第5話 小さな一歩


 猫との触れ合いを満喫した後、四人は併設の喫茶スペースで昼食を摂った。茉莉と圭が主に話をしていたが、時折、結衣や伊澄にも話を振ってくるため、適度に楽しむことはできた。

 そして、猫カフェを出てもまだ日が高いのを見ると、何かを閃いた圭が手を叩いて言う。


「こんな時間に解散って言うのも何だし、もうちょっと遊んで行こうぜ」

「俺はいいけど……二人は大丈夫?」

「あたしは特に用事はないので。結衣は?」

「わ、私も」


 自分だけ置いて行かれるのも……という妙な寂しさが生まれ、帰るという選択肢を外した。

 ほんの数時間程度ではあるが、一緒に過ごしたおかげか最初よりは緊張もしなくなった。このまま交流を続ければ、茉莉に言われた「異性が苦手なのを改善する」にも役立つかもしれない。

 そう結論に至った結衣は、三人に聞こえないよう小さく「よし」と意気込んでカバンの紐を握った。


「何処に行くんだ?」

「んー、ゲーセンとか? 確か駅前にあったよな」

「久しぶりに聞いた響き……」

「伊澄さん、行かなさそうだもんな」


 思い浮かんだ場所は活発な圭らしい場所だが、伊澄は長らく足を運んでいない。たまに通りかかることはあったものの、特に用もないので入ることもなかったのだ。

 伊澄は他に行きたい場所がないため、圭に付き合うのは問題ない。だが、女子二人はどうかと視線を茉莉と結衣に移す。


「二人はそこでいい?」

「いいですよ。あたし達もたまに行きますし」

「よーし、決定ー! 行くとなったら何か取って帰りたいよなー」

「上手いの?」

「いや、全然?」

「あの意気込みは」


 まるでクレーンゲームをすれば何かを取れるかのような言い方だったが、茉莉に問われた圭はあっさりと否定した。

 またしても茉莉と圭が先を行く中、結衣は伊澄をちら、と見上げる。微笑ましげに二人の後ろ姿を見る伊澄は、まるで子の成長を喜ぶ保護者のようだ。


(面倒見がいい人、なんだろうな……)


 自然と結衣達のことも気遣ってくれる辺り、彼の面倒見の良さや気配りが上手なのだと分かる。

 ふいに過ぎった一人の青年の姿を追いやるように頭を振れば、さすがに気づいた伊澄が心配したように結衣を見た。


「何かあった?」

「……いえ、ちょっと…………虫が……」

「虫? ああ、そっか。もう夏だもんね。色んな物が活発になるよね」


 信じてくれたのか、それとも結衣が誤魔化したことに気づきながら追究しないと決めてくれたのか、伊澄はふわりと微笑んで言う。

 「突然、飛びかかってくるとびっくりするよねぇ」と言葉を続ける伊澄だが、結衣はありがたい気持ちと嘘をついて申し訳ない気持ちが混ざって返事ができなかった。


「二人ともー! 置いてくぞー!」

「はいはい。今行きますよ。……行こうか?」

「……そうですね」


 ――この人と『あの人』は違う。

 結衣が歩き出すのを待ってくれている伊澄に迷惑を掛けないよう、結衣はそう言い聞かせて一歩踏み出した。



   □■□■□■



 いつ来ても賑やかなゲームセンターは、休日ということもあって多くの人が訪れていた。

 学生時代は友人と来ることもあった伊澄だが、社会人となってからはほぼ来ることがなかったため、久しぶりの雰囲気に軽く圧倒されてしまった。

 提案者である圭は早速、茉莉と共にシューティングゲームを見つけてプレイしていた。迫り来るゾンビをマシンガンで撃つという単純なものだが、映像や音にはかなりの迫力がある。襲われれば画面の端からプレイヤーの物に見せかけた血が噴き出す演出付きだ。

 結衣も茉莉の隣で次々と出てくるゾンビや撃ち抜いていく二人を見ていたが、ふと、伊澄が別の方向を見ていることに気づいた。


「……?」


 ぼんやりと何かを見ている伊澄の考えは読みにくい。ゲームセンターは久しぶりだと言っていたが、もしやあまり乗り気ではなかったのだろうか。それとも、何か気になるものでもあったのか。

