第6話 手慣れている人


 茉莉にメッセージを送ってから、もう少し店内を散策してみようと思った結衣だが、突然、後ろから何かがぶつかってきて数歩よろめいた。

 足に力を入れて転倒を防いだものの、ぶつかってきた主なのか、何かが腰の辺りにしがみついている。

 何事かと後ろを見れば、目に涙を浮かべた少年がいた。


「……えっと?」

「あっ……。お母さんじゃ、ない」

「ま、迷子?」


 どうやら、母親と間違えてしがみついてきたようだ。

 少年は謝りながら結衣から離れたが、立ち去ることさえできずにその場に佇んでいる。不安を押し殺すように服の裾を握っており、間違いとはいえ関わった以上はこのまま放っておくわけにはいかない。

 少年と視線を近づけようと少し屈み、怒っているわけではないと示そうと微笑む。


「大丈夫? お父さんやお母さんは?」

「……分かんない」

(どうしよう……。店員さんの所、行ったほうがいいかな……)


 迷子だとは一目で分かるものの、念のために両親の所在を聞いても首を左右に振るだけだった。

 探してもらうために店員に話しに行ったほうがいいのか、それとも、少年と一緒に探したほうがいいのか。ただ、店員に話すにしても、相手が男の人だったらと考えると、うまく説明できるかと不安が過ぎる。


(うう……。茉莉ちゃんの言ったとおり、早く直さないと困る……)

「…………」

「あっ。ご、ごめんね。ええと……」

「結衣ちゃん? どうかした?」


 さらに泣きそうな顔になった少年に気づき、結衣は彼の前にしゃがんでどう宥めるかと頭を働かせる。だが、良い案が出ず、思考はすぐに停止してしまった。

 そこへ、不思議そうな伊澄の声がした。

 


「あっ。い、伊澄さん……。その、私とお母さんを間違えたみたいで……迷子らしいんですけど……」

「ああ、なるほど。このお姉ちゃんがお母さんに似てたんだね」

「……うん」


 伊澄はすぐに状況を理解すると、慣れた様子で少年の前にしゃがんで笑顔を浮かべた。

 対応に困る結衣と違ってスマートに対応する伊澄に、少年の緊張も少し和らいだのか先程より目尻に溜まった涙は引いている。


(すごい……。やっぱり、大人の人は違うのかな……)

「君のお母さん、もしかしたらお店の人といるかもしれないから、すぐ近くだけど一緒に行こうか? 歩ける?」

「うん」


 伊澄はあまり少年と距離を離さないよう、中腰になりつつ少年に手を差し出す。すると、少年も素直に伊澄の手を取った。

 そんな健気な姿を見た伊澄は、「そうだ」と斜め掛けのカバンからある物を取り出して少年に渡した。


「はい、あげる」

「……アザラシ?」

「おっ。知ってるんだね。男の子だし、あんまりこういうの好きじゃないかな?」


 伊澄が取り出したのは、手のひらに乗るサイズの白いアザラシのぬいぐるみだ。頭頂部には銀色のチェーンがついており、カバンなどにも付けられるようになっている。

 どちらかといえば女の子が好みそうな物だが、少年はアザラシをまじまじと見つめると、何かを閃いたのか顔を輝かせて伊澄を見上げた。


「ううん! 『なな』にあげる!」

「兄弟がいるの?」

「うん! いもうと!」

「そっかぁ。偉いね」


 空いている手で少年の頭を撫でれば、嬉しそうに目を細めていた。その表情には、もはや先程まであった不安の色などは一切見られない。

 やがて、どちらからともなく歩き出したので、結衣も遅れずにその後について行く。

 目的の場所である店員がいるカウンターはすぐ近くで、案の定、一人の女性がまだ幼い女の子を抱えて店員と話をしていた。服装は白いシャツにベージュのスカートと、細かいデザインは異なるが結衣と少し似ている。

 後ろ姿で間違えるのも頷ける、と結衣が思っていると、女性に気づいた少年は「お母さん!」と叫んで伊澄の手を離れた。

 子供の声に反応してすぐに振り返った母親は、走って来た息子を抱きしめる。


「どこ行ってたの!? 心配したじゃない!」

「お兄ちゃんが、これくれた!」

「ええ?」

「すみません。そこで見つけたんです」


 少年は、迷子だったことなどすっかり忘れているのか、無邪気に母親にアザラシのぬいぐるみを見せていた。

 状況を理解できていない彼女に伊澄が歩み寄って手短に説明をすれば、母親は迷惑を掛けたことに申し訳なさそうに眉尻を下げる。そして、少年の頭に手を置いて下げさせつつ、自らも頭を下げて礼を言う。


