第4話 苦手なものは
「えっ! 最終回すごかったの!?」
「うん。一気に話が進んでさ。本当の黒幕はね――」
「あー! 待って! 俺、まだ最終回観れてないんだって!」
「……あの二人、あんなに仲良かったっけ?」
「さあ……?」
前を歩く圭と茉莉は、互いに観ていたドラマが同じと分かって先程から盛り上がっている。その後ろを歩く伊澄と結衣は、残念ながらそのドラマを観ていないので話に入れない。
つい先日、喫茶店で連絡先を交換した四人は、あれから連絡アプリを使って猫カフェに行く日にちを決めた。結衣と茉莉は学生のため土日祝日しか行けないと話すと、それに伊澄と圭が休みを合わせてくれた形になった。
急な変更が可能なのかと心配した結衣だったが、話が出たのが六月の終わりだったこともあって、七月に行くのであれば調整はできたのとことだ。
(土日とか忙しいはずなのに、休んでもらって良かったのかな……)
伊澄も圭も仕事は接客業に該当する。人の増える土日は特に忙しいはずだ。
二人は問題ないと言っていたが、無理に取ってもらうより、自分達が夏休みに入るまで先延ばしにしても良かったのでは? と思った。今となっては後の祭りだが。
結衣は賑やかな二人の後ろ姿を見た後、伊澄には気づかれないようにそっと溜め息を吐く。足取りが重いのは、二人や店に迷惑を掛けたと思っているせいか、それともまだ会うのが三回目の伊澄に緊張しているからか。
ふと、少し先を歩いていた伊澄が足を止めていると気づき、結衣も足を止めた。
「ごめん。速かった?」
「い、いえ! 大丈夫、です!」
少し近づいた伊澄からやや後退ってしまったのは条件反射だ。
詰まりながら返した結衣は、これ以上気を遣わせてなるものかと再び歩き出した。
伊澄は結衣の歩くスピードを気にしてくれている。当初、待ち合わせ場所の駅から歩き出したときは、先頭を伊澄と圭、その後ろを結衣と茉莉が歩いていた。だが、途中で茉莉と圭の話が合って並んで歩くようになり、後ろに取り残されていた結衣の隣に伊澄が自然と下がって来たのだ。
今度は少し先を歩いている結衣を見ながら、伊澄は彼女とは視線が合わないなとぼんやりと考える。話しかければ最低限の返事はしてくれるが、会話が長く続くことはない。
(人見知り、かな……?)
伊澄は人見知りではないが、ほぼ初対面の、それも年上の人と二人にされて話題に困る気持ちは理解できる。かといって、このまま会話もないのは、せっかくの休みに来てくれているのに申し訳ない。
結衣との距離を測りながら、近くなりすぎないように横に並ぶ。
「今日は晴れて良かったね」
「そ、うですね」
突然、話しかけたせいで結衣はびくりと肩を跳ねさせた。
これから猫カフェに行くというのに、気分は既に警戒心の強い猫を相手にしているようだ。
「結衣ちゃんは、猫以外に好きな動物とかいるの?」
「好きな、動物……。……犬、とか?」
「ああ、犬も可愛いよね。昔、近所にいた大型犬がすごく人懐っこくて、よく遊んでたなぁ」
「大型犬……いいなぁ」
当時を振り返る伊澄の傍らで、結衣はぽつりと呟いた。ただ、思わず口をついて出た言葉だったのか、ハッとして口元に手を当てている。
気にするところではないのだが、敢えて指摘してからかうよりは流したほうがいいだろうと思った伊澄は、そのまま話を続けることにした。
「いつか飼ってみたいけど、一人暮らしだとちゃんと面倒見れるか心配なんだよね」
「一人暮らしなんですね」
「そう。仕事場の近くでね。実家は県内だけど、ここから少し遠いから」
視線は伊澄へと向くことはないが、受け答えをしてくれるのはまだありがたい。
ふと、伊澄は賑やかな二人を見る。すっかり長い付き合いの友人か恋人同士のように見え、今でこそ知り合ったばかりだが、いつか交際を始めるんじゃないかと思った。
(むしろ、圭が興味を持ったから、切っ掛けに使われたような気も……まあ、いっか)
その点については、今は深く考えないでおこうと自分に言い聞かせ、伊澄は結衣と時折会話を交わしながら目的地を目指した。
◇◆◇◆◇
目的の猫カフェは、駅から十分ほど歩いた場所にあった。
