第3話 交流の始まり
「えっと……」
圭の謎の計らいにより、先程入ってきたばかりの二人の少女は伊澄の向かいに座っている。また、圭も二人の水を持ってきた後、テーブル横に立ったままだ。
件の少女、結衣は申し訳なさそうに肩を縮めて少し下を向いたままだが、窓側に座る彼女の友人は気にした様子もなくメニューを見ている。
なかなか肝の据わった子だ、と伊澄は気まずさをまぎらわせようとアイスコーヒーを飲んだ。
そして、いつまでもこのままではいられないと切り出す。
「この間はごめんね。大丈夫だった?」
「えっ!? あ、いえ! こちらこそ、すみませんでした! ……あの、ケータイは……」
結衣は壊してしまったことを気にしていた。いくら周りの目があるとは言え、非があるのはぶつかってしまった自分だ。何を言われてもおかしくはない。
ただ、先に謝られた上にその声音は優しく、結衣は強張っていた体から少しだけ力が抜けるのを感じた。
「気にしないでいいよ。新しいのに変えるところだったから」
「――った!?」
結衣を安心させるために、伊澄は圭から取り戻した際、テーブル脇に伏せて置いたスマホの画面を見せる。何かを言おうと口を開いた圭に嫌な予感しかせず、テーブルの下から足を伸ばして圭の足を軽く踏んでやった。
テーブル下での事を知らない結衣は、言葉が出てこなかったのか、傷一つない画面を見たままぽかんとしていた。
その隣で、メニューを見ながら伊澄の様子を窺っていた友人の茉莉は内心で伊澄の対応に感心する。
(ふーん。気まずそうにしてるから、先に空気破ってやろうかと思ったけど……意外としっかりしてそうね)
見た目は緩そうに見えるが、視線を泳がせることもなく、口調も柔らかいがはっきり話している。また、圭を黙らせたのも彼なりの配慮だ。
メニューから顔を上げて伊澄へと向いた茉莉は、思い出したように言う。
「あ。この子の友人の三浦茉莉です。藤城さんのことは結衣からお聞きしてます。挨拶もせずにすいません」
一緒に来ているくらいだ。二人の仲は良いとは分かる。
どう聞いているかはともかく、自己紹介の必要はないか、と伊澄は去る気配のない圭を気にしつつ首を軽く左右に振った。
「ううん、大丈夫。メニュー見てたの、多分、この人がいるからでしょ?」
「え、俺?」
「あはは……。てっきり、注文待ってるのかと」
伊澄はなかなか鋭いのかもしれない、と茉莉は驚いた。対する圭は図太いのだろうと。
大抵の場合、店員は注文が決まってから呼ぶことが多い。それが未だにテーブル横についたままだ。注文を急かされているように感じてしまう。
すると、圭は特に気にした様子もなくあっさりと言ってのける。
「俺的には伊澄さんとの馴れ初めを待ってる感じっす」
「わぁ、ストレート。この店員さんとは知り合いなんですか?」
「俺? 俺は杉江圭って言います。伊澄さんとは中学の頃からの腐れ縁っすよ。もう十年以上の付き合い」
「へぇ。長いんですね」
茉莉と圭はお互いが気さくな性格のせいか、話はスムーズに続いている。間にいる結衣はどうすればいいか戸惑っているが。
伊澄は小さく息を吐くと、厨房のある方向を指差して言う。
「圭、仕事」
「はーい。注文が決まったら呼んでくださいねー」
これ以上、彼を長居させるわけにはいかない。伊澄も適当に理由を付けて店を出るか、と残り少なくなったアイスコーヒーを見る。
すると、意識が逸れていれば聞き逃してしまいそうなほど小さく「あの」と聞こえた。
「本当に、すみませんでした……。せめて、ここのお茶くらいは……」
「あはは。もう大丈夫。それに、色々と割り切ることができたから」
「…………」
詳しくは言えないが、悪いことばかりではなかったのは事実だ。主に、元彼女のメッセージを見なくて済む、という面については。