 結衣は伊澄の前に回って様子を窺う。視線の先を追おうとしたが、クレーンゲームやアーケードゲームなど、様々な物が所狭しと並んでいるので特定は難しい。

 首を傾げつつ伊澄と視線の先を交互に見ていた結衣だが、実のところ、伊澄はただぼんやりとしているだけだった。


(すごいなぁ。十年ちょっとなのに、この変わりよう……)


 通りかかった際にも、見たことのない物があるなとは思っていた。

 だが、中に入ってみるとさらに色々なゲームがあり、時代の流れを感じずにはいられなかった。

 ふいに、視界の隅に入った結衣が不思議そうに見上げてきていることに気づき、伊澄は目を瞬かせて首を傾げた。ばっちりと目が合った結衣は慌てて目線を逸らしている。

 そんなに焦る必要はないのに、とまるで危険を察知した小動物を連想させる結衣に笑みが零れた。


「あははっ。そんなに慌てなくていいのに。どうかした?」

「えっ!? あ、いえ、その……だ、大丈夫かな、と……思いまして……」


 周囲の騒音にかき消されそうな声だったが、辛うじて聞き取れた。

 その言葉の意味を考えていた伊澄は、自分がぼんやりしているように見えていたのだと気づく。


「ああ、ごめんね。心配させちゃった?」

「いえ……」

「久しぶりに来たから、色々変わっててびっくりしたんだ。ほら、あんなのとか、俺が学生の頃にはなかったし」


 そう言って伊澄が指したのは、アームが三本ある超大型のクレーンゲームだ。アームの大きさに比例して、景品であるぬいぐるみもかなり大きい。むしろ、三本のアームで挟んだだけで動くのかと思うほどだ。

 伊澄達の年齢を聞いていない結衣は、一体、彼は何歳なのかと頭に疑問符を浮かべる。年上だということは分かっているが、圭のことも含めて考えるとまだ三十には乗っていないはず。


「久しぶりにやってみようかな」

「……得意なんですか?」

「んー、あのタイプはやったことがないからどうかなぁ。普通のは圭よりはできたはず」


 記憶を探りながら言った伊澄は、指したクレーンゲームへと歩いていった。

 その後について行こうとした結衣だが、このままでは伊澄と二人になる、と気づくと茉莉と圭を振り返って見る。

 だが、二人の姿は先程のゲームの前にはなく、何処にいるのかと見回せば、少し離れた位置にあるクレーンゲームにいた。もはや二人の世界にも見えるため、邪魔はしないでおこうと伊澄へと視線を戻す。

 彼も既にクレーンゲームの台で中にあるぬいぐるみを見ていた。なかなかに自由な人だなと思いつつ、自身を鼓舞するかのようにバッグの紐を少し強めに握ってそちらに向かった。

 伊澄は、少し遅れてやって来た結衣に気づくと小さく手招きをし、ぬいぐるみについて訊ねる。


「結衣ちゃん、これ知ってる?」

「……あ、知ってます。大福猫です」

「大福猫……」


 離れた位置では少し分かりにくかったが、近づくとすぐに何かは分かった。最近、若い女性を中心に人気のシリーズだ。

 クレーンゲームの中で積み重なったぬいぐるみはやや潰れた丸いフォルムをしており、結衣が言ったように大福にも見える。数種類いるようで、色や柄は勿論、付けられた耳や尾もそれぞれ微妙に異なっていた。

 その中でも伊澄が注目したのは、白と灰色の猫だ。


「あの灰色と白の子とか、さっきの雪ちゃんに似てない?」

「……ホントですね」


 寝ているところなのか目は横棒になっているが、先ほど猫カフェにいた雪に見えなくもない。

 余程気に入ったのか、伊澄は財布から小銭を取り出すと、やや上機嫌な様子で投入した。初めてやるタイプの物だが、基本的な操作は同じのため、戸惑うことはほとんどなかった。アームが回転できることと、掴むタイミングを自分で決められることに驚いたくらいで。