テナントビルの一階にあるそこは、休日ということもあって受付も少し混んでいた。そのため、今日は時間制で人を入れ替える流れだ。
伊澄達は受付で入店のための手続きを済ませ、待合室も兼ねているスペースで待つ。手渡された注意事項を読んでいると、時間はあっという間にやってきた。
「――かっ、可愛い……!」
「こらこら。いきなり触っちゃ駄目って書いてたじゃん」
「あ! そうだった!」
スタッフに案内され、触れ合いスペースに入った瞬間、思い思いに過ごす猫達を見た茉莉のテンションが一気に上がった。
飛びつかんばかりの様子を見かねた圭が苦笑しながら止めれば、注意事項を思い出した茉莉はハッとして我に返る。
触れ合いスペースは広々としており、中央付近にはキャットタワーやクッション、壁際にはテーブルや本棚、ソファーが置かれていた。床は全面にカーペットが敷かれているので、客の中にはカーペットに座って猫と遊ぶ人もいる。
また、奥にはカフェスペースがあり、ガラス張りになっているので、猫達の様子を見ながら食事などを楽しめるようになっていた。
「とりあえず、空いてるとこ行こうぜ。ここ出入り口近いし」
「あ。あの子可愛い。ふわふわしてる」
「おーい。聞いてる?」
茉莉はすっかり猫に夢中だ。結衣もまさか茉莉がこれほどまではしゃぐとは思わず、こんな一面もあるのかと驚いている。
圭に促され、他の人の邪魔にならないよう、茉莉は空いているスペースに腰を下ろす。さっそく足にすり寄ってきた人懐っこい猫がいたが、心の準備をしていなかったせいで固まった。
「こっ、これは触っていいやつ……!?」
「じゃないか? そっとな。……あ。せっかくだし、おもちゃ持ってきてやるよ」
(こいつ、やっぱり……)
茉莉の隣にいる圭は猫用のおもちゃが入った箱を見つけると、猫を驚かせないようそっと立ち上がって取りに向かった。
おもちゃが入った箱は室内の数カ所に設置されており、中には猫自ら箱から取り出してじゃれているものもいる。
率先して動く後輩の姿を見た伊澄は、茉莉に対して本当に気があるんじゃないかと、普段ならあり得ない光景に愕然とした。すぐに、ここは先輩として、後輩の幸せを祈るくらいはしてやろうと温かい目で見守ることを決めたが。
「……あれ? 結衣ちゃんは……」
楽しんでいる二人はともかく、茉莉に放置されている形の結衣がどうしているかと気になって見れば、近くにいたはずの結衣がいなかった。
何処に行ったのかと室内をぐるりと見渡せば、壁際にあるソファーに座っている結衣を見つけた。傍らには灰色と白の毛足の長い猫が伏せており、大人しく撫でられている。
驚かせないようにそっと歩み寄れば、気配に敏い猫は細めていた目を開いて伊澄をじっと見つめた。春の青空を思わせる青の瞳が綺麗な猫だ。
「綺麗だね」
「そうなんです。ここで大人しく寝てたので、隣にお邪魔させてもらいました」
さすがは猫カフェの猫といったところか。気配に敏いものの、人慣れはしている。首輪に付いた小さなクリアプレートの名札には、「雪」と猫の名前が書かれていた。
大人しい猫――雪という存在を気にしているせいか、結衣の口調には先程までの緊張感はほとんどない。優しい目で雪を見つめて撫でている。
やはり人見知りだろうか、と考えていたもう一つの可能性を隅に追いやろうとしていると、伊澄を見上げていた雪が徐に立ち上がった。そのまま去るのかと思いきや、雪は結衣の膝に移動した。
まさかの大胆な行動に、結衣は嬉しさと驚きの混じる表情で雪を見下ろしつつ、けれども驚かせないように感情を抑えて頭を優しく撫でてやる。
雪は伊澄を見上げると「にゃあ」と短く鳴いて空いた場所を見た。これは「座れ」と言っているのか。
まさか猫に気遣いをされるとは思わず、伊澄は結衣へと視線を移して訊ねる。
「えっと……お隣、いいかな?」
「ど、どうぞ……」
雪が膝にいる以上、結衣が動くとこはできない。下ろして移動することはできるが、気持ちよさそうに収まっている雪を見ると良心が痛む。
けれど、結衣の表情は先程より強張っており、隣に座ってもいいと言っても快くという雰囲気ではない。
伊澄はできるだけ端に寄りながら座り、ずっと引っ掛かっていたものが正解か確認を取る。
