第10話 衝撃の事実


『仕事終わったらご飯食べに行こう!』


 夕方過ぎに圭からメッセージが入り、彼に話のあった伊澄はちょうどいいと了承の返事をした。

 昨日、アクアリウム展に結衣と行くことになったものの、圭や茉莉も誘おうと話をしていたのだ。

 本来であれば昨日の内にメッセージを送ろうと思ったのだが、先にブーケのデザイン案をまとめてしまおうと作業をして忘れてしまっていた。

 そして、仕事が終わった後、その旨を圭に連絡してから十分程で、彼は閉店した店先に現れた。普段の高いテンションが三割ほど増した状態で。


「いっすっみさーん!!」

「恥ずかしいから、ちょっと静かにしてくれないかな」


 走ってきた上に叫んだ圭に、商店街を行き交う人の視線が投げられる。笑みを零していた一部の人は圭のことを知る人だ。実際に、伊澄の耳にも「相変わらず元気ねぇ」と聞こえてきた。

 伊澄は何故、彼がこれほどまでにテンションが高いのかと疑問に思いながら宥める。

 だが、圭は興奮した気持ちを抑えきれないようで、息が整う前に話を切り出す。


「これが落ち着いて……あ! そうか! こんなとこで話すような内容じゃないよな! じゃ、さっそく行きますかー!」

(これは、何か良いことあったな……)


 ふいに、結衣と茉莉の姿が過ぎった。

 もしかすると、結衣が茉莉を誘って、茉莉から圭に連絡がいったのかもしれない。それならば、これから伊澄が彼に提案しようとしているものも話は早くまとまるだろう。

 ひとまず、二人は近所のファミレスに向かった。

 途中で圭がうずうずしているので、伊澄は「そんなに言いたいなら、行きながらでも聞くけど」と促したが、何故か周りを見回しながら「いや、我慢する!」と話そうとしない。

 そして、歩いて十分ほどで辿り着いたファミレスで注文をした後、圭は先ほどまでの笑顔はどこへやら。急に真面目な顔になった。


「事情は聞かせてもらった」

「え?」

「茉莉ちゃんから、結衣ちゃんとアクアリウム展に行くって」

「ああ、それね。それなら――」


 やはり、茉莉から連絡がきたのかと、内心で後輩の進展に胸が温かくなるのを感じた。この様子なら誘いやすい。

 ちょうど、圭も誘おうとしたところだったんだ、と言おうとした伊澄だが、圭は遮って言う。


「あと、今日、陽子さんから、『伊澄ちゃんの機嫌がとっても良いの。詰まってたブーケのデザインも、昨日の内に案が浮かんだとかで、今日、依頼主の人にもオッケー貰えてたわ』って聞いた」

「伯母さんに? というか、いつ?」


 陽子というのは店主の妻……伊澄の伯母に当たる人だ。

 わざわざ声真似までする圭の特技に若干引きつつ、彼は店に来ただろうかと記憶を探る。しかし、今日は圭が店に来たこともなければ、陽子が圭のいる喫茶店に行った話も出ていない。

 いつ、その話をしたのかと本人に問えば、圭はメッセージアプリを開いて見せてきた。


「店に来てくれる商店街の人とは、ほとんど連絡先交換してるから!」

「うわぁ……」

「えっ、引かないでよ」


 伊澄もある程度の人とは連絡先を交換しているが、圭の見せてきた連絡先の一覧はその比ではなかった。ほとんどではなく、全員じゃないのかと言わんばかりの数だ。

 今度こそ、隠しきれずに引いてしまった。

 その反応に少し唇を尖らせた圭だが、彼も何も考えずに連絡先を交換しているのではない。


「これも接客のためなんだって。ある程度の交流をしておけば、店に来てくれることもあるし、その時の話のネタにもなるだろ。だから交換してんの。じいちゃん達はこういうの出来ないし」

「まぁ、あの二人はこれまでに築いてきた人脈があるからね」


 圭のいる喫茶店は、商店街が出来て間もない頃に開いたため、かれこれ四十年近く経つ古株だ。

 時代の流れと共に数を減らしつつある、所謂「純喫茶」というものだが、今まで続いてきたのは店主夫妻の築き上げてきた人脈によるところが大きい。勿論、出されるコーヒーや軽食の味も確かだ。