 意外と子供っぽいところもあるのだなと思いつつ、結衣も伊澄が動かすクレーンを眺めることにした。

 そんな二人の様子を、圭と茉莉がクレーンゲームの台越しに見ているとは気づかずに。


「あらまあ。あんな距離がもう平気とは」

「あんな距離って言っても、まだ人一人分くらいはあるけど……やっぱり、結衣ちゃんって男嫌いだった?」

「嫌いというか苦手なの。特に女好きの人とか、ちょっと威圧的な人とかは」


 茉莉は、結衣達からは視線を離さずに少しだけ訂正する。

 圭にも結衣のことは何となく伝わっていた。何せ、茉莉には普通に話せているのに、伊澄や圭相手だと途端に視線が合わなくなり、会話も戸惑いがちになるのだ。鈍い人ならともかく、半日も見ていれば自然と気づく。


「俺が近づいたら半歩以上は下がるのに、伊澄さん相手だといけるんだな」

「圭さんはノリが軽いから駄目なんじゃない?」

「やっぱり、伊澄さんのあのオーラが女の子の警戒心を解しやすいのか……?」

「聞いてる?」


 圭が結衣に近づいたのは、駅で合流したとき、猫カフェの受付で自然と近くになるような状況のとき、昼食のときや猫カフェを出るときなどだ。会話の流れで自然と近寄ったものの、彼女ももはや条件反射のように距離を取った。それが、ここに来てからは伊澄には自ら近寄ることをしている。

 茉莉は、話を敢えて聞いていない圭には何も言わず、また伊澄を見た。

 伊澄の纏う雰囲気は、普通の男の人よりは随分と柔らかく感じる。圭曰く、誰かに本気で怒ったり冷たくするところは見たことがないとのことだ。また、浮気したという元彼女を気遣う素振りも見せているとか。


「お人好しが服を着て歩いてるみたいな人ねぇ」

「伊澄さんと初対面の人でもさ、ちょっと話したらすぐ打ち解けるんだよ。結衣ちゃんは長いほう」

「へぇ。まさか、結衣の苦手の克服に使えそうと思った人にそんな能力があるなんてね。このまま直ってくれたらいいんだけど」

「うんうん。いいように利用しちゃってよ。俺だって、結衣ちゃんのこと利用しようとしてるわけだし」

「……言葉だけ聞くと、お互い最低ね」

「あはは。確かに」


 圭も茉莉も、互いに伊澄と結衣を良いように使おうとしている。圭は伊澄が傷心を速く忘れられるように、茉莉は結衣の異性への苦手意識が薄れるように。

 四人のグループで会話をしつつ、二人は互いに連絡も取っていた。そこでお互いの真の目的も話しているため、今日は出来るだけ伊澄と結衣が二人になるように動くことも出来たのだ。ただ、最初のドラマの話で盛り上がったのは予想外だったが。

 茉莉は、圭から「傷心」と言われている伊澄を見る。

 喫茶店で会ったときは何処か覇気はなかったものの、そこまで落ち込んでいる様子はなかった。今日も普通に笑えているようだったので、とても彼女と別れて傷心だとは思えない。


