第十九話 自覚 2



 その日は久々に弓削を交えての食事となり、ククルは楽しかった。


 弓削を見送ったあと、後片付けをしようとして、ユルの姿が見えないことに気づく。


「あれ? ユル? 祥子さん、ユル知らない?」


 浮遊していた祥子に声をかけると、祥子は首を傾げた。


『さあ……。あのひとを、送っていったんじゃない? でも、聞いてた通り、弓削さんってかっこいいひとだったわねー。優しい系イケメン!』


 興奮している祥子に苦笑しながら、ククルは玄関のほうを見つめた。


(弓削さんを、送っていったにしても、何も言わないなんて――。一声、かけてくれてもいいのに)








 足音に気づいて、弓削は振り返った。


「夜? 何をしてるんだい?」


 ちょうどユルたちの住まいを出て、道を歩いているところだった。


 ユルは、息を切らせて早足で弓削に近づいた。


「話があるんだ」


「話? いいけど……立ち話もなんだから、どこかカフェにでも入ろうか?」


「いや、ここでいい」


 ユルは、弓削の胸ぐらをつかんだ。


 黒々とした目が、弓削をまっすぐに見すえる。


「オレがいなくなったら、ククルを頼む」


「……何の話だ」


「オレは、治らないかもしれない」


 ユルは手を下ろし、囁いた。


「そう弱気になるな。一度、琉球に帰るんだろう? そこで、何か手がかりが――」


「わかってる。諦めたつもりはない。だけど、今日――電話で所長に言われた。……オレに、黒い死の影が見えているらしい」


「嘘だろ……? それ、ククルちゃんは知っているのか?」


「いや、言わないでくれってオレから頼んだ。お前も、言わないでくれ」


「一番知らないといけないのは、あの子じゃないか」


「いいんだよ!」


 ユルは声を荒らげ、ここが道端であることを思い出したかのように、舌打ちして声をひそめた。


「聞いてくれ。オレは元々、短命なのかもしれない」


「短命? なぜ」


「――オレは、ずっと昔の生まれだと言っただろう。琉球がまだ琉球王国だった頃、聞得大君という国家の祭祀を司るノロがいた。オレの母親は王族で、聞得大君だった。王族は空の神の血を引いていた。そして、オレの父親は空の神だ」


「つまり……血族婚?」


「そうなるな。オレの母親の代には、かなり血が薄まっていたが――血族であることはたしかだ。現代に来て、知った。血族婚は弊害を生むこともあると。オレの母親は、霊力が高かった。先祖返りだった可能性もある」


「血族婚のせいで、君が短命だと?」


 弓削は信じられない気持ちで、ユルを見下ろした。


「神の血だ。何が起こっても、不思議じゃねえだろ。オレは、所長に死の影が見えると聞いたときに、真っ先にその可能性を考えたんだ。オレの推測が正しければ、何をしてもオレは治らない。そのまま、死ぬ」


「夜!」


「黙って聞け。ククルは大和の大学に通って、しばらく大和にいるだろう。お前に託したいのは、お前を信頼しているからだし、ティンがお前の中にいるからだ」


「君のいない大和に、ククルちゃんが留まるとは思えないよ」


「そんなの、わからないだろ。せっかく、勉強してここまで来たんだ。もしも、の場合だ。オレの代わりに、力になってやってくれ」


「……夜」


 弓削が声をかけるも、ユルは踵を返して遠ざかっていってしまう。


 しかし、彼はふと足を止めた。


「ああ、そうだ。弓削、それとは別にお前に頼みがある」


 ユルは弓削に、希望を伝えた。


「いいけど――」


 奇妙な注文だったが弓削は承諾し、できたらエルザに託しておくと告げた。


 今度こそ、ユルは止まらずに行ってしまった。








 ククルが皿を洗い終えたところで、玄関で物音がして、ユルがリビングに入ってきた。


 手を拭きながら、ククルはリビングに顔を出す。


「ユル、どこに行ってたの?」


「……弓削と話があってな」


「ふうん。出ていくときは、言ってよ。心配するよ」


「わかったわかった。急に用事を思い出して、追いかけたんだ。お前に言付ける暇が、なかっただけ」


 ユルはおざなりな返事をして、座っていた。


「別に、いいけどさ。あ、ユル。シュークリーム食べよう! 今、紅茶淹れるねー」


 返事も聞かずに、ククルは台所に戻って、ポットの電源を入れた。


 背伸びをして、戸棚からティーバッグの入った箱を取り出す。


(何を話してたの? って聞いても、教えてくれないだろうな……)


 ユルは、そういう性格だ。


 諦めて、ククルは紅茶を淹れたカップを盆に載せ、盆を持ってリビングに向かった。


 ユルは机に頬杖をついて、無表情でテレビを眺めている。


「お待たせー。弓削さんも、シュークリーム食べていったらよかったのにね」


 弓削は買ってきた弁当とククルの作ったポトフを平らげると、すぐに帰ってしまったのだ。


 ククルがシュークリームの箱を開けると、四つのシュークリームが目に入った。


「二つは、明日のおやつかデザートにしようね」


 声をかけると、「ああ」という返事があった。


 ククルは紅茶をすすったあと、シュークリームをかじる。


「おおお、おいしいっ! ユルも食べなよ」


 促すと、ユルもようやくシュークリームに手を伸ばしていた。


 