「どうもありがとうございました。……これ、本当にいいんですか? 代金とか……」

「ああ、それは気にしないでください。俺が持ってても仕方ないですし。妹さんに上げると言っていたので」

「ななに!」

「その前に、お兄さんに言うことは?」


 ぬいぐるみを母親が抱える女の子に差し出すが、母親は受け取らずに少年の頭を少し雑に撫でた。

 きちんと躾はしているようで、何を言うべきかすぐに分かった少年は、伊澄に向き直ると周りの音に負けない声で言う。


「ありがと!」

「どういたしまして。もうお母さんから離れちゃ駄目だよ?」

「うん!」

「本当に、ありがとうございました」

「いえいえ。じゃあ、俺達は失礼します」

「おねえちゃんも、ありがと!」

「え? あ、う、うん……」


 結衣はまさか礼を言われるとは思わず、返事は詰まってしまった。聞こえているかは定かではないが、少年は満足げだ。

 伊澄と結衣がその場を離れると、親子も店を後にしていた。

 三人の姿が見えなくなったところで、伊澄は「圭達と合流しようか」と結衣に言ってから歩き出す。

 そんな伊澄に、結衣は先程の自然な流れを思い出して言う。


「子供の扱いに慣れてるんですね」

「たまにだけど、従兄弟の子供と遊ぶこともあるんだ。それも、ちょうどあれくらいだから」


 店主夫婦の子供――伊澄から見れば従兄弟には、今年で四歳になる子供がいる。さらに、その下には二歳児が。

 子供達は従兄弟夫婦に連れられてたまに店にやって来る他、実家などで会ったときには遊んだりもするので慣れている。だが、もう少し上の小学生くらいの子供になると、伊澄でも対応は手間取ったかもしれない。

 そこまでを言って、伊澄はあることを思い出して足を止める。


「あ、そうだ」

「?」

「……はい、これ。良かったら貰ってくれないかな?」


 またカバンを漁ったかと思えば、伊澄はボールチェーンを持って何かを差し出してきた。

 チェーンの先にある物を見た結衣は、思わず「あ」と小さく声を上げてしまった。

 少し潰れた丸いフォルムは白と灰色の二色。ぴんと立った三角の耳とふさふさとした尾が取り付けられたソレは、先程、結衣が伊澄の隣から離れた際に狙っていた「大福猫」のぬいぐるみキーホルダーだった。大きさは結衣の片手に収まる程の小さなサイズだが、愛らしさは損なわれていない。むしろ、小さいことによってさらに可愛さが増している。


「別の所に小さい物もあるって後で分かってね。試しにやってみたらあっさり取れたんだ」


 さっきのアザラシもね。と付け足す伊澄は、やはり相応にクレーンゲームは上手いようだ。そうでなければ、結衣が離れてからあの少年と会うまでの短い時間で取れるはずもない。

 結衣は手のひらに乗せられた大福猫を眺めていたが、ハッとして伊澄に返そうと差し出す。


「わ、私は受け取れません」

「こういうの好きじゃなかった?」

「いえ、好きですけど……」

「それじゃあ、今日、俺のストレス発散に付き合ってくれたお礼と言うことで。ただ……」


 お礼と言われるようなことはしただろうかと結衣は首を捻るも、伊澄は笑顔のままで結衣から別の方向へと視線を移した。

 結衣の後ろにあるメダルゲーム機の陰へと。


「圭。君にはないからね」

「……ちぇっ。気づいてた」


 メダルゲーム機の陰にいたのは、こっそりと様子を窺っていた圭と茉莉だ。

 結衣は圭の手の中で奇声を発した鶏のおもちゃが気になったが、すぐに茉莉にメッセージを送ったときを思い出した。確か、あのときに圭がしていたクレーンゲームの景品は、大量に積まれた鶏のおもちゃだった。


(あれ、取れたんだ……)


 圭の不満を表すかのようにじっとりと鳴らされる鶏だが、今は周りが騒々しいこともあってさほど気にならない。これが外であったなら話は別だが。

 伊澄も鶏には取り合わず、ひっそりと行っていた圭の気遣いに気づいている旨を明かす。


「ありがとう。何となく、気晴らしに連れ出してくれたんだろうなとは思ってたよ。何年の付き合いだと思ってるんだ?」


 いくら結衣とのことがあったとしても、普通ならわざわざ初対面の人を巻き込んで猫カフェに誘うことはしない上、ゲームセンターに来ることもない。

 圭は口には出していないが、学生時代から交流を続けている伊澄は彼の考えていることは何となく分かっていた。

 すると、圭は自身の胸に鶏ごと両手を宛てがうと、感銘を受けたかのように言う。


「えっ。もしかして、伊澄さん、俺のこと……」

 ――ギュピィィィ。


 圭の胸で、握りしめられた鶏が奇声を発する。


「茉莉ちゃんも、圭に付き合わせてごめんね?」

「ねー。聞いてる?」

「いえいえ。楽しかったのは本当なんで」


 もしや、伊澄に聞こえていなかったのかと、鶏の腹を細かく何度も押しながら真顔で声を上げる圭だが、伊澄に話しかけられた茉莉がそれに被せるように返した。

 これは取り合ってくれそうにないと気持ちを切り替えた圭は、少し前から急にドライな対応になった茉莉の肩に腕を回す。


「俺ら、すっかり仲良しなんだぜ!」

「……はっ」

「……鼻で笑われる程度には」

「うん……。何をしたかは想像がついた」


 これも付き合いの長さが生んだ賜物だ。

 圭は返事の代わりに、鶏をじわりじわりと押し、長く低い鳴き声を上げさせたのだった。




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