみません。失礼します!」
頼んだのは茉莉のはずだ。結衣は関わっていないはずなのに、何故か連絡をするのは結衣になっている。
説明を求める結衣だったが、求める答えは返ってこず、代わりに手を引かれて学校へと歩き出す。
何も言わずに去るのも、と思った結衣が声を張り上げれば、伊澄からは微笑ましげな笑顔が返された。
公園を出て、伊澄の姿も木々の向こうに隠れて見えなくなった頃、結衣は茉莉を問いただす。
「茉莉ちゃん。さっきのどういうこと?」
「さっきの? いやー、我ながら良い閃きだったでしょ」
「良い閃きって……私が作って渡すの? 茉莉ちゃんじゃなくて?」
しみじみと言う茉莉だが、先ほどの会話では結衣が渡すような流れになっている。言い出した茉莉はそれでいいのかと、胸の奥がもやもやとしていた。
すると、茉莉は何を言っているのかと言わんばかりに目を瞬かせる。
「え? 勿論。結衣の男嫌いを克服するためにも、まずは接触する機会を増やさないと!」
「……茉莉ちゃんはそれでいいの?」
「『それでいいの』って?」
「その……茉莉ちゃんは伊澄さんのこと、好きなのかと思って……」
思えば、喫茶店で伊澄と会ったとき、茉莉は伊澄のことを「カッコいい」と言っていた。先ほども積極的に話をしていたため、てっきり恋愛感情を抱いているのかと思ったのだ。
これまでも、茉莉が好きな異性について話すことはあった。そのときはすんなりと「あの人のこと好きなの?」と訊けたというのに、今は何故か答えを聞くのが怖い。声が震えそうになるのを隠そうとして、徐々に語尾が小さくなる。
結衣の心臓が早鐘を打つのに反して、茉莉は漸く結衣の言いたいことが分かったのか、「ああ、そういうことね」と何かに納得した様子だった。
そして、難しい顔をした茉莉は腕を組みながら唸る。
「うーん。顔は良いし、性格も良いとは思うけど、緩い人ってあんまりタイプじゃないの。友達ではいたいけど」
「そ、そっか……」
予想とは反対の答えが返ってきて、結衣はほっと胸を撫で下ろした。直後、自身の抱いた感情に首を傾げる。
(あれ?)
はたと気づいた結衣は、思わず胸元に添えていた手を見てきょとんとした。
隣を歩く茉莉が結衣のその行動に小さく微笑んでいたが、自分の感情に疑問を抱いた結衣に気づく余裕はない。
(今、ほっとした……?)
茉莉が伊澄のことを異性として好きではないと知って、安心したのは何故か。胸の奥に溜まっていた重い気持ちも、先ほどより軽い。
段々と眉間に皺が寄せられるのを見て、茉莉は心の内だけで「悩め悩め」と囃し立てる。口に出さないのは、彼女の考えが思わぬ方向に行くのを避けるためだ。
そのまま、茉莉は気づかない振りをして話を切り替える。
「テーマは『夏』だったけど、何がいいかなぁ。あと、何が好きで何が嫌いかも訊かないと」
「う、うん。そう、だね」
「言っておくけど、訊くのは結衣だからね?」
「えっ!?」
やや他人事のようだった結衣に念を押すように言えば、思ったとおりの反応が返ってきた。
呆れ混じりの溜め息を吐き、「私が訊いたって意味ないでしょ」と言えば、反論できない結衣の喉が小さく唸ったのだった。
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