 後片付けと風呂を終えたあと、ククルは机に向かって勉強していた。


 入試は二月。もう、追い込みに入っている。


 あくびをこらえて、シャーペンを握りしめる。


 私学なので、ククルが特に苦手な理数系の試験がないのは僥倖だった。


 時間内に過去問を解き終えたあと、赤ペンを持って答え合わせをする。


「あー、もう。やだ。まだ、こんなに間違えてる」


 ククルがわめくと、祥子が舞い降りてきた。


『ご苦労様、ククルちゃん。ちょっと休憩しなさいよ。煮詰まっちゃうわよ』


「はあい」


 ククルは椅子から降りて、ベッドに横たわった。


 緊張していたからか、肩や背中が強ばっていて痛い。


 肩をもみほぐしながら、ククルは祥子を仰ぐ。


「祥子さんは、受験大変だった?」


『それなりにね。でも私、勉強はまあまあ得意だったのよ。特に暗記がね。あと、歴史もののアニメとかゲームが好きだったから、大和史には異常に詳しかったわ』


「すごーい」


『ふふーん、いいでしょう! ……まあでも、手を抜くってことを知らないのも不幸なことよ。こうして、過労死して自縛霊になるなんてね』


 急にしんみりした話になったので、ククルは慌てた。


「祥子さん、元気出して。来世ではきっと、いいことあるよ」


『そうだといいわねー。できれば、イケメンがいっぱいいる異世界に生まれ変わりたいわ。異世界が無理なら、欧州……うふふ。ぐふふ。……っと、くだらないこと言ってる場合じゃないわね。ククルちゃん、ユルくん大丈夫なの? 今日も、元気なかったわよね』


「大丈夫とは言えないよ。原因が、わからないから……」


 霊力の削れ。


 一体、ユルに何が起きたというのか。


「もしかしたら、私が何か忘れているのかもしれない。浄化だけでなく、やらないといけない手順があったのかも――」


 呟いたところで、ベッドに置いていた電話が鳴った。


 慌ててククルは電話に出る。


「はい」


『ククルさん、私よ』


「所長さん」


『お昼ぶりね。雨見くんの様子はどう?』


「相変わらずです。どうかしたんですか?」


『いえ、あなたが冬休みに入ったら琉球に戻って、ナハに立ち寄るって言ってたじゃない? 宿を手配してあげようと思って』


「え……でも、大丈夫ですよ。故郷でお世話になっている、おじさんの親戚がナハにいるから、そこに泊めてもらおうと」


『他人の家なら、気を遣うでしょ。まあまあ、気にしないで。雨見くんに、また元気にうちで働いてもらいたいのよ。私からのプレゼントだと思って』


「……じゃあ、お願いします」


『了解。一緒の部屋でいいわよね?』


「えっ! そ、それはちょっと!」


『雨見くんは、具合が悪いでしょう? 一人部屋だと心配じゃない?』


 ククルの反応が面白かったのか、伽耶の声には笑いが滲んでいた。


「たしかに――。じゃあ、同じ部屋で」


『わかったわ。空港近くのホテル、手配しておくわね。それにしても、同じ家に住んでいるのに、今更同室に照れるもの?』


「そ、それは……ちょっと、違うというか。うち、正確に言えば三人暮らしだし」


『ああ、そういえば自縛霊がいるって言ってたわね。……ねえ、ククルさん」


「はい?」


『雨見くんの状態は――あまり、よくないわ。私が見る限りね。後悔しないようにして』


「それって、どういう意味ですか」


『私からは言えないわ。でも、覚えておいて。失ってから気づいても、遅いのよ。それだけ。じゃあ、手配したらメールを送るから』


 一方的に通話が切られ、ククルは呆然として携帯を見下ろした。


(失ってから、気づいても遅い……?)


 何のことだろう。


『ククルちゃん、ごめん。盗み聞きしちゃった。でも、私も所長さんと同じ意見よ』


 祥子が珍しく真剣な顔をして、ククルの隣に降りる。


「祥子さん?」


『ククルちゃん、ユルくんのこと好きなんでしょ? 好きって、家族とか友達としての好きじゃない。恋のことよ。気づいてないだけで、そうなんでしょう?』


 その言葉に、ククルは頭を殴られたような衝撃を受けた――。


『ぶっちゃけ、自然に気づくまで黙っていようと思っていたの。でも、ユルくんが具合悪そうだし、悠長にしている場合じゃないって思って。ククルちゃん? 聞いてる?』


「…………」


 ククルは何も答えられなかった。


 頭がじんと熱くて、熱が出てしまったみたいになっている。


「私が――ユルを――?」


『ククルちゃん、大丈夫?」


「大丈夫じゃ、ない……。私、もう寝る」


『えーっ!』


 まだ話したそうな祥子を置いて、ククルは洗面所に向かうべく部屋を出た。

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