 しかし、店主夫妻も高齢になってきたため、そろそろ圭に引き継がれてもおかしくはない。

 その時に備えて、彼は彼なりに努力しているのだ。

 普段、何も考えていないように見えてしっかり考える人だったと思い出し、伊澄は先ほど引いてしまったことを素直に詫びた。


「そっか。圭も頑張ってるんだな。ごめん」

「……伊澄さんのそういう、すぐに反省するとこ、なんかむず痒くなる」

「褒め言葉として取っておくよ」


 わざわざ謝るほどのことでもないのだが、伊澄は自身が悪いと思えばすぐに謝る。

 圭は内心で、「褒めたわけでもないんだけど」とぼやきながら、逸れた話を元に戻した。


「で、俺の店のことは今は置いといてだ」

「うん」

「傷心を忘れて新しい恋を見つけるのはいいけど、さすがに早くない? まだ前の彼女と別れて一ヶ月くらいじゃん。暫くはいいとか言ってたのに」

「別にそういうのじゃないよ。単に、今回のはお互いが行きたい場所だっただけで」


 頬杖をついて言う圭は、伊澄の本心を探ろうとしていた。

 彼女と別れた後、暫く恋愛事はいいと言っていた矢先のため、疑いたくなる気持ちは伊澄にも分かる。

 しかし、今回の件は下心があって行くことを決めたのではなく、純粋に行きたかったからだ。そこに恋愛感情はない。

 あっさりと言い切った伊澄を見て、圭はどこか面白くなさそうに言う。


「ふーん。まぁ、そっか。相手は未成年だしな」

「そう、未成年だし……え?」

「え?」

「未成年?」


 伊澄は聞こえた単語を平然と繰り返したものの、意味を理解すると思考はぴたりと止まった。

 未成年。つまり、二十歳ではない。

 背中に冷や汗が流れるのを感じつつ問えば、圭は今になって何故、それを聞いてくるのかと言わんばかりの表情で答える。


「うん。駅近くにある製菓の専門学校の一年生。未成年って言っても十九だけど、結衣ちゃんは確か早生まれだから、まだ十八って。あれ? もしかして知らなかった?」

「いや、年齢を聞くのも失礼かなって思ったし、学校について聞くのも嫌かなと思って話に出さなくて……」


 落ち着いた雰囲気もあったことから、勝手に二十歳くらいだと思っていた。

 一、二歳など大した差ではないが、それが成人か未成年かで状況は大きく変わることもある。特に、男女交際については。

 伊澄は衝撃的な事実に、思わずテーブルに突っ伏した。

 もし、このままアクアリウム展に二人で行くことになった場合、世間体としては大丈夫なのか。伊澄は今年で二十九歳になったため、年齢差は十一歳。年の差が認められるのは、成人している者同士ではないのか。これはなんとしても圭には来てもらわなければ、と考えて、いや、それはそれで問題か? と新たな疑問が生まれる。

 一人で葛藤する伊澄を、圭はにやにやと笑みを浮かべて見る。何も抱いていないのであれば、この悩みは頭を抱えるほどのことではないはずだ。


「気にするって事はやっぱり?」

「だから、そういうのじゃなくて、色々と大丈夫かなって。未成年と外出って」

「単に遊ぶだけならセーフっしょ。金銭は絡まないし、同意の上だし。それに、向こうは高校生じゃないから、万が一、そういう風に転んでも、十八歳からだとまた違ったでしょ」

「なんでそんなに詳しいんだ?」


 そう訊いた後、すぐに伊澄は自身の知識のほうが不足しているのかと思ったが、わざわざ調べるようなことでもない。

 どこからその知識を得たのかと怪訝に圭を見れば、彼は真顔で答えた。


「いや、店に来たJKに告白されて、そのまま付き合ってもいいのかなって、怖くなって調べた」

「されたことは?」

「ない! けど、もしかしたら、これからあるかもしれないじゃん」

「杞憂に終わることを願うよ……」


 知識については、圭の想像による賜物だった。豊かな想像力には、呆れを通り越していっそ感心してしまう。

 ただ、セットのサラダとコーンスープを運んできた女性スタッフが圭に「何言ってんだコイツ」という顔を一瞬だけしていた。

 伊澄は、あとでこっそりと通報されていないといいけど、と思いつつ、スプーンとフォークを取って圭に渡す。

 礼を言って受け取った圭は、サラダにフォークを刺しつつ、話を伊澄と結衣のことへと戻して言う。


「まぁ、周りがどうであれ、俺は伊澄さんが結衣ちゃんにそういう気持ちを抱いても応援するから安心して」

「いや、だから、そういうのじゃないから」

「えー。あんな可愛い子に興味沸かないとか、伊澄さん大丈夫?」

「失礼な」


 恋愛について、圭がここまで食い下がることはほぼなかった。さらに、伊澄の恋愛観まで心配される始末。

 確かに、年齢的には結婚していてもおかしくはない年齢ではあるが、かといって独身でも不思議ではない。近年は晩婚化が進んでいるため、伊澄の周りでも独身の人はそれなりにいるのだ。