少し圭に話したせいもあるが、改めてそう考えると気分も少し晴れたように感じる。
結衣は力なく笑う伊澄を見て、本当に気にしていないと分かった。このまま食い下がるのは逆に迷惑だろうと。
隣の茉莉は特に何かを言うこともなく、またメニューを見ている。
ここは、伊澄の好意に甘えるしかないか、とテーブルに視線を落としたときだった。
「ねぇ、二人って猫カフェに行ったことある?」
「ひゃっ……!?」
「圭」
先ほど去ったはずの圭が、テーブルの脇にしゃがんでいた。
いつの間に、と別の意味も含めて驚いた結衣は反射的に後ずさろうとしたが、今は席に座った状態だ。固定されたソファータイプのため、後ろに倒れることはないものの、体は背凭れに当たってそれ以上は下がれなかった。
非難するように呼んだ伊澄だが、彼は反省の色を見せずに笑顔を浮かべた。
伊澄はその表情に嫌な予感しかしなかった。
「この人が一回行ってみたいって言ってたんだけど、男一人だと入りにくいって言っててさ。今度、連れて行ってやってくれない?」
厨房に敬語を置いてきたのかと言わんばかりの気さくな話し方と、いつそんなことを言った、と伊澄は頭が痛くなった感じがして片手で額を押さえる。すぐに、猫カフェに興味があると話したことは思い出したが。
一方、茉莉は圭が企んでいることを察してハッとする。
(なるほど。この人、これを機に二人を良い感じにしようと……?)
それも、まだ結衣がどのような人か知らないことを踏まえると、完全に面白がってのことだ。
ここは友人として変な方向に行くのを止めるべきか、と茉莉は一瞬迷う。
しかし、伊澄は外見はどこか頼りなさそうではあるものの、これまでのやり取りを見る限り内面はまともそうだ。後輩に懐かれてもいる。問題はある後輩だが。
(うーん……。結衣の男が苦手ってのも直したいし……)
社会に出れば、否が応でも異性と接する機会はある。異性を前にすると萎縮することがある結衣の性格は、できれば早めに直したいところだ。私生活だけでなく、仕事にまで支障を来す前に。
この二人がどうなるかは本人達によるだろうが、ここは圭の企てに乗るのも良いかもしれない。
茉莉は圭の提案から十秒も経たずに結論を出すと、にっこりと笑みを浮かべた。
「ちょうどいいじゃん。あたし達も行こうって話してたし」
「えっ? 話してたっけ……?」
「やだなぁ。忘れたの? 今度、いつか、行こうねって」
「……うん?」
いつそんな話をしただろうかと結衣は首を傾げた。雑誌を読みながら特集されていたのを見たときか、テレビで見たときか。引っ掛かるものはないが。
結衣の疑問とも肯定とも取れる返事を、茉莉は強制的に肯定と捉えて話を進める。
「そうだ! せっかくだし、お兄さんも行きましょうよ。発案者だし」
「えっ。いいの?」
「藤城さん一人だと緊張しそうじゃないですか。慣れた人がいたほうがいいですよね?」
茉莉としても、いくら結衣がいるとはいえ、初対面の人と遊びに行くのは対応に困る。ここは長い付き合いである圭にも来てくれた方が助かると思ったのだ。
すると、圭は自分も行きたかったのか顔を輝かせた。
「やった! じゃあ、さっそくトークグループ作ろ!」
「こらこら、二人とも。彼女の意見は? あと、圭は仕事中だろ?」
「へっ?」
(へぇ)
このまま遊びに行く流れが出来ていたというのに、伊澄は敢えて断ち切った。まさか意見を求められると思っていなかった結衣もきょとんとしている。
人によっては気分を害する発言だが、見方を変えれば周りをきちんと見ている証拠だ。
茉莉は内心で結衣の様子を見ていた伊澄に感心しつつ、黙ってしまっていた結衣を見た。
「ごめんね。ちょっと無理やりだった?」
「う、ううん。展開が急で少しびっくりしたけど、茉莉ちゃんもいるから大丈夫」
「もう! 可愛いこと言うんだから」