「伊澄さんって本当に傷心なの? 案外、平気だったりしないの?」

「うん。だって、いつもより顔に元気がない」

「そう?」

「付き合い長くないと分かりにくいけどな。たまにぼーっとしてるのも……いや、普段もそうだけど、それがいつもより間抜けというか……」

「今の本人に言ってもいい?」

「最後以外は」


 圭の分析が伊澄への悪口に聞こえなくもなかった。真顔で言う茉莉に、圭は「最後は言うなよ」と釘を刺しておいた。

 本気で怒ることはない伊澄でも、「叱る」ことはする。それは相手を思ってのことだが、的確に指摘してくるので圭としては耳が痛いのだ。

 圭は切り替えるように咳払いをひとつして言葉を続ける。


「こんなとこで言うのもなんだけど、あの人、元カノと結婚までは一応考えてたらしくて」

「ええ……。浮気するような人と?」

「それは後から分かったことだから。まぁ、歴代の元カノの中には明らかに『浮気しそう』って人もいたけど、今回の人はそんな事するような人には見えなかったんだよな」

「人は見た目によらないって言うじゃない。伊澄さんに取り入ろうと、猫被ってた可能性だってあるわよ。そんなことしたって、いつかはボロが出るんだけど」

「いや、ほんとそれな」


 付き合って少ししてから、伊澄にどんな人かと聞けば、献身的な人だと話していた。忙しくて会えない日があっても、素直に待ってくれていると。たまに「次に会えるのはいつ?」と聞いてくるくらいで、困るような我が儘もなかった。

 だからこそ、伊澄は「仕事が落ち着いたら」と考えようとしていたところだ。


「それがまさかの浮気だろ? しかも、これは本人に聞いてないけど、今までの不満を詰め込んだメッセージまで来たらしいじゃん。見た目はああしてへらへら笑ってたりしてるけど、結構キてると思うんだよ」


 メッセージについては、以前、伊澄が彼女と別れたという話を聞いたときと同じルートで知った。

 どのようなルートだったかはもはや忘れてしまったが、元彼女は自身を正当化しようとしているのか、伊澄に対する不満を圭の情報源に包み隠さず話したようだ。それを、情報源は「こいつ、こんなことしてる。やばすぎ」と面白がって広めたのだとか。興味半分で聞いた圭でも、表と裏の顔の使い分けに身震いしたものだ。


「抱え込むタイプ?」

「そうそう。しかも無自覚な。本人に聞いたって『大丈夫』しか言わないから。だから、ちょっと俺達が息抜きもしてやんなきゃいけないわけ」

「ふーん。先輩思いの良い後輩だこと」


 本人に悟られることなく、適度に息抜きをしてあげる。

 普段の軽い調子の圭からは想像もできない行動だ。だが、普段の軽いノリでさえ、暗くなりすぎないようにしていると思えば納得がいく。


「そうか? 俺はあの人の手を焼かせてきてるから、大人になった今は、逆に手を焼きたいだけっつーか。『大丈夫』を信じてほっといたら、知らない内に潰れるって分かったから」

「経験済みなのね」

「一回な」


 当時を振り返っているのか、圭は「あん時はやばかった」と遠い目をした。

 その様子を横目で見た茉莉は、今は過去を追究することはせず、二人へと意識を戻す。

 大きなぬいぐるみは、持ち上がったかと思えば、アームが横に移動しようとした瞬間に落ちている。


「うーん。難しいね」

「わ、私、見ていたら緊張しちゃいますよね。ちょっと、色々見てきます」

「え?」


 伊澄を気遣ったのか、それとも二人きりの状況に耐えきれなくなったのか、結衣はそう言うと伊澄が返す前に離れた。

 その行動に慌てたのはむしろ陰で見ていた茉莉達だ。もしや自分達の所にくるのかと、慌ててゲームで遊ぶ振りをする。

 だが、当の本人は茉莉達の所に来るわけでもなく、クレーンゲームを見ながら店内を歩くだけだった。途中、茉莉と目が合うと、ハッとした彼女はクレーンゲームの陰へと隠れた。勿論、クレーンゲームの台は一部透けているので、姿は辛うじて見えるが。

 一体、何をしているのかとクレーンゲームをプレイする圭の隣にいるままで疑問に思っていると、スマホにメッセージが入った。


【邪魔しないから、頑張ってね!】


「……いや、そうじゃなくて」


 完全に勘違いされているメッセージに、思わず台に手をついて項垂れた。

 その茉莉の視界に割り込んだのは、腹部を押せば奇声を上げると話題の、羽根を毟られた状態の鶏の人形だ。

 人形を持つ手から先を辿れば、今日一番の輝かしい笑顔があった。


「見て! 取れた!」

「あんたが取ってどうすんの……」

「素が出てる……」


 呆れと僅かな苛立ちを含ませて言えば、圭がやや怯みながら人形を握りしめる。

 人形のぱっくりと開いた口からは、圭の心情を表すかのような震えた声が上がった。



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