「あの、ここに座ってから聞くのもあれなんだけど……結衣ちゃんって、男性恐怖症……とか?」
「い、いえ。その……そこまで、では、ないのですが……」
恐る恐る訊ねたせいか、結衣の返事も段々と語尾が小さくなった。伊澄を傷つけないよう言葉を選んでのことだろうが、伊澄としてはむしろはっきり言ってくれたほうが助かる。
嫌悪感を抱いていないと分かってもらおうと、声音を明るくさせながら優しい口調で言う。
「ああ、大丈夫。嫌とかそういう風には思わないんだけど、距離感を測るための参考で」
「……少し、苦手なだけです」
「今は? 遠慮せずに言っていいよ。って、そう言われたら逆に言いにくいか」
「…………大丈夫、かもしれません。そ、それに、茉莉ちゃんとも、治さないといけないねって、話してたので……」
隣にいる伊澄をちら、と見てから、結衣はまた雪に視線を落とす。雪も膝にいるせいか、来るときよりも近い位置に苦手な異性がいるというのに、普段より嫌な気分はしない。勿論、警戒心は完全には解けないのだが。
改善したい意識があるのであれば、ここから離れる理由もない。
「そっか。それなら、ここにいようかな」と微笑んだ伊澄は、体を擦り寄せてきた灰色の猫の背を撫でた。
茉莉と圭はおもちゃで猫と遊んでいる。やはり、知り合って二回目とは思えない仲の良さだ。
伊澄は、第三者から見た様子を圭に見せてひやかしてやろうという悪戯心が沸いた。スマホを取り出し、無邪気に遊んでいる二人を撮った。
突然の行動に目を瞬かせる結衣に気づくと、悪戯が成功した子供のように笑みを浮かべる。
「仕返しじゃないけど、これくらいはね」
(それを仕返しと言うのでは……)
喫茶店で再会したとき、伊澄は仕事のために途中で退席していたが、あとで圭から色々と言われたということが目に見えて分かった。
結衣は内心で突っ込みを入れつつ、それならば……と自身もカバンからスマホを取り出す。
相変わらず膝にいるままの雪は結衣の手元を目で追い、何をするのかと興味深そうに見つめている。
「……雪ちゃんも撮ろうかな。撮っていい?」
記憶だけに残すのは惜しい愛らしさに、茉莉達へと伸ばしかけていた腕を止めた。
言葉は通じないが、許可を取る気持ちが先に立ったのだろう。雪に訊ねた結衣は、逃げる様子のない雪を見るとシャッターボタンを押した。
雪は余程スマホが気になるのか、ずっと目で追ったままだ。結衣の膝上で横になっている体を捩り、後ろにあるスマホを見上げる。ほぼ仰向けに近い態勢がさらに愛くるしく、再度シャッターを押した。また、すぐそばを通り過ぎる尾の短い猫や、急に走り出した猫達の姿、器用に伊澄の肩に乗った猫など、気づけばかなりの枚数を撮っていた。
(良かった。楽しんでくれているようで)
伊澄は、撮ったばかりの画像を圭に送りながら、結衣を横目で見て安堵する。
少しとは言え、苦手な異性と近い距離にいるのだ。せっかく来た猫カフェを楽しめていない様子だったら、伊澄は頃合いを見て適当な理由をつけて離れようと考えていた。
しかし、今の結衣は撮影に夢中なのかこちらを気にした様子はなく、ふわりと笑む姿には不安げな色はもうない。
すると、満足げにスマホを見ていた結衣がぽつりと呟いた。
「また、来たいな……」
そちらを見ていなければ聞き逃していただろう小さな声。心の中で留めておこうとした言葉が口から出たのだろう。それも、声に出したことに気づいていないのか口を塞ぐこともなく、膝でごろんと寝転がった雪のお腹を撫でている。
「そうだね」
結衣の呟きに、伊澄も圭達を眺めながら小さく返した。
聞き取れない声量だったため、猫に集中している結衣から返事はなかったが、伊澄はそれでいいとそっと息を吐く。
穏やかな空気は好きだが、結衣のことを考えるとまた誘う気は起きない。誘ったところで彼女が困った顔をするのは目に見えている上、これ以上付き合ってもらう理由もないのだ。
次は一人で来るか、と近々の休みを思い浮かべながら、スマホを構えていた伊澄は猫にパンチを決められた圭を撮った。
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