 このままでは結衣にも迷惑をかけるかもしれないと思い、伊澄は今の気持ちについて明言しておくことにした。


「結衣ちゃんは男の人が苦手で、それを改善したい意識はあるようだから、知り合った以上は何か手伝えたらなぁとは思うけど、それだけ。妹がいたらこんな感じかなって感覚かな」


 伊澄に兄弟姉妹はいないため、あくまでも想像だ。

 珍しくまくし立てるように言ったせいか、圭は少し罰が悪そうにサラダを食べながら言う。


「苦手って話は聞いてる。……じゃあ、俺が狙ってもいいってこと?」

「えっ。茉莉ちゃんは?」

「茉莉ちゃん? ……あー。いや、彼女は……ちょっとした相互関係というか……」

「相互関係?」

「いやいや。何でもない。こっちの話。あ、別に変な話じゃないからな」


 一瞬、不穏な言葉が過ぎったが、圭は慌てて誤魔化した。

 圭は茉莉のことを気に入っているのだと思っていた伊澄にとって、彼の口から「結衣を狙う」などという発言が出たのは意外だった。さらに、無理やりに流された「相互関係」という言葉。

 二人が何を考えているのか追究したいところだが、圭は変なところで口が堅いということを知っている以上、何を聞いても無駄だろう。特に、今回は彼自身も関わることだ。

 また、伊澄にとっても圭が言葉を濁したのは好都合だった。


「分かった。それじゃあ、この話は終わりにしよう。あと、別に圭が結衣ちゃんを狙おうと、俺には止める権利はないしね」

「えっ……あ、やべっ。違うからな。俺、本気で狙ったりしてないからな?」


 にこやかに言う伊澄を見て焦ったのは圭だ。自身の発言が思わぬ誤解を生んでいると思って前言撤回した。

 だが、伊澄は圭が本気で言っているとは思っておらず、すぐに訂正したのを見るなり呆れ顔で言う。


「だろうね。俺をけしかけたいんだろうけど、百年早い」

「酷い。伊澄さんが俺の純情を弄んだ」

「人聞きの悪いこと言わないでほしいな……。それに、もう子供じゃないんだから、ちょっと仲良くしてるからってそういう風に持っていかないこと。あと、彼女にも下手に言わないこと。いい?」

「……はーい」


 間が空いたのは気になったが、何かあればその時に問いただせばいいだろう。

 そう決めた伊澄は、少し冷えて膜を張ったコーンスープを掬った。

 そして、一口飲んでから、話題をアクアリウム展に戻す。まだ彼を誘えていなかったのだ。


「あ。そうだ。そのアクアリウム展なんだけど、圭達も来る?」

「行き――あー……いや、俺、そういえば『アクアリウム見ると痒くなる症候群』にかかってて無理なんだった」

「どんな症候群?」


 初めて聞いた名前に、伊澄は眉を顰めた。行きたくないにしても、もう少しマシな嘘はないのかと。

 ただ、圭も無理があるとは分かっていたのか渋面を作っている。


「んー、とにかく、その期間中は別件で動けないんだって。詳しくは言えないんだけど」

「そっか。じゃあ、暫くは忙しいのか……」


 開催期間は二ヶ月半と長めだが、社会人ともなれば仕事の都合で行く余裕がなくなることもある。また、開催期間はちょうど学生達の夏休みと重なっているのだ。客足が増えることを考えれば、休みの日くらいはゆっくり過ごしたくなる気持ちは伊澄にも分かる。

 最も、今回の場合、圭は仕事が忙しいから断っているのではないが。

 素直に圭の言葉を信じて引き下がった伊澄に罪悪感を覚えつつ、「社会人ってこういうとき便利ー」と心の中で呟いてミニトマトにフォークを刺す。


「あっ! そうだ。行くまでに色々とやり取りして、ちょっとは交流深めとくように。その方が、当日にあまり緊張しないだろうし」

「分かったけど、それは行儀が悪いよ」

「はーい。ごめんね、伊澄ママ」


 まるで指示棒の如くミニトマトを刺したフォークを向けてきた圭を、伊澄は頷きつつも軽く注意した。

 あっさりと聞き入れた圭は、ミニトマトを口に入れて謝った。「誰がお母さんだ」という反論は聞き流しておいた。



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