一対一ならば結衣も断るところだったが、茉莉も一緒なら心強い。
抱き締めてくる茉莉に困ったような笑顔で返す結衣の様子を見て、圭は意見を聞いていなかった伊澄へと視線を向ける。
「伊澄さんは?」
「休みが合うならね」
「やだなぁ。俺を誰だと思ってるんだよ」
「喫茶店の店員」
「事実だけど」
四人の都合が合う日となると調整は難しい。しかし、圭は「一日くらいなら融通きくから大丈夫」と前向きだ。
「とりあえず、結衣ちゃんと伊澄さんの二人が連絡先交換してトークグループ作ってもらって、俺と茉莉ちゃんはそれぞれ招待してくれたらいいから」
「圭はそういうの得意でしょ。作ってあげたら?」
「俺はほら、仕事中だからスマホ触れないし、そもそも休憩室だし」
「人のスマホはいいのか」
先ほど、人のスマホを取って電話を掛けようとしたとは思えない言動だ。
また、伊澄はあまりスマホの操作に詳しくない。メッセージアプリで友人とのグループを作るときは大抵、招待される側だ。
かといって、仕事中を理由にされれば、わざわざ取ってこいとも言えない。
「えっと……どうやればいいのかな?」
「あっ。わ、私も、あまり詳しくなくて……」
「じゃあ、あたしが教えますね。まず、結衣は――」
スマートに出来ればいいのだろうが、知らないからには仕方ない。
伊澄は下手に取り繕うよりは、と素直に聞いたものの、結衣も伊澄と同じくスマホに疎いようだった。代わりに小さく手を挙げてくれた茉莉に操作を聞きながら、伊澄と結衣は互いの連絡先を登録した。続けて、トークグループもほぼ茉莉に作ってもらい、茉莉と圭の招待もやってもらった。
「――はい。これで完了っと」
「ありがとう。すごいね。こういうのさくっと出来るの」
「慣れですよ、慣れ。よく使うのだと自分で調べるんですけど、あまり細かいのはあたしも分からないですよ」
茉莉からスマホを受け取った伊澄は、新しく出来ていたトークグループに目の前の二人の名前があることを確認した。また、メッセージアプリに追加された結衣の連絡先も。圭についてはスマホが手元にないので後で加入する流れだ。
慣れか、と内心で呟いた伊澄は、しばらくは自分が作ることはないだろうなとも思った。
ふと、スマホが振動していることに気づき、画面を見ると見慣れた名前が表示されていた。
「……あ、ごめん。電話だ」
「どうぞどうぞ」
伊澄は断りを入れてから席を立つ。
快く了承した茉莉は、店の出入り口付近に移動して話す伊澄を見ると、結衣の肩に腕を回して顔を近づけた。
「ちょっとちょっと! あんなイケメンとぶつかってたの?」
「イケメン……?」
結衣は異性への苦手意識があるため、顔が良いか悪いかはあまり気にするところではない。
そのため、茉莉が何故、やや興奮気味なのかと怪訝な顔をしてしまった。
「やっぱり、伊澄さんは女子受け良い顔してるよな」
「してますしてます。あたしのタイプではないけど、世間一般ではイケメンの部類に入ると思います」
「タイプではないけど」
タイプではないと言う割に茉莉のテンションは高い。ミーハーな部分もあるのかと思いつつ、思ったことを素直に言う彼女には好印象を抱いた。
茉莉はまだ話している伊澄を見てから結衣へと視線を移す。
「穏やかそうだけど、話してる限りはちゃんとしてそうだし、良いんじゃない?」
「何が?」
「結衣ちゃんは今フリーなの?」
「フリー?」
「こういう反応しちゃうくらいなので察してください」
「ははっ。了解」
茉莉と圭が何の話をしているのか結衣には理解が出来なかった。ただ、あまり良い予感はしないことだけは分かった。
それを決定付けたのは、何故か嬉しそうな圭の言葉だ。
「伊澄さんもフラれたばっかだし、傷心を忘れるには『新しい恋』ってね」
「うわぁ、すごいタイミングだね」
「……えっ?」
結衣の脳裏に、過去のトラウマが過った。
茉莉は知っているはずだが、圭と同じく伊澄との進展を望んでいる雰囲気だ。
固まる結衣を見てか、茉莉ははっと我に返った。
「あっ! ち、違うよ! 別に、無理にくっつけとかそんな話じゃなくって、ほら、結衣は――」
「ごめん! ちょっと仕事行かなきゃいけなくなったから、また今度……って、大丈夫?」
「だ、大丈夫です! 大丈夫!」
結衣の雰囲気がかなり沈んでいると気づいた伊澄は、ほんの数分の間に何があったのかと圭と茉莉を見る。
圭は状況が分からないのか肩を竦めたものの、慌てて答えたのは茉莉だ。
大丈夫と判断して答えるのは結衣のような気もするが、友人である茉莉が庇うように言うため、伊澄はそれ以上の追究はしないほうがいいと判断した。
「無理はしないでね? あと、この人に何か嫌なことされたら言ってくれていいから」
「俺?」
「あ、ありがとうございます……」
「うん?」
できるだけ優しい声音で、場を和ませるのと圭に釘を刺すことを兼ねて言った。
礼を言う結衣のタイミングも、まるで圭についての注意を了承したかのようだ。
不本意そうな圭には何も言わず、伊澄は伝票を持って席を後にする。レジには少し年配の女性がいたため、圭が動くことはなかった。
「ま、恋だのなんだの、冗談は置いといて。あの人がフラれたのは事実だし、これも何かの縁と思って一回くらいは付き合ってくれると助かる」
「フラれたって?」
本人のいないところで話すべきものではないが、二人には話してもいいか、とこれから付き合いが増える予感を覚えつつ明かした。圭も長く伊澄と交流を続けているが、彼の今までの出来事……特に異性関連を振り返ると、どうしても手を差し伸べたくなるのだ。
「あの人、モテる割に女運悪いのか、見る目がないと言うか、流されやすいと言うか……とにかく、今までの彼女に悉く浮気やら不倫やらされてて、ろくな目に遭ってないんだ」
「…………」
また、結衣の脳裏に過去の映像がフラッシュバックした。思わずテーブルの下で手を握り締める。
「俺が言うのもおかしな話だけど、あの人に問題はほとんどないんだ」
「確かに、結衣のこともちゃんと気遣ってたし、面倒見はいいんでしょうね。後輩に懐かれるわけだ」
「だろ? ただ……言葉は悪いけど、人の良さにつけ込むやつが多かったんだ。だから、俺としてはちゃんと良い子もいるんだよっていうのを知ってほしい。二人とも良い子そうだし」
まだ女性不信になったわけではないが、ならないとも言い切れない。それほど、彼は同じ目に遭ってきている。
穏やかな声音で言った後、圭は「初対面なのに巻き込んでごめんね」と付け足した。
「『袖触れあうも多生の縁』ってやつですよね。まあ、袖というかスマホというか」
「うっ」
「大丈夫。あたしもフォローするから、一回くらい遊びに行こ! で、駄目ならそこで終わり!」
「うわぁ。俺はまだいるのに言っちゃう」
伊澄だけでなく圭もいない二人の時に話すのであれば分かるが、隠す気配のない茉莉の言動はいっそ清々しいくらいだ。
だが、そう軽く思ってくれるのであれば、圭としても気楽に付き合える。
自分もいい加減仕事に戻るか、と気持ちを切り替えつつ、二人にある情報を伝えることにした。
「俺は見てのとおりここの店員だけど、伊澄さんはこの近くの花屋で働いてるから、ご入り用の際はぜひ使って下さい」
それじゃ、注文が決まったら呼んでください。と店員らしく言い残して、今度こそ圭は仕事に戻った。
「…………」
「気楽に、ね?」
「……うん。そうだね」
心の奥に残る蟠りは消えそうにない。
これが変わる切っ掛けになればいいけど、と結衣はそっと息を吐